2話
「どれくらい猶予がある?」
フィンは手早く荷物をまとめながらリズに聞く。
「そんなに焦ることもないと思いますが、日暮れまでにはここを出た方がいいでしょうね。」
リズはリビングに置かれた木製の椅子に座り、優雅にお茶を飲んでいる。
城内で戦っている同僚が見れば容赦なく叩き切られることだろう。
「軍も想定外の事態にてんてこ舞いでしょうから私がいないことに気づかないでしょうし、気づいたとしても探索に割けるほど人員に余裕はないでしょう。」
フィンの家には元々物が少ない。
加えて大抵のものは魔術でどうにかなる。
そのためフィンの荷物は本がほとんどだ。
家のそこかしこに乱雑に積まれた本を回収していく。
「でもフィンにはじきに呼び出しがかかるはずです。城内に侵入した他国の兵にも魔術師が混ざっていましたから。」
回収した本をまとめて置き、フィンが空中に指を走らせるとその文字のような跡が黒く残る。
書き終えると術文字は白く光り意思を持ったように本の周りに纏わりつく。
壁一面の本棚でようやく収納できるような大量の本がどんどんと縮んでいき、一冊が消しゴム程度の大きさになると術文字は霧散した。
縮んだ本を小さな本棚のような木箱に詰めながらフィンが独り言のようにつぶやく。
「他国にも前線魔術師がいるのか。」
この国ではほとんどの魔術師が前線には出ない。
魔術は術文字を書き、そこに魔力を籠めて、ようやく発動する。
発動には平均して簡単なもので20秒、複雑なものでは数時間単位を要する。
加えて魔術師から距離が離れるほど、そして複雑になるほど消費魔力と難易度が指数関数的に上がっていく。
そのため剣で切った方が速い上に、魔術の発動までは身を守れず、遠距離援護では数発で力尽きる魔術師は通常、前線ではなく治癒や回復役として運用される。
そしてそのような治癒魔術師であれば軍にも数多くいるはずだ。
「ちらりとしか見ていませんが騎士と動く魔術師が何人かいたことは確かです。軍として運用できるレベルの前線魔術師なら、こっちはフィンを呼ぶしかないでしょう。」
現状この国にいる前線魔術師はフィンただ一人だ。
そして前線魔術師には前線魔術師をもってしてしか対応できない。
「なら急いだほうがいいな。すでに何度か魔術による呼び出しが飛んできている。無視し続ければ今度は早馬に乗った憲兵が飛んでくるぞ。」
肩掛け鞄に縮んだ本の詰まった木箱と必需品を入れ終えたフィンが立ち上がる。
「準備はもういいですか?」
「ああ。リズの方はその軽装で大丈夫なのか。」
フィンが座ったままのリズを見て聞く。
「鎧は自前の軽装鎧ですし、フィンの魔術でどうにもならないものだけは携帯してます。どうにかなるものはフィンに頼ります。」
えっへん、とばかりに腰に手を当てて言い切るリズ。
完全人だよりで最低限の中の最低限の荷物で済ませようとしている幼馴染に文句の一つでも言おうとしたフィンの動きが止まる。
「リズ。立て。」
フィンの雰囲気が変わったことに気づいたリズはフィンに言われるのとほぼ同時に立ち上がる。
「どこですか。」
おちゃらけた雰囲気を一瞬で排したリズが尋ねる。
「家への道の入り口。人の乗った馬。おそらく憲兵だ。」
リズが無言で先を促す。
推測よりもかなり早いが、憲兵だけならフィンはここまで殺気立たない。
「その後方、かなり距離を開けて憲兵の通った道筋を追いかけている三人。一人は剣持ち。だが残り二人は何も持っていない。」
このタイミングでの憲兵の尾行。考えられるのは、
「たまたま城を出る怪しい伝令を追いかけてきただけか、フィンを探しに来たか。」
リズがつぶやく。
前者なら貴重なはずの兵を割き前線魔術師を二人もつけるのはおかしい。
後者なら狙いをつけるのが速すぎる。
襲撃のあったこのタイミングなら伝令の早馬は数多く城から出ているだろう。
その多くの早馬の中からフィンのところへ向かうものを特定できるのか。
実のところこの森にフィンが住んでいることはごく少数しか知らない。
週に一度の訓練日はリズが迎えに来るし、伝令があれば魔術で飛ばせばいい。
わざわざここを訪れる人間は少なく、結果的にフィンの住処を特定することは難しい。
裏を返せば不可能ではない。
「後者だろうな。」
同じ思考に行きついたフィンにリズが頷く。
「どうしましょう。迎え撃ちますか?」
フィンが指先で術文字を書き魔術を使う。
光りを放った文字はフィンとリズの周囲を飛び回り霧散する。
「…向こうの魔術師はまだ索敵を飛ばしていない。索敵が行われていない以上狙撃も考えづらい。」
つまり今なら穏便に逃げられる。
「了解です。じゃあさっさと逃げましょう。」
フィンの言葉で、手早く身なりの確認をしたリズを手で制する。
「憲兵と向こうの魔術師たちが鉢合わせると面倒だし無駄なリスクが上がる。憲兵を帰してからの方がいい。」
「それ間に合います?」
「結構距離あるし憲兵は馬に乗ってるし向こうさんは歩きだ。問題ない。」
「え、走行魔術とか使ってないんですか?」
一般的な魔術、というと語弊がある。
魔術は術文字を用いる性質上非常に自由度が高い。
魔力と時間さえ考慮しなければ大抵のことはできてしまう。
ゆえに魔術に一般的もなにもないが、日常生活と戦闘行為を含め多くの場面で使用される魔術に俊敏または走行魔術と呼ばれるものがある。
単に速く走れるようになるだけだが汎用性は高い。
「何度か索敵を飛ばしているがその様子はない。温存してるのか使うつもりがないのかは知らないけどな。それに憲兵はもう着く。」
リズの耳にも蹄が舗装された道を蹴る音が届く。
フィンが術文字を書き始めた横でリズも一応剣に手を添える。
フィンの索敵の精度は高い。
だがフィンが「おそらく憲兵」と言った以上、確信が持てるまでは警戒を怠るわけにはいかない。
馬の駆ける音が近くで止まり、扉がノックされる。
「憲兵所属、ライツ・マッカーノであります。フィン・グレニス殿はおられますか。」
知らない憲兵だ。
リズが来れないときの重要伝達は顔見知りの若い伝令兵がくる。
彼が来たのであれば心が痛かったがそうでないなら抵抗は少ない。
術文字を書き終えたフィンとリズが目線だけで示し合わせると、剣を抜いたリズが扉を開ける。
リズが即座に周囲を目視で確認。
ライツと名乗った憲兵の男の他には乗ってきた馬しかいないことを確認するとフィンに視線を送る。
それを受けたフィンがリズの陰で魔力を籠め、白く光った術文字がライツの頭に巻き付く。
この間、およそ2.2秒。
「さ、手早くやっちゃいましょう。」
リズが依然周囲を警戒しながら口調だけは軽く言った。
フィンがライツに話しかける。
「お前の名前はライツ・マッカーノで間違いないか。」
頭に術文字が巻き付き、うつろな目をしていたライツが答える。
「はい。間違いありません。」
「ライツ。お前はフィン・グレニスを呼びに来たがこの家にはいなかった。すでに伝令魔術が届いていたためすれ違いになったと考え、来た道とは逆の道から大回りで歩いてゆっくりとフィンを探しながら城に戻ることにした。」
「はい。その通りです。」
フィンが術文字によって記述したのは記憶の探知、混乱、そして信頼と定着を軸に組まれた洗脳、あるいは記憶改変と呼ばれる魔術。
人権を無視した強力な効果と危険性から人に使うことは固く禁止されているが、このまま家で待ち続け、尾行してきた奴らと鉢合わせになる方が危険だ。
ついでに城にたどり着くまでの時間稼ぎと足の確保に馬を置いていってもらうが命に比べれば安い対価だろう。
頭に巻き付いた術文字がゆっくり薄れていきライツは立ち上がる。
ふらふらとおぼつかない足で来た道とは逆向きに歩き始めるが、ものの数分で覚醒し植え付けられた記憶を頼りに城に向かうはずだ。
「恐ろしいですね、ほんと。」
「まったくだ。対策を怠るとこうなる。気をつけろよ。」
「わかってますよ。」
精神や思考に作用する魔術には簡単な対処法がある。
術文字が頭に巻き付き魔術が発動する前に外部からの刺激で意識を覚醒させればいいのだ。
剣で手のひらを切ってもいいし、舌を噛んでもいい。
魔術師でなくともレジストできるお手軽な方法だが、法律でこの魔術が禁止されて以降知っている人間は減ってきている。
「それじゃあ、今度こそ行きましょう。」
剣を収めたリズの言葉にフィンは頷いた。
次話、翌日投稿予定です。