オマエは、相棒に負けたんだ
「エマ、無事か!」
もんどりうって倒れた牡牛の魔獣に変わってエマの視界に飛び込んできたのは、世界中の誰よりも尊く大切な人、ジェフリー=アリンガムだった。
「あ……あは……っ」
エマは、思わず顔を綻ばせる。
左腕と右脚の骨は折れ、全身傷だらけ。気を失いそうなほどの激痛に苛まれているはずなのに、彼女は笑ったのだ。
「わ、たし……頑張り……ましたよ……」
「ああ」
「ちゃんと、守……って、みせました……よ……」
「ああ」
「あなた、みたい……に……立ち、向かった……んです、よ……」
「そうだな」
一生懸命に話すエマの言葉に耳を傾け、ジェフリーは柔らかい笑みを浮かべて相槌を打つ。
嬉しそうに。誇らしげに。
普通なら微笑ましい光景なのに、カイラの真紅の瞳にはそう映っていなかった。
それどころか、牡牛の魔獣と相対した時の恐怖など一笑に付してしまうほどの、底知れぬ怒りと絶望の塊が這いずり出てきたかのような、そんな感覚に襲われる。
それらがジェフリーの背中から、全て牡牛の魔獣へと向けられているのだ。
『ム゛う゛ウ゛! む゛ウ゛う゛! オ゛ま゛エ゛……お゛マ゛え゛エ゛ぇ゛ェ゛え゛ェ゛え゛エ゛え゛……ッ゛!』
怒りに震え、立ち上がる牡牛の魔獣。
赤い眼をさらに充血させ、憎悪に満ちた表情を浮かべて。
「一目で分かったが、やっぱりエマはすごいな。お前は、俺の自慢の同僚……いや、相棒だよ」
「あ……あああああ……っ!」
怒り狂う牡牛の魔獣など気にも留めずジェフリーが告げると、エマの藍色の瞳からぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。
それは誰よりも大切な人から、隣に立つことを認められたことへの歓喜の涙だった。
「悪いがほんの少しだけ待っていてくれ」
「は……い……」
抱きかかえていたエマをそっと地面に下ろし、ジェフリーは立ち上がる。
そして、ゆっくりと振り返ると
「――――――――――っ!?」
憤怒の顔から一変し、牡牛の魔獣の顔が恐怖で彩られ、一気に後方へと飛び退いた。
カイラには、魔獣の気持ちがよく分かる。
あんなものを直接向けられたら、カイラなら間違いなく気を失っていた。
それほどの殺気の塊が、魔獣へとぶつけられたのだ。むしろ動くことができただけ、あの牡牛の魔獣もまた普通ならざる者なのだと言わざるを得ない。
「おい」
『ッ!?』
「あの抜け穴を作ったのは、オマエの仕業か」
ゆっくりと一歩を踏み出して尋ねるジェフリー。それに合わせ、牡牛の魔獣は一歩下がった。
「答えろ」
『……知らン。だガ、我が見ツけタ』
「そうか」
身構える牡牛の魔獣が答えると、もう用はないとばかりにジェフリーは剣の切っ先を向けた。
そもそもジェフリーは、赤眼の魔獣を世界の誰よりも憎悪する、
だが、今回ばかりは違う。
目の前の魔獣が、赤眼の魔獣だからではない。大切な相棒のエマを傷つけ、誇りと尊厳……いや、それ以上のものすらも奪おうとした、この牡牛の魔獣が許せないからだ。
そう……大切な人を二度も奪い、三度奪おうとした、醜い眷属が許せない。
『ニんゲん……ニんゲんノ分際で……ッ!』
牡牛の魔獣は低く構え、蹄で地面を蹴る。
さっきは不意を突かれてしまっただけで、人間に後れを取るなどあり得ない。そう言わんばかりに、顔を醜悪に歪めて。
その反応だけで、ジェフリーは牡牛の魔獣がその程度の存在なのだと分かる。
人間の言葉を操る赤眼の魔獣であれば、ジェフリーの存在を知らないはずがないのに。
「いいから早くかかってこい。こっちも時間がないんだよ」
『っ! 生意気! 生意気!』
手招きをしたジェフリーに激高し、牡牛の魔獣が襲いかかる。
地面を……空を駆け、鋭い二本の角をジェフリーへと向けて。
「よ、避けて……!」
声を振り絞り、カイラが叫ぶ。
あの魔獣はエマにしてみせたように、受け止めた瞬間に上空へとかち上げるつもりなのだと考えたのだ。
だがジェフリーは、剣の切っ先を突進する牡牛の魔獣に向けたまま、動く気配はない。
このままでは弾き飛ばされてしまう。せめて気を逸らそうと、カイラは火球を放とうとするのだが。
『ッ!? む゛ウ゛う゛ゥ゛ぅ゛ゥ゛あ゛ア゛ぁ゛ア゛ぁ゛ア゛ぁ゛ア゛ぉ゛オ゛お゛ォ゛お゛オ゛お゛オ゛っ゛ッ゛ッ゛!?』
いつの間にか横へと体を移していたジェフリー。放たれた刺突が容赦なく、寸分の狂いなく牡牛の魔獣の右目を貫いた。
足を滑らせ、絶叫とともに激しく地面に転がる魔獣。その勢いはすさまじく、百メートル以上転がってようやく止まる。
「次は左の眼だ」
振り返り、倒れる牡牛の魔獣へ一歩、また一歩と近づく。
すると。
『ム゛ぅ゛ゥ゛う゛ウ゛ぅ゛ウ゛う゛ウ゛る゛ル゛る゛ル゛ぉ゛オ゛お゛オ゛お゛オ゛お゛オ゛っ゛ッ゛っ゛!』
雄叫びを上げ、魔獣が立ち上がる。
刺し貫かれた右の眼から大量の血を流し、怒りの形相を滲ませて。
『我ガ負けルはズがナい! 我ハ『冥府の偽王国』序列第六十一位ノ〝ざガん〟ナのダぞ! ニんゲんニ……にンげンごトきニ、負けルはズがナぃイいイいイいイいイいッっッ!』
牡牛の魔獣……ザガンは漆黒の空へ向かって叫ぶと、聞き及んだことのない言葉で何かを唱える。
すると、ザガンの身体が黄金へと変わり、二本の角は灼熱の炎を纏った。
「こ……これじゃ、剣が通じない……っ」
甲冑のように全身を黄金で覆われてしまっては、刃を通すことは不可能。
青鱗の魔獣の時は、鱗の隙間を縫って斬ることができたが、ザガンの身体に隙間などあるはずもなく、その手も使えない。
加えて二本の角は赤を通り越して白く燃え上がり、受け止めるどころか、ほんの僅かでも触れてしまったら剣ならば溶け、身体なら見事に焼き尽くされてしまうだろう。
手の打ちようがない状況に、ジェフリーの戦いを見守るカイラは唇を噛んだ。
「だい、じょう……ぶ……ジェフさんは、負けない……っ」
確信に満ちた瞳で見つめ、カイラを慰めるように呟くエマ。
その姿はまるで、神に身を捧げる殉教者に見えた。
『む゛ウ゛う゛ウ゛う゛ウ゛ぅ゛ウ゛ぅ゛ウ゛う゛ゥ゛う゛ゥ゛う゛ゥ゛ウ゛う゛ウ゛う゛ウ゛お゛オ゛お゛オ゛お゛オ゛お゛ォ゛ぉ゛オ゛お゛オ゛っ゛ッ゛っ゛!』
黄金と化した大鷲の翼を羽ばたかせ、ザガンは飛翔する。
絶対の存在であるはずの自分を嘲笑うジェフリーに、所詮は贄に過ぎないのだと分からせるために、どこまでも高く。
そんな魔獣が驕り、思い上がり、勘違いをする様を、表情を変えることなくただ見つめる。
輝きを失くした濁った灰色の瞳に、静かな怒りを湛えて。
そして。
『ム゛う゛ウ゛う゛ゥ゛ぅ゛ゥ゛あ゛ア゛ぁ゛ア゛ぁ゛ア゛ぁ゛ア゛ぁ゛オ゛ぁ゛ォ゛ぁ゛オ゛お゛オ゛っ゛ッ゛っ゛! ニんゲん、終ワりッっッ!』
猛禽類が獲物を狙うがごとく、灼熱に燃えた二本の角を向け凄まじい速さで急降下をするザガン。
先程のように最小の動きで躱したとしても、おそらくは落下の衝撃で無事では済まない。
かといって迎え撃とうにも、その身体を黄金で纏っていては、相討ちすら狙うことは困難。
「ジェフ、さん……行け……っ!」
エマは声を振り絞る。
誰よりも大切な人の、勝利を信じて。
「っ!? 飛んだ!?」
地面を蹴り、ザガンを迎え撃つことを選択したジェフリー。
だが、どうやって倒すつもりなのだろうか。
見守るカイラが、拳を握りしめた。
ザガンを倒してと、願いを込めて。
ジェフリーとザガンが、空中で交錯する。
その瞬間。
『な……ッ!?』
突然ザガンが体勢を崩し、失速する。
何故、どうして。
視界ができず、ザガンは困惑した。
「オマエは、エマに……相棒に負けたんだよ」
そう……エマの一撃は、ザガンに届いていた。
何度倒れても立ち上がり、放ち続けた渾身の一撃が、ザガンの左の翼を破壊していたのだ。
『こ……コの……ッ』
身をよじり、二本の角で襲いかかるザガン。
ジェフリーは僅かに身を翻し、躱した刹那。
「残念だったな。悪いがそれは経験済みだ」
『む゛ウ゛……そ゛ン、な……』
通常より三倍分厚い片刃の剣が、黄金の身体を縦に一刀両断にした。
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