15. 喪失『少女と化猫』
翌日。私は昨日と同じぐらいの時間にその路地裏に訪れてみた。猫の言葉はわからないけど、ただの気のせいだなんて思いたくなかったから。
でもそんな心配は杞憂に終わった。
その猫は、私の事を待ってくれていた。
なんなら私を見るなり「遅い!」とでも言いたげな声で『ニャーーーーーー』とロングトーンで声を上げた。
なんだか、それがとてもおかしくて笑ってしまった。
久しぶりに心から笑えた気がした。
私はこれでもか、って言うほどにその猫を撫で回した。
最初は不満げだったその猫も、暫く撫でていると昨日みたいに私を受け入れてくれた。
それから私は、その路地裏に通い詰めるようになった。
私にできた唯一の友達と呼べる存在。
私はその雄の白黒猫のことを「オセロ」と名付けた。これだけ人慣れしてるなら他に名前もあるのかもと思ったけれど、この猫のことを大人に聞くのも億劫だったし。それに私はこの二人だけの関係が好きだったから、私だけの名前をつけてあげたかった。
今では彼も自分の名前が「オセロ」だっていうことを理解してくれている。
やろうと思えば魔法でオセロの意思を人間の言葉に変換することもできた。出来心でその魔法を調べてしまったんだけど、でも実際に使う事はなかった。
オセロと私を繋ぐ関係に「魔法」を絡ませたくなかったから。
そんな穏やかな日々が続いたある日のこと。
私はいつもの路地裏で木箱に座り、オセロを膝の上に乗せていた。
「あのね。私明日誕生日なんだー。明日で十三歳になるの!こう見えても君より結構大人なんだよ私」
そう得意げに語る私に「はいはい」と言っているように尻尾を軽く揺らした。この子はとても賢くて結構人の言葉を理解してくれる。
「毎年お母さんとお父さんからプレゼントがもらえるんだー。今年は何がもらえるのかなー」
その言葉に彼は耳をピクッとさせて私の顔を見る。
その顔には少し不安な気持ちが垣間見えた。
私はオセロの頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ。明日もちゃんとここに来るから。そうだ!それじゃあオセロにもご馳走を持ってきてあげる!それでここで一緒に食べようよ!」
オセロは『うー…』という鳴き声をあげて顔を逸らした。「それならまぁ」というような声に思えたけど、その奥にはまだ不安な気持ちがあるみたい。
私も雰囲気で彼と意思疎通してるから、細かいニュアンスまでは分からない。
でも、この子を不安な気持ちのままにはさせたくなかった。だから――
「…………私ね。オセロと出会えて本当に良かったって思えてるんだ。もしあの時、オセロが側にいなかったら私、きっと一生笑えなくなってたと思うの。だからね。そのお礼をさせてほしいんだ。あの、だからね……その……ありがとう」
言葉がどれぐらい通じてるのかわからない。でもこの思いだけは伝えたかった。
彼は私の言葉に落ち着いたように再び身を委ねてくれた。
それから一頻り私はオセロを撫でながら独り言を呟き続けた。
***
その翌日。
私は誕生日を迎えてウキウキでいつもの路地裏へと向かっていた。その道中のこと。
「ティナ……ッ」
どこかで私の名前を呼ぶような声が聞こえたような気がした。声の方向を向くと、そこには人集りができている。
何だか気になって、私はその人だかりへと近づいた。
その人だかりの中心には、地面に倒れ込む獣人の少年と。その獣人を集団で囲い蹴り飛ばす大人たちの姿があった。
何度も何度も何度も。執拗に蹴り飛ばされて、地面には赤黒いシミができている。
周囲の誰も、蹴り飛ばす大人たちを止めるような素振りすら見せなかった。
「この害獣がッ!!ずっと可愛がってやたってのによォ!!マガイモノ風情が調子に乗りやがって!!ずっと俺らを騙してよォッ!!嘸かし気分が良かっただろうなこのクソ猫がッ!!」
男性の怒号があたりに響く。聞いてるだけで胸が痛くなる。獣人は頭を抱えて地面に蹲っている。
確か「マガイモノ」って言葉は『化猫』や『化犬』みたいな『変化』の技能を持つ種族に対する差別用語だって聞いたことがある。
間に入って止める勇気は、私にはなかった。
目の前の光景が恐ろしくて、震えが止まらなかった。
助けてあげたい。でもそんなのは思いだけで、私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。
結局、私もこの周りの見ている人たちと変わらない。そう思うと自分に対しても嫌な気持ちが込み上がる。
「オラ立て!!こっち来い!!テメェみてぇな恩もしらねぇ奴なんざ奴隷として売り飛ばしてやるよッ!!あぁ、人にも獣にもなりきれなかったマガイモノにはお似合いだなぁ!!」
獣人の少年を踏みつけていた大人は、少年の腕を掴み無理やり立たせどこかへと立ち去ろうとする。
少年は身体中血だらけで足が変な方向に曲がってる。あまりの痛々しい姿に目を背けた。
その時だった。
傷だらけの獣人のズボンのポケットから缶が転がり落ちた。
その缶は私の足元まで転がってくる。
私は反射的にその缶詰を拾った。どうやら魚の缶詰のようだ。
「あ、あの……これって」
私は近くにいたエプロンをした男の人に声をかけてみる。男の人は私の持つ赤黒い液体のついた缶詰を見ると苦笑いを浮かべた。
「あぁー……悪ぃな嬢ちゃん。それ、うちの商品なんだ。さっき化猫のガキが盗み働こうとしてな。ったくやってくれたぜ。こんなんじゃ商品になりゃしねぇ。貰ってくれ」
大切な商品を血だらけにするのが嫌なら止めれば良かったのに。内心思ったけれど口には出さなかった。
私だってこの人とそう変わらなかったんだから。
私は着ていたローブで血を拭く。
なんて事ない普通の缶詰、だと思った。
缶の底を見るまでは。
その缶の底には『文字のような傷』がついていた。
【ティ ナ た んじょ び お めで と】
「まさかあの白黒が化猫だったとはなぁ。飯もやってたってのに、魔物ってのはやっぱわかんねぇもんだ」
缶の底の拙い文字。白黒の猫という言葉に私は、全てを理解した。そして、私の名前が呼ばれた意味も。
「……あの白黒猫は……どうなるんですか……?」
「ん?まぁそりゃー、盗みやらかした化猫なら、よくて奴隷落ちか。買い手がつかなきゃ殺処分が妥当だろうなぁ。魔物だし。それに化猫の毛皮が貴族の間では人気らしいんだこれが。なんだって『変化』ができるってんでその皮の品質ったら――ってどうしたんだ嬢ちゃん!?」
「――ッッッあんた子供相手になんてこと言ってんの!!!うちのバカがごめんねぇ?……これあげるからね?よしよし」
頭が真っ白になって、ボロボロと涙が溢れでていた。声すら上げられる気力もなかった。
近くにいたおばさんに新しい缶を手渡され頭を撫でられても、この胸の痛みは癒される事はなかった。
あの子は、私のためにあの缶詰を盗んだんだ。
私が誕生日だって言ったばっかりに。
お母さんとお父さんからプレゼントがもらえるんだって言ったばっかりに。
あの子の未来は、潰えてしまった。
――――――――私が、殺したんだ
「あぁあぁっっ………っっあぁぁぁああぁっっ……!!!あああああぁぁああぁあぁあぁあああああぁあっっっ!!!!!!あぁああぁああぁああぁあぁぁぁぁっっ!!!!!!ああぁあぁああぁぁあああぁぁぁぁぁっっ……!!!!!!!!」
私の中で何かが壊れた。
それからどうなったのかも思い出せない。ひたすら泣き喚いて、周囲から見てはいけないものみたいに冷ややかな目を向けられたのは、何となく覚えていた。
その日以降、あの路地裏にオセロが現れることはなくなった。そして私も、数週間後にはその路地裏に赴く事はなくなった。
***
オセロのことがあってから数ヶ月後のこと。
家にとある女性が訪れた。全身黒いローブを纏いフードを被った怪しい女性。でも、ローブから浮き出てるスラっとした体のラインや、フードの隙間から覗くサラサラとした瑠璃色の髪。顔も良くは見えなかったけど、とても綺麗な人だって思った。
そして、髪と同色の瑠璃色の瞳。
目が合った瞬間、その鋭さは殺意とすら錯覚させた。
「お母さんとお父さんはいる?ちょっとお仕事のことでお話があるの」
その女性は優しい声色で私に尋ねた。
そのギャップに一瞬唖然としてしまったけど、私へのお客さんじゃない事に安堵し私はお母さんの元へとその女性を案内した。
……………………………………
そしてその日の夜。私はお母さんとお父さんに呼び出された。
また引っ越しの話だったけれど、今回は規模が違った。『国を越えた大きな引っ越し』をするって話を聞かされた。
それに今度は「仕事の都合」じゃなくて、私が安心して暮らせる国に移り住むためだって教えてくれた。私には難しい話だったけど、ちゃんと資金やお仕事の伝手がある事も説明してくれた。多分タイミングからしてあの瑠璃色の髪をした女性の手引きがあったのかななんて思う。
引越し先は要塞国家「ウォーリル」の王都「セントウォーリル」。ディビナス帝国の東南東側に位置する隣国。
そこは城郭都市と言われていて王都全体がとても大きな壁に囲われている。更には「魔法を制限する結界」が常時張られているらしい。だから私の能力もその国の中では目立つことはないっていう話だった。
私はお母さんとお父さんの話を最後まで聞いて、何の疑問も持たずにその引っ越しを受け入れた。
もうこんな国にはいたくなかったから。
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そして、その時の私には想像もできなかった。
この選択が、私の運命を大きく変えてしまうことになるなんて。
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