第二十六話 “ベルバーネル”
「いざ、征かん。決戦魔法“ベルバーネル”」
戦いの堰を最初に切ったのはルザリアだった。
大剣の切っ先を地面に打ち付けた。
その瞬間、録郎は体に違和感を覚える。
巨大な何かがのしかかっているかのように体が重くなったのだ。
そして、重くなったのは録郎の体だけではなかった。
庭に敷き詰められた石が、噴水に建てられた女神象が、青々とした木々が地面へと沈んでいく。
戦いを見守るリズとニンフィットは地面に膝を付き、歯を食いしばっていた。
「ルジー! “それ”を使うんなら最初に断ってから使ってよ! チャン僕たちはチャン君と違って肉体強化ないと耐えられないんだから!」
「死ぬぅ……」
リズはルザリアがいきなり魔法を使用したことを抗議し、ニンフィットは言葉通り死にそうな顔をしていた。
「済まない」
一言、極めて簡単にだけ謝るとルザリアは録郎に向き直る。
「……流石にこれだけでは倒れてくれないか」
そうぼやくルザリアではあったがその表情は涼やかなままだった。
「……決戦魔法とか言ってたな。いきなり、切り札投入ってか?」
録郎はおどけて見せたが、依然として体にかかる重みは変わらない。
「その通り。此れが私の切り札だ」
ルザリアは語る。
一体自分が何を仕掛けたのかを。
「森羅万象、この世にある万物全ては互いに引かれ合っている。人、獣、木々や草花、造形物、空に浮かぶ雲、そして私たちが立つこの大地ですら例外なく!」
録郎は目を見開く。
そういうことか、と――。
「私が“十三騎士”の称号を獲る為に鍛え上げたこの“ベルバーネル”は、大地がその上に立つ全ての物を引き寄せる力を何倍にも引き上げる!」
例えば人間がその場で飛び跳ねたとしてすぐに地面に落ちてくるというのは常識であるが、その理由について深く考える者はそうはいない。
いたとして精々この場で戦いを見守るリズ・ヴィシャスか彼女の下で働く研究者達だけだろう。
では、何故飛んだ人間が浮いたままではいられないのか。
ルザリアが離した通り大地に引き寄せられているからだ。
そして、その引き寄せられる力が強くなったからこそ体が動かし辛くなっているのだろう――と、録郎はそう考えた。
「言うなら俺は、地面っていう馬鹿デカい餓鬼に手だの足だの取られてる状態ってワケか。やってくれるじゃねぇの」
「悪い。兄は特に速力に長けるようだからね。素面のまま戦うのは分が悪いと踏んだのだ」
そう言うとルザリアは一歩一歩ゆっくりとした足取りで録郎に迫る。
歩みを進めるたび出来る足跡は、大柄なルザリアの体格と鎧の重さを加味した上でさえ深すぎるものだった。
「……手前ェだけが大地に引き寄せられねぇみてぇなことは出来ねぇワケね」
そうなってしまう理由は単純である。
ルザリアを引き寄せる大地の力すらも強くなってしまっているからだ
「そう器用ではないからね。私に出来るのは、互いに窮屈な中で死闘を演じることだけだ」
フンと録郎は鼻を鳴らし、一歩前へ進む。
「ならありがてぇ。希望が見えてきた」
ゆっくりと歩を進める録郎を見ながらルザリアは図らずも口角を吊り上げた。
「な、なんでこんな潰れそうな中で二人とも動けるんですか?」
遂に地面にひれ伏したニンフィットは、平然と言えないまでも動けてはいる録郎とルザリアに疑問を抱く。
その答えを示したのはリズだった。
「知っての通り、ルジーは肉体怪人だ。一見柔らかそうに見えるあの体には相当量の筋肉が詰まっている。推定十倍には膨れ上がっているであろうこの星の引力にも素で対抗出来るんだ」
「“星の引力”とかそういう言葉はよく分かりませんが……ご主人様が私の思っている以上にとんでもない筋肉馬鹿だということは分かりました」
リズの説明をニンフィットは極めて簡単に嚙み砕く。
「では、ロッコさんもそのレベルの力馬鹿ってことなんですか?」
「ロッコ? ああ、ロッキーのことか。彼の場合は筋力が強いというのも勿論理由なんだろうけど、それ以上に極道の肉体に備わってる魔法耐性が原因だろう。それがかかってる引力をある程度軽減しているんだ」
外野の二人がそんな話をしている間にも、録郎とルザリアは相対しようとしていた。
「せいッ!」
それぞれが持つ得物の射程の関係上、先に攻撃を仕掛けたのはルザリアの方だった。
「うるぁッ!」
自身に振り下ろされる大剣を、録郎は短剣で迎え撃つ。
二つの刃がかち合い、キーンという甲高い音を鳴らす。
瞬間、ルザリアの持つ大剣は弾き飛んだ上に真っ二つにへし折れ、録郎が握っていた短剣は粉々に砕け散った。
「そんな馬鹿な!? “アダマント”で出来たルジーの“テトラビブロス”を破壊しただと!?」
驚愕の声を上げたのはリズだった。
“アダマント”というのは鋼に複数種類の貴金属を混ぜ合わせて作る合金である。
他に並ぶものがないと言われる強度と硬度を両立した金属であり、武器に使われるものとしては最高位の階梯を持つ。
“テトラビブロス”と銘打たれたルザリアの愛剣もこの“アダマント”で出来ており、幾度の戦場を越えても折れず曲がらず、それどころか刃こぼれの一つすら負うことはなかった。
それを録郎はただの鉄で出来た短剣で叩き折ったのだ。
普通ならば戦意喪失に値しただろう。
だが、ルザリアはそれでは止まらない。
さらに一歩を踏み出し、録郎の顔に右拳を打ちおろした。
「がは……ッ!」
録郎がしていた偏光鏡が遠くへ飛んだ。
顔面は血で赤く染め上がり、膝は大きくぐらついた。
しかし、ルザリアの攻撃はそれだけでは止まらない。
すぐに録郎の顎に左拳を突き上げる。
「ぐはっ……」
血反吐を吐いてのけぞる録郎の頭を掴み、さらに膝蹴り。
録郎の体が落ちるのを見るや脳天に左肘を撃ち込み、そこにすぐさま右鈎突きを放つ。
この時、録郎はみしっという音が鼓膜に近い場所で鳴るのを聞いた。
一瞬頭蓋骨に罅が入ったのかと思ったがすぐに違ったと分かり録郎はほっと胸を撫でおろした。
左目に義眼として入れていた硝子玉だった。
罅が入っていたのは。
「相変わらずえげつないですね、ご主人様は。ただでさえ馬鹿力だというのに、あの鎧も“アダマント”で出来ているから、パンチを打つだけで鈍器を振り回しているのと同じになる。それをあんなに食らわせるなんて……」
ニンフィットはルザリアの戦いぶりに半ば恐怖を抱いていた。
それに対してリズは、
「おかしい」
この戦いに対し違和感を覚える。
「……何故だ?」
それを感じていたのは現在進行形で戦い続けているルザリアも同じだった。
故に拳を振るいながら、敵に対して糺す。
「何故反撃しない?」
ルザリアの初太刀を防いで以降、録郎は一切の反撃をしていなかった。
それどころか、ルザリアの打撃をいなしたり、躱したりといった防御行動すら行っていないのだ。
これが相手から一方的に挑まれたような望まぬ戦いであるならば反撃しないのも不自然ではないのかもしれない。
だが、録郎はこの決闘に同意し望んですらいた。
「気でも違ったか? それとも一切反撃せずに勝つつもりか」
殴られながらも、録郎は笑みを返す。
「綺麗なものは、絶対に汚さない……俺の流儀なんだよ……」
ぎりっと、ルザリアの歯が軋む音が鳴る。
「血で汚さずに人を倒せるものか!」
瞬間、右のアッパーカットで、録郎の状態が持ち上がった。
「グハッ……」
録郎の髪を束ねていた紐が千切れる。
「……終わりだ」
録郎の意識を刈り取ったと判断し、ルザリアは勝利を宣言する。
「舐めんじゃねぇよ!」
しかし、録郎の瞳からは光が消えていなかった。
「ソラァッ!!」
録郎は両足と臍にグッと力を入れ、右拳を振り下ろす。
カーンと、小気味の良い音が鳴った。
拳はルザリアの鎧の胸当部分に当たっていた。
「グッ……!」
鎧から拳の威力がルザリアの体の芯へと伝わり、鈍い衝撃が響く。
「その程度か」
だが鎧も砕かぬ拳では、ルザリアにとって一切の致命傷にはならなかった。
気にも留めずに反撃をしようとするルザリア。
しかし、その瞬間――。
「あ、れ?」
ルザリアの体は大きく宙を泳ぎ、前のめりに倒れていく。
ゆっくりと、地面が近くなる。
何故か思考が白濁する。
自分に一体何が起こったのか?
それらを疑問に感じながら、ルザリアは意識を失い、地面に倒れ伏した。
「ハッ……出来ただろ? 綺麗な勝ち方ってヤツ」
倒れたルザリアに対して録郎は笑みを向ける。
その瞬間、録郎は自分の体が軽くなるのを感じた。
見るとリズとニンフィットもそれを感じているようだった。
ルザリアが気を失った為に“ベルバーネル”が解除され、引力が元の状態に戻ったのだ。
「負けた……のか? ルジーが、あの状態から? でも一体どうやって?」
リズは目の前で何が起きているのか理解出来ずにいた。
決闘は終始ルザリアが優勢に進めているようにリズの目には映った。
録郎が出来た反撃は全く致命傷になっていなさそうな、胸当に当たったパンチ一発のみである。
一見、録郎には勝つ要素はないように見えた。
「リズちゃん」
フラフラとした足取りで録郎はリズに前に現れた。
長い髪は乱れ、顔は血まみれ、体は打撲による青あざだらけ。
勝者の出で立ちでは到底なかった。
「何だい?」
「……ルザリアの心臓を止めた。心肺蘇生を頼む」
その答えを聞き、リズははっとした。
「まさか、心臓震盪を起こしたのか!?」
気づいたのだ。
録郎がルザリアに何をやったのか。
肯定の代わりに、録郎はにぃと口角を吊り上げる。
そしてその直後、
「お、おい……!」
録郎はふらりと倒れ、そのまま意識を手放した。
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