17:遠くにいるあの人
自分の胸で揺れるペリドット色のネックレスを見つめ、わたくしはただただ後悔しておりました。
――やはりこんな物、持ってくるべきではありませんでしたわ。彼のことばかりが思い出されて嫌になってしまいますわ。ラーダインとは婚約破棄をしてもはや他人、このネックレスは必要ないというのに。
これはラーダインからもらった誕生日プレゼントの一つでした。
わたくしはそれをずっと大事にしていて、結婚式につけようと何度も夢見ながら部屋の奥底にしまっていましたの。……もう彼との結婚式が行われることがなくなってしまった分、最後につけておこうと思いましたけれど、余計に胸が苦しくなるだけでしたわ。
わたくしは今、王国兵団が率いる隊列の中央で馬を走らせていますの。
乗馬技術を身につけておいて本当に良かったですわ。王太女でなくただの王女であった頃、馬が好きだったわたくしはよく乗馬の訓練をしたものです。王太女になってからは忙しすぎてそんな暇もなかったのですが、昔取った杵柄というもので、簡単な操作ならば容易いものですわ。
馬を走らせながら頭に浮かぶのはこれから向かう死地のことなどではなく、大切な人のことばかり。
――リリーは、ラーダインは、今頃どうしているのかしら。
二人ともわたくしのことなど気にせず、無事に避難できていればいいのですけれど。
ペリド家が辺境へ向かったことは旅立ってから半日ほどの時、ペリド公爵領をたまたま通りかかった時に聞き及んだので知っていますわ。どうやら彼らは王国側の味方になるわけでも帝国側につくわけでもなく、中立――というより、避難するという選択肢を選んだようですわね。
それは彼の身を思うと最善の判断だったと思いますわ。さすがペリド公爵家ですわ。
一方のリリーはわたくしの不在に気づいた後、どう行動しているかはわかりませんけれど、おそらく彼女なら馬鹿な行動は起こさないはず。
それにわたくし、彼女が心から慕っている人物を――もちろんわたくし以外で――一人だけ存じておりますの。きっと彼に協力を仰いで戦禍から逃れていると信じたいものですわ。いいえ、そうに決まっていますわ。
二人とも、再び顔を合わせることも言葉を交わすことさえもないのでしょう。わかり切っていたことだというのに、そう思うと胸が苦しくてたまらなくなってしまいました。
「……何とも情けないですわね。わたくしは、いつまでウジウジと」
未練を捨てなければならないことくらい、もちろん承知しておりますわ。
それでも考えてしまいますの。……遠くにいるあの人たちのことを。
本当なら今すぐ戻って、謝って、本当は大好きだと伝えて、抱きしめ合いたい。
そんな風に思ってしまうのは愚かなことですわ。王族……それもただの王女ではなく王太女という立場上、自分の感情のままに生きられない定めであると厳しく教育されましたもの。
わたくしはもう彼らと共に生きる道はなく、王太女として最期の瞬間まで国のために身を捧げ、一生を終えるべき存在なのですわ。
そしてそれが大切なあの人たちの命や平和を守ることにもなる。わたくしが我慢すれば何もかもが丸く収まるのだからそれが最善なのだと何度も自分に言い聞かせ続けておりますが、心の奥底ではそれを拒む自分が誘惑して来ますの。何もかもを投げ出して戻ってしまえばいいのではないかしら――と。
もちろんのことその甘言に屈するわけにはいきません。けれど同じ考えがぐるぐると頭の中を巡り出し、わたくしの心をかき乱します。
――一体何を馬鹿なことを考えているのかしら、わたくしは。まるで子供みたいに幻想に縋りついているなんてみっともないですわ。無力でただ努力することしかできないわたくしの存在意義は、果たすべき役目を全うすることだけですのに。
思わずふっ、と自嘲の笑みを漏らしてしまいましたわ。
優しいあの人たちの信用を、暖かな想いを裏切ったも同然のわたくしに彼らを想う資格なんてございませんもの。
「わたくしはせいぜい戦の中で死力を尽くすくらいしか、できないのですから」
それでも胸元のネックレスが悲しげに光っているのを見ると、苦しいような泣きたいような気持ちになってしまうのでした。
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