1. 『走馬灯』 その①
猫好きな主人公が転生に至るまでのお話。
異世界転生は第一章からとなります。
(第一章冒頭、プロローグのあらすじ有)
僕は何の考えなしに前へと踏み出した。
それが善意からの行いと言えたらどれだけ格好良かったんだろうか。でも、僕自身自分がそんなできた人間じゃないことをよく知っている。
ただ『このままじゃ危ない』と思ったら、反射的に体が動いていた。頭なんて全く働いていなかった。
そして、我に帰った時には、ナイフが自分の胸めがけ迫るのを、ゆっくりと認識していた。
***
僕の名前は野又 夏希。
どこにでもいるような平凡な男子高校生。運動も勉強も交友関係も人並みで、他人に誇れるような得意なことや熱中している趣味すらない。
強いて個性をあげるとすれば、ただ心底ひたすらに猫が好きなだけと言うことぐらいだ。
そんな何も特徴のない僕だけれど、これまで周りに対して何かコンプレックスを抱くことはなかった。誰かと比べて落ち込むことは疲れるから。誰かより優れていると分かったところで、角が立つだけだと思っていたから。
そして、どれだけ頑張ったところでどうしようもないこともあるんだと、半ば諦めていたから。
周りと比べず、かと言って自分を磨くこともせず。目先のことだけを見て生きていた。未来のことは未来の自分がなんとかしてくれるだろうと高を括っていたんだ。
僕には努力の方法さえわからない。
高校生二年秋まで惰性で過ごした。
そして今になって大学受験か、はたまた就職するのかという逃げようのない進路選択を迫られている。
いや、『今になって』というのはとても自分都合な言い分だ。ずっと前から問題として目に入っていたはずなのに見ないふりをしていただけなのだから。先延ばしにしていた未来の自分へのツケが回ってきただけのことなんだ。
…………………………
生まれてから十七年。
愛猫の死を境に僕は、自分のどうしようもない性格を自覚した。
僕が一才ぐらいの時からずっと側にいた。ずっと一緒に育ってきた。人懐っこくて、ヤンチャで可愛い茶トラ柄の家猫。享年十六。猫としては長生きだったと思う。
亡くなって直ぐは、とてもじゃないけど学校になんて行く気になれなかった。いや、亡くなって直ぐどころか、亡くなる一ヶ月前頃から学校には通えていなかった。僕は殆ど付きっきりで愛猫に添い遂げた。
彼は、苦しむこともなく静かに息を引き取った。
その場に直面して、最初は割り切ろうとも頑張った。
大きな怪我や病気でそこまで苦しむこともなく最期を迎えた。それは間違いなく幸せなことだったのだろうと、必死に思い込んで前を向こうとした。
でも、冷たくなった愛猫に触れて、僕の心は折れた。
どうしようもないぐらい泣き叫んだ。
呼吸の仕方すら忘れて、胃液がなくなっても吐き気は治ることを知らなかった。気がついた時には朝を迎えるほどに記憶も混濁した。
こんな苦しみ耐えられないと、このまま一緒に死んでしまおうとも思った。でも、そんなことできる勇気は僕になかった。誰かに止められたわけじゃない。ただ決心がつかなかった。行動にすら移せなかった。
そんな我が身可愛さに更に自己嫌悪に陥った。
何の取り柄もない人間のくせに。
………………………………
学校に通えるようになったのは、事からニヶ月後のこと。
休んだ期間は一学期期末から二学期頭頃。
夏休みを挟んだことや、一学期の期末テストの期間もあったことで、授業としては、そこまで絶望的な状況ではなかった。
一学期期末試験も温情を得て、再試となった。
長い間学校に通えていなかったこともあって、再登校時はこれ以上ないぐらい足が重かった。不登校期間中に友達からメッセージは届くこともあったけれど、まともな返答はできていなかったから。
それに精神的にもまだ立ち直れてもいない。
ふとした時に、声を上げて泣き出したくなる時だってある。
そんな繊細な心の状態で復帰するのは、正直不安だった。友達付き合いだってそんなに良くなかった僕のことを気にして接してくれる友達なんているのだろうかと。
自分の居場所がなくなってたら、中退だって覚悟していた。
でも、復帰した後は僕が思っている様な反応ではなかった。長い間会えなかったことを軽く揶揄われたり、もう大丈夫なのかと心配してくれたり。決して誰も僕の飼ってる愛猫の話も、猫の話題さえ切り出すことはなかった。
どこかぎこちなさはあるけど、僕の知るいつも通りの友達がそこにはいた。友達は何も聞かずに受け入れてくれていた。僕がそれほど落ち込む理由が『愛猫』以外にないことを知ってくれていた。休んでいた時のノートも見せてもらったし、勉強についていけるように放課後教えてもらったりもした。
正直、僕に対してこんなに気を遣ってくれることにとても驚いたし、それと同時にこれまでそんな友達すらもちゃんと見ていなかったことに、また情けなくなった。
それは、愛猫がいたから気が付けなかったことなのか。
完全には否定はできない。けれどそれが本質じゃないことをこの期間で自分を知り、周りの温かさに触れて理解できた。
愛猫のせいで周りが見えていなかったんじゃない。
僕がひたすらに臆病だったんだ。
猫の寿命が人間と同じじゃないことぐらい知っていた。知っていながら知らないふりをしていた。
一年経てば進路選択をしなければいけないことも知っていた。一年後その時の自分が苦労すればなんとかなるだなんて心のどこかで思っていた。
愛猫のために友達関係を蔑ろにして、周りから『付き合いの悪い奴だ』と思われてないかも、心のどこかで心配にはなっていた。けれど、それで嫌味を言われたことはなかったし、付き合いの悪さで交友関係が失われたこともなかったから考えない様にしていた。
心の奥底で心配になりながら、現実と向き合うことを恐れてずっと目を逸らし続けていた。それは愛猫云々以前、僕の人格的な問題に過ぎないことだ。
例え愛猫がいなかったら、他の拠り所に浸り依存しただけだっただろう。
自分の心の弱さと依存心の強さを自覚した今、それは確信を持っている。
愛猫は僕にとっての人生の助け舟であり、健全な依存先だった。今の交友関係だって愛猫がいたからこそ築けたものなんだから。
そう思えた時、僕はやっと前を向けた気がした。
愛猫と過ごした日々が、間違いじゃなかったんだと肯定することができた。愛猫と歩んだ人生が、今の僕の一部となっていることに気がつくことができた。
それだけで僕の心は救われた気がしたんだ。
僕の目の前には変わらず大きな問題でいっぱいだ。進路の事もそう、友人関係についても向き合わなきゃいけないことは多い。自分を見直せたというだけで決して状況が好転した訳でもない。
でも、今僕はこれからの人生はちゃんと考えて生きたいと心の底から思えている。もしこの先堕落し何も成せず落ちぶれてしまったら、それこそ愛猫に示しがつかない。それはこれまで愛猫と過ごしてきた幸せな日々を否定することになってしまうから。
そして、こんな自分に向き合ってくれた友達にちゃんと向き合うためにも、愛猫の後追いなんてことちゃいけない。
これからはもっと、しっかり前を向いて生きていくんだ。そう心で愛猫に誓い立ち直ろうとしていたのに。
その決意から数日後のこと。
それは、通学途中のバスの中で起こった。
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