21. 赤小鬼は狡猾でした その①
銀色の刃が黒一を襲う寸前、僕はそのゴブリンの腕と首を爪で切り飛ばした。振り上げられたナイフは黒猫に突き刺さることはなく、ゴブリンの腕と頭が宙を舞った。
尖爪烏〈クローレイブン〉の持つ技能『尖爪』により爪の切れ味を強化し、空甲虫〈スカイビートル〉の持つ技能『甲化』により硬度を増させた。
今の僕なら鋼鉄ですら豆腐の様に切り裂くことだってできる。もはや猫とは、と言った感じだけど。
でも、間一髪だった。
ニオイを辿って北の森を彷徨っていたんだけどこの北の森、生ゴミみたいな臭いが酷すぎて黒一のニオイがかき消されてしまっていた。
だから途中からは嗅覚に頼るのをやめて、聴覚と風から伝わる意識に感覚を研ぎ澄ましていたんだけど、まるで猫の尻尾を踏んでしまった時の様な鳴き声と、苦しそうな意志が頭に流れてきて、何とかこの場に間に合ったというわけだ。
…………まぁ、それはそれとして。
『おい、屑小鬼共。そんな汚い手で猫に触れるなよ……ぶっ殺すぞ』
意識が通じるのかは分からないけど、伝わろうが伝わらなかろうが今の僕にはどうだって良い。
『子猫を苦しめたその罪、命一つで償えると思うなよ』
まずは、黒一を囲んでいるゴブリン共を片付けるのが先だ。技能『反射神経強化』と能力「上感覚」により、神経を尖らせて体感時間を零近くまで引き延ばし、擬似的に時を止める。
まずは状況把握が大事。
この醜い姿、ファンタジーとかでよく聞くゴブリンだと思っているんだけど、念には念を。
まず『ステータス』でこの魔物達の素性を覗き見る。
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種別:魔物種族〈モンスター〉
種族:小鬼〈ゴブリン〉
技能:『自然再生』
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種別:魔物種族〈モンスター〉
種族:赤小鬼〈ゴブリンロード〉
技能:『超速再生』『自然再生』『百烈殴殺』
『言語変換』『隠密』
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まぁなんて事はない、再生力に特化した人型の魔物。逆に、『変化』を応用すればこの『自然再生』と『超速再生』は再現はできそうだし、さっさと技能の感覚だけ覚えて殺ってやるか。
注意すべきはあの赤肌だけ。
「――コイツ今オレのッ!?」
そして少し体感時間を早めると、赤肌のゴブリンが何か驚いたような反応をしていた。何に対してなのか興味はない。どうせ殺すんだから。
黒一を囲っているゴブリンは残り四匹。今ので僕に怖気付いて固まっているけど、もちろん許してやる気はない。
先に刎ね飛ばしたゴブリンの頭が地面に落下したと同時に、僕は周囲四匹のゴブリンの目を抉り裂く。そして技能『隠密』を使い、視力を失った四匹の背後に周って腱を裂く。
足を丸ごと切り飛ばしても良かったんだけど、そんな簡単に致命傷など与えてやったりはしない。
黒一が味わった恐怖や絶望はこんなモノじゃなかったんだ。
再生できなくなるまでじわじわと痛めつけて最期は皮剥いで殺してやる。
いや、なんなら再生じゃどうしようもできない苦しみでも味合わせてやるか。
腱を切られ前傾に倒れ込む四匹のゴブリンの頭の周囲に、技能『固空』を使う。
この技能は謂わば空蹴りの応用技能。
空蹴りは空中を駆け回るために、空気を板状に固めて足場を作る技能だけど、この技能は『空気をいろんな形に固める』ことのみに特化した技能だ。
例えば今やったように「頭の周りの空気をまるで潜水服のように固めたり」もできる。
もちろん、潜水服の様な空気を補充するボンベはついていないし、その代わりの空気穴だってないけど。
四匹は地面でのたうち回る。頭周辺の空気を固めたことで、ギャーギャーと喚く鳴き声もそれほど煩わしくない。
奴らは自分の目がどうなってるのかもわからず、頭にも触れられず喉寸前の空気の塊を苦しそうに掻き毟っている。
敵陣のど真ん中とはいえ、これで黒一の様子を見るぐらいの余裕はできた。赤肌もこっちに攻撃してくる様子もない。
僕は倒れている黒一へと近づく。
黒一は薄く呼吸はしてるけど、内臓がいくつか潰れ骨も折れていた。それに加えて、蟻と蜘蛛の毒にも侵されてるようだ。
僕の姿を見た後限界を迎えて、今は意識もなくなったみたいだけど、生きてるなら僕の技能でなんとかできる。
ただ黒一を治すのにしても、もう少し安全は確保したいところでもある。
やっぱ、この小鬼共は鏖殺しておくか。
緑肌のゴブリンは武器を持ち僕に敵意を向けている。
黒一の治療を邪魔するのなら――
「死にたくなければ動くナァッ!!」
赤肌のゴブリンから発せられたその声は、僕に向けられたものなのか。
否、そうじゃないことはこの場にいる全員理解している。緑肌のゴブリンは危機迫る赤肌の声に動きを止めた。体感時間を伸ばしていた分、あれから十秒だって経っていないはずなんだけど、どうやら多少は頭が効くらしい。
何はともあれこれで黒一の治療に専念できる。
まずは黒一へ『蓄えていた薬草』を与えてあげるのが先だ。
『蓄えていた薬草』というのは、この森の東の湖付近に生息している魔物、巨呑蛙<ヒュージトード>から得た技能『食貯蓄』によるものだ。
これはまさにそのまんまの意味で、体の中に食糧などを溜め込んでおける技能。元の蛙もそうだったけれど、どういう原理か自分の質量以上のものを蓄えて置ける便利な技能なのだ。
おそらく冬眠時に使用されるものなんだと思うんだけど、これがまた使い勝手がいい。
例えば、何かあった時用に薬草を体内に蓄えておいて、傷を負った時は即座に消化して回復したりね。仲間に使う時はなんかは首元に噛みついて、それこそ毒液を吹き出す蛇のように薬草を体内に注ぎ込むことだってできる。
しかしこの世界は本当に異様だ。ただ薬を注ぎ込んだだけで、折れた骨や内臓の損傷が治るんだから。
以前、大蛇相手にヘマを踏んで大怪我をしたことがあったんだけど、その時この技能で大量に薬草を消化して完治したから、黒一もこれでとりあえずは助かるだろう。
僕は一度深く呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
相手はゴブリンロードだ。舐めてかかれる相手ではないし、立場上この北の森を支配する王だって可能性すらある。
お父さん達ですら、北の森には足を踏み入れるなと忠告するほどの相手なんだ。
僕も全力でやらないと…………あれ?
黒一を治した事で頭が冷えてきたのか、僕の頭は少しづつ理性を取り戻してきていた。
一旦冷静に思考するため再度、体感時間を零へと引き延ばし擬似的に時を止める。
…………そもそも、北の森に立ち入るなって言われてたのに、このままこの王を殺しても問題ないのかな?例えこの場でこのゴブリン共を皆殺しにしたとしてその後はどうなる?
一番考えられる最悪な事態は、北の森の支配者がいなくなる事で、森全体の情勢が変わってしまう事だ。最近は西側の森だって騒がしくなってきてるのに、更に情勢のわからない北の森を荒らして、僕達の縄張りとする東と南側に影響を出してしまうのは悪手なのでは?
そもそも北の森の支配者がこんな小汚いゴブリンだってことすら怪しい。もしこの赤肌が北の森で他の種族と対立していていて、一種の防波堤的な役割となっていたとしたら?
……ダメだ。全て憶測の域を出ない。
でもこの場で唯一わかっていることといえば、このまま感情に身を任せて頭を潰すのは、あまりよろしくないってことだ。
僕は引き延ばしていた時間を戻して、また深く呼吸をして頭を落ち着かせる。
あんまり能力のせいにはしたくないんだけど、この体に転生してからというもの、感情のままに行動してしまうことが増えた気がしてる。特に、過剰に何かを感じると理性が吹き飛ぶこともあるから、こればかりは注意しないととは日々思っていたんだけど。
僕はそっと『固空』を解除しておく。
この四匹のゴブリン共は未遂だった訳で、ここまでしてやることもないんだ。矛先は間違えちゃいけない。
ゴブリンロードは僕を見て唾を呑む。
僕の動きを唯一目で追えていたし、僕がただの子猫じゃないことは十分わかってもらえているようだ。
「ッ……バケモノがッ……」
赤肌のゴブリンは少し姿勢を低くし、こちらの様子を伺っている。周りのゴブリン達も武器は持っているけど、この五匹のゴブリンの末路やロードからの命令で動けないでいるようだ。
『さて、この落とし前。君らどうつけてくれようか?ねぇ?ゴブリンの王様』
聞こえている前提でとりあえず伝えてみる。反応からしておそらく聞こえてはいるだろう。
赤肌のゴブリンは薄ら笑いを浮かべた。
「落とし前ダト?貴様、どの口が言ってイル。縄張りを侵害したのは貴様らダ。落とし前をつけるベキは貴様らじャあネェのカ?」
『………………確かに』
赤肌に対して怒りが収まったわけじゃないけど、妙に納得してしまった。そもそもゴブリンからしてみれば、化猫側の事情なんて知ったこっちゃない。どんな事情があれ自分の住処に勝手に侵入してきて、償えというのはもしかしてものすごい暴論なのでは?
このゴブリンからしてみれば、家にGが現れて叩き殺そうとしたら、ものすごい物騒なGが来て許さないと怒ってる様なものだ。
…………まぁ、それはそれとして。
『その通り。縄張りを侵害したのはこの子だし、そんな事情も無視して暴れたのは僕だ。でもさ、僕にとって縄張りがどうだとかそんなの関係ないんだよね。どんな理由であれお前は子猫を虐めた。その時点で、お前はこの世に存在しちゃいけない存在なんだよ。それが分からないかな?』
「とんだ暴論ダナッ……ッチ。動くなと言ったハズだ。闇討ちが出来る相手じャネェ。武器を置ケ」
僕の背後の木の裏で僕を狙っていたゴブリンに対して、赤肌のゴブリンはそう告げた。もちろんバレバレ。もし攻撃してきたら首を刎ねてやろうと思っていたけど、ゴブリンでも王は王ということらしい。
僕の背後にいたゴブリン含め、周囲にいたゴブリンたちも武器を手放した。
『物分かりが良いね。っで、どうする?もしお前らがこの子を見逃してくれると言うなら、僕はお前の首には手をかけないでやるし、これ以上この北の森へは足を踏み入れないと約束するけど?』
「…………見逃さないと言ったらドウスル?」
『さぁどうなるんだろうね。今ここで試すのが手っ取り早いかもよ?』
まぁ仲間達に武器を置かせた時点で、その選択は取らないことは分かってるけどね。赤肌のゴブリンは変わらず僕に対し苦い顔を浮かべながらも、その顔にはどこか余裕そうな感情も読み取れる。まだ何か手は持っていそうだ。
「……ケッ、タチの悪ィ野郎ダナ。ダガ、勘違いするなヨ。主導権握ってンのはオマエじャない。俺ダ」
赤肌のゴブリンは薄ら笑いをしながら、僕の背後で倒れている黒一へと指を刺す。
「ソノ黒猫。内臓が潰レ骨も折れているようダ。下手に動かせば心臓に骨が刺さっちまうかもナァ?村に担いで戻れないダロウヨ」
『っで?何が言いたい』
「俺らはソコらにいる野生の魔物とは違ウ。人間を襲い、金や武器、薬や女を奪い生きてキタ。モチロン、ソイツの傷を治す薬なんかも今ココにある」
赤肌のゴブリンは更に嫌ぁな笑い顔を浮かべながら、勝ち誇った様に僕に歩み寄って来る。その手には緑色の液体で満たされたガラス瓶が握られている。おそらく回復薬的なものなんだろうけど。
「ソコデダ!貴様の命とならコノ、ハイポーションを交換してやるヨ。かなりの上等品ダ。コノ森の薬草なんか比にならネェ代物ダ。コノ取引に応じるならば、オレはコノ黒猫を見逃すと約束しよウ。サァ!ドウダ?」
そう生き生き問われても僕の回答なんて最初から決まってる。っていうか息臭いし、近くで見るとなお気色悪い。
それに、いくら化猫相手でも舐められすぎていることに、内心ちょっとイライラする。
『…………あのさぁ、幼いからって馬鹿にしてるよね僕の事。誰が乗ると思うの?そんな釣り合いの悪い取引。第一、僕が死んだ後黒一の安全を誰が保証できるのさ。こんな君らの縄張りのど真中で。第二に、その回復薬で黒一が完治する保証すらないよね?ハイポーションとか言ってるけど、それが本物か僕らには判別がつかない。一時的に効力のあるだけの変な薬の可能性だってあるのに、そんなものに命をかけられるわけないだろ。そして第三に、そもそも君の言う傷はすでに僕が治してるから、こんな取引に応じる必要性なんて皆無なんだよね』
「な、何ダト!?ッ……貴様いったいドウやっテ!?バカなッ……!内臓の損傷がタダの薬草やポーションで治るはずがネェ!!」
え?治んないの?そうなると僕もわかんないんだけど。
まぁいっか、現に治ってるわけだし。
『誰がお前みたいな小汚いゴブリンなんかに明かすかよ。っでさ、これでも主導権がお前らにあるとか言う?君がやる気なら僕は一向に構わないけど?』
僕の意思に赤肌のゴブリンは一瞬唖然としていたが、口角が少しつづ上がっていった。
「……ッ…………キヒッ……キヒャヒャヒャヒャッ!!」
そして高らかに笑い出した。甲高い音と生ゴミ口臭のダブルパンチ。話し合いなんかしてないで、さっさと痛めつけるだけ痛めつけて帰りたいところなんだけど。
ただこの反応、まだまだ手札はあるってことなんだろう。
「あァ面白い猫ダ!!こんな化猫に会ったのは初めてダッ!!すまない、貴様はタダの幼い獣ではナイようダ。俺も真面目に取り合おウ」
そして、落ち着いたかと思うとまた薄気味悪い表情へと戻った。
相手はゴブリンの王。そしてここは敵地のど真ん中だ。
まだ油断のできる状況じゃない。
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