06:侯爵令息デイビーからの求婚①
「神殿で何をお祈りしていらっしゃったんですか?」
神殿からの帰り道の馬車でのこと、侍女のリリーが不安げな顔で尋ねて来ました。
わたくしは女神を信仰してはいましたけれど、今まで教会に赴くのは神の力を借りなければならない時だけと決めておりましたの。ですから彼女も、これからわたくしが何かを行おうとしていることを察したのでしょう。
けれどわたくしは笑顔でかぶりを振り、誤魔化すことにいたしました。
「昨晩、ラーダインとの婚約を破棄をしたでしょう? ですから女神様が怒っていらっしゃるのではないかと思って、謝罪をいたしておりましたのよ」
「確かに、仮にも将来を誓い合った相手と縁を切ったわけですからね。……でも、そもそもどうしてラーダイン様との婚約を破棄なさったんです? アイシャ様とラーダイン様、とってもとってもお似合いのお二人だったじゃないですか」
不思議そうな顔をするリリーの無垢な青い瞳がじぃっとわたくしの方を見つめて来ます。
その視線を受け止めつつ、わたくしはできるだけ平静を装うことを務めました。リリーがわたくしの本心を見透かしているのではないかと思って震えたのは内緒ですわ。
「夜会で言った通りですわよ。別に裏はございませんわ」
「ならいいんですけど。……もしも何かあったらリリーに相談してください。リリー、アイシャ様の力になりますから」
リリーの温かい言葉に思わず絆されそうになります。
ラーダインを自ら切り捨てた今、わたくしにこんな優しい言葉をかけてくれるのはきっともう彼女だけでしょう。ですがわたくしは、今ばかりはそれに甘えることは許されませんの。
「わかりましたわ。大丈夫、ですから」
――今も胸が張り裂けそうなほどの悲しみでいっぱいであるということを、表情に微塵も出さずにいることはできているでしょうか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ヴォルール侯爵家からお手紙、ですの?」
「はい。でも変ですね。宰相様なら直接アイシャ様に用件を言いにいらっしゃったらいいのに。アイシャ様、読まれます?」
「もちろん読みますわ。一体何のご用かしら」
王宮へ戻ると、一枚の手紙が届いておりました。
それはオネット王国の現宰相の家であるヴォルール侯爵家からのものでしたわ。宰相は常に王城に出入りしているはずで、わざわざ手紙とは珍しいですわね。
わたくしが茶封筒の封を開けると、そこに入れられていた便箋には信じられないようなことが書かれておりましたの。
「――ヴォルール侯爵令息との、婚約」
ヴォルール家の長男、デイビー・ヴォルール令息。
彼をわたくしの婚約者にしてくれないかという、とんでもない話だったのですわ。
まだわたくしがラーダインへ婚約破棄してから一日しか経っておりません。
なのにこんな話が持ち上がるだなんて……早すぎるにもほどがありますわ。それに、そんな非常識極まりない申し出にも関わらず、すでに陛下がお認めになっているということが解せませんでした。あの陛下は仮にもわたくしの父。婚約をお決めになるのは陛下だということはしっかり心得ているつもりですけれど、少しくらいわたくしの意思を尊重してくださってもいいのではないかしら。
陛下はヴォルール侯爵家との婚約に賛成とのこと。つまり、わたくしさえ認めてしまえば婚約が正式に成るわけで。
「わたくしはまだ、悲しみの最中ですのに。……こんな無礼極まりない婚約、たとえ陛下公認であろうともぶち壊しにしないわけにはいきませんわ」
「アイシャ様、でも、ヴォルール家はいい家じゃないですか。ペリド公爵家とあれになった以上、関係を結んでいた方が」
リリーの言葉はもっともなもの。そう、この先起こるであろうことを知りさえしなければ。
「ヴォルール家がどんなにいい家柄であったとしても、わたくしは受け入れるつもりはございませんの。……とりあえずお見合いをいたしませんとね。その旨の手紙を書きますから、リリー、便箋をくださいな」
「はいっ!」
陛下公認の婚談をどうやってなきものにするかの考えは、すでにありますわ。
夜会であれほどの醜態を晒した後ですもの、多少の奇行をしたってそこまで変には思われないはずです。ですかわざと不躾な言動をし、デイビー・ヴォルール令息のその気を失せさせる。元々、彼がわたくしによくちょっかいをかけて来ていたものですから、この婚約がただの政略でないであろうことはわかっておりますの。相手のその気を失くさせることができればこちらの勝ちですわ。
いくら興味のない人間とはいえ、わたくしの運命に道連れにするのは可哀想ですもの。
それに、そもそもラーダインの代わりにわたくしの婚約者になれるような方なんて、いるはずがありませんし。
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