思いがけない隣人
「うう……だ、大丈夫かなあ……」
王国軍幕舎を前にし、ジェフリーは緊張と不安で身震いした。
「……先生、早く入るの」
アリスに背中を押され、ジェフリーは幕舎へと足を踏み入れる。
兵士達も、先日のコンラッドとの決闘でその実力を含めジェフリーを認識しており、彼の侵入を止めようとする者はいない。……いや、止めに入ることなどできるはずもない。
何故なら。
「お、おい、あれ……」
「『審判の射手』アリス=ウェイク……ッ!?」
黒曜等級冒険者であるアリスをどうにかできる兵士など、ここにはいないのだから。
とはいえ、このまま捨て置くわけにもいかない兵士達は小声で話し合っていたかと思うと、一目散にどこかへと駆けて行った。
おそらくはクローディアか、第二軍団長のコンラッドのいずれかを呼びに行ったのだろう。
「……先生、早く早く」
「あ、ああ……」
アリスに急かされ、ジェフリーはクローディアがいるであろう執務室のある建物を目指す。
兵士達が距離を取りつつ二人からつかず離れずついてきており、ジュフリーは思いきり居心地が悪い。
アリスはといえば、そんな兵士達などお構いなしに、表情こそ変わらないもののジェフリーと一緒にいることができてご機嫌である。
その証拠に、彼女の足取りがいつしかスキップに変わっていた。
すると。
「……いやあ、さすがに黒曜等級冒険者を幕舎内に連れて来るのは、どうかと思うんですが」
兵士に案内されて困った表情を浮かべ現れたのは、クローディアの副官ノーマン。
ただでさえ面倒そうなコンラッドを呼ばれなかったのはよかったが、それでもこの男も一癖も二癖もあることをジェフリーも理解している。
何より、ノーマンはジェフリーを嫌っているのだから。
「一応お聞きしますけど、用件は……っ!?」
「……うるさいの。いいからどっか行け」
有無を言わさず、背負っていた弓を構えて威嚇するアリス。
彼女は黒曜等級冒険者であり、その一挙手一投足によって状況が変わってしまう。
「ちょ、ちょっと落ち着くんだ! す、すみません。ディアに話があって、それで……」
慌ててアリスを引き下がらせ、低姿勢で要件を告げるジェフリー。
だがそんな彼の言動は、火に油を注ぐようなものだった。
「……先生、あの女のことを愛称で呼んだ」
「ちょっと待て。元教え子なんだから別にいいだろ」
途端に口を尖らせて不機嫌になるアリス。
嫉妬してるのかな、と思いつつも、ジェフリーとしては『元教え子同士、仲良くしてほしいなあ……』と、願わずにはいられない。
「……そうですねえ。兵士達の手前、本音では正しく『クローディア殿下』と呼んでいただきたいところです」
「う……は、はい……」
ノーマンにジト目を向けられ、ジェフリーは恐縮する。
クローディア自身から愛称で呼ぶように求められたことを知りながらも、忠誠心からなのか、彼はそれを看過できないようだ。
「まあいいでしょう。クローディア殿下のところへご案内しますよ」
「よろしくお願いします……」
ノーマンの案内により、ジェフリー達はクローディアの執務室へと向かった。
◇
「……先生、どうしてこの女がいるのですか」
執務室に入るジェフリーを見て喜んだのも束の間。その隣にいるアリスを見やり、露骨に不機嫌になる。
昨日のコンラッドの言葉どおり、やはりクローディアは冒険者のことをよく思ってはいないようだ。
「……ボクは先生に誘われて来た。あなたには関係ない」
「っ!? なんだと!」
机を思いきり叩き、クローディアが声を荒げる。
「先生! これはどういうことですか! そもそも、どうして冒険者アリス=ウェイクが『先生』などと!」
「い、いや、それはだな……」
「……先生はこれからギルドで暮らすの。あなたの世話になんかならない」
「っ!?」
アリスのその一言が決定打となり、クローディアはわなわなと肩を震わせたかと思うと。
「……認めない」
「ディ、ディア……?」
「そんなことは絶対に認めない! 先生は私と一緒に王宮で暮らすのだ! ギルドのようなむさくるしいところになど、大切な先生を住まわせてたまるか!」
ジェフリーの安月給では、たとえ短期間でも王都で生活することができないことは承知している。
だからこそクローディアは、王宮での滞在を拒否したジェフリーをあえて送り出したのだ。
すぐにどうにもならなくなって、自分に泣きついてくることを期待……いや、確信をもって。
ところが、まさか黒曜等級冒険者アリス=ウェイクがジェフリーと知り合いで、しかも『先生』と呼んでいる。つまり、彼女もまたジェフリーの教え子なのだ。
まさか二人が再会し、しかも余計なことに住居問題を勝手に解決されるなど、誰が予想するだろうか。
おかげで大切な師を奪われ、クローディアの計画が台無しである。
「……うるさいの。あなたには関係ない」
クローディアが剣を抜き、アリスが弓を構える。
元教え子同士の一触即発の空気に、ジェフリーは情けないことにおろおろとしてしまう。
「クローディア殿下、このようなところで暴れては……」
「黙れ。そもそも私がこんなくだらない仕事などをしていなければ、先生もこの女に騙されることはなかった」
「っ!?」
もはや怒りで我を忘れ、仲裁に入ろうとしたカイラにすら、八つ当たりにも似た殺気を見せるクローディア。
カイラもしまったとばかりに、冷や汗を流して一歩引き下がった。
不意に訪れる、僅か数秒の沈黙。
クローディアとアリスが、指をほんの少し動かそうとした、その瞬間。
「……先生、お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
「……ごめん」
あれほどいがみ合っていた二人が、あっさりと引き下がって武器を下ろすと、素直に謝罪した。
アリスはともかく、クローディアの性格を知っているカイラとノーマンは、その心変わりに驚きを隠せない。
だが、クローディアとアリスからすれば、当然の帰結だった。
ジェフリーに嫌われてしまうことを恐れて、というのはもちろんあるが、何より、もしあと数ミリでも指を動かしていたなら、二人はあっという間に組み伏せられてしまっただろう。
今も二人の間でおろおろとしている、ジェフリーの手によって。
「その……先生としては、それほどまで私と暮らすのはお嫌ですか……?」
「ち、違う違う! そうじゃなくて、やっぱり君の世話になるのは申し訳ないし、それにほら、俺みたいな奴が王宮で過ごすなんて、場違いにもほどがあるし、恐縮してしまうし……」
泣きそうな顔でクローディアに問われ、ジェフリーは慌てて説明する。
まさかここまでショックを受けるとは思ってもみなかったジェフリーは、なんとも申し訳ない気分になった。
「だから、決してディアのことが嫌だからとか、そういうことじゃないんだ。むしろ君と再会できたことを素直に嬉しいし、こうして頑張っている君の姿を見れて、俺も鼻が高いよ」
辺境ギルドの一教官に過ぎない自分が何を言っているのだと思ってしまうが、クローディアに告げた言葉は全て偽りのない真実。
ジェフリーは不器用なりに、一生懸命なだめると。
「……先生のお気持ちは分かりました。そういうことでしたら、ギルドにお住まいになられても構いません」
「そ、そうか、ありがとう!」
クローディアに納得してもらうことができて、心の底から安堵するジェフリー。
色々とあったものの、とりあえずは一件落着。ジェフリーはアリスに目配せすると、話もそこそこにギルドへと戻った。
だがジェフリーは、クローディアという女性をまだまだ理解していなかった。
「先生! 今日からお隣同士ですね!」
「う、嘘だろ……?」
ギルドの隣にある建物を丸々一軒購入し、次の日には引っ越してきて嬉しそうに挨拶をするクローディアに、ジェフリーは唖然としてだらしなく口を開けた。
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