疾うに、夙に③
帰り道。電車を待つ10分の間に詩音は夢の中へ。駅の椅子に座った途端にうとうとし始め、まずいなと思った数秒後には寝息を立てていた。誰某ちゃんとサンドイッチを食べている夢でも見ていてくれれば幸いである。電車が来てから小さなリュックを肩に掛け、娘を抱っこする。両手の塞がった状態で初めて気が付く段差の怖さに注意しながら電車に乗り込んだ。車内で席を譲られたが、優しさに感謝しながら1駅ですのでとお断りをした。本心は、座ったら寝過ごす自信があっただけで。それにまだまだ軽い。寝落ちして全体重を預けられても持ち堪えられた。俺もまだまだ若いと自負する山川であった。
夕食の支度中に目を覚ました詩音。
「もうちょっとでご飯できるから、自分で遊んでてな。」
「ふぁう・・・」
はいと言ったのか、うんと答えたのか聞き取れなかったが、二度寝してしまいそうな声色だった。それでも、隙を見て覗いてみればちゃんとお絵描きを始めていた。詩音は絵を書くことが好きで、毎日何かしらの絵を描いていた。鉛筆だけの時もあれば、クーピーやクレヨン、色鉛筆で熱心に仕上げることもある。B5サイズの自由帳と、もう少し大きめの画用紙は毎月1冊ずつなくなっていく。
大学まで通っていたピアノ教室の先生がこんなことを言っていた。芸術には大きく分けて2種類あるの。ピアノのように姿や形をその場に留めることなく、曲や踊りを奏でるもの。もうひとつは絵画のように同じ姿でその場に存在するもの。
今日会った楽しい出来事を、ずっと忘れることなく残しておきたい。今日という日がもう一度やってくるとはないと知っているから、日記のように絵として記録することで、目に見える形で振り返れるようにしたい―なんて、子供の描く絵にそんな大それた思いが込められているはずがない。単に絵を描くことが好きだから、このキャラクターが好きだから、気持ちが落ち着く、暇潰し。こういうケースがほとんどだろう。もしくは、何の意図も目的もなく、息をするように筆を動かしている。けれども、もしも仮に、楽しい記憶や美しい思い出がいずれは薄れ、忘れ去ってしまうものだと本能的に悟っている子供が、時間を1枚の画用紙に閉じ込めようとしていたとしたら、どうだろう。遠い未来から振り返る為に・・・・・・・・・なんていうテレビ番組が昨日やっていたのを思い出した山川であった。ちなみに山川、絵は大の苦手で小学校1年生から全く上達していなかった。
ピクニックから数日後の事。仕事を終え、娘を迎えにいく途中の山川は物も見事に足止めを喰らっていた。時計の針は既に5時を回っている。仕事は定時で終えた。事故かトラブルかは不明だが、ダイヤを乱す何かがあったのだろう。山川の他にも沢山の待ち人が行列を作っていて、車も渋滞していた。それだけでも結構な時間カンカンカンカン鳴り続けていた証拠だし、山川が引っ掛かってからもかれこれ15分間は遮断機が下りたままだった。車はちょっと無理があるが、一瞬でも遮断機が上がってくれれば歩行者は抜けることができるのに、そのチャンスがやってこない。そこにいる全ての大人がイライラしていた。時間の無駄以外の何物でもなかった。そして待つことしかできなかった、車に乗っている人間は。山川達みたいに徒歩で待つ人間にはもうひとつの選択肢が残されていた。普段は姿も見せず埋もれているくせに、都合が悪くなると次第に頭角を現す解決策。停止した時の中で一人の男性が堪らず遮断機を潜った。道路を渡る際みたいに首を振り、危険を訴える警報を背に安全を確かめると竹竿を持ち上げ、小走りで踏切りを抜けていった。咎める者はいない。それどころか隙をついて次々と人が通り抜けるようになり、その中に山川も紛れていた。
「すみません、遅くなりました。」
そう言いながら頭を下げる山川を、ばっちり帰り支度を済ませた詩音が迎えた。
「ごめんな詩音、遅くなっちゃった。」
「ううん、平気。」
笑顔で首をブンブン振るから、肩までの比較的短い髪の毛でもぼさぼさに乱れてしまう。さっと手櫛で整えてやり、詩音の手にあった帽子をちょこんと被せ、先生方に挨拶をして園を出た。この一連の遣り取りで先程までのイライラなんぞ吹き飛んでしまうのだから、世話はない。ついでに閉じた踏切りを突破してきた罪悪感も、この短時間で頭の片隅に追いやってしまった。しかししかし、そんな親バカ山川を現実世界に呼び覚ますカンカンという警報音がうっすらと訊こえてきた。またか、なのか・・・まだか、なのか・・・山川の顔が曇る。耳からの情報を目で見て確認、幼稚園からの帰り道でもまた、遮断機が立ち塞がっていた。絶句する山川に対してカンカンカンカンカーンと音に合わせて歌い始める詩音。朝もそうだが、何かとやることの多い夕方の通せん坊も困ったものである。
踏切り待ちの車を確認すると先頭の車両は代わっていたが、渋滞は解消されていない。一瞬上ってすぐにまた降りてきたのだろう。歩行者は一気に抜けられるが、車はそうもいかない。お迎えも済んで、ひとまず焦る理由は無くなったはずの山川であったが―家に着いたら風呂に湯を張りながら夕飯の支度をして、娘の連絡帳を呼んだら、翌日の売場変更の棚割りを作ってしまいたい―ざっと思い浮かべるだけでも目白押し。踏切り待ちに時間を削られていいはずはなかった。詩音に悟られぬよう浅い溜息をついた山川がふと隣を見れば、違和感を覚えるほどに詩音の目が夢中に通過列車を追い駆けていた。見慣れた光景で、特に物珍しいはずはない。時たま朱色のロマンスカーという特急列車が走るのだが、それすらも見飽きているはずだ。少なくとも山川の興味を引くことはない。仮に真っ黄色の工事車両が通過すれば、おっ、と思うかもしれないが、それは終電後の話。いつもと変わり映えしない、正真正銘の無駄な時間に過ぎなかった。
その晩、夕飯を食べながら呟いてみた。
「小田急線の踏切りは下がりっ放しだったな~。嫌になっちゃうよな~。」
「ん~~~?」
独りごとなのか自分に話し掛けているのか分からない詩音は、夕飯のカレーを頬張りながら微妙な反応を示すしかなかったが、山川の目が自分に向いていることに気が付くと、口の中の物を飲み込んで意外な感想を口にするのだった。
「朝も夜も電車の中はギュウギュウなの。ドアに人の顔がね、ムギューってなってるの。」
スプーンを置いて、両手で自分のほっぺを押し潰す詩音。
「電車の中で『助けて~』って叫んでるの。」
そう言って、またムギューっと独りで盛り上がっていた。縦に伸びても可愛い娘の顔を見て苦笑いする山川。忘れられたスプーンを手渡して、食事を続けようと促した。さすがにカレーであれば味は問題ないはずだ。しかし、詩音はそんな所をそんな風に観察していたのか。電車の乗客がよほど窮屈に見えたのだろう。
仕事の控えている朝の時間帯も然ることながら、夕は夕とてやらなくてはならない雑務が山積みだ。風呂を沸かして飯を作って、連絡ノートを確認したら洗濯物を畳んでしまおう。洗い物も片付けたら詩音を寝かしつける。その後、自分も風呂に入ったら朝読めなかった新聞を読んでしまう。そうそう、今日中に特売の発注数を決めて、シフト表を作って、業務日報が2日分溜まっていたっけ。ちゃっちゃと終わらせて6時間は寝なくてはならない。そう、なんだかんだ言っても、結局はこの最後の項目が大事なのだ、人間だもの。立ち仕事が基本だから多少の睡眠不足は動き回って解消できるが、眠気に襲われてばかりではいい仕事はできない。睡眠時間を確保する為にも、無駄に長時間の足止めを食う訳にはいかないのだ。
食後。
「詩音だって、踏切りでいつまでも待たされるのは嫌だろう?」
うん、という答えを導くように質問を投げた山川と、見事に裏切る詩音。そして思い知るのだ、己の愚かさと、浅はかで何も分かっていないことを。死にたいくらいに後悔することになる。
「踏切りなんてすぐ開くもん。独りじゃないし・・・」
胸の締め付けられる思いだった。呼吸が止まり、目の焦点が合わなくなった。自分で自分をぶん殴る程度では物足りない。夕方にやっているプロレスのレスラーでも呼んできて、頬を2、3発張って欲しかった。風呂場で冷たい水でも被ってこようかしら。世界中の子供達に指を差されながら笑われてしまう。な~にが待ち時間が長いだ。毎日娘を独りで待たせている輩が、どの面下げて吐き捨てているのか。
吹っ切りたい時、気持ちを切り替えたい時、山川はドミノ倒しをする。詩音は部屋の隅っこで、ニコニコ・ハラハラしながら両手で口を押さえている。一緒にと積み木を渡そうともしたが、首を横に振られてしまった。夕食後、詩音のおもちゃ箱をひっくり返してドミノを始めた。危うくという場面もあったが、どうにか完成。詩音にちょんと押してもらい、無事に全てが倒れてくれた。
翌日の事。ついていない時というのは不運が重なるもので、開かずの踏切りに連日邪魔される山川。本日も詩音を迎えにいった園からの帰り、見事にはまってしまったが、目的を果たしていたので焦ることはなかった。娘の手を握って大人の余裕を見せるように構えていたのだが、そういう時に限って詩音がもじもじしている様子が手から伝わってきた。この場合には話が変わってくる。いわゆる緊急事態という奴だ。手段を選んでいる暇はないかもしれない。
「どうした詩音?トイレか?」
答えによっては幼稚園に戻ることや強硬策も考えたが、尋ねた山川に首を振る詩音。安堵する一方で疑問も生まれる。ならばどうしてそんなに落ち着かないのか。何をそんなにソワソワしているのか。その答えこそが詩音と山川の違い。子供と大人の差。悲しいかな、山川が失い、いずれは詩音も失うであろう心の形である。
「あのねー、今日は忙しいの。」
警報機や列車通過の騒音に負けない声の大きさで詩音が訴えた。
「お仕事がた~くさんあるの。」
頭上からお腹あたりを直径とした円を描いて『た~くさん』を表現する詩音。
「お仕事?」
「うん。えっとね・・・お家に帰ったらね・・・今日習った折り紙の『鶴』を折るでしょう。あ、鶴の絵も描きたいな。お父さん鶴の写真ある?」
「え・・・さ、探してみるよ。」
「うん。それとお風呂でお歌の練習をして、9時から映画を見るんだ。」
帰宅してからの多忙極まる状況を喜々として報告する詩音。
「そりゃ大変だ。あ、そうそう。詩音の好きなさくらんぼを貰ったから食後のデザートにしような。」
「うぇへへへへ・・・また忙しくなっちゃった。」
笑い方が変になるくらいに嬉しそうな詩音であった。
鶴の資料に心当たりのない山川。一応探してはみるが、絵本でも漁ってみるか。『鶴の恩返し』があったような、なかったような。渋い顔になる山川であった。