2-11 ヴァンパイアの嫁
そういえば女の名前も知らないし、聞こうにも聞くのも不自然なほど女とユリの関係は深いものだと思ったので聞けなかった。そんなこともお風呂につかれば一時忘れてしまい、朝からの贅沢に体が浸る。体の中にたまっていたとある人への不平不満がフーッと息を吐くと、湯気に混じって溶けていくようである。ふと湯気に見え隠れする時計に目を向ければ、針のさす時間に飛び上がってお風呂を出た。
いつの間にか集合時間が迫っていた。館内着から着替えねばならないし、髪を乾かさなくてはいけないし、間に合うかどうかが怪しい。先ほどのゆったりとした時間とは反対に、てんやわんやに焦りに追われて集合場所に急いだ。
「待った!?」
すでに尾張はロビーにいた。
髪は生乾き、忘れ物があってベッドまで一度戻って、さらにエレベータが来るのが遅かったので非常階段で降り、館内着からいつもの服に着替えて尾張の前に現れたわけなので、まるで妖怪を見るような目で立っていた。いや、何者でもない目で見ていた。ロビーの出入口と私を交互に見た。
「おはよう、尾張さん」
尾張は目を丸くして「もしかしてキミ...」と疑い深げに聞いた。
「『ユリ』よ!...ああ、違う。『アミ』です」尾張の曇りきった表情に私は眉間にしわを寄せた。
「ああ、そうなのかい。ああ、そうなんだ。ああ...ん?そうなるんだ。チェックアウトをするから鍵をもらうよ」尾張は私から鍵を受け取って、フロントでチェックアウトを済ませた。そして尾張は来た時と同じように「今、何時?」とフロントに聞いた。
「午前八時過ぎでございます」
「ありがとう」尾張は出口に向かい、私に手招きをした。
カプセルホテルを出て、あることに気付いた。空は昨日と同じ夜空のままだが、昨日とは違う色の白い月が昇っていた。この月は覚えがある。私の常識では夜に昇る月だ。
「尾張さん、今は夜なのかな」
「さっき聞いたと思うけど、午前八時なのだから、朝だろう」
街灯が灯り、朝の商店街は居酒屋はシャッターを閉めているが、八百屋や酒屋が営業の準備をしていた。道を行き交うサラリーマン、学校に向かう学生、自転車に子供を乗せた母親、夜空であること以外はまさしく朝の風景に見える。
「夜は赤い月、朝は白い月、月で時間が分かる?そんな感じなのかな」
「もしくは朝という概念がないのかもしれない。見た目は常に夜という状態というだけで、時間だけが二十四時間を刻む。そんな世界なのかもしれない。月で今の状態が分かる、というのはイイ線いってるね」
珍しく、というか初めて尾張に褒められた。




