表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

36/50

36:奇跡

「あなたにこうされるくらいなら、やはり今すぐにでも死んで差し上げますわ」


 わたくしはすぐそこにあるダミアン皇太子の顔を見つめながら呟き、己の舌を上と下の歯で挟みます。

 このまま噛めば死ぬことができますわ。後必要なのは、覚悟だけ。


 ……そんなの、この男の思い通りになるくらいなら何でもありませんわ!


 わたくしの考えは甘過ぎました。

 妻になると言えばオネット王国を助けられると、そう思っていたんですの。

 でも違いましたわ。わたくしにそんな勇敢な選択はできないと、すぐにわかってしまったのですわ。


 全身が、そして心の奥底にある感情がこの男の言いなりになることを拒んでいる。理性では絶対に従った方が万事うまくいくとわかっていながら最期まで抗おうとしているのです。

 押し倒されて初めてその事実を身をもって知りましたの。


 ――だってわたくしはまだラーダインを愛しているんですもの。愛してもいない男のものになるなど、できるわけがないでしょう?


 死ぬのは恐ろしい。でもこの男のものになる方がもっと恐ろしい。

 やっと心の準備が整ったわたくしは、歯を食いしばって命を絶とうとします。

 しかしいざ行動に移す寸前、わたくしの口には汚らしい手が突っ込まれたんですの。


「させねえって言ってるだろうが」


「うぁっ」


 急にダミアン皇太子の指先を押し込まれたわたくしはえずき、身を捩りました。

 このままでは死ぬことができない。なんとか逃げ出そうとしますが、上からかけられているダミアン皇太子の体重が重過ぎ、華奢なわたくしの体ではどうにもできませんでしたわ。


 なんとかしなければ。


 重みと息苦しさ、気持ち悪さのせいでガンガンする頭でなんとかそう思い、持てる全力を尽くし、彼の手を噛むことにしましたの。

 これがわたくしにできるせいぜいの抵抗。舌を押さえられ、ほとんど動かない口に無理矢理力を込めて、血まみれの手に歯形を刻むことができたのですわ。


 あまりの激痛に呻く皇太子は仰け反り、慌てて手を引っ込めました。

 とはいえ大してダメージが与えられたわけではありませんわ。せいぜい数秒の時間を稼いだだけ。それでも、わたくしにとっては充分でしたの。


 最初はただで死んでやろうと思いましたが、痛みにやられている現在の皇太子は隙だらけ。ほんの少しだけ自由になった上半身を最大限活用してやることにいたしましたわ。

 ダミアン皇太子の喉が、すぐそこに見えました。あれにかぶりつけば全てが終わるのですわ。


「それでもせっかくの好機ですもの。このまま、喉を噛み切って」


 ――それが今のわたくしにできるとでも?


 ふと、疑問の声が胸の内に湧き上がりました。

 確かに今のわたくしは満身創痍と言っても過言ではございませんわ。そんなわたくしがわずかな好機を得られた程度で皇太子の命が奪えるはずがないのです。このまま大人しく死ぬのが最善手なのではないか、と。


 そしてその一瞬の躊躇いがいけませんでしたわ。


 一秒にも満たない間、迷っただけ。

 しかしそれは百戦錬磨のおぞましい化け物である彼相手にはあってはならない失態であり、気づけばダミアン皇太子に再び主導権を握り返されてしまっていましたの。


 噛み付いた方と逆の手で首を掴まれます。

 先ほどまで確かに優勢だったわたくしは一瞬で呼吸困難に陥り、抗う力を奪われていたのです。


 ――失敗しましたわ。なんて愚かなことを。


 薄れていく意識の中で、悔やんでも今度こそどうしようもありません。

 少しの間油断したがために一度掴んだ奇跡を逃してしまった以上、次はないでしょう。


「思ってた通りに諦めの悪い女だな。なかなか面白い。だが逃がしはしねえぞ、アイシャ・アメティスト・オネット」


 ああ、これで本当の意味で負けてしまいましたのね……。

 そのことが本当に不甲斐なくて、こんなわたくしをたった今この瞬間もどこかで心配してくださっているであろう方々に申し訳なく思ってしまいます。失望させてごめんなさい。期待させてごめんなさい。

 わたくしはもうダメですわ。


「だ、れか……」


 敗北を認めたはずなのに、生存本能からなのかみっともなく漏れてしまう声。

 そんなわたくしをダミアン皇太子は相変わらずのニヤニヤ顔で見つめましたわ。それから再び彼の顔が眼前に迫り、互いの唇が触れ合う――。


 ――――なんてことには、なりませんでした。



「そこの君。僕の姫君に何をしているのかな?」



 なぜって、起こるはずなんてないと思っていた奇跡が訪れたからですわ。

 面白い! 続きを読みたい! など思っていただけましたら、ブックマークや評価をしてくださると作者がとっても喜びます。

 ご意見ご感想、お待ちしております!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編版はこちら

作者の作品一覧(ポイント順)



作者の婚約破棄系恋愛小説
あなたをずっと、愛していたのに ~氷の公爵令嬢は、王子の言葉では溶かされない~

この度、婚約破棄された悪役令息の妻になりました

悪役令嬢は、王子に婚約破棄する。〜証拠はたくさんありますのよ? これを冤罪とでもおっしゃるのかしら?〜

婚約破棄されましたが、私はあなたの婚約者じゃありませんよ?

婚約破棄されたので復讐するつもりでしたが、運命の人と出会ったのでどうでも良くなってしまいました。これからは愛する彼と自由に生きます!

公爵令嬢と聖女の王子争いを横目に見ていたクズ令嬢ですが、王子殿下がなぜか私を婚約者にご指名になりました。 〜実は殿下のことはあまり好きではないのです。一体どうしたらいいのでしょうか?〜

公爵令嬢セルロッティ・タレンティドは屈しない 〜婚約者が浮気!? 許しませんわ!〜

隣国の皇太子と結婚したい公爵令嬢、無実の罪で断罪されて婚約破棄されたい 〜王子様、あなたからの溺愛はお断りですのよ!〜

婚約破棄追放の悪役令嬢、勇者に拾われ魔法使いに!? ざまぁ、腹黒王子は許さない!

婚約者から裏切られた子爵令嬢は、騎士様から告白される

「お前は悪魔だ」と言われて婚約破棄された令嬢は、本物の悪魔に攫われ嫁になる ~悪魔も存外悪くないようです~
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ