8話
「フィン。正気ですか。」
リズは周囲に警戒の視線を向けながら背後のフィンに話しかける。
不利な条件を並べたてられた戦闘での勝算は限りなく低い。
短期決戦を望むならまだしも耐久戦ともなればさらに下がる。
人数差のある戦闘は時間が経つほど少数派が不利になる。
正気の沙汰ではない。
「あれは他国の魔術師だろう。追ってきたということは他国は僕やリズを排除するつもりだ。この先も相手にすることになるならあの未知の魔術を解析しといて損はない。」
言いながらすでにフィンは解析用の魔術を記述し始めている。
つまりフィンの中で魔術の解析は決定事項で、この会話はリズを説得するためのものだ。
話し合いではない。
リズはこの状況で解析する必要性や他の解析手段なんかの、フィンへの反論材料と文句を飲み込んだ。
もしここでリズが逃げたとしてもフィン一人で四人を捌きながら魔術の解析を行う程度にはフィンの魔術への執着は異常の域にある。
可能か不可能かはともかくとして。
リズにそれを曲げさせてまで説得できる自信はなく、また心情的にもしたくない。
出来るのはできる限り二人の生存確率を上げること。
「しょうがないからわかりました。ただし3分です。それ以上はフィンを守り切れません。あと追加で装甲強化もください。」
「自衛くらいできる。10分は欲しい。」
フィンが使っていなかった小指で装甲強化、硬鎧魔術を記述しながら反論する。
「なら自衛に割く意識を解析に回してください。」
「それでも3分はさすがに。」
「話は終わりです。いいんですか?解析に使える時間が減っちゃいますよ。」
そういってリズはフィンとの会話を断ち切る。
4人相手にフィンを3分守り切る。
正直五分五分だ。でもこれが妥協点だった。
あとは全力を尽くすしかない。
半円筒状の防壁の中でフィンが解析用の魔術をいくつも記述しながら解析を始める。
「…形式は魔法陣か。過去に文献で見たがどれも実用化に耐えるものじゃなかったはず。しかし国の外の文献は古い。発動速度の速さからして魔力線の緻密な操作は外部機構?なら別動の魔術があるはずだが多重行程なら即発の強みが死ぬ。訓練によるものだとしたら」
こうなればもうフィンに誰の声も聞こえない。
極度の集中。
研究者としても前線魔術師としても取り柄ではあるが弊害は大きい。
(どの辺が自衛くらいできるんですかね。この根暗魔術オタクは。)
リズが戦闘へ意識を切り替える。
この間、相手は攻撃してこなかった。
(剣士の視力回復目的か、あの魔法陣の再使用に時間がかかるのか。)
フィンの張った防壁には多少の防音効果もある。
大声で騒げば別だが先ほどの会話程度なら相手に聞かれている心配はない。
こちらの狙いが時間稼ぎとばれていない以上、相手が動くまでリズから仕掛けるつもりはない。
「魔法陣構築から発動までおよそ0.2秒程度。魔力供給は拡散、いや円形魔法線を利用した循環型か。威力の減衰、魔力痕跡から射出しているのは確定。操作形式で行わないのは認識速度限界による威力の低下防止が目的か?なら行程数にして」
フィンの言葉の大半はリズには理解できない。
だが唐突にフィンが意味の分かる言葉を口にした。
「来る。」
何が、は経験と視界に移る魔法陣で理解した。
魔法陣を展開しているのは先ほど氷槍を放った魔術師ともう一人の魔術師。
一歩。
リズはフィンが張った防壁の前へ出る。
この防壁は表と裏があり裏から表へは抵抗なく進める。
そして攻撃を受ければ受けるほど継続時間が短くなる。
魔法陣がいくつか展開され、氷槍と土槍が放たれる。
それらの魔術をフィンの前に展開された防壁に到達する前にリズが大剣でさばき切る。
いくら動体視力に優れたリズと言えど魔術で射出された高速の槍を目で追うことは不可能であり、重量の大きい大剣で切り捌くなどもってのほかだ。
それをリズは、先ほどの攻撃時に感覚で掴んだ槍の速度と相手との距離を逆算し、平面構造をとるはずの魔法陣についた微妙な角度を見分けることで自身への槍の到達時間と狙われている部位を見極め、さらに剛腕の魔術の力を借り、本来片手では緩慢な動きしか許されない大剣を細剣のように扱うことで可能にしていた。
それでもフィンの防衛には至らない。槍の射出と同時に剣士が突きの構えでフィンに向かって飛び出してくる。強引に進路に身をねじ込むことで強烈な突きを軽装鎧で弾くが、衝撃でせき込んだ。
(氷槍との相性が悪い。切るには重すぎる。剣士は一貫してフィン狙い。魔術師二人は私の相手か。)
リズの刹那の思考の間、こちらの集中力と忍耐の切れ目を弱点として見逃さず、さらに氷槍が2本放たれる。
今度は切らずに氷槍の進路に沿うように大剣を置くことでフィンに当たらない角度で受け流す。自然に放たれれば重力に従い弧を描くはずの槍は、魔術によって高速で打ち出されることでほぼ直線にしか進まない。それを利用し、数度受けただけで槍の進路を見切れるほどのリズの戦闘センスに裏付けられた技巧。そのまま剣士へとカウンターを仕掛けるが、すんでの所で躱され転がるようにリズの間合いの外へ逃げる。体勢を崩したこれを好機とみてもう一歩踏み込み、剣士を間合いの内に入れようとしたところで違和感に気づき、高速の踏み込みを足が上がり切る前にさらに地面に打ち込むことで抑え込む。地面に入った僅かな亀裂が浮かび上がらせたのは踏み込む先に掘られた足一つ入る程度の落とし穴だった。
数度の剣戟で剣士の決して低くはない実力を見抜いたリズが感じた違和感は、逃げるときに感じたごくわずかな剣士の動きのキレの衰え。それに誘われていればリズは、今まさに出来上がり、そしてふさがろうとしてる落とし穴に足を落として勝負が決していた。
(阿吽の呼吸。釣りの戦術もこちらが攻め気なら引っかかっていた。ただ魔術自体は属性が似通っていてまだしも読みやすい。剣士に強化系の魔術をかける気配もない。できないのか、これも誘っているのか。)
ならばと動いたタイミングで、間髪入れずに再度3本の氷槍が同時に放たれる。狙いはリズの肩と足、そしてフィンの防壁。
既に動き出しているリズは捌き切れないと覚悟を決め、さらに一歩踏み込む。自身の肩とフィンの防壁に向かう氷槍を無視して、足を狙った氷槍だけを大剣で受け流す。
肩に付けた軽装鎧をわずかに逸らし、衝撃を受け流した上でなお強烈な氷槍の威力を受けながらなおも一歩踏み込む。俊敏の魔術の恩恵によりリズの一歩は間合いを一気に縮める。あと1歩もあればこの大剣が魔術師たちに届くほどに。
剣士はそれを見逃せない。連携の要たる剣士はされど純粋に強化されたリズと単身でやりあえるほどの実力ではない。数度の剣戟でお互いがお互いにそれを感じ取り、感じ取ったことを理解し合ったために魔術師を守るように動く。先ほどまでの最適化された連携ではなく、魔術師が守りに回り剣士がそれを援護するという形。剣士が対面戦力として存在する限り想定されづらい状況を、俊敏の魔術と覚悟によってリズが誘発した。これを明確に隙と見たリズが最後の踏み込みで慣性に逆らい片足の継戦能力を犠牲に逆方向に無理やり踏み込んで剣士との間合いを詰め切った。魔術師は守りに入ったがためにこのわずかな時間は援護がない。強化されたリズと単身でやりあえるほどの実力は剣士にはない。
振刀の魔術がかかった剣は容易く剣士の腕を切り落とす。
(1人目。)
剣士を崩した。
生きてはいるだろうが片腕では戦闘復帰は難しい。
あとは魔術師。
そこでリズは異様な気配にどこへと言わず後ずさる。
これはフィンのそばにいるとき稀に感じる魔力のうねり。それも魔術師でないリズがはっきりと認識できるほどの。
「跳べリズ。」
フィンの叫び声に思いきり跳んだ。
脚力が魔術で強化されているため今のリズは常人よりも高く跳べる。
だが針葉樹の木々の背丈を飛び越え数十メートルも飛ぶことはない。加えて先の踏み込みでリズの片足は壊れている。
(治癒と多重強化)
おそらくフィンがリズへの呼びかけと同時に壊れた片足を治癒しながら強化系の魔術を重ねがけした。瞬時の判断と最適な魔術の行使。
命の危機を感じるほどの高さから下を見下ろしリズは絶句する。
森は先ほどリズが戦っていた付近を中心に見渡す限り凍り付いていた。
「なんだこれは」
叫びながら落ちる。
本来この高さから落ちたら人は助からない。
だがリズはフィンという前線魔術師を信頼している。
意味があるのかわからない受け身をとりながらの着地。
痛みはおろか衝撃すらない。
そのまま氷結の中心地から遠ざかるように転がる。
地上にいたはずの魔術師や剣士からの追撃はない。
これほど広範囲の氷結魔術。
それにかなりの高度まで飛んだはずのリズにすら体感できるほどの冷気。
ぞっとする。
あのまま地上にいれば間違いなく氷漬けで死んでいた。
「随分物騒な魔術ですね。」
見る限りの銀世界に平然と立つ3人の魔術師と1人の剣士。
狙わったように彼らの周りだけ氷がないことを見るにこの惨状はやはり彼らの魔術。
「あなたの大剣の方がよほど物騒だけれど。」
先ほどまで隠れていた魔術師が応じる。
「わざわざ一人ずつ切りつけなきゃいけない剣と戦術兵器級の魔術じゃ比べるまでもないでしょう。」
話が通じる。
ならばとリズはフィンの回収と逃亡の隙を待つために時間稼ぎに入る。
「私たちの前衛の腕を落としたでしょう。大事な大事な剣を振る腕。そんなことができるのだからその大剣は危ないわ。」
焦点の合わない目をした魔術師。
その幼く無垢な顔を見てリズは胸の内に言いえない不快感がこみ上げる。
(嫌いだ。)
戦場という場に染まりながら殺人を忌避する。
これは別段珍しいことではない。
人としての生活を送るための倫理観は大切だ。
リズとて殺人の、どんな立場であろうと人を切ることの罪深さは理解しているつもりだ。
だがこの魔術師は自身の行為を棚に上げ、敵を敵というだけで悪だと断じている。
「随分元気に飛び回っていたわね。」
魔術師がつぶやく。
瞬時に冷気を、冷気に包まれていながらなお分かるほどの冷気を感じて飛びのこうとするが何もない。
いや違う。
身動きできない。
(遅かった。)
足元が凍てついている。
反応速度には自信がある。
冷気を感じてから随分早く動いたつもりだった。
「これで詰み。時間稼ぎなんかさせないわ。」
ようやくリズはこの魔術の恐ろしさを理解する。
魔法陣展開から効果発動までの速さ。
これは明確に脅威だ。
「世界は広いですね。こんな魔術があったとは。」
「そうね。私もそこの下衆魔術師が使うような魔術は見たことなかったわ。でも残念。あなたは世界を知らずに終わってしまう。」
コツコツと。
魔術師が氷の上を歩いてくる。
足元から始まった氷結はすでに腹部や腕にまで広がっており抵抗の術はない。
始めてリズの心に恐怖が芽生える。
リズはフィンを信頼している。
だが、あまりに遅い。
首元まで迫った氷が頭に死を実感させる。
(速く、速く)
気づけば目の前に魔術師の顔がある。
「もがいてもだめ。かわいそうな騎士様。」
その顔には本物の憐れみがあった。
「さよなら」
声とともに視界が青く染まった。