第十三話 エリザベス・ヴィシャス邸
そして、十分ほど歩いただろうか。
リズの自宅だろうものが見えてきた。
「デカッ!?」
その建物が目に映り録郎の口から真っ先に出てきた言葉がそれだった。
三人は門の前に立っていたが、敷地を取り囲むように作られた塀の両端が地平の先まで続いている。
そして、塀の向こう側に見えている屋敷の屋根が異常に遠かった。
「これで結構稼いでるからね。こんくらいの家は持たないと」
「大したモンだが、ココ、秘密裡な話に向いてんのか?」
「どういう意味だい?」
「こんだけ広いと召使いだって大勢いるだろ。どこで聞かれるか分かったもんじゃねぇぞ」
屋敷の規模から推定される使用人の数はかなり多い。
その全員が主に忠実で口が固いとは限らない以上、監獄にいる筈の犯罪者が実は脱獄していたと密告する者がいても不自然ではなかった。
しかし、その懸念をリズは一蹴する。
「その点は安心してくれ。チャン僕はそんなモン一人も雇ってないから」
「じゃあ、どうやって管理してんだ?」
「まぁ、その点は色々とね。入れば分かるよ」
録郎にはまるで検討が付かなかった。
「さ、そんなことより、入る前にルジーを起こしちゃおうか。門の前くらいにルジーを寝かせちゃってくれ」
「おう」
気絶したルザリアを言われた通り、門にもたれさせた。
「じゃ、ルジーから離れて」
「お、おう?」
何をする気なのだろうと思いながら、録郎は二、三歩その場から後ずさりする。
瞬間、リズはぱちんと指を鳴らした。
その音と共にルザリアの頭上に巨大な水の球が発生する。
そして、そのまま滝のような奔流となって彼女に降り注いだ。
この時、録郎は昔敵対している極道組織が送り込んできた鉄砲玉と呼ばれる片道覚悟で襲い掛かって来た刺客を拷問した際のことを思い出していた。
体を拘束した相手を死なない程度に痛めつけるのだが、当然ながらそのような苦痛に耐えられず途中で気を絶するということがある。
拷問というのは相手が持つ情報を引き出させる為に行うので、当然気絶して口が利けないということは困る。
故に何をするかといえば、意識を失った者の顔面にバケツ一杯の冷水を浴びせるのだ。
単純ではあるが、効果的に“眠気”からの覚醒を誘発することが出来る。
詰まる所、リズがルザリアにやっていることはまさしく“極道”のやり方だった。
「うーん……あれ、此処は……」
ルザリアは眠気眼をこすりながら欠伸をする。
「やぁ、おはようルジー」
「ああ、おはようリズ」
ゆっくりとルザリアは立ち上がり、もう一度欠伸をして体を伸ばして周りを見渡す。
そして、自分のいる場所がリズの家の前であることを理解して怪訝そうに眉をひそめた。
「私は寝ていた……のか? 何かとても良い夢を見ていたような気が……」
「多分、思い出さない方が良いかな?」
知ってしまった場合、本人の名誉を著しく傷つけるとリズは判断した。
「そうか……」
「そんなことより、早く入ろっ!」
リズはそう言うと門に指を触れ、文字を書くようになぞる。
すると、地鳴りのような音を立ててゆっくりと門が開いた。
「ついて来て」
そう言って進むリズの後にルザリアと録郎が続く。
そして、録郎が門の敷居を超えて数歩進んだ後、開いた時と同じような地鳴りを上げながら門が閉じる。
閉じた瞬間に何かが爆発したかのような凄まじい轟音が鳴り、録郎は振り返る。
門の傍には誰もいなかった。
恐らく水車船のようなリズの発明の一部なのだろうと録郎は考える。
「何してるんだい? 早く来なよ!」
自分を呼びかけるリズの声に反応し、
「ああ、悪い」
と、録郎は前を向く。
すると、録郎は驚愕に目を見開くことになった。
壁の外側から見た以上に広い敷地だったのだ。
白を基調とした庭園の中央と思われる場所には、巨大な噴水があり、その前には女性を模った像が置かれている。
初代皇帝の母“アングイス”の像で、貴人の屋敷に置くエクステリアとしてはポピュラーなものである。
そして、そのさらに奥――録郎の視界の遥か先に二階建ての屋敷が見えた。
一面ショッキングピンクに塗装された悪趣味な屋敷が。
娼館だろうか、というのが率直な感想だった。
「良い家でしょ? チャン僕の趣味なんだ」
スキップ混じりに上機嫌で歩くリズを見てしまった為、録郎は屋敷に纏わるコメントを出づらくなってしまった。
「そうだね……」
と、話半分で答えながら、録郎は庭の方に視線を遣る。
一人も使用人を雇っていないという話だったが、木々も芝も手入れが行き届いていた。
「ちょっと待て。人なんて雇ってないとか言いながら、いるじゃねぇか」
というよりも、一人も使用人がいないという前提の方が間違っていた。
先程からメイドらしき女性が庭の芝や木々の手入れをしているのが、録郎の目に映る。
それも一人二人という話ではない。
庭の至る所にいる。
一人見かけたら、もう三十人は見つかる勢いである。
「ううん。ホントに人は雇ってないよ」
「いやだって現に……」
「よくメイドさんたちを見るんだ」
リズに促されるがまま、録郎はメイドの一人をよく観察した。
そして、あることに気が付いた。
顔が無い。目や鼻がないどころか、それに類するような凹凸もない。それどころか肉の柔らかな質感さえもなく、代わりに存在したのは硬さと鈍い光沢だった。
恐らくこれは陶器なのだろうと思った。
指や手首にも球体関節のようなものが存在している。
服のデザインを自分達で行い、店先で販売するという形態の商売をするギルドを録郎は知っていた。
このメイドは、そんな服飾ギルドの人々が自らの商品を着せる為に使う“マネキン”と呼ばれるものに似ていた。
「……これ、人間じゃねぇのか?」
「それどころか生き物ですらない。魔力を自己生成して動く人形さ」
なるほど、確かにリズは“一人も使用人を雇ってはいない”。
「“エリン”って言ってね。単一の命令しか受け付けてくれない代わりに意志や感情も存在しない。だから、この屋敷の中なら聞かれてまずいこと言っても問題ないってことさ」
口が固いどころか口がない。
主人にとってこれほど都合のいい従者はいないだろうと、録郎は舌を巻く。
「……さて、ここら辺で良いか」
広い庭も中間地点――噴水がある辺りまで差し掛かった時だった。
ふと、リズが足を止める。
「如何した、リズ。屋敷には入らないのか?」
ルザリアがリズに訊ねたその時だった。
録郎は背筋が粟立つのを感じ、咄嗟に上体を引く。
それとほぼ同時だった。
リズの手に石をノミで削ったような歪な形状の剣が発生していたのは。
そのままリズはそれを録郎の喉元に突き立てようとする。
「リズ、何をしている?」
しかし、その一撃はルザリアによって阻まれる。
ルザリアは刃を鷲掴みにして放さなかった。
「……なるほど、予兆のない攻撃にも対応できるのか。“花形の逆十字”――噂に違わぬ実力だ」
「問いに答えろ、リズ。何をしている? 事と次第によっては君との友誼を無かったことにしなければならなくなる」
「えっ、絶交ってこと?」
沈黙するルザリアを見て、慌ててリズは剣を手放し、にこやかに笑う。
「ごめんごめん。ルジーには前もって言っとくべきだったね。殺す気があるとかそういうつもりじゃないんだよ」
「では、どういうつもりでやった?」
ルザリアは剣をその場に放る。
「試すつもりだった。“英雄殺し”に纏わる一連の事件。その真実に至るだけの力がある人間なのかどうか」
「どういうことだ?」
力試しをしたかったという動機は分かる。
だが、力試しをする必要性が録郎には分からなかった。
リズは答える。
「君に力が足りなければ、事件を追っているその過程で命を落とすかもしれない。そうなったら恐らく、黒幕は君の後ろに隠れている私たちの影にも気が付くだろう。そうなれば、私たちは消され、真相は闇の中に葬られる」
「それが怖ェから、俺が途中で死ぬような器じゃねぇか試したいってワケか」
「不服かい?」
「いや……」
録郎はジャケットとYシャツを脱ぎ捨てる。
露わになる細身ながらも鍛え抜かれた肉体と、背中に刻まれた“逆十字の聖者”の“刺青”。
「アンタがそんだけ本気なんだと分かって、こっちとしちゃむしろ嬉しいね。それに、このやり方は“極道的”で良い」
極道の風習として。
命を賭すと決めた闘争に臨む際に、背中に刻んだ“刺青”を白日の下に晒すことは極めて粋な振る舞いであるとされている。
それを見てリズはにぃと口角を吊り上げ、右手を天高くかざし、
「来い! “セイヴ・ザ・クイーン”!」
指を鳴らす。
すると屋敷の方からパリンという硝子の割れる音が響く。
その直後、流星のような速さでリズの下に棺桶が現れ、それを引っ張る為の鎖がリズの右腕に巻き付き、リズの腕に装着される。
装着後、棺桶の先端部分――リズの腕で例えれば手に近い位置から馬上槍を彷彿させる鉛色の棘が音もなく、突然のように現れる。
録郎は悟る。
これがこの女の戦闘装束だと。
「……ルザリア、何があっても手出しするんじゃねぇぞ」
自分に下がるように促す録郎に対しルザリアは忠告をする。
「委細承知。だが、油断するなよ。リズはデスクワークだけの女ではない」
と。
「ルニカス科学戦闘騎士団“S.S.C”の総隊長にして地上最強の十三人の一人。兄が相手にするのはそういう女だということを留めておけ」
それを聞き録郎はますます愉快な気分になった。
彼女に対し、拳を構える。
それを見て取ると、リズもまた前傾した姿勢を取り、
「行くぞォォォ! 我堂録郎ォォォ!」
喉が爆裂したかのような凄まじい絶叫と共に録郎へと突進した。
「面白かった」
「続きが気になる」
「更新早くして欲しい」
そう思ってくださった方々へ。
もしよろしけば広告下の【☆☆☆☆☆】より評価をしていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。