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あなたへ~山川と詩音  作者: 遥風 悠
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ナゼ、ナゼ、どうして?①

 仕事の棚卸などと称してやるべきことを書き出してみる。山川を例にとろう。出勤したら、まずは乳飲料と冷凍食品の品出しが待っている。9時半に開店したら、休む暇なく一般商品の納品処理をしなくてはならない。それが終わったらドリンクの補充。11時からの簡易ミーティングに参加して、打ち合わせが済んだら発注業務に追われる・・・・・・逃げ道を遮るようにやらなくてはならないことが盛り沢山である。ここに追加業務や臨時業務が加わってくる。キャパシティが満杯に近付くほど、余裕が消失していく。

 一方で詩音の繁忙ぶりはこうだ。お絵描きして折り鶴作って、歌の練習をしてさくらんぼを食べて、遅くまで起きてテレビを見て―楽しいこと、嬉しいことしか出てこない。その表情と内容は全くの逆。to do listを書かせてみれば指折り数えるように笑顔が増えていく。だから遮断機の待ち時間ですら、楽しみを後に取っておく有益な一時なのかもしれない。。楽しみが膨らんでいく幸せな警報音なのかもしれない。

 ということで、帰宅してからの詩音は大忙しだった。手洗いとうがいをささっと雑に済ませると、山川が注意する間もなく画用紙を引っ張り出した。いつもであれば見る見ないに関わらず付けるテレビも真っ暗なまま。(せき)を切ったように猛烈な勢いでクレヨンとクーピーを動かしていた。晩御飯の準備に集中できるのは助かるのだが、遠目からでもクーピーを2、3本へし折っているのが分かってしまった。ただそれでも、詩音の動きが止まることはなかった。

 食後のデザートはさくらんぼ。おいしそうに10個を平らげると、種を皿の上で綺麗な円形に整えて満足したようだ。

 その後、風呂場では幼稚園で習ったという歌の練習。エコーも効いて我ながら上手に訊こえたのだろう、何度も繰り返してはご満悦の体だった。(ちなみに詩音ちゃん、歌はあんまりうまくない。ちょっと音痴だったりする・・・)。締め括りは、夜9時からのテレビアニメスペシャル。普段は9時までに布団に入るのだが、今日に関しては前々から約束していた。尤も放送終了の11時までもつはずもなく、10時頃には座ったまま夢の中。大丈夫、ビデオに録画してあるから明日ゆっくり見るといい。そっと布団へ運ぶ山川であった。

 チャンネルをニュース番組に変え、落ち着きを取り戻した部屋で一息つく山川。椅子に腰かけ、冷めた緑茶を飲み干した。今日の詩音は歌うように忙しい、大変と口にしながら、実に楽しそうに仕事をこなしていた。そうでなくてはならない。忙しいとは幸せであることを忘れてはならない。働けることがあり難いということを決して疑ってはならない。そしてどのみち忙しいのであれば、その多忙さが魅力的な方が、詩音みたいに瞳を輝かせて取り組むことができる。忙しさが心地良さへ繋がるのだ。

 そしてどんなに慌ただしく落ち着かない、気の休まる暇もない日々だって、振り返れば一瞬。どんなに無駄な待ち時間も、思い返せば無きに等しい。思い返す機会すらないかもしれない。その先に待つ思いは後悔か、それとも合点納得か。未来の山川に、今の暮らしはどのように映るのだろうか。

                                                   【疾うに、夙に 終】




【なぜ、なぜ、どうして?】

 卒園まで半年という頃から、急に詩音が料理に目覚めた。女のことはそういうものなのだろうか。それとも山川の献立に愛想が尽きたのか。仮にそうであっても、残念なことに先生は山川しかいない。まずは台所に立つ山川のお手伝いから始まるのだった。卵を割ったり、人参やじゃがいもの皮を◯いたり、ボールの中でシャカシャカ混ぜたり―そんなお飯事(ままごと)では満足しなかった。よほど山川の料理に不満があると見える。そりゃ、世のお母さんみたいにおいしく、レパートリーも豊富という訳にはいかないが、料理本は買ってみた。勤務先の女性陣に献立を教わったり、総菜コーナーのおかずを参考にしたり、テレビ番組のレシピをメモしたりと、山川なりに努力はしていた。となるとやはり自分にセンスが欠けているのだろうかと自問するのだが、そうではないのだ。それ以前に「さしすせそ」の調味料が揃っていなかったり、時間短縮に重きを置いて出汁も取らなかったり、勤務先のスーパー以外でほとんど買い物をしなかったり・・・・・・その上、調理器具だってフライパンが1つだけ、グリルシステムなし(魚が焼けない)。土台、根本に課題が埋もれていることに山川が気付かない限り、腕が劇的に上昇することはないのだが、本人は知る由もない。気付く可能性があるとすれば、娘の方が高いだろう。




 とある晩のこと―ここで山川の趣味というか、特技について少々―山川は小学校1年生からサッカーを始めたのだが、クラブチームに入った経緯は覚えていない。サッカーなんてプロリーグもなく、テレビ中継だって年間通して片手で数えられるくらい。クラスの男子だって野球少年の方がずっと多かった。新聞見たって野球ばかりでサッカーの記事なんて載っていない。昼休みにバスケットバールやドッジボールで盛り上がった記憶はあるが、サッカーが話題や遊びの中心になったことなどあっただろうか。そう考えると、ますます何がきっかけでサッカーを選んだのか分からない。ただ人気とか将来とかいう雑念に振り回されることなくボールを蹴っていたせいか、中学校の部活動では世田谷区の地区大会で優勝。その後の東京都大会でもベスト4まで進出した。山川が1年生の時で、山川は1年生の時からレギュラー、チームの中心だった。否。正確には、1年生の時はチームの中心だった。紛れもなく山川がチームを都大会ベスト4まで導いた。経験値の差もあったと思うが、サッカーが山川に向いているスポーツということも大きかった。けれどもその後、進級してからは自身と周囲の期待とは裏腹に、サッカーに苦しむ時期が続いた。

 鉄欠乏性の貧血。三十半ばの山川がいまだに歯ぎしりすることがあるほど、貧血のなかった世界線を歩きたかった。大なり小なり、努力の報われる瞬間を経験したかった。プロサッカー選手になってサッカーで飯を食っていくとか、全国大会を目標にしていたわけではない。それでも、体が言う事を訊かない苦しみは精神的にも山川を追い込んだ。いつから発症していたのかは、はっきりしていない。いつの間にか体力がなくなっていた。異変を感じたのは長距離走でタイムと順位が伸びなくなってから。違う、そんな生易しいものではない。急降下した。最下層まで朽ち、凋落した。

 中学の部活動では週に1度は30分間走が行われるのだが、山川は1年生ながら上位に食い込んでいた。時には上級生を差し置いてトップで駆け抜けることもあった。短・長関わらず(200メートルとか400メートルの中距離走はしんどくて嫌いだったが)走ること、体を動かすこと、汗を流す事が好きだった。それがあろうことか、30分間走り続けることができなくなってしまった。極端にペースが遅くなったり、歩きだしたり、止まってしまったり。上位は愚か常に最下位を走っていた、場合によっては歩いていた。

 調子が悪いのか、体調が悪いのか―自他ともに山川の体を心配していた、最初の頃は。山川のサッカープレイヤーとしての記憶が鮮明である内は。

 中学を卒業するまで体が元に戻ることはほとんどなかった。絶不調の時は学校の階段を昇るだけで息が上がり、体育の授業ですらついていくのがやっとという有様。たかが体育程度の運動で疲れ果て、給食も喉を通らない。お盆ごとひっくり返したい衝動を食事の代わりに飲み込んでいた。思春期が邪魔して親に相談しなかったことが最悪の選択だった。努力と気合と根性、そして独力で達成できることは実はそんなに多くないと、高すぎる授業料で痛感させられた。

 好転永き道なれど、悪化丸石(まるいし)が坂道を転げるが如く。周囲の目が変わるまで、さして時間はかからなかった。手抜きやさぼりの嫌疑をかけ続けられた、子供からも大人からも。中学の部活動といえど競争の世界、それとも山川の人徳が欠落していたのか。部内で山川と支えてくれる友人は数名だけだった。顧問の先生からは、毎日のボール磨きを言い渡された。今思い出しても、何の意味と意図があったのかは知りたくもないが・・・・・・


 血液中の赤血球が足りないということは、体内に供給される酸素の量が少なくなる。毎日コツコツ走り込んで強化された心肺機能が無力化される。日頃のトレーニングが意味を持たなくなる。無知なる者の無理強いの行使で命に関わることもある。高校に上がって病状が判明し、医者に診てもらった際にはこっぴどく説教を受けた山川であった。

 誓って言うが、好き好んで練習で手を抜いたことなどない。長距離走をさぼっていたわけではない。小学校のクラブチームでは、チームを引っ張る立場にいた。酸素が足りないということは頭がぼんやり霞が掛かったみたいになり、呼吸が激しく乱れ、日によっては足首や膝関節に痛みや痺れが生じる。こうなってはサッカー以前の問題で、歩く度に足に違和感を感じる。陰口を叩かれ、部内カースト最下層に転落してまで。練習で手を抜く人間がいるものか。いつか体が元に戻ると信じて、己の技術やイマジネーションに体が付いてくることを願って、サッカー部に居座り続けた。レギュラーとか2軍とかは関係ない。友達と大好きなサッカーができれば良かった。ボールを蹴っていれば他人の評価など気にならない―そう思っていた。けれどもその信念は間違っていた。偽りだった。嘘だった。逃げ出すように、部活に出なくなった。


 「どうして今頃こんな夢を見ている、馬鹿め・・・・・・」

目覚まし時計が鳴るよりも早く、古い学生時代の悪夢で目が覚めた山川。上半身を起こし、髪の毛をかき上げ息を吐いた。眠気は飛んでいて二度寝に落ちる心配はなかったが、爽やかな目覚めとは言えない。しかもこの夢、肝心なところが欠けていた。これではただ俺が惨めなだけだ。最後の復讐劇が抜けているではないか。

 社会人になってからも仲間達とフットサルを続けていたが、詩音と暮らし始めてからはほとんど参加していない。ボールを蹴る所かまともな運動もできていない。完全な運動不足である。元々痩せ型で現在も腹は出ていないが、6つにくっきり割れていた腹筋は随分と衰えてしまった。筋トレもさぼってきたから当然の報いである。仕事柄、店内を動き回ったり荷物を運んだりすることが多く、通勤には自転車を使っているとは言え、絶対的な運動量が足りていない。手遅れな夢を見させられたことに腹を立てつつ、弾力を増した自分の腹を擦りながら隣の布団で眠る詩音に目を遣った。無論、後悔などあるものか。

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