冒険者に裏切られたギルド職員の過去
「行ってしまいましたね……」
ジェフリーを乗せた馬車の向かった先を見つめ、エマはぽつり、と呟く。
彼がこうやってギルラントの街を不在にすることは初めてではない。場合によっては三か月以上空けることも珍しくなかった。
「ですけどあのカイラという女が言っていたことは、本当なのでしょうか」
個人的な感情を含め、エマは突然現れたカイラのことをよく思っていない。
ジェフリーに目をつけた彼女が……いや、王国が、彼を利用しようとしているのではないか、と。
「……まあ、もちろん赤眼の魔獣のこともありますが、お人好しのジェフさんのことだし放っておけなかったんでしょうけど」
普段はうだつの上がらない、冒険者はおろか教え子達にも揶揄われるギルド教官のジェフリー。
だが、彼を嫌っているものなど、ギルラントには一人たりともいない。
それはジェフリーがいつも誰かを思いやり、身体を張ってこの街を守り続けてきた証だった。
エマ=ヘイストもまた、彼に救われた一人。
「さて……ジェフさんもいなくなりましたし、私も仕事をしませんと」
むん、と気合いを入れ直したエマは、ギルドの建物の中へと戻るなり、ギルドマスターの部屋へ向かうと。
「ギルド長。ジェフさん不在の間、休暇をいただきます」
先程の台詞とは正反対のことを、目の前の立派な机に向かって座るどこか気の弱そうな眼鏡をかけた中年男性……ギルド長の〝ヘンリー=オブライエン〟に抑揚のない声で告げる。
エマはジェフリー以外の者に対して、決して心を開くことはない。
彼の目の前ではギルド職員として愛想よく振る舞い、冒険者や街の住民達の『お嫁さんにしたい女性ランキング』堂々の一位を誇っているが、ジェフリーという存在がなければ全ての人間……特に冒険者は、彼女にとって忌むべきごみに等しい。
そんな彼女のごみを見る視線は今、上司であるはずのギルド長に向けられている。
とはいえ、エマの態度はいつものこと。ヘンリーも慣れたものではあるが。
「え? ……って、ひょっとして彼、また?」
「はい」
くい、と眼鏡を持ち上げてヘンリーが尋ねると、エマは頷く。
どうやらこういったことは、よくあるようだ。
「だったら仕方ないね……今回はどんな案件で?」
「王国軍参謀本部のカイラと名乗る女が訪れ、王都のアイリス川に出没した魔獣討伐のために王国がジェフさんに出頭命令を下したとのことです」
エマは少し険しい表情で淡々と告げる。
ジェフリーが王都へ向かったことに、まだ納得できないようだ。
「うへえ。わざわざ王国が直々に、こんな辺境まで人を派遣してジェフ君を連れて行ったんだ」
「そうです。どう考えてもこれは、裏があるとしか思えません」
彼女が言うまでもなく、王国がジェフリーを王都に呼びつけたことには何か理由がある。
ヘンリーは下手をすればこのギルドも厄介事に巻き込まれるのではないかと、気が気ではない。
「ハア……お願いだから、何事もなければいいけどねえ……」
「分かりませんが、私は私のやるべきことをするだけです」
「まあ、そうだねえ」
これ以上考えても、ジェフリーが王都へと行ってしまった以上、できることは彼の帰りを待つことのみ。ヘンリーは眉根を寄せ、肩を竦めた。
「そういうわけですので、私は今からあの場所へ向かいます」
「あ、ああうん。お疲れ様……」
気の抜けた声でエマを送り出すヘンリー。
エマはギルドを出て自分の家に帰ると、すぐに身支度を整えた。
◇
――『撲殺の堕天使』エマ=ヘイスト。
それが、かつて誰も寄せ付けない孤高の冒険者の名だった。
……いや、正しくは、人間を誰一人として信用していないと言うほうが正しい。
それは駆け出しの冒険者だった頃、冒険者達に裏切られ、魔獣達が跋扈する迷宮の奥に生贄として置き去りにされたから。
この時から彼女にとって冒険者とは、下劣で、屑で、この世に存在してはならない者達のことを指すようになった。
だから彼女は、あえて冒険者を続けた。
自分を裏切り捨てた冒険者達から、金も、地位も、名誉も、その命すらも奪ってやるために。
自分を穢し、全てを傷つけた魔獣達を、この世界から根絶やしにするために。
そう……エマは冒険者と魔獣を、世界中の誰よりも嫌悪する。
エマを裏切った冒険者達はどうなったのか? そんなもの、聞くまでもない。
ある冒険者は魔獣の群れに腸を咀嚼され、ある冒険者は生きたまま鳥達に目玉をくりぬかれ、またある冒険者は毒の華の香りを受けて死ぬことすらできずに苦しみ抜いていることだろう。
あの時の魔獣達も全て肉塊と化し、あれほど恐れられた迷宮は魔獣すらも訪れぬ赤黒く染まった廃墟と化した。
だが復讐を果たしても、置き去りにされ迷宮の魔獣達によって嬲られ、穢され、壊されたエマの心は元に戻らない。
飢えや渇きにも似た苦しみを抱きつつ、エマは一人、次々と拠点を変えながら冒険者としての日々を過ごす。
そうして最後に流れ着いた先で、エマはギルラントの北にある霊峰〝クロム=クルアハ山〟その山麓に広大に広がる、〝禁忌の森〟と呼ばれる地に足を踏み入れた。
ギルラントに住む全ての者は、禁忌の森に入ってはいけないことを知っている。
だというのに、誰がそのように決めたのか、禁忌の森に何があるのか、知る者はほぼいない。
ただ、これだけは分かっている。
禁忌の森に足を踏み入れた者は、二度と戻って来ることはないということを。
冒険者ギルドから注意を受けたにみかかわらず、それを無視して禁忌の森の中へ入ったエマ。
そもそも彼女は、誰一人として信用していない。忠告をしたのが冒険者であればなおさらだ。
だからこそエマは、意趣返しとばかりに禁忌の森へと挑む。
ギルラントの冒険者達が指を咥えている姿を、嘲笑ってやるために。
冒険者の存在など無価値であると、思い知らせてやるために。
すると。
「これ、は……っ」
現れたのは、その瞳を血塗られた赤に染め上げた、魔獣の群れ。
その一体一体が、信じられないほどの禍々しい気配を漂わせていた。
エマがこれまで対峙してきた、どんな魔獣よりも……いや、どんな生物よりも。
「くっ!」
エマは身体を翻して駆け出そうとするが、魔獣達が素早く回り込んでその行く手を阻む。どうやら逃がすつもりはないらしい。
(なら、押し通るまで!)
鈍く輝く巨大な金属製のメイスを構え、エマは覚悟を決める。
今の彼女はあの冒険者達に裏切られ、魔獣達にいいように嬲られた頃の弱い自分じゃない。
これまで乗り越えてきた数々の戦いの経験によって培われた実力と自信に後押しされ、エマは魔獣と戦うことを選択した。
だが。
「あ……あ、う……っ」
最初の数体こそかろうじて倒すことができたものの、赤眼の魔獣達の強さは桁外れだった。
その強さは白金等級……いや、最上位である黒曜等級に匹敵すると思われるほどに。
そんな赤眼の魔獣達が蠢くほど無数にいるのだ。エマはなす術もなく、地面に横たわる。
赤眼の魔獣達は、エマを見下ろして醜悪に口を歪めた。
まるで、非力で憐れな贄を嘲笑うかのように。
(ああ……また、あの時と同じ……っ)
エマの脳裏に浮かんだのは、冒険者達に裏切られ、見捨てられ、魔獣達に弄ばれたあの時の光景。
何度忘れようと……忘れたいと願い、今もなお苦しめる忌まわしき過去。
これから自分は、あの時と同じように魔獣達によって穢されるのだろう。
あの時は奇跡的に生き永らえることができたが、そんな奇跡が二度と起こらないことも理解している。
エマは冒険者や魔獣達への闇よりも深い真っ黒な憎悪だけを胸に抱き、最後の時を待つ……のだが。
「は、はは……これだけの数、捌き切れるかな……」
「え……?」
再び開いたエマの瞳に映ったのは、赤眼の魔獣達の前で頬を引きつらせて乾いた笑みを浮かべる、冒険者の男の姿だった。
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