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あなたへ~山川と詩音  作者: 遥風 悠
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ナゼ、ナゼ、どうして? 終




 運動会当日、園庭は気持ちの良い日差しに包まれていた。プログラムは予習済みで、詩音の出る種目は10時30分からのお遊戯と、14時からの50メートル走。それと霊のお父さんリレーは12時から。午前の部の最終種目というか、おまけ種目というか。有志は11時50分に入場門へ集合だそうだ。人数が多い際には抽選なり、先着順ということだろう。これに漏れてしまったら仕方あるまいて。今朝も念を押してきた詩音も諦めるしかない。ちなみにコンディションは上々だ。タイムや体重を測ったわけではないので具体的な数字を求められると困ってしまうのだが、選曲したFMラジオにノイズが混じらないような落ち着きと安心感があった。そこそこの走りができる自信のあった山川。しかし今朝方、場所取りの為に園庭へ踏み入れて驚いた。こんなに滑るのか。そりゃ陸上競技場ではないのは百も承知している。とはいえ、カーブを全力で走ったら足を持っていかれてしまう。土というよりは、砂の上を歩いている感覚だった。

 ちなみに、お弁当も張り切ってみた。味もお品書きも恥ずかしくて人前に晒せないが、好きなアニメの弁当ならば詩音も非日常を味わってくれるのではないか。店のパートさんから頂いたアイデアだった。何でもキャラ弁というらしい。


 自分は敵地に乗り込んだのだろうか。誤算を痛感する山川だった。まさかこんなににアウェイの雰囲気に包まれ、言いようのない緊張を強いられるとは思っていなかった。場所を取った後は、することもなく独りで座っているだけ。閉園ギリギリに娘を迎えにいく山川だから、他のお母さんとのお付き合いもなく『誰々ちゃんのお母さん』という挨拶もできない。周囲に人が増えてくるほど、活気が満ちてくる程に孤独が増してくるのであった。いっそ敷物を畳んで後方で立ち見にしようかと心が折れかけたが、やはり詩音の晴れ舞台を間近で見たい。せっかく確保した特等席は譲らなかった。そんな父親の心境を知ってか知らずか、開会式の前に詩音が顔を出しに来てくれた。いやはやできた娘である。お父さ~ん、なんて叫びながら駆けてきた。

「ここでちゃんと見ているから大丈夫。皆の所に戻りなさい。」

いかにもなことを言った山川だったが、内心は救われたと安堵する情けない父親であった。

 

 午前中の詩音の出番はお遊戯。音楽に合わせてクラス全員でダンスを踊る。お手製のボンボンを両手に猫の耳を頭につけて、園庭のどこを見ても可愛らしい子猫ちゃんがぴょんぴょんしていた。ちょっと音痴な詩音さんだから踊りに一抹の不安を抱いていた山川だったが、無事に周りの友達と同じ動きをしているように見えた。ところで・・・あれだ。他の親御さんはどういった気持ちでお遊戯を見ていたのだろうか。どういった感情でいればいいものか。正解がいまいち掴めない山川であった。曲に合わせてというよりは、回りの手拍子に合わせて手を叩いてみたが、それで良かったのだろうか。正直徒競走みたいな競技の方が応援し易い。演目はどうにも拝見の仕方が難しかった。やれやれと、盛り上がる園内で冷笑する山川であった。

 午前の部の締め括りは例の『お父さんリレー』。参加者募集の放送が流れると同時に詩音が物凄い勢いで帰ってきた。とってもお腹が空いた、という訳ではない。ニカッと不敵な笑みを浮かべると、山川が靴紐を結ぶのも待たずに腕を引っ張って入場門へ連行するのだった。

「お、おい詩音。分かった、分かった、分かりましたから・・・お~い、詩音さ~ん・・・」

「早く、速く!リレーが始まっちゃうよ。」

「そんなに慌てなくても・・・ほら、靴が・・・」

群衆を◯き分けるように突き進んでいく2人が入場門に到着すると、先生がお父さん達を4つのチームに分けていた。

「リレーに出場して頂けるお父さんはこちらにお願いしま~す!」

「はい、はいっ、はーい!!」

『はい』は1回と教えたことはなかったろうか。退路は完全に断たれてしまった。いよいよ腹を括った山川が前へ進み出た。

「すみません、リレーに参加したいのですが―」

「ありがとうございます。それでは白チームのアンカーになります。頑張って下さい。」

え・・・括った腹がバラバラと分解されていく気分だった。とはいえ、もう引っ込みはつかない。

「じゃあ、行ってくるな。ちゃんと席に座っているんだぞ。」


 「お待たせ致しました。只今より午前の部の最終種目、『お父さんリレー』を開催いたします!」

毎年の恒例イベントなのだろう、(こな)れた放送が会場を盛り上げる。この待機時間を利用してウォーミングアップとまではいかないまでも、関節を解し、ストレッチを済ませた山川。

「やる気満々ですね。」

「怪我だけしないようにと・・・久し振りに走るものですから。」

抜かりはない。

 チーム数は4。赤・白・青・緑の各チーム6人のお父さんがバトンを繋ぐ。そして幸か不幸か白チームのアンカーを任された山川。

「選手、入場ー!!」

先生に誘導されて、ゆっくりと園庭を1周する24人のお父さん。その間、子供の姿が目に入る。昼休憩中、園児は家族と一緒に昼食を摂るのだが、みんな弁当さて置き、敷物の上から大声援を送っていた。自分の父親が出場しなくとも「○○ちゃんのお父さ~ん」なんて声も訊こえてくる。対して山川にはたったひとりの応援しかない・・・と思いきや、○○の中に詩音の名前が入っているではないか。ちらりと自分の席に目を遣る山川。そこでは詩音と数名の友達が敷物に立って声援を送ってくれていた。驚きと闘争心と、安堵。良かった、みんな靴は脱いでくれていた。

 名物イベントということは肌感覚で伝わっていた。異様、異常を通り越して危険、恐怖を覚える程に盛り上がる午前中最終週種目。静寂に包まれたのはスタートの時だけで、発砲を合図に声援が蘇る。その地鳴りのような振動が伝わるのは鼓膜だけではない。琴線を揺さぶられたお父さん達は冷静を装いながらも本気モードに入っていく―男子たる者、黙して敗北を認めてはならない。最善を尽くすことに疑いを持ってはならない。相手の実力を認めることと、諦めることの違いを肝に銘じよ―事情や動機は各人あれど、参加を決めたということは走りに全く自信がないという訳ではなかろう。運動が大の苦手というお父さんはさすがに遠慮するはずだ。そのせいもあってかレースは序盤から接戦、白熱した。4チーム共につかず離れず、縦一列の一塊で展開した。幼稚園の園庭ということでストレートは短く、カーブは急。全力を出すことが難しく、追いつけ追い越せの仕掛けにくい特殊ともいえるコースをひとり1周。バトンが引き継がれるごとに幾らか声色は変化するも、歓声が止むことはなかった。

 あくまで激走しているのは大人であり親であり、プロの競技者ではない。全力で追い抜きにかかるようなことはしない。そもそも狭く短く、抜きにくく勝負し辛い園庭のコースではいいとこ七割程のスピードしか出せまい。それでいいのだ。どんなに盛り上がり熱気を帯びようとも、あくまでデモンストレーション。大差なく山川達にバトンが渡され、何事もなくゴールして昼休憩に入れば問題ない。穏やかに午後の部へと進行すれば大人リレーの結果など誰の記憶にも残らないのだ。けれどもそこは一人の男。一人の親。アンカーに近付くにつれて気持ちは高ぶってしまう。さらにレースが終盤ともなれば子供達も限界まで声を張り上げる。歓声よりも絶叫に近い。さらにさらに実況の先生も煽る煽る。各チームほとんど差なく、アンカーにバトンが渡された。盛り上がりも最高潮である。

 白色のたすきを掛けた山川は最後尾、最も外側のレーンでバトンを受け取ったが、トップとの差はほとんどなかった。決着はアンカー勝負へ。脱落した色のない、全てのチームに1位のチャンスがあるというこの上ない展開となった。ただしこのコースでは―直線が短くカーブがきつい―先頭に補助魔法がかけられる。コーナーで抜き去るのは至難の業、勝負所の直線も仕掛け辛い仕様。下手に突っ込めばカーブを曲がり切れない。追い駆ける側は焦れて、逸る。トップの背中は見えている所か手を伸ばせば届く距離。だからこそ、先頭を走るランナーには魔法を相殺するに相当するプレッシャーが襲い掛かる。後ろが見えずとも、各チーム差がないということは百も承知、足音や息遣いも耳に届いているはずだ。その分、大声援は訊こえなくなってしまったか。前を走る3人の様子を冷静に伺いながらついていく山川。速さに余裕はある。勝負はストレート。それはレースの盛り上がり云々を考えてということではなく、単純にカーブで抜きに行くのは悪手。特にこのグランド、このコースでは。

 レースは多くの者にとって意外な形で幕を閉じた。歓声が悲鳴に・・・最終コーナーで先頭ランナーが足を滑らせ転倒。その拍子に2位と3位のランナーを巻き込んでしまった。3人を包み隠すカーテンの様に乾いたグランドの砂埃が舞う。そして悲鳴は再び勢いを伴った大音声(だいおんじょう)へ、レース1番の盛り上がりを見せる。最後尾の山川がジャンプ一本3人を飛び越え、そのままゴールテープを切るのだった。最後は走者全員を温かい拍手が包み込む。傍から見ればラッキーが転がり込んできたように見えただろうが、山川にはその方が好都合だった。


 「お父さん!一等賞だー!!」

敷物の上から詩音が抱き着いて迎えてくれた。周囲より一回り小さい2人用の敷物なので、あまり暴れると外にはみ出てしまう(というか、山川は敷物に上がらせてもらえていない)。山川は興奮する詩音をなだめながら

「運が良かった。前の人達が転んじゃったからラッキーだったな。」

「ぴょ~んって跳んでた。カッコよかったー。」

悪い気はしない山川であったが余韻に浸っている暇はない。冷めやらぬ詩音を座らせて弁当の準備に取り掛かるのだった。そしてここでも、ひとつ学習させられる山川。準備不足を指摘されたようで、上がった熱が一気に下がってしまった。

 特に他人様のそれを覗いた訳ではないが、そういえばそうだったと分からせられるのだった。おせちの御重みたいな弁当箱からフタやら紙皿を使って取り分けるのが運動会の昼食風景。いつもと同じ弁当箱をキャラ弁に仕立て上げて、娘の反応を楽しみにしている場合ではなかった。別々の弁当箱で各々飯を食って何が楽しい。そうじゃないだろう。ピクニックで何を学んだのやら。

 恥ずかしいやら情けないやら、申し訳ないやらで自信を喪失した中で取り出した、代わり映えのしないつまらない弁当箱。そこに彩りを添えてくれたのは他ならぬ詩音だった。

「うわぁーーーーー!!」

小さく何の変哲もない弁当箱を開けた詩音が、回りにも訊こえる声量で感嘆の声を上げるものだから笑われるは、お友達も覗きにくる始末。あれよあれよと5人、6人とお友達に囲まれる詩音。戸惑う山川そっちのけで会話が進む。詩音ちゃん、いいな~、お父さんが作ってくれたの?うん、えへへ~・・・の遣り取りに油断すると涙ぐみそうになる山川。キャラ弁を褒められたからなどではない。詩音が友達と会話する。詩音の回りに輪ができる。詩音の瞳がへの字に曲がる。それだけでもう、言葉にならなかった。

 

 「どうした詩音、食べないのか?そりゃ、おいしいかどうかはあんまり自信ないが―」

「もったいない。」

「え?」

「もったいなくて食べられな~い。」

にんまり笑顔の詩音に対して

「また作ってあげるから。しっかり食べないと午後の部で元気が出ないぞ。」

ぶっきらぼうな山川。もちろん表面上は照れ隠し、心の中では渾身のガッツポーズである。努力は報われない。無駄に終わる。意味がない。誰もが繰り返す葛藤の中で結実した際の歓喜。しかもここ一番でということになれば、その輝きも一入(ひとしお)

 「これは?」

「さくらでんぶ。」

ぱく。

「こっちは?」

「黒豆。」

もぐ。

「この変なのは?」

「錦糸卵。」

「おそばみたい。」

ズルズル。

「これは・・・」

「ごはん。」

「知ってる~。」

こんな感じで昼休憩を終えるのだった。




 楽しい運動会だった。そして1つの発見があった。どうやら詩音は足が速いようだ、とっても。確かに先生方が詩音ちゃんはかけっこが得意なんですよなんて話してくれたことがあったが、年がら年中駆け回っているくらいにしか受け取っていなかった。もしかしたら、お転婆が過ぎるという皮肉かも、とも。そんな邪推も吹き飛ばす徒競走だった。我が娘ながら、他の女の子とは加速も最高速もまるで別物だった。ヨーイ・ドンとスタートしてから声を掛ける間もなく、ぽかんと口を開けている内にゴールテープを切っていた。他の親御さんに流されるように拍手をしていた。


 「詩音がこんなに足が速いなんて、お父さん知らなかったぞ。」

帰宅して風呂に湯を張っている最中にようやく感想を述べられた山川。さすがに外で娘を褒め千切る訳にはいかず、ようやく思いを告げられた、なんて書くと誤解を招いてしまうか。山川としてはえへへ~という反応を期待していたのだが、詩音の応答は意外なまでに現実的で、驚く程に未来志向の希望だった。

「だってお父さん、何も訊いてくれないんだもん。」

「・・・・・・」

「あと、お父さんのことも教えてくれないし。お父さんがサッカーやってたの私、知らなかったもん。もっと色々教えてほしいな。」





 運動会を機に最も大きく変わったこと。それは山川が再びフットサルに参加するようになったことでも、詩音がひとりでお留守番をできるようになったことでもなく、会話のキャッチボールが増えたこと。山川が詩音に色々尋ねるようになったこと。ただ感想を垂らすに留まらず、山川からの質問が圧倒的に増えたのだった。そして嬉しそうに答える詩音。間違ってもウルサイとかシツコイ等とは返さない。そして釣られるように、いや、許可されたように詩音も沢山の疑問を投げかけるのだった。山川だって喜んで応じる。それでも詩音が決して口にしないこと。どうしてと訊かないこと。それはいつの日にか、山川が明かさなければならないこと。詩音自身のこと、そして母親のこと。

                                      

【ナゼ、ナゼ、どうして? 終】

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