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幻の十一人目

「は、はは……これだけの数、(さば)き切れるかな……」

「え……?」


 再び開いたエマの瞳に映ったのは、赤眼の魔獣達の前で乾いた笑みを浮かべる、どこか頼りない冒険者の男の姿だった。


「お、お前は……」

「気がついたか。身体は? 動けるか?」

「え? え、ええ……」


 赤眼の魔獣達から視線を逸らすことなく、心配そうに尋ねる冒険者。

 言われたとおりエマは自身の身体を確認すると、動く分には問題はなさそうだ。


 そして、魔獣達は目の前の冒険者に釘付けになっている。


(……今なら、この場から逃げ出すことができる)


 エマの脳裏に浮かんだ、あの時(・・・)の冒険者達と同じ選択肢。

 そう……この危機的状況において、下劣で屑と罵った、あの冒険者達と同じことをエマは考えてしまったのだ。


 一方で、目の前の男もまた冒険者であり、憎むべき存在。

 だから見捨てたところで、この世界に巣食う蛆虫(うじむし)を駆除できる。そうとも考える。


 いずれにせよ、赤眼の魔獣に敵わない以上、助かるためにはここから逃げ出す以外の選択肢はない。

 ただし、忌々(いまいま)しい冒険者と二人で逃げるか、あの時(・・・)の冒険者達がしたように目の前の男を生贄にして一人逃げるかを選ばなければならないが。


 だというのに。


「ならよかった。……ここは俺が引き受けた。君は振り返ることなく、真っ直ぐ森の出口まで駆け抜けろ」

「あ……」


 ひょっとしたら、この男は格好つけているつもりなのだろうか。

 目の前の男は、お世辞にも強いようには見えない。


 自分ですら相手にならなかった赤眼の魔獣達を、この男がどうにかできるはずがない。自殺行為としか思えなかった。


 そのことを踏まえ、エマの取った行動。


 それは。


「っ!」


 (そば)に転がっていたメイスを抱え、エマは森の外を目指して脱兎のごとく駆け出した。

 自分のために危険を(おか)して赤眼の魔獣と対峙する、あの男を置き去りにして。


 そう……エマは、あの日(・・・)の冒険者達と同じことをしてしまったのだ。

 自分が助かるために。自分が助かりたいがために。


(だけど……だけど、どうしようもないじゃない……っ)


 赤眼の魔獣に太刀打ちできない以上、エマにできることなど何一つない。

 あの男が『逃げろ』と言ったのだ。自分が悪いはずなどあるものか。


 だというのに、エマの藍色の瞳からはとめどなく涙が(あふ)れてくる。

 それは、あの日(・・・)の自分への裏切りと同じ行為をした、自分自身への失望と(いきどお)り。……いや、それだけじゃない。


 もう誰も信じないと、冒険者など害悪でしかないと思っていた自分を、命を賭して救おうとしてくれたあの男の背中を置き去りにしたことへの、どうしようもないほどの罪悪感。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」


 気づけばエマは、何度も謝罪の言葉を呟いていた。

 そんなことをしても、あの男が助かるわけでもないのに。


 エマは駆ける。森の中を、一心不乱に。


 そして……エマは、禁忌の森から脱出した。

 慌てて振り返る。自分を追ってくる赤眼の魔獣はいないことを確認すると。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」


 エマはその場で泣き崩れた。

 二度と会うことのないであろう、最後に目に焼き付けたあの冒険者の背中の面影へ再び謝罪の言葉を繰り返して。


 ◇


「誰も……来て、くれないなんて……」


 禁忌の森を脱出後、エマはすぐにギルドへ向かい、あの冒険者救出を訴えた。

 これまで冒険者として稼いだ莫大な金を報酬として差し出したりもした。


 だがそれでも、ギルラントの冒険者達は名乗りを上げない。

 金よりも命。彼等は禁忌の森がいかに危険な場所であるかを、よく知っているのだ。


 にもかかわらず勝手に森へ足を踏み入れ、冒険者を見捨てて命からがら逃げ帰ってきた者の言葉に耳を傾ける者など、いるはずがない。


 エマは唯一人、禁忌の森の入り口に一人たたずみ、光のない森のその先を見つめていた。

 自分の身代わりとして残った冒険者を助けに行きたい。だが、赤眼の魔獣への恐怖で足が(すく)んでその一歩を踏み出せない。


 時間だけが過ぎてゆく中、エマはただ、無力な自分を責め続けていた。


(もう、朝ね……)


 何もできないまま森の入り口に立つだけのエマを、朝日が照らす。

 一晩中葛藤を続け、足を踏み出そうとしては思い留まることを延々と繰り返していたが、ついにエマは決心する。


「死ぬのが怖いなんて、今さらじゃない……っ!」


 とうとうエマは、禁忌の森へと再びその足を踏み入れた。

 赤眼の魔獣達によって呼び起された、あの時(・・・)の恐怖と心の傷。それを乗り越え、今、エマは冒険者のもとへと向かう。


 だが。


「こ……これ、は……っ」


 昨日の場所へたどり着いたエマの眼前にあるのは、無数の赤眼の魔獣達の死骸。

 風穴を開け、斬り刻まれ、魔獣達は全て赤い眼を潰され、血の涙を流しているようだった。


 恐怖に彩られ、まるで断末魔の叫びを上げているかのように。


「これ……あの冒険者が一人で……?」


 あり得ない。

 エマですら二、三体を倒すのが精一杯だった赤眼の魔獣を、あの頼りなさそうな男がやってのけたというのか。


 周囲を警戒しつつ、エマは冒険者の男を捜す。


 すると。


「あれは……!」


 円を描くように横たわる赤眼の魔獣達の死体の中心に、木の幹にもたれかかる冒険者の姿があった。


「っ!」


 エマは冒険者のもとへ、メイスを放り捨てて駆け出した。

 全身が血に(まみ)れ、身に着けている防具や服もぼろぼろ。ぴくりとも動かないその男は、どう見ても生きているとは思えない。


 それでも、自分を助け逃してくれた男をこのままにするわけにはいかない。


「ねえ! 生きてるなら返事して! ねえったら!」


 男の胸倉をつかみ、エマは必死に叫ぶ。


 すぐに森へと踏み出さなかったことを後悔しながら。

 この冒険者を、見捨ててしまったことを後悔しながら。


 その時。


「いてて……」

「っ!?」

「も、もうちょっとお手柔らかにしてくれると助かるんだが……」

「あ……あああ……あああああああああああ……っ」


 生きていた。

 自分を助けてくれた冒険者は、生きていてくれた。


 藍色の瞳から大粒の涙が(あふ)れ出す。


「っ!? ちょ!?」

「よかった……ごめんなさい……よかった……ありがとう……っ」


 エマは冒険者の男に抱きついて胸に頬ずりをし、喜びと謝罪、そして感謝の言葉を繰り返す。

 一方の男は混乱しつつも、顔をくしゃくしゃにしたエマの背中を優しく撫でる。


「……まあ、いい経験(・・・・)になったよ」


 心に()みわたるような優しい声と、見ているだけで安らぐ微笑みを彼女に向けて。


 ◇


「ふう……こんなところでしょうか」


 禁忌の森で三体の赤眼の魔獣を討伐し、エマは息を吐く。


 あの日(・・・)、この森で冒険者の男……ジェフリーに救われてから、もう八年が経った。

 当時は十八歳だった彼女も、今では二十六歳。結婚適齢期を過ぎ、かなり焦っているギルド職員がここにいる。


 あれからエマは冒険者を辞め、ギルラントの冒険者ギルドの職員になった。

 全ては、救ってくれたジェフリーを支えるために。


 どうしてあの日(・・・)、ジェフリーが禁忌の森で偶然にもエマを助けることができたのか。

 どうして彼は、赤眼の魔獣を討伐し続けているのか。


 その理由と彼の抱えているものを知り、エマはジェフリーを支えたいと……あの日(・・・)の恩返しをしようと決めた。


 命を救ってくれたからだけじゃない。

 彼が自ら命を賭して助けたことで、信頼できるただ一人の大切な人に出逢うことができたのだから。


「王国の目的は分かりませんけど、ジェフさんが赤眼の魔獣を討伐したら、きっと放っておくようなことはしないですよね……」


 今の王都に、赤眼の魔獣を討伐できる者がいるとは思えない。

 たとえ王国軍でも、黒曜等級の冒険者であっても。


 仮に倒せても、甚大な被害を受けることは必至。それをジェフリーが討伐してしまったら、きっと王国は囲い込むだろう。

 下手をすれば、ジェフリーがもうギルラントに帰ってこないことも。


「……って、そんなわけありませんよね」


 そう呟くと、エマは空を見上げくすり、と笑う。

 誰よりも禁忌の森に執着し、誰よりも赤眼の魔獣を許せないジェフリーが、ここに帰ってこないなんてことだけはあり得ないのだから。


「とにかくジェフさんが帰ってくるまでの間、私がすべきことは、代わりに赤眼の魔獣をここで食い止め、ギルラントへ来させないようにすることです」


 八年前の時点でも相当な実力者だったエマも己を磨き続け、今では赤眼の魔獣を逆に蹂躙(じゅうりん)するだけの力を身に着けた。


 もう、彼をおいて逃げるようなことは絶対にしない。

 世界中でたった一人の、誰よりも……何よりも大切な人を。


「さて、と……もう少し頑張りますか」


 かつて『撲殺の堕天使』と呼ばれ恐れられた幻の(・・)十一人目の黒曜等級冒険者エマ=ヘイストは、藍色の瞳を爛々(らんらん)と輝かせ、木陰から姿を(のぞ)かせた赤眼の魔獣の脳天へと巨大なメイスを振り降ろした。

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