7話
逃亡の旅は思いのほか円滑に進んでいた。
襲撃、というかフィンが殺気立つような事態は山道以降起こっていない。
馬車の中で寝起きするのは不調をきたすかと思ったがフィンがその時だけ車輪を浮かせて振動を抑えてくれるため思ったよりも快適だった。
さらに外気を遮断することで馬車内の温度を一定に保ち、木製の馬車の床に弾性を与えることでベッドのような柔らかさで寝れているのだから至れり尽くせりだろう。
「このままいけば明日の朝には国境地帯を抜けられそうですね。」
初日から相変わらず手元で魔術を捏ねていたフィンがこっちも向かずに答える。
「抜けてからのが大変なんだろ。」
「そうですね。北側の国境地帯は魔境ですからね。」
王国北側の森林地帯は王国内でも屈指の危険区域に入る。
一年のうちのほとんどが冬季であり雪こそ降らないもの人が住むには厳しい土地であり、加えて獰猛で狡猾で巨大な動物が多く王国内では滅多に見ない魔物さえ生息している。
「だから国境のくせに関所も防壁もないんですけどね。」
「国外に抜けるにはもってこいだな。」
「フィンでもそう考えるんですから、先手打たれてないといいですけどね。」
「その時は隠れてやり過ごそう。」
会話が途切れる。
フィンは魔術を書いては消し、リズはなんとなくで筋トレをする。
ここ数日の馬車の中のいつもの光景だ。
そのまま何事もなく、夜になり馬車の中でフィンが魔術を使って材料から作った夕食を食べ眠りにつく。
見張りは交代で行うが、索敵に関してリズはフィンには遠く及ばない。
フィンの索敵魔術は超音波の発生とその反響を受信し解析する二種類の魔術から成り立っているが、魔術自体はフィンのすぐそばで行使されているため一般的な遠距離魔術である索敵と違い魔力消費がかなり抑えられ、精度は一段落ちるものの広域に及ぶ。
そのためリズが見張りをする意味はあまりなく、フィンの眠りが深くなりすぎて索敵魔術の異常に気づけない場合や自然に擬態するタイプの危険動物などのイレギュラーに対応するための保険に過ぎない。
だが珍しくその日はこの保険が機能した。
寝ているフィンの横でリズが暗闇に目を凝らしていると視界の奥に違和感を覚えたのが始まりだった。
元からの戦闘の才能と実戦経験によって鍛えられたリズの直感は当たる。
しかしそれと同じくらいリズはフィンの索敵魔術を信頼している。
未だに起きないフィンがリズの直感を疑わせ、判断を遅らせる。
(ともかくフィンを起こして確認を。)
そう考えたリズは寝ているフィンを叩き起こしにかかる、はずだった。
「は?」
フィンを抱えて上に飛んだのはほとんど勘だ。
馬車を隆起した大地が槍のように貫く。
馬車に付与されていたフィンの対変温防壁が壊れリズの頬に冷気が刺さる。
「おろしてくれリズ。状況は?」
目を覚ましたフィンを離す。
「敵の数、構成、所属等すべて不明。少なくとも魔術師が一人。」
「了解。合図で片目保護。」
フィンの言葉を受けすでに抜き払った大剣を守備的に構える。
リズは強い。
一対一ならそう負けることはなく、対複数でも守備に専念すればすぐには倒れない。
だがその程度だ。
大軍相手に無傷で勝ち越せる一騎当千の騎士ではない。
奇襲を受け、敵が何人いるかもわからない状況でリズの勝ち筋は一つしかない。
フィンが、前線魔術師が機能するまで守り抜くこと。
この五秒、正確にはフィンが状況を理解してから二秒経過しているのであと三秒。
そこにリズは全てを賭ける。
―一秒。
敵はこちらの状況を未だ把握していないのか、攻撃はない。
―二秒。
敵が動く気配を感じ取る。全方位に対応するため筋肉の弛緩と緊張のバランスを保ち次の一瞬に集中する。
―三秒。
円形の光が目の端に映り、異質な冷気とともに暗闇から氷槍が襲い来る。すんでの所で受け流すと背後からフィンに迫る人の気配。受け流しに使った剣をそのまま後ろに振りぬき金属と金属のぶつかる鋭い音が響く。
「リズ。」
フィンの声に片目を瞑ると開いた方の視界が白で包まれた。
照明魔術。
威力を増大させられたそれは暗闇に慣れた目を焼く。
片目を瞑っていたリズはともかく至近距離で受けた敵はしばらく目を開くことは不可能だろう。
同時に手足が軽くなり、フィンの魔術が付与されたことを理解する。
安堵感に浸る間もなく目の前の敵へ追撃を浴びせるべく剣を振る。
「リズ。右だ。」
鋭く響いたフィンの声に従って右に剣を振ると金属とは違う感触が手に伝わる。
見れば切ったのは大地。
馬車を襲ったのと同じ土の槍が地面から突き出ていた。
視界を戻すと先ほど剣戟を交わしたであろう目をつぶされた剣士はすでに距離をとっている。
このために土の槍を出したのだとしたら阿吽の呼吸。
連携の練度が高い。
リズとフィンの前に淡く光る半透明の壁ができる。
「防壁を張った。長持ちはしないが状況把握と戦力分析を。」
「了解。」
息をつきリズが周囲を見回す。
先ほどの目つぶし用の照明魔術がそのまま辺りを照らしているため視界に問題はない。
視野内に敵と思しき人物は三人。
目をつぶされ転がっている剣士と距離を置いて二人。おそらくどちらも魔術師。
「もう一人馬車の陰にいる。これも魔術師。それで全部だ。」
フィンの言葉とともに光に焼かれた目が視界を取り戻す。
治療魔術。
「魔術師三人に剣士が一人。どんな構成ですか。」
「こっちが聞きたい。なんだあの氷と土の槍は。」
フィンは四人を警戒しつつ思考を進める。
(直接攻撃の類は前線魔術では優先度が低い。剣士がいるならまずその防御と援護がセオリー。さっきの剣士を逃がすのも土槍で行うのはリスクが高いし婉曲的だ。幻影か剣の制御を奪うかデバフかけるだろ普通。)
そしてそれよりも大きな疑問が首をもたげる。
「なんでフィンの索敵に引っかからなかったんですか。」
フィンの索敵は魔力を籠めただけ継続時間が伸びる。
数時間程度の睡眠では途切れない。
現に今も索敵魔術は機能し、敵の位置を補足し続けている。
反響解析の履歴をたどり原因に行き当たる。
「待ち伏せだ。」
フィンの索敵には弱点がある。
反響から形を解析し時間差で対象物の動きを把握することで無機物と生物を見分けているため、自然物になりすまし動かなければ生物として認識できない。
厳密にはもう少し様々な要素が絡むがフィンの索敵をかいくぐるなら原則としてそうなる。
索敵対策として待ち伏せを選択したなら、通常の索敵とは違うフィンの魔術をかなり深いところまで理解しているということ。
そしてこっちからすれば向こうの編成の意味すら分かっていない。
魔術師の絡む戦闘では情報が大きな意味を持つ。
何とか隙をこじ開け逃げるしかない。
ここまでフィンとリズの思考は一致していた。
ここまでは。
「フィン。前方警戒。」
リズの言葉に思考を中断し前方に意識を向ける。
敵魔術師の一人が魔法陣を展開し、一瞬で成型された氷槍が防壁魔術に当たり砕け散る。
防壁で遮られる程度の、ただの攻撃魔術にフィンは目を奪われた。
「リズ。守備体制で耐久戦用意。あの魔術を解析する。」
「は?」
奇襲、二対四の戦力差、圧倒的情報不足。
不利な要素しかない戦場で、フィンは足を止めた。
魔術を究める者としての正しさを選び、命のやり取りをする戦場で間違った道を選んでしまった。