37:アイシャとしての決意
「――そこの君。僕の姫君に何をしているのかな?」
それはとても鋭く、それでいてとても優しい声でしたわ。
わたくしはその声を聞いて思わず固まってしまいました。だって嘘だと思いましたもの。彼がこんなところにいるはずがないのですから。
なのに目の中から何か熱いものが溢れてきて止まらなくなりましたの。直感でわかってしまったからでしょう。
……ああ、来てくれたのですわね、と。
「また邪魔者かよ。お前、誰だ」
先ほどまでニヤニヤしていたダミアン皇太子が顔を上げ、現れた彼を睨みつけましたわ。
けれどデイビー様の時とは違い、その人物は優雅な礼をして答えたんですの。
「僕はオネット王国のペリド公爵家長男、ラーダイン・ペリド」
金髪に黄緑色の輝かしい瞳を持つ美丈夫――ラーダインはそう言って、ダミアン皇太子へまっすぐに剣を突きつけていたのですわ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうしてあなたがここにいますの!」
疑問と同時に胸に湧き上がる喜びの感情をどうしていいのかわからないまま、わたくしは叫んでしまっていましたわ。
しかし対するラーダインはこちらにチラリと一瞬だけ視線を向けてから、再びダミアン皇太子の方へ視線をやってしまいましたわ。どうやら今は説明していただけないようです。
なぜ。なぜこんなことに?
脳内を同じ言葉がぐるぐると駆け巡り、わたくしは頭を抱えたくなりました。
彼に無事でいてほしいがためにわざわざ婚約破棄をいたしましたのに、ラーダインがここへ来てしまっては元も子もないではありませんか。わたくしの覚悟を、決意を、苦悩を何だと思っていますの?と問い詰めたくなる事態ですわ。
なのに不思議と憤りや不安などの負の感情は抱きませんでしたわ。それはきっと、ラーダインのことがいつになく勇敢に見えてしまったからに違いありませんわね。
ダミアン皇太子へ剣を突きつける彼の姿は、絵に描いてもいいと思えるほど美しく、その瞳に迷いは少しもなかったんですの。
――かっこいい、ですわ。
そんな彼を見て思わず心の中で呟いてしまった言葉は、緊迫したこの場にはとても似合わぬ素直な賞賛でした。
彼を今まで弟のように……『守らなければいけない人物』として見ていたわたくしはなんと失礼だったのでしょう。ラーダインはいつの間にか成長していたのですわ。やんちゃな少年から、一人の男へと。
わたくしが一人勝手に感動している間にも、事態は動いていきます。
ダミアン皇太子とラーダインの、まさに命をかけたやり取りが始まったのですわ。
「――ところで僕が先に質問したはずだけどね。さて、誇りなき戦士くん、今すぐ姫君から離れていただこうかな」
「ハッ。公爵家のボンボンが何しに来た? 俺がお前なんかの脅しに乗るとでも思ってるのかよ。これは俺の嫁だ」
「君の花嫁、とは初耳だな。もしかして君たちはもう結婚式を挙げてしまったのかな? 姫君が永遠の愛を誓ったのなら、僕としても君たちの結婚を祝福したいところだけれど……姫君はそれを望んでいるのかい?」
「望んでるかどうかは関係ねえ。戦争ではな、敗者は勝者に従うもんなんだぜ。この女は俺に負けた。だから俺がこの女をもらう。別に変なことはないだろ?」
剣を向けられても余裕の様子で、ダミアン皇太子はわたくしの上から退こうとはなさいません。
ラーダインの意思一つで命が奪われかねない状況だというのに平然としているだなんて、さすが多くの戦場を生き抜いた『狂戦士』。肝が据わっていますわね。
……でも重いので早く離れていただかないと、わたくしの体が壊れてしまいそうですわ。
ですからわたくし、言いましたの。
「ならば、もう一度だけ勝負いたしませんこと?」
「あぁ?」
「援軍が来たので戦いをやり直すということですわ。今度、わたくしが負けたなら素直にあなたの妻になると誓いますわ。ですが――わたくしが勝利を掴めば、この戦争を即刻終わらせてくださいまし」
「ハッ。まさかこいつが援軍だって言うのか? あんまり俺の実力を舐めるなよ?」
そう言いつつも、まんざらでもない様子で舌なめずりをするダミアン皇太子。
ラーダインが何か訴えるようにこちらを見つめて来ましたが、今の言葉を取り下げるつもりはありませんわ。
思い返せばわたくし、今まで王太女としての使命のことしか考えておりませんでしたの。
自分の立場に責任を持ち行動しなければならない。だから自分の感情を押し殺すべきだと……ずっとそう信じていたのですわ。
しかしラーダインが助けに来てくださったことで考えが変わったのです。
王太女として名誉の戦死を遂げるよりも、アイシャという一人の人間として生きていきたい。そう思い直しましたの。
――まだあなたがわたくしを愛してくれるというならば、わたくし、もう一度あなたと。
ですからまずは目の前にいるこの男を下さなければならないのですわ。
ラーダインと再び手を取り合うために。
不思議とわたくし、先ほどまでの絶望やら恐怖は一切ありませんでしたの。
そういう負の感情を全て取り払われてしまったような気分で、今なら何でもできるような気さえいたしましたわ。
「なんと愚かだったのかしら、わたくしは」
最初から彼に協力を頼んでいれば良かったのに……一人で何でも抱え込もうとして、結局皆を巻き込んでしまって。
でももう間違えませんわ。今度こそダミアン皇太子を打ちのめしてやりますのよ。
わたくしの決意は今度こそ揺るぎないものとなったのでした。
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