第二十五話 決闘の提案
ルザリアが起床したのは結局昼を過ぎてからだった。
ダイニングルームでニンフィットと共に椅子に座ってくつろいでいた録郎は、部屋に入って来たルザリアを見て、まばたきを繰り返し偏光鏡を外して右目を何度もこすった。
自分の目を信じることが出来なかったのだ。
寝起きということもあってルザリアは鎧を纏っておらず、麻でできた薄手の服を着ていた。
故に彼女の“本来の装甲”が露わになってしまっていたのだ。
「ええ、皆まで言わなくとも分かりますとも。凄まじい破壊力ですよね……」
呆然とする録郎を見てのニンフィットの一言がこれだった。
何を言っても失言にしかならないと感じた録郎は沈黙を決め込む。
「君が色事を好むのは承知の上だが、朝腹からは勘弁願いたいな。正直疲れる」
朝腹という表現は、太陽が高い所に来た今となっては間違いであることはさておき、ルザリアは本気で頭痛に苛まれているかのように頭を手で押さえ、激しく顔をしかめた。
「体調最悪って顔してんな? どした? 昨日酒でも飲み過ぎたかい?」
へらへらと冗談交じりに録郎は訊ねる。
「……元々朝は弱いんだ。リズに曰く、“低血圧”とかそんな名前の体質らしい」
すると存外に深刻そうに聞こえる回答が返ってきた為、録郎は口を閉ざす。
ルザリアははぁと重い嘆息を漏らし苛立ちを露わにしながら、空いている椅子に勢いよく腰を落とすと、
「水を戴きたい」
ニンフィットに視線を送りながら何もない視線に手を差し出した。
「分かりました」
ルザリアの頼みを承知するとニンフィットはスッと右手を上げる。
その瞬間、食堂の方から硝子製の杯がやって来た。
その身を全く安定させていないフラフラとした状態で宙を浮かびながら。
浮遊と呼ばれる、物体を浮かせ自分の元に引き寄せたり、その逆に弾き飛ばしたりする魔法である。
ニンフィットは自分の手元にやって来た杯を手に取る。
するといつの間にか杯の上には水でできた球が浮かび上がり、それが流動して杯の中へと納まった。
「どうぞ」
そしてニンフィットは杯をルザリアに渡す。
「有難う」
杯をふんだくるとルザリアは勢い良く水を飲み干し、長いダイニングテーブルが大きく揺れるほど杯をテーブルの天板に打ち付けた。
その様は彼女の機嫌が決して良いものではないことを明らかにしていた。
“低血圧”などという体質は録郎も初めて聞いたが余程辛いのだろうと思った。
今、彼女の心の古傷に障るようなことを言えば怒りを買うことは目に見えた。
本来であれば、録郎はルザリアが尊敬した父のことを聞くことを避けるべきだっただろう。
「ルザリア、アンタの昔話をそこのニンフィットちゃんから聞いた」
しかし、それを理由に日和見を決めるということを録郎はしなかった。
相手の事情に合わせていたら自分の知りたいことに至れないと考えたからだ。
「……そうか」
ルザリアは表情を全く変えずに淡々と答える。
自分からは過去を話したがらないだけで、知られることに対して別段抵抗はないというのは本当のようだった。
「けど、それを聞いて一つ分かんねぇことがあるんだよ」
「……なんだ?」
録郎に向けられたルザリアの視線は鋭利なものだった。
「アンタの親父さん、元から“非国民”が好きだったってワケじゃねぇんだろ? 何かがあって心変わりをした筈だ。その何かを俺は知りてェんだ」
ルザリアはぐしゃぐしゃと髪をかき乱し、自分のこめかみに右手のひらを叩きつけ、
「あー」
と濁った唸り声を上げる。
体質による頭痛が苦しかったのと、録郎の言葉に腹が立ったのが合わさった結果だろう。
自分を殴るようなことをしたのは。
「悪いが、兄の期待には添えない」
ルザリアは表情を凛と涼やかにする。
「それで俺が納得するとでも思ってんのか?」
「するしないの問題ではなく、そういうものだと思って諦めて戴きたいと言っている」
録郎は立ち上がるとルザリアに迫り彼女を見下ろした。
「どうしても駄目か」
「諄い。そもそも兄はどうしてそんなにも私の過去を知りたがる?」
自分の眉間に皺が寄っているのを、録郎は感じていた。
「アンタと俺は一蓮托生ってことになってんだろ? その相手に、隠し事をされてたんじゃ何を信じりゃいいか分からなくなんだろうよ」
リズが隠し事をしていることには気にも留めなかった癖にと、録郎は心の中で自嘲する。
上手い理由付けなど見当たらなかったし、自分でも何故こんなにも心が動くのか理解が出来なかった。
ただあるのは知りたいという気持ちだけだ。
「……そうか」
ぼそりと呟くと、ルザリアは鼻先が録郎と触れるほど顔を近付け、偏光鏡を奪う。
そして、録郎の澄んだ緑色の右目を舐めるように観察した。
「聞くまで梃でも動かない――と、そんな顔をしているな」
「分かってるじゃねぇか。読心でも使えんのか?」
読心とは読んで字のごとく、人の思考や感情を読み取る魔法である。
透視と同様の理由で法規制をされている魔法であるが、ルザリアは十三騎士という国の要職に就いている為それを使用できる可能性があった。
だが、ルザリアはその可能性について首を振る。
「これはそういうものではないよ。ただ目を見て、兄が何を思っているのかを考えただけだ」
「なるほどね、ソイツは凄ぇや。で、俺に譲る気持ちがねぇって分かったアンタはどうすんのさ? お優しく譲歩してくれたりすんの?」
「それは出来ないな。何度も言うが此れに関しては私も譲れないのでね」
このままでは平行線を辿るしかない。
お互いそれは理解していた。
「そこで決闘で決めるというのは如何だろうか?」
「決闘?」
「兄たち極道の言葉だと“喧嘩”という言い方になるかな?」
その単語を聞くと、録郎は愉快そうな笑い声を上げる。
「カァーッ!! 淑やかな面に似合わねぇこと言うじゃねぇの!!」
「兄が私をどう思っているかは知らないが、意外と好きだよ。こういうことは」
挑発的な録郎の言葉にルザリアは微笑みを返す。
今にも二人が殴り合いを始めようとしたその時――
「お二人とも戦うのは構いませんがここではやめてください」
その様子を黙って見届けていたニンフィットが口を挟む。
指摘を受けて二人はお互いに冷静になった。
「確かに、この家荒らしちまうな」
「家だけじゃあない。多分、敷地一帯を荒らすだろうし、騒ぎにもなる」
状況を見た結果、ここでは戦えないという結論が出た。
そして、
「で、チャン僕のお家に来たってワケね」
喧嘩の場所を変えることにした。
リズの屋敷の庭に。
録郎とリズの“喧嘩”の痕跡が未だに残っており、あちらこちらが陥没していた。
「チャン僕が言うなって感じだけど、チャン君たちバカでしょ」
元々荒れているからと言ってこれ以上荒らされることを許せるかと言われればそんなことはない。
噴水の縁に腰かけるリズは不満げに口をとがらせていた。
「申し訳ありません」
彼女の目前に立っていたニンフィットが頭を下げた。
「別に良いよ、気にしてないから。それにまともに戦おうと思ったらやっぱりここを選ぶだろうし」
リズは本当に気にも留めていないのか、思い切り破顔していた。
リズ・ヴィシャス邸の石塀は上空からの侵入者を防ぐためにそれ自体が目に見えない防壁を発生させる魔法装置となっている。
翻って敷地内で起こる騒音のような内側から外側に向かう干渉もシャットアウト出来るのだ。
つまり、どれだけ派手に争ったとしてもそれが騒ぎになることはない、というわけである。
「さて、“決闘”に相応しい場所は用意出来たわけだが……場所を移している間に興が削がれたということはないかな?」
鎧を纏い、鍔のない武骨な大剣を構えるルザリアは録郎を挑発する。
それに答えるかのように録郎は、ジャケットとYシャツを脱ぎ捨て、背中に刻んだ“逆十字の聖者”を晒した。
「一つ教えといてやる。そういうのを“愚問”って言うんだぜ?」
録郎は腰を落とし短剣を逆手に構える。
「ニンフィットちゃんよ。この短剣、無事には返ってこねぇかもしんねぇけど、構わねぇよな?」
後ろで二人を見守る短剣の持ち主に録郎は確認を取る。
「ええ、承知の上です。使い潰して構いません」
その答えを聞き録郎はにたりと笑った。