第七話 追憶、あの日の真実
時間を遡り、逆十字党による“ファイブハンドレッド襲撃事件”の少し後。
録郎は“ファイブハンドレッド”から馬で小一時間ほど走った距離にある“ヴェルンヘルの町”を訪れていた。
正確に言えば幼い頃からの無二の親友、悠慈が率いる“鷹山組”の事務所を。
鷹山組の事務所はかつて“冒険者ギルド”と呼ばれた施設を改造して作られたものであった。
改造と言っても、ギルドの名前が刻印された表札の上に大雑把な筆跡で“鷹山組”と書かれた木の板切れを貼り付けただけであるが。
――相変わらず酷ェセンスだ。
もう何度目になるか分からない感想を漏らしながら録郎は事務所の扉の前に手を後ろで組んだ姿勢で直立した十代半ばくらいのあどけなさが残る黒髪の少年に声を掛ける。
「よっ! お疲れサン」
「あ、我堂の叔父貴。お疲れ様です」
鷹山組の子分の中でも一番若い少年は録郎を見て深々と頭を下げた。
「組には慣れたかい?」
「はい、お陰様で」
「そっか。そいつは良かった。ところで悠慈の兄弟はいるかい?」
録郎の質問に困ったような顔を浮かべ、少年は『いいえ』と答える。
「あいつも忙しいな。だったら他のヤツで良いや。話分かるヤツに通してくれねぇか?」
今しようとしている話は“ファイブハンドレッド”の事務員の雇用――言うならばビジネスにまつわる話である。
目の前の少年は極道になってから日が浅い。
そういった話が分かるとも思わなかった為、録郎は別の極道への取次ぎを要求する。
「すいません。今、皆さん出払っていまして。事務所は俺一人なんです」
だが、帰ってきたのは予想もしていなかった答えであった。
それはおかしいと録郎は思った。
逆十字党のようにどこかのギルドなり別の極道組織に襲撃をかけに行くというなら事務所に誰もいないのはおかしな話ではない。
だが、鷹山組がそういった襲撃を起こす予定があれば前もって録郎の耳に入っているだろう。
「なんか、あったか?」
「あ、いえ、その……」
録郎が訊ねると少年は歯切れが悪そうに口ごもってしまう。
その後、『でも、叔父貴だったら……』『いや、でも誰にも言うなって言われてるし……』と小声でぶつぶつと呟き始めた挙句に少年は、
「……誰にも言わないで下さいよ」
と前置きしてから録郎に耳打ちした。
「実は姐さんがいなくなったんです」
「姐さんって……友子ちゃんが!?」
こくりと少年は頷く。
友子というのは悠慈の妻である。
「ええ。昼頃買い物してくるって組長さんに声を掛けて、それから帰って来なくて。だから、組長さん血相変えて。組の人集めて町中探しに行って。でもどこ探しても見つからなくて……」
「だから、町の外まで探しに行った?」
こくりと少年は頷いた。
「愛想尽かして出ってた……ってことは絶対ェありえねぇな」
友子とは録郎も面識がある。
花形に拾われたばかりの頃、録郎と悠慈、二人の教育係を務めた極道が友子だった。
彼女が現役だった頃は録郎と悠慈の三人で行動することが多く、悠慈と結婚してからも交流は途切れることなく続いている。
つい三日前も録郎は彼女に呼び出され、一体どんな深刻な話をされるかと思ったがほぼ一晩をかけて旦那の惚気話を聞かされうんざりしたばかりである。
そんな彼女が急に出ていくとは考えづらい。
「だからウチの組に恨みがあるヤツとか、敵対組織とかそういうのに攫われたんじゃないかって心配して。どこ探していいかも分からないけどとにかく探すしかないからあっちこっち飛び回ってるってことなんです」
「なるほど……そういうことか」
少年が話していくれた鷹山組内で考えられた“仮説”が正しいとするならば、由々しき事態であると録郎は思った。
現役を退いたとはいえ、友子もまた極道。
しかも、一線を退いてさえいなければ燈影会本部の幹部になっていたとすら言われた手練れで、一対一の喧嘩では負けなしの逸話もある女傑だ。
そんな彼女が黙って連れていかれるとは録郎には考えられなかった。
連れ去られたとしたら、それをやったのは相当な手練であることが予想出来たし、組に良い感情を持たない者がやったとすればあまり良い待遇は受けないだろう。
「……俺も手伝うよ」
「本当ですか! ありがとうございます、叔父貴!」
少年は録郎の手を取って喜びを顕わにする。
彼も友子のことを心配していたのだろう。
――とはいったもののあてがねぇ。どうやって探す?
町に聞き込むのは鷹山組がもうやっただろう。
それで成果が上がらなかったから人海戦術で虱潰しということになった筈だ。
何か友子個人を直接探し出せるいい方法がある筈。
そう考えていると、録郎はあることに思い至る。
――あの人が使ってた香水と普段から吸ってた煙草があった筈だ。
友子は自分で調合したオリジナルの香水を普段から使っていたし、煙草にもこだわりが強い人でいくつか品種の煙草に珈琲や紅茶をブレンドしたものを吸っていた。
それらの匂いを追えば、友子に辿り着く筈。
そう思い録郎は目を閉じ、鼻に感覚を集中させる。
すると空気の中に清涼感のある独特な甘い匂いを録郎は見出した。
「新人クン、コイツ持っててくれ!」
録郎は持っていた“ファイブハンドレッド”の事務員の情報が書き込まれたぶ厚めの本を少年に押し付け、脇目も振らずに走り出した。
「あ、え!? ちょっと、どこに行くんですか!?」
少年の声は既に遠くに見えなくなっていた録郎には届かない。
最早、録郎の思考を支配していたのはただ一つのこと。
沙耶の身の安全――何も起こっていなければ良い。
それだけだった。
無論、友子が自分にとっても恩のある人だからというのもある。
だが、それ以上に録郎を突き動かしていたのは、彼女が悠慈にとって一番大事な人だからだ。
録郎には両親がいない。
物心がつく前には母親はいなかったし、父親も録郎が八歳の時に犯罪に手を染めてしまったが為に私刑を受けて死亡した。
鷹山悠慈とは丁度、天涯孤独になった日に出会った。
父が死に録郎はその遺体を人里から少し離れた小高い丘に埋めようとした。
――どうせ眠るならせめて綺麗な空が見える静かな場所で眠らせてやりたいと思って。
数奇な巡り合わせというのはあったもので丘に辿り着くと録郎がしているのと同じように男の死体を引きずる同い年くらいの子供がいたのだ。
どうやらその子供も父親が死に録郎と同じようなことを考えていたようで、何故だかそれが無性におかしくなってお互い顔を見合わせると声を上げて笑った。
そこからなんとなく行動を共にするようになって、気が付けば何物にも代えがたい親友になっていた。
そんな風に二人で生きていた少年時代、録郎は油断と慢心から破落戸に捕まり命の危機に瀕したことがあった。
もう駄目だと思ったその時だった。
悠慈が花形舜英を連れてその場に現れたのは。
その場に三十人ほどはいた大の男達を、まるで紙屑のように千切っては投げるその姿に録郎は心を奪われた。
もし、悠慈がいなければ、あの場に花形を連れてこなかったら、自分は死んでいたかもしれない。
そういう意味で、悠慈には返しきれない恩があると言えた。
「クソッ、痛ぇな!」
香水の匂いを追って脇目も振らずに走っていると、録郎は道の真ん中で人にぶつかった。
街道に尻もちを付いていたのは見るからに質の悪そうな男で、立ち上がると録郎に因縁を付けてきた。
「どこ見て歩いてるんだよ! 肩の骨が折れたじゃねぇか! 慰謝料、よこせ慰謝料!」
この国にあって極道相手に喧嘩を売るのは自殺志願者か余程の馬鹿に限られる。
そういった手合い相手にことを荒立てても碌なことにはならない為、常日頃の録郎であれば穏便にことを済ませていただろう。
だがこの時は、
「どけ」
絡んできた男を押しのけるように突き飛ばし、再び走り出した。
しばらく走り出してから録郎は今の自分が普通ではないことに気が付く。
妙に昔のことばかりを考えてしまう。
それは先程からあることが気掛かりになっていたからだった。
花形組に入ってすぐに、悠慈は当時教育係だった友子に惚れていて酒が入る度、録郎は友子の良さを散々悠慈から聞かされていた。
――あの人の好きな所は沢山ある。優しいところ、厳しいところ、よくわらうところ、綺麗なところ。
――でも一番好きなところは匂いだ。
――あの人からは落ち着く匂いがする。
毎回同じことばかりを聞かされていたから、録郎はすっかり耳にたこが出来てしまったこと。
悠慈は友子の匂いが好きだった。
録郎ですら思い付いたことだ。悠慈ならば、匂いを辿って探すことくらいは思いついておかしくはない。
もしかしたら、とっくに友子を見つけたかもしれない。
――なのにどうして友子を連れた録郎とすれ違わない?
録郎は今、間違いなく匂いを辿っている。
もう随分走って、気が付けば隣町の隣町まで来ていた。
匂いは近づいている。
それでも録郎は悠慈とはすれ違わない。
気が付けば録郎は“チャンタブリー”の町の外れの森の奥に隠されるように建てられた、大きな屋敷の前まで来ていた。
友子の匂いはここからしている。
同時に嗅ぎ覚えのある鉄のようなツンと鼻を衝く臭いも録郎は感じていた。
屋敷の門も、玄関も開いている。
使用人らしき初老の男が見られたが大量の酒瓶と共に屋敷の前でごうごうといびきをかいている。
どうやらあまり真面目とはいえない人物であるようだ。
そんな男を無視し録郎は屋敷の中へと踏み込む。
置かれている調度品は録郎の目から見て最高品質のものであり、この屋敷の持ち主がかなりの貴人であることを予想させる。
……匂いは屋敷の二階の一番奥の部屋から漂って来た。
録郎は真っ直ぐそこに向かう。
寝室と思われる部屋だった。
大きな天蓋付きのベッドが置かれていて、友子はそこに横たわっていた。
亜麻色の髪をした綺麗な女性だった。
別に録郎自身が惹かれたということはないが、自分達よりも十は年上とは思えないいつまでも可愛らしくあり続けた人で、悠慈が惚れ込むことにはなんら疑問は浮かばなかった。
極道とは思えないようなおっとりとしたというか、とぼけたような柔らかな笑みを浮かべる人で、喧嘩の時以外で笑みが絶えていることを録郎は記憶していない。
だが、それも見る影はなかった。
「そんな……嘘だろ……」
友子の顔からは笑顔が消えていた。
瞳が虚ろに開かれ、そのまま止まっていた。
服がはだけ豊満な胸が露わになっている。
誰かに乱暴されかけたのだろうと、録郎は思った。
それに対して、友子は抵抗したのだろう。
だから、相手の怒りを買ったのだ。
友子は体中を滅多刺しにされていた。
それに使われていたであろう豪奢な装飾をされた細剣が彼女に突き刺さっていた。
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