72. 奇怪『蠱毒の廃迷宮』 その①
冒険者ギルドのとある一室にて、その男は一人頭を抱えていた。連日の睡眠不足からか目の下には大きなクマができており、焦燥から掻きむしった髪はぐちゃぐちゃに乱れていた。苛立ちから貧乏ゆすりを止めることもできない。
彼はこのギルドの長である。ここ最近は、『ユグコットルの大森林から、人間の生活圏内に魔物が降ってきている件』の対策に忙殺される日々を送っていたのだが、今、彼はまた新たな問題に直面していた。
デスク上に乱雑に散らばる『とある報告書』。
もう目を通しなくもないと言わんばかりに、握り潰した様にしわくちゃになっていた。
その報告書は先日、「蠱毒の地下迷宮」から帰還した冒険者、アーサー・ベネットから提出された物であった。
彼は頭を抱えながら、報告書の内容を断片的に思い返す。
【ユグコットルの大森林内、蠱毒の地下迷宮付近にて微量の魔毒を検出。しかし、血飢熊〈ブラッディベア〉や黒突猪〈ブラックラッシュボア〉に影響を及ぼす程の毒性は見られず、更に森林全体への魔毒の侵食も確認されず】
【森林内にて発生している思われる異変原因究明のため、領主様より派遣された兵の半数を地下迷宮入口付近に駐留させ、周辺調査を行わせる】
【蠱毒の地下迷宮一階層。迷宮内にて出現する魔物擬〈ノンスター〉について異変を確認。通常時の一割程度まで、その発生量が減少している。迷宮内の魔素濃度についても、著しく低下している事を確認。迷宮自体の活動が低下している事を見越し、少数精鋭にて最奥までの踏破を試みる】
【蠱毒の地下迷宮最奥まで到達。魔素濃度について一階層から変化なし。地下迷宮の規模と魔素濃度が釣り合っておらず、また魔石の存在も確認できず】
【迷宮最奥探索中、本迷宮の主と対峙。種族名を「魔毒王百足〈スコルペンドラ・レックス〉」。能力擬持ち。人間の言語を理解する高知能な魔物擬〈ノンスター〉。危険度はS級適正と推定。即時討伐を決行】
【ユグコットルの大森林の異変について】
【我々の他に、地下迷宮を攻略したものが存在する。迷宮内の魔素濃度から、本迷宮が攻略されてさほどの時は経っていない。しかし直近、本迷宮に立ち入った人間は我々の他に存在しない】
【S級の魔物擬〈ノンスター〉を生み出す程の魔石を回収できる存在について、迷宮内の痕跡から「猫科の魔物〈モンスター〉」である可能性有。本迷宮探索の直前、ゴブリンと化猫と思しき魔物〈モンスター〉の存在を確認しているが、最悪「魔王軍」との関連を疑う必要あり】
【森林から魔物が降る原因は魔毒の侵食ではなく、上記の魔物〈モンスター〉が要因である可能性が高いと推測】
【また、この地下迷宮探索にて、B級冒険者パーティ『日向の旅人』が壊滅。四名の遺体は迷宮に吸収され消滅を確認。遺品のみ回収】
【以上、S級の地下迷宮を踏破した我々に、それ相応の評価を期待する】
報告内容を思い返し、ギルド長は目眩を覚えた。
彼は思わず自身の拳をデスクへと叩きつける。室内に響く衝撃音と、微かに痛む拳。やりどころのない苛立ちに彼は、大きな独り言を吐き出す。
「アーサーの奴めっ、とんだ無茶をしてくれたものだなっ……! 何が【相応の評価を期待する】だ! B級に昇級したばかりの「日向の旅人」を連れて最奥まで潜ればどうなるかぐらい分かっていただろうにっ……!」
ギルド長は本迷宮探索に関する指揮について、A級冒険者であるアーサーに一任していた。アーサーの人となりはギルド長も理解していたつもりだった。頭の回転が早く、冒険者としては文句なしの一流。ソロで活動している冒険者だからこそ、危険察知能力には長けている人物だと考えていた。
しかし蓋を開けてみればこの始末。派遣された数百の兵を迷宮探索ではなく、地上へ待機させた挙句、B級冒険者パーティ「日向の旅人」が全滅する前に帰還しなかった。一階層目で異変があると感じ取りながら、わざわざ少数精鋭に絞って最奥まで潜ったのは、単にその方が身勝手な行動をとりやすいから、以外に理由はなかったのだろう。
ギルド長は、更に拳を強く握りしめた。
彼は情に熱い人間であった。「日向の旅人」について地道に功績を積み重ねていたのを知っていたし、このまま堅実な活動を続けていれば、彼らは冒険者として規範となり得る存在とも思っていた。
そして、そんな彼らが亡くなったことに対する処理も、ギルド長の仕事である。遺族への説明から遺品の届け。冒険者の契約上、依頼〈クエスト〉中に命を落とした場合、ギルドで責任を負う事は基本的にはない。完全な自己責任とはなるものの、それは契約上の話である。遺族からの責任追及の声は止む事はないし、「彼らに見合わない依頼〈クエスト〉を受けさせた」という事実には変わりない。
ギルド長は沸き立つやるせなさを抑え込む様に、深く息を吐いた。今こうして頭を抱え続けていても、目の前の問題は解決しない。今ある情報を整理し、先の対処を見据えなければならない。
彼は眼前のしわくちゃとなった報告書を手に取った。しかしいくら読み返しても、眉間に皺が寄るだけだった。
「S級の地下迷宮が既に何者かに攻略され、魔石の行方もわからない、か。わざわざ野生の魔物が迷宮を攻略するとは考えづらいが、かと言って魔王軍が手を出す様な迷宮だったとも思えん。過去、七大迷宮で魔王軍の目撃証言はあった聞き及んだことはあるが…………クソっ! まるで見当もつかんっ! いったい、あの森で何が起きているというのだ……!?」
***
蠱毒の地下迷宮内、一階層にて。
俺らは順調に迷宮内を歩み進んでいた。しかしながら、一瞬たりとも気を抜ける状況ではない。
アーサーの奴が、折角同行をしてくれている数百の兵達を分割させてしまったのだ。結局、今行動を共にしているのは俺らの所属する「風の共縁者」に加え、「黒鉄の鎧」「白刃の集い」「日向の旅人」の四組のB級冒険者パーティ。そしてB級ソロ冒険者として活動している、魔法使いである「ケイシー」に剣士である「カーラ」。
それらのメンバーを率いる、A級ソロ冒険者の「アーサー」。
迷宮内は蟻の巣の様に入り組んだ構造になっている。確かに、これらすべてを網羅するために手を分けるのは最適の様に思えるのだが、この冒険者のみの面子になった今、アーサーが何を仕出かすか分かった物じゃなかった。
C級から昇格したばかりの「日向の旅人」のフォローをしながら、アーサーの独断行動に注意しつつ、問題行動ばかり起こす「黒鉄の鎧」「白刃の集い」と剣士カーラにも目を光らせて迷宮攻略を行う必要がある。本当に神経ばかり使う、割に合わない依頼〈クエスト〉だと思う。
唯一、頼りになるのは同じパーティメンバーと、魔法使いケイシーぐらいだ。そんな彼女も迷宮に立ち入ってから、表情に影が見える様になっていた。
それから、迷宮に立ち入って幾らかの時間が経過した。しかしそれでも何も起こらない。だがそれが逆に不気味でもあった。
「思ってたより、魔物擬〈ノンスター〉の数が少ないですね。蟻や蜂は確かに厄介ですけど、これなら俺らもついてけそうです」
アーサーの横を歩きながらB級冒険者パーティ「日向の旅人」のリーダー、剣士イーサンが苦笑いを浮かべて呟いた。
しかしどう考えてもおかしい。推定A級相当の迷宮というのには、あまりに魔物擬〈ノンスター〉の数が少なすぎる。魔毒は多少厄介と言えど、準備さえできていればB級からC級適正と言われても遜色ない様にも感じられる。
「――いや、これはどう考えてもおかしい。以前ここに潜った時は、こんな優しいものじゃなかった。もっと、天井から壁面、地面を埋め尽くすほどの虫がいる様な迷宮だった記憶しているのだが……」
俺のその疑念を裏付ける様に「白刃の集い」のリーダー、剣士ルーファスが唸りながら考え込む。やはり、いつもとは様子が異なる様だ。
しかし、もしこれまで出てきた蟻や蜂の魔物擬〈ノンスター〉が、この迷宮を埋め尽くすほど存在していたというなら、確かにA級相当というのは納得だ。俺はその様を密かに想像し、背中が粟だった。A級以前に流石に気色が悪すぎる。想像するんじゃなかった。
そしてルーファスのその言葉に同意する様に、胡乱な目をしながら「黒鉄の鎧」のリーダー、剣士エリオットが軽く呟く。
「明らかに魔物擬〈ノンスター〉の発生量が少ねぇな。奴ら、迷宮外の異物を見つけたらすぐに排除する習性があったはずだ。いや、そもそも隠れて俺らの隙を窺うような知能を、虫風情が持ってるとは思えねぇし……」
相変わらず口は悪いが、言っていることには概ね俺も同意だ。アーサーは彼らのやり取りには興味もない様に、黙って先頭を歩き続けている。指揮を取る気はこれっぽっちもない。
先のことを考えると自然とため息が漏れる。俺は軽く肩を竦めながら、頭の中で情報を整理しながら適当に言い捨てる。
「ユグコットルの大森林内では無く、この迷宮の中で何かしら異常が起きるってのは、遠からず当たってそうだな」
それからまたいくらかの時間先を歩き続けると、行き止まりに差し当たった。しかしそれもおかしい。事前に探索ルートは確認しておいた。途中で道を間違えとも考えづらい。
「――? こりゃあー、行き止まりか?……おっかしいな。前に一階層奥まで進んだ時には、こんな壁はなかったはずなんだがぁ」
そう不思議そうに、目の前の行き止まりとなった壁を触る「白刃の集い」の盾士モーリス。彼は小首を傾げ、唸り声をあげた。事前に用意していた迷宮内のマップを確認するがやはり道は間違っていないし、こんなところに壁なんてあるはずはない。
そう俺らが考え込んでいると、ケイシーが目の前の岩壁を触り耳を当てた。
「地下迷宮の内部構造が変わるのは、そう珍しい話ではありません――しかし、流石にこれは異常ですね。地下迷宮内にしては魔素濃度が薄いですし、構造が変わる程の活発さも見られない……この奥に、道は続いていそうですね」
神経が張っていているのか、ケイシーはいつもの柔らかさはなく冷静に言い放った。どうやら道は先に続いている様だし、付近に魔物擬〈ノンスター〉の姿も見られない。魔法で吹き飛ばしてしまうのが一番簡単だろうか。
そう黙考していると、俺らと同じパーティーに所属している魔法使いスージーが、この迷宮の天井付近を見上げて、何か気が付いた様な声を上げた。
「――あれ? この壁。なんだか、巨大な石柱の束みたいに見えませんか? 地表付近は形が崩れてしまっていて分かりづらいですが、ほら、天井付近とか」
フローラは魔法によって、迷宮の天井付近に灯りを灯す。すると確かに、この聳え立つ壁は石柱を重ねた様な構造をしていた。それによく見ると完全に道が塞がっているわけではなく、天井付近には人が通れそうな隙間は空いている様だった。
「確かにそう見えるな。もしかしてあれか? 大量の虫に追われて、咄嗟に魔法で道を塞いだとかか? だとしたら迷惑この上ない話だが……」
「そんな事はどうでも良い。今最も重要な事は、この迷宮の調査だ。推測は全て終えた後でもいいだろう。隙間があるのならこのまま通り抜けるぞ。わざわざ音を立て、虫共を呼び寄せるのも面倒だ」
「黒鉄の鎧」の魔道具師サイモンが小言を言いかけるのをアーサーが静止し、そのまま壁をよじ登り始めた。やはり後に続く者のことなど考えてはいない。
アーサーの行動を見て大きくため息をついたのは、俺と同じパーティに所属する魔法使いカリスタ。彼女は何も言わずに壁に沿って地属性魔法によって、隙間までの道を作り上げた。
そして、全員その小さな隙間を通り抜けた時、眼前に広がる光景に皆、言葉を失った。
「オイオイオイオイ、どういうことだよこれは……」
俺は顔を引き攣らせながら呟いた。
壁を超えた先に広がっていたのは、岩壁や地面が大きく抉られた痕跡だった。それはまるで、さっき通り抜けた岩壁――いや、石柱の塊を何者かが撃ち放った痕跡の様にも思える。この迷宮内で、こんなことができる魔物擬〈ノンスター〉がいるなんて話は聞いた事もない。しかしながら、この痕跡を人間が作り上げたと言うのも、あまり現実的とも思えなかった。
「大きく地面と壁面が抉れた痕……ま、まさかとは思うが……いやありえねぇ。いくら地属性を極めた魔法使いでもこんなバカ見てぇな威力で大岩をぶっ放てるわけがねぇ」
俺と同じ予想を立てたエリオットが、首を振りながら乾いた笑いを浮かべる。流石のアーサーも足を止め、顎に手を置いて何か考え込む仕草を見せていた。
そして同じ様に考え込むフィリップが何かを確信した様に、皆に目線を移す。
「…………異様に数の少ない魔物擬〈ノンスター〉。あまりにも薄い魔素濃度。そして、巨大な大岩を吹き飛ばした様な痕跡。更に、この抉れた痕跡が「入り口方面」では無く、「奥へと進む道」に残っていたことを考えるに――」
「――逃げるためでは無く奥へと進むため、虫達を一掃するために何者かが大岩を放った」
それに答えたのはカリスタ。口に出しても現実的ではない推測ではあるが、眼前の痕跡から辿り着くのは、その答えだけろう。
そして、カリスタの言葉にケイシーも何かを確信した様な顔で皆に目線をやる。そしてその視線に俺は何故か、なんとなく冷徹さを覚えた。
「あの、これはただの推測なのですが。もしかしてこの地下迷宮――」
この場にいる皆、彼女が何を言いたいのか察していた。迷宮内の冷えた空気も合わさって、緊張感も高まる。
そして彼女は特に感情を乗せることもなく、冷静に言い放った。
「――既に、死んでるんじゃないでしょうか?」
誰もケイシーのその言葉を、否定することができなかった。迷宮一階層目、魔物との対峙は多くないものの、不穏な空気が皆を包み込んでいた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし本作について「先が気になる!」「なんか面白いかも?」等思ってくださいましたら、『ブクマ』や下あたりにある『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』にて評価をいただけましたら嬉しいです!
【関連話】
・29話:予兆『異変と探り』 その①
・40話:察知『不可解な魔物』
・25話:攻略『蠱毒の地下迷宮』 第一階層①




