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あなたへ~山川と詩音  作者: 遥風 悠
8/28

さよなら、またね  終


 「お邪魔します。」

玄関で靴を脱いだ美樹ちゃんはきちんと揃えて隅に寄せた。しゃがみ方も上品だった。こういうのを教育ができていると言うのか。一方の詩音はというと、頭を抱えたくなる山川であった。

 さて。初めてのお友達の御招待は何事もなく終えることができた。2人共、楽しく過ごすことができたようだ。仲良く、楽しく、行儀良くしていたのは間違いないのだが、山川が感心した点はちょっと異なる。凄ぇなと―女の子という生き物は3時間くらい、ず~っとお喋りして過ごすことができるようだ。こいつはガキんちょ男子には真似できない。三十半ばの成人男性から見ても理解が難しい特性だ。我々とて麻雀卓でもあれば話は変わってくるが、彼女達には道具も不要。助けになればとトランプやらオセロやら、積み木やらウサギの人形達を整頓してすぐに使えるようにしておいたのだが、ほとんど必要なかった。オセロだけちょっと触っていたかな。あとは外遊び用にボールとかフリスビーとか縄跳びも玄関に置いてみたが、2人が公園に出かけることもなかった。店舗で働いていると、おばちゃん達が3、40分ずっと井戸端会議をしている姿を目にするが、てんで不思議なことではないらしい。

 美樹ちゃんと詩音。どこからそんなに話のネタが溢れてくるのかと疑問に思う山川であったが、そんなものは愚問という奴だった。わざわざ探すまでもないらしい。例えば、だ。園の男子諸君はもはや同い年とはみなされていない。気の毒な位に子ども扱いされていた。また、3時のおやつにケーキを出した山川だったが、奮発したことなんぞ、あっという間にばらされてしまった。父親の山川ですら話題提供に貢献させられてしまうから、末恐ろしい。

「いつもケーキなんて絶対に出てこないのに・・・お父さん、頑張ったなぁ。」

「うちのお母さんもそうだよ。詩音ちゃんが来た時のお菓子、私も初めて食べたもん。」

『大人って大変だよね~』。

ぐぅの音も出ない山川であった。

 美樹ちゃんをお宅へ送る際も、2人は喋りっ放しの笑いっ放し。お手て繋いで、自転車を押す山川の前を仲良く歩く2人はいささか声が枯れている始末。その事にお2人が気付かれているかは分かりかねるが、そこまで夢中になってお喋りできる集中力は見事なものである。美樹ちゃんを送り届ければ山川の肩の凝った休日も終わる。やれやれ、の山川であった。どこまでも2人で楽しく過ごせることは実に素晴らしいのだが、回りが見えなくなるのは気を付けなければな、と思う。さっきも詩音が電柱にぶつかりかけた。

 さて。ひとりの親として、子供が楽しそうに幼稚園や学校に通える環境が整っているということが、どれだけ日々の生活を円滑にしてくれているか。心配の種が消えることはない。それでも土の中で芽を出さずに眠ってくれている。だから毎朝、一思いに布団を引っ()がせるのだ。さっさとご飯を食べなさいと急かすことができるのだ。行ってらっしゃいと気持ちよく送り出せるのだ。




 男兄弟の山川。真っ赤なランドセルを手にとって間近で眺めるのは初めてだった。思っていた以上に色が濃く、こんなに重かったかと少々驚いた。ここにノートや教科書が入るとなると大人が背負うのも大変だ。そこへ体操着やら上履きなんかが加わるのか・・・娘が荷物に埋もれていく姿がイメージできてしまった山川。詩音へのお披露目はもう1か月先で、押し入れの奥に隠しておく。大切に、割れ物でも扱うようにそっと。まだ大きく、やや不釣り合いなランドセルを背負ってピョンピョン跳ね回る詩音を思い浮かべると思わず顔がにやける山川・・・・・・ブンブンと頭を振り我に返る。娘も然ることながら自分の身だしなみも整えなくてはならない。3月に卒園式、4月に入学式がある。スーツもネクタイもあるにはあるが、最後に着たのはいつだったか。小売業に携わっていると、特に店勤務だとなかなかスーツを着る機会がない。靴も同様。普段は動きやすい運動靴を履いているので、革靴も磨いておかなくてはならない。




 終わりが見えてからは切なくなるくらいに1日があっという間だったことだろう。名残り惜しかったことと思う。入園当初、最初のお約束はおはようございますの挨拶だったはずだ。そして最後に学ぶは初めての別れ。

 もう、桜が咲いていた。舞い散る桜が新入生を眩い優しさで迎えるという光景は懐かしい昔話になってしまった。今年も来月には葉桜となっていそうだ。

 「むふ・・・にひひひひ・・・・・・変・・・似合わない・・・いっひひひひ・・・・・・」

詩音は一目見てから笑いが堪えられない。これで何回目の吹き出しか。できればそろそろ慣れて頂きたいのだが。ネクタイ締めて、普段は使っていない整髪料で髪も固めた。ばっちり決めたつもりだったが、見事に笑いのツボに入ったらしい。卒園式という大切な日に緊張感の欠片もない山川家である。

「詩音、そんなに笑わなくたっていいじゃないか。結構イケてるだろう?」

ネクタイの位置を調整しながら尋ねる山川だったが、

「うん、カッコイイよ、いいんだけど・・・似合ってない・・・にししししししし・・・・・・」

お父さんだって決める時は決めるんだゼ。そんなメッセージも詩音には伝わらないようだ。

 8時過ぎに家を出た。風の強い日だった。この時期に風を強くした神様はちょっと意地悪だ。憎くとも許すべきは花の風、月の雲と詠んだのは誰だったか。あと数日で満開になる桜の花びらが根こそぎ持っていかれないか不安になってしまう。山川が視線を落とすと帽子で押さえてはいるが、せっかくきれいにした詩音の髪の毛がぼさぼさになってしまう。再び空を見上げてみる。空合いは降水確率ゼロパーセントの日本晴れで文句なしなのだが、山川の髪はとんでもない形に固まりそうだった。

 手を繋いで入園門を抜けると、先生が詩音の胸にお花を付けてくれた。

「卒園おめでとう、詩音ちゃん。」

「ありがとう。」

擦っ薬の証。別れの証。旅立ちの証。その事を承知しているのかいないのか、詩音はいつもと同じ笑顔を絶やさなかった。初めてこの門を通った時とは正反対。さ、園児と保護者はここでお別れである。

「それじゃあ、詩音。お父さんはこのまま体育館に行くから。しっかりな。」

「うん、ばいば~い。」

詩音につられて軽く手を振る山川。今はその掌に隠れてしまう娘が、いつの日か遠い所へ旅立っていく。その最初の卒業が今日である。その最後の日は結婚か。それまでは元気でいなくてはなるまい。


 ポカポカ陽気のせいか、数台のでっかいストーブのおかげか、式場の体育館は覚悟していたほど寒くはなかった。だから右手の人差し指が小刻みに震えているのは凍えている訳でも、トイレに行きたい訳でもなく、緊張。別に山川が気を張る必要はないのだが、自身に落ち着け、落ち着けと暗示をかけている時点で、強張った身体が元に戻ることは期待できない。他の道筋を探さなくてはならない。サッカーの試合でもピアノの発表会でも、嫌という程の緊張を味わってきた。そして山川なりの解決策を見つけてきた―結局は慣れることが一番なのだが―消えない不安を最小化できるよう練習に練習を重ね、練習試合や規模の小さいコンテストで場慣れしたって、前夜に安眠できた(ためし)はない。ということは、今後山川がこの手の式典に平常心で臨めることはないということである。尤も、過緊張では困ってしまうが、緊張しているからといって普段の力が出せないとは限らない。本番に強いということは一種の才能であり、持たざる者にとっては喉から手が出るくらいに羨ましい特性である。

 ひとりひとり名前を呼ばれ、園長先生から卒園証書を手渡される。雰囲気が錯覚させているのか、壇上の園児達は一回りも二回りも立派に感じられた。大人びて見えた。旅立ちに心から、ひとりひとりに拍手を送った。新年度からの幸多き小学校生活を願った。およそ1年半の幼稚園生活を送った詩音だったが、行きたくないとごてることはほとんどなかった。美樹ちゃんという親友もできて、楽しい思い出の詰まった場所になったはずだ。先生、そしてお友達には感謝しかない。

 ところで詩音の奴、内緒にしていたな・・・・・・山川は思わぬ行事進行に含み笑いを隠せなかった。壇上で園長先生から卒園証書を受け取ると園児は振り返り一言、、将来の夢を発表するという演出が仕組まれていた。これが毎年の恒例イベントなのか、今年度の新しい取り組みなのかは分からなかったが、保護者の側だって気が気でない。自分の子供の順番が近付いてくると心拍数が急上昇。心して子供の一言を受け止めるのだった。

 皆、それぞれの夢を宣言した。男の子も、美樹ちゃんも詩音も。それだけで立派なのだ。今日はたまたま稀な例であって、別に大勢の前で大々的に発表することはない。胸の内に秘めていればいい。心の引き出しにそっとしまっておいて、必要な時に取り出せるようにしておけばいい。ただ、あんまり奥に押し込んでしまうと、どこに置いたか忘れてしまう。1度忘れてしまうと思い出すきっかけも見失いがちだ。だから、たまに引っ張り出して整理してあげるといいんじゃないだろうか。紙に書き出してみるなんて言うのもひとつの手だ。湯船の中で叫んでみてもいい。夢―それは大人になるにつれて忘れてしまう者。まるで昨晩見た夢のように思い出そうとしても思い出せない。いずれ夢を見たことすら忘れてしまう。現実の世界に夢を持ち込めればいいのに―叶わなくたっていいから。

 卒園式は無事に終了。そしてそのまま解散となった。山川にとっては意外な終幕で、淡白に感じられた。教室で先生方やお友達と最後の挨拶を交わすのかと思っていたが、このまま流れ解散という形が取られるようだ。大きな声では言えないが山川にとっては好都合だったし、幼稚園はそういうものなのかなと。緊張が解けたのか気が抜けたのか、取り戻して詩音の元へ歩いていく。有難いことに式後のクラスの食事会というものもなく、このまま帰宅ということになる。

「詩音、帰ろうか。」

「あ、お父さん。」

後ろからポンと肩を叩いて声を掛けると、くるりと振り返り、すくりと立ち上がった。涙はない。まだまだ、人との別れで感情的になる年齢ではないのだろう。毎週の朝礼の延長という認識かもしれない。ただ、『美樹ちゃんにさよならしたいな』。歩き出してから控えめに零した詩音。まだお昼前、特に急ぐ用事もない。

「じゃあ、探してみようか。」

まだ幼稚園児ということもあって、下の学年に見送られるということもない。歌も国家と園歌と合唱曲が1曲のみ。来賓の話も短めだった。園児の集中力が続かないのだろう。それでも人口密度は高い。果たして見つかるかどうか・・・・・・


 「美樹ちゃーん。」

あっさり美樹ちゃんを発見すると、いとも簡単に人混みを擦り抜けていく詩音。普段とは服装も髪型も異なる美樹ちゃんとお母さん、山川は後ろ姿では分からず、2人が振り返って初めて気が付いた。エスパーかなと思う。

「美樹ちゃん、卒園おめでとう。」

ちょっとおめかしをした美樹ちゃんはいつもよりお母さんに似ていた。お母さんに髪を綺麗に結ってもらって、しかもとても似合っていた。こりゃ間違いなく、お母さん同様美人さんになる。占い師ではないが、大人には時々未来が見えてしまうのだよ。見えて嬉しい、微笑ましい未来もあれば、できれば目を瞑っておきたい未来もあるが、子供達の未来に無限の可能性を導いてやるのが大人の仕事。それができないのであれば親を名乗る資格はない。

 さて。山川と青山さんが挨拶を交わしている間、美樹ちゃんと詩音も最後の時間を共有していた。

「詩音、ちゃん。私、の、こと、忘れない、で、ね・・・」

「うん。美樹、ちゃん、も、元気で、ね・・・」

両人共、涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。なんて言っているかもよく訊き取れなかったが、概ねこんな所だろう。抱き合う2人。大丈夫、決して遠い所へ行くわけではない。家だって十分に行き来できる距離だ。今生の別れとはなるまいて。とはいえ、こんな2人をすぐに引き離してしまうのは忍びない。時間を止めることはできないが、時間を稼ぐことはできる。

「美樹ちゃんは私立の小学校に行かれるのですか?」

「いえいえ、公立の赤城あかしろ小学校ですよ。」

それを訊いた山川は、ふふ・・・と、思わず鼻で笑ってしまった。もちろん誰もバカになどしていない。真意は、大人びていてもまだまだお子様ということだ。実に可愛らしい。山川がぽんと2人の肩に手を置いた。

「君ら2人、おんなじ小学校だぞ。4月からも同じ所に通うんだ。」

青山さんも思わず吹き出した。主役の2人が顔を見合わせ、しばしの沈黙が訪れる。まだお別れの時ではない。

「またヨロシクね~。」

また泣きながら抱き合ってしまった。これはもう少し時間がかかりそうだ。別に構わない、昼前だろうが昼過ぎだろうが、急く理由は全く持ち合わせていない。また同じクラスになれるといいな。

                                   

                                【さよなら、またね 終】

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