2. 『走馬灯』 その②
季節は秋。先日から早朝にかけて降り続いた雨は幸運にも通学頃には止み、暖かな日差しが水溜まりを照らしていた。
その日もいつもと変わらずバスに乗り、最寄りの駅に向かっていた。始発からの乗車ではないため席には座れない。朝の怠さに打たれながら受験対策としてニュースを読み漁っていた。かと言って朝の怠さからほとんど目が滑ってしまう。
結局偏った面白そうな記事しか頭に残らない。
芸能人の不貞話やら、ネット活動者が誰かに迷惑かけたやら、誰が何して逮捕されたやら、ネット掲示板で議論をまとめたあーだこーだやら。科学じゃ説明できないこと特集やら、面白ショート動画特集やら。と、まぁもっと時事的な事柄を見ないと意味ないんだけど。朝に弱すぎてそもそも今見てる記事すら、頭に残らないんだから意味ない話。
いつも通り僕は、朝の眠気にうとうとしながら適当に携帯で記事を見漁っていた。
その時まではいつも通りの気だるい朝だった。
急に、僕の少し前の吊革に捕まっていたスーツの男性が呻き声を上げた。
お腹でも壊したのかとチラッと見てみれば、男性の腹から赤黒い液体が地面に垂れるのが見えた。それに一番早く気がつき声を上げたのはその吊革の男性の横の席に座っていた女性だった。
「ッッキャーーーーッ!!!」
甲高い悲鳴が響き渡る。
それに釣られてバス前方に乗車していた人々も状況に気がつき、連鎖するように悲鳴をあげた。その声に僕より後ろに乗車していた人たちも只ならぬ事態を察し、閉まり切った逃げ場のない後部へ、身を寄せはじめる。バス内は一瞬にして修羅場と化した。
刺された男性は力無く倒れ込み赤黒い血溜まりを大きくしていく。そして、倒れこむ男の前で一人、血濡れのナイフを持った男は身体を震わせていた。悲鳴を上げた女性はいつの間にかぐったりしている。よく見ると首元から血が垂れている。
ナイフを握った男から明確な要求などはない。
男はただナイフを持って震えている。口がパクパクと動いており、男自身もパニックを起こしていることが見てとれた。
間も無くしてバスのドアが開き運転手から避難の緊急アナウンスが鳴り響く。バスのアナウンスとしては聞いたことのない語勢の強さに、今起きている事象の異常性を再認識した。
まるで濁流のように人が出口へと逃げていく。
――逃げなきゃ。
僕もその流れに身を任せようとした瞬間。視界に映ったそれに再び僕の体は固まった。
ナイフを握った男の横の席は優先席だった。
そして運の悪いことに、妊婦さんが動くこともできず座席で身を抱えていた。それもそうだ。悲鳴を上げた女性は首を切られている。下手に動けば命はない。
ナイフの男は身を抱えるその女性へと視線を移す。その瞳には今も一切の理性は感じられない。
逃げるに逃げられなかった。
もう、見て見ぬ振りはしたくなかったから。
***
お腹が焼けるように熱い。こんな感覚人生今まで感じたことがない。
痛い。苦しい。辛い。
時間がありえないぐらいゆっくりと流れている。これが、走馬灯とかいうやつなのだろうか。今もまだナイフはニ〜三センチメートル程しか刺さっておらず、それが押し込まれていくのをゆっくりと感じている。
僕はナイフを握った男の前に立ちはだかった。後少し遅ければ、妊婦さんに直撃していたと思う。どうせなら鞄を盾にとかすれば良かったとか、そう言ったことはもう今更なのだろう。
折角、これから将来に向けて前を向うと立ち直れたのに、僕の最期はこんなものになってしまうようだ。
まぁ、何も取り柄もない猫好きでしかない僕だ。将来公園で無責任に猫に餌やりするニートにでもなってたとでも考えれば、妊婦とその子供の命を救っただけ十分なのかもしれない。
お母さんお父さんには本当に申し訳ない。
何にも返せていないし、世話の焼ける息子だったと思う。でも、最期に命を救ったんだからそれでなんとか許してほしい。
あぁそうだ部屋にあるパソコンのデータは見ないでほしいな。というか、年齢指定のそういうのは部屋に置いてあるUSBにも残ってしまっていた。不用心にもパスワードもかけてない。どうせ自室にしまっているUSBなんて、自分しか見ないじゃんとか舐めた真似をしていたのが裏目に出た。
心の中でため息が出る。どうせなら二次元猫耳少女で致してたと笑い話にでもしてくれ。
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………………………………
………………?
いや、おかしい。
走馬灯とはいえ長すぎる。
痛みはどんどん強くなる一方だ。記憶という記憶は思い返した。もう思い返すことなんてない。それなのに、このゆっくりとした走馬灯は終わらない。
それはまるで、神が与えた拷問のようだった。
刃が体に四〜五センチメートルほど突き刺さった程か。もう冗談が考えられなくなるほど痛みは強くなり、その痛みは決して治ることはない。吐き気すら伴ってくる。
早くこの地獄が終わってほしい。
そう願うけれど、僕の頭には一つの不安があった。
頭の悪い僕でも現役の高校生。ある程度の数学知識は抑えている。これは一種の極限の収束問題と同じだ。
つまり僕が何を懸念しているか。
それは「この時間の進みが完全に停止する前に、僕は死に到達することができるのか」ということ。
もし、体感の流れが殆ど零になっても死ねなかったらそれこそ一生、永遠に苦しみを味わうことになる。
そう考えた時に背筋が凍った。
この苦しみが永遠になんて考えたくもない。そんなの頭がいかれてしまう。いや数秒でこんな速度で思考しているのだから既に僕の頭はおかしいんじゃないか?
――このままじゃまずい。
僕の本能が全力で警鐘を鳴らす。もう秘蔵USBのことなんて考えている余裕なんてなかった。
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