3-51 転生免許
「ちょっと、いきなり走らないでって―」エチワカを捕まえたその時、私を冷たい空気がすり抜けた。重いもので撫でられたかのような感覚だ。
ゾワッと身震いし、恐る恐る私を抜けていった方向を見ると、ボヤッと辺りを照らす街灯で分かるくらいだが形ははっきりと分かった。体が透けた白い人の後ろ姿が煙のように闇の向こうへ消えていった。
氷水をかけられて、耳に水が詰まったような音も少しの感覚も忘れてしまうようなそんな一瞬が永い。エチワカが「いたよ」と白い人の背中を指差しながら私の頬をペチペチ叩いたので、私はようやく目覚めた。
私はエチワカを脇に抱きかかえて、一目散にその場から走り出した。低い柵や小さな花壇くらいなら飛び越えて、ウサギのように機敏に角を最短距離で曲がり、目の前に迫る街灯も身を翻して避ける。
脇に抱えたエチワカはまるでジェットコースターに乗っているかの様にキャッキャとはしゃいだ。どんなにエチワカがはしゃごうとも、今の私にはエチワカを抱えていることさえ忘れているかのように、あまりに軽やかであった。
「おう、早いね―」私がそんな格好で息を切らして宿屋に飛び込んだものだから、宿屋の主人はポカンと口を開けた。「何かあったのか?」
「ささささ、さっき…幽霊が。私を通って…」
すると主人は青ざめて私を手招きした。「ほら人差し指を出して」主人はその人差し指の先に中指の先を合わせた。「え〜んがちょ」ともう片方の手の中指で突き合わせた指先を切った。「よし、これで大丈夫」主人は大仕事を終えたように一息ついた。
その行動も主人の様相も分からない私は「何が大丈夫何でしょうか」とまだ興奮も息も整わないまま聞いた。
「これをやらないと、死ぬんだよ」
「死ぬ!?」
「過去にやらなかった奴は死んじまったよ。可哀想にな」
「『えんがちょ』をやった人は助かったということですか?」
主人はあごに手を据えて考えて、ゆっくりと口を開いた。「…死んだな」
「死んでんじゃん」私はヒザから崩れ落ち、「あぁ」と嘆いた。
「いやいや、やってない奴と比べると生きてる奴が多いんだ。たまたま死んだ奴もいるがな」
主人はこの暗い雰囲気を吹き飛ばすような快活に笑うが、一体全体、その『えんがちょ』の効果がどの程度なのか、これほど知りたいことはない。
「今日はゆっくり部屋で休みなって。ほら、嬢ちゃんも休みたがってるよ」
「行こう、行こう」エチワカは私の服を引っ張り、眠そうに大きなあくびをした。
死ぬかもしれないのに、吹っ切れるはずもなく、だが体は正直でどっと疲れを感じる。早く寝たい。
ゆっくりと部屋に向かう私の背後に主人は励ました。「一晩ぐっすり眠れば忘れるさ」
忘れないよ!と胸の内で叫んだ。




