05:無情な神へ祈りを捧げて
「やはり陛下は、わたくしの心の内など微塵も理解されてはいらっしゃらないですわね。まあ別に構いませんけれど」
執務室から部屋に戻ったわたくしは一人、ため息を漏らしておりました。
あんなお叱りなど全く何の意味もありません。わかりきったことなのにわざわざ呼び出されるだなんて。陛下はわたくしのことをどれほど馬鹿だと思っているのかしら。
わたくしは愚かで弱い。けれど、馬鹿ではありませんのよ?
わたくしがラーダインと婚約破棄した理由。それは決して、あの場で口にした通りの意味ではございませんわ。
『わたくしがもうあなたを愛することができなくなってしまったからですわ』なんて嘘。わたくしは今でもラーダインのことを心から想っておりますもの。本当ならば添い遂げたいと思っていましたわ。
けれどこのオネット王国には今、危機が迫っていることを、わたくしは知っていますの。
――その危機というのは、隣国のプランス大帝国との戦争。我が王国とプランス大帝国には平和条約があったのですが、最近になってそれを破棄しようという動きが出ていると聞き及びました。動機は未だ不明ですけれど、近々宣戦布告されることは火を見るより明らかなことです。
両国の兵力の差は凄まじいものですわ。
オネット王国は、今まで武器や防具の大半をプランス大帝国から輸入して仕入れておりました。それほどの大国であるわけですから、極小で貧弱なオネット王国が帝国に勝てるはずもございません。
すなわち、王家は滅びるのです。
わたくしはそれを予見しておりました。きっと王族は皆捕らえられ、処刑されてしまうでしょう。
だからわたくしは決めましたの。せめて、この国の王太女として、そしてアイシャという一人の女として、ラーダインだけは絶対に守り切ろうと。
きっとわたくしとラーダインが婚約を結び続けていたら、戦禍の時、彼はわたくしを庇って最前線に行ってしまうに違いありませんわ。
でも彼は別に剣の腕が立つわけではありませんから、すぐに敗れてしまうことは戦う前から見えています。それでもきっと彼は戦場に行ってしまうような、そんな人だとわかっていましたから。
ですからわたくしはその前に縁を切り、彼だけでも救う道を選んだのです。王家に裏切られれば当然ペリド公爵家は憤慨するはずで、それ故に、帝国側につくことだってできますものね。敵対するのは悲しいことですけれど、彼さえ生き残れば何も問題はないのですわ。
そう。全てはラーダインの命を守るため。
これがラーダインの望んでいることではないのは承知しております。ですからこれはわたくしの単なるわがままにすぎなのでしょう。自分の大切な人を、もう二度と失いたくない。お兄様を亡くしラーダインまでいなくなってしまえば、この世界でわたくしは独りになってしまう。それだけは嫌でしたの。
たとえ彼に恨まれ、最低の女だと思われたとしても構いません。どうせわたくしは死ぬか、ひどい辱めを受けながら生き地獄に陥る未来が待っているのです。そんな女に未練を残させてラーダインが苦しい思いをするだけですわ。
きっと彼なら戦争を乗り越え、素晴らしい未来が待っているに決まっていますもの。
きっとそこでまた新たな運命の人と出会えることでしょう。わたくしのことなんか綺麗に忘れて、その人と、幸せになってくれればそれでいいのですから――。
「ラーダイン、さようなら」
愛しい、心から愛せるたった一人の青年に、わたくしは心の中で別れを告げました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――ああ、神よ。多くの民が苦しまずに済みますよう。
――わたくしの愛しい人がどうか生き残れますよう。
――わたくしの愛しい人が、世界で一番幸せになれますよう。
――ああ、神よ。わたくしの胸に、ほんのわずかなる勇気をお与えくださいまし。
翌朝。
わたくしはリリーを引き連れて王宮の近くにある神殿に赴き、神へ祈りを捧げておりました。
王政であり王を最も高位とするこの国では宗教は軽んじられがちなのですが、わたくしは神を信じております。この愚かな女の言葉を神様が聞き届けてくださるかはわかりません。ですが、神様ならきっとなんとかしてくださいさるのではないかと、この身に余る願いを神に届けようと思いましたの。
陛下に見られたら大目玉を食うでしょうね。王太女が神に祈るなど王家の恥ですもの。出かける際、リリーにも「いいのですか?」と言われるくらいには、王族としては普通ではない行いですわ。
まだ昨晩のお叱りから数時間しか経っていないうちにこんなことをしていますから、今度は監禁されるかも知れませんわね……などと考えつつ、しかしわたくしに関心のない陛下がわざわざわたくしの行動をいちいち把握することがないだろうことはわかっておりましたから、大して心配はしておりませんでした。
陛下は娘のことを、愛する妻を死なせた元凶だと決めつけ、憎み続けていらっしゃいます。本当ならば早々にどこかへ嫁がせ追いやりたかったであろう王女が、王子の死によって王太女となったのですからますます冷遇は厳しくなりました。彼にとってわたくしは、いないのも同然な存在なのでしょう。
――その方が今後を考えれば助かるのですけれど。
ああ、集中が乱れてしまいましたわ。
わたくしは祈りをやめ、そっと頭を上げます。神殿の中央には青銅色をした美しい女神様の像が置かれ、こちらに微笑みかけていらっしゃいます。
しかしその微笑みと裏腹に、女神様が無情であることもわたくしは存じております。結局わたくしの身を助るのはわたくし自身。女神様はこの世界の長でいらっしゃいますから、わたくしのような虫ケラになど構ってはくださる暇はないのです。
「それがわかっていてもなお祈るわたくしは、やはりどこまでも愚かで救い難い人間ですわね」
そう呟きながらわたくしはため息を漏らし、女神様の前を離れて神官の皆様方に一通り別れの挨拶をいたしましたわ。
もう二度とこの神殿へやって来ることはないでしょうから――。
そう思うとなんだか切なく思ってしまうのはなぜなのかしら。
わたくしは女々しい未練を振り払うように激しくかぶりを振り、足早に神殿を立ち去ったのでした。
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