願い事が叶うなら
裕が瀬たちを見つけて、戻って来た頃には料理を作り終わっていた。皆で卓袱台を囲み、世間話や鬼について話しながら食べている鬼狩り達を見ながら朝御飯を食べるうちに昨日の事を思い出していく。静かになり始めた頃、箸を措いて「鬼狩りになりたいです」その言葉に、棟煉は箸を動かしていた手を止める。「…今なんと」「鬼狩りになりたいと言いました」「鬼に対して恨みはあるか」その言葉を聞いて裕の表情が暗くなったような気がした。……それにしても、恨みとは何だろう。この人達の過去にそういうことがあったのだろうか。答えようとして口を開こうとすると、襖が壊れるんじゃないかと思ってしまうほどの大きな音で前の襖がガンッと開く。「王宮からの手紙だ」「人の食事を邪魔しておいて、一番最初に言うことがそれか」飲もうとしていた茶飲み茶碗を置きながらお前なあ…、と小言を言おうとする棟煉を黙らせるためか、叩きつけるように手紙を置く。「小言は後にしてくれ! ………人の命がかかっているんだ!」人の命、その言葉で鬼狩り達の表情が厳しくなる。「蒼大さん、本当に王宮からですか?」確かめるように言った拍に蒼大と呼ばれた青年は、吐き捨てるように言う。「そうだ……こんなこと今まで聞いたことねえ」「誰宛だ」素っ気なく言った瀬に「誰って、分かるだろ。棟煉、お前宛だ」その言葉で棟煉は、柱に立ててあった刀を掴み腰に差しながら「行って来る」と言って立ち上がる。「あっ、兄上切り火します」「すまん、時間が無いからやらなくていい」「分かりました。……これあげます」裕が出してきたのは、鈴がついた赤色の小さい袋だ。「御守り?」焼き魚の骨を取るのに夢中になり今まで黙っていた風琴が意外そうに声を出す。「それは裕が持っていなさい」さっきの口調から打って変わり、諭すように裕に言う。「危険な事は無いです!」「そういう事じゃない。その御守りは、母上が裕に作ったものだ。……大事にしろ」「でも、僕は鬼狩りの仕事はできませんし……兄上達が頑張っている間、お屋敷で待つことしかできない、役立たずの僕が持っていていいのでしょうか」「誰が役立たずと言った? 充分、役に立ってくれているじゃないか。玄関の掃除とかしてくれたりな」棟煉のその言葉で風琴が頭を下げる。「玄関の掃除、忘れていてすいませんでしたっ!」「僕がやりたくて、やっていることですから謝らなくて大丈夫です」兄弟の仲良い光景を見ていると、棟煉が思い出したように、私のほうに顔を向ける。「あの件については帰ったら言う」あの件とは、私が鬼狩りになりたいといった件だろう。分かりました、とうなずくと部屋から出ていった。
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さっきからずっと気になっていたことを聞く。「あの……蒼さんと風琴さんどうしました?」「えっ、いや何でもないっ!」随分と慌てて言った風琴に、瀬と蒼大が怪訝な表情をする。今まで一言も言わなかった蒼が「考え事をしていただけです。…裕様、一つ聞きたいことがあります。良いでしょうか」「何ですか?」「そのお守り…何かありますか」「分かりません。母上からもらったものですから」「棟煉も持ってたか」「兄上ですか? ……見たことありません」「…まぁ、彼奴ならな」ボソッと蒼大がつぶやいた。最後のほうをうまく聞き取れずに聞き返す。「何でもない。んで、あんたは誰だ」あんたと言われて、頭にきたが深呼吸でやり過ごす。「紅月 時雨です。あなたの名前は」深呼吸しただけで怒りがすぐ静まるわけなく、少しとげのある言い方になる。しかし、相手は気にした様子を見せず「風音 蒼大だ。前は鬼だった気にしないでくれ」鬼、その言葉に狐耳が反応してピクリと動く。
——眼は薄ら赤かった——。
元鬼という言葉は、信用できない。負の感情などに飲み込まれ鬼になった者は、人には二度と戻れない。幼い頃、祖父に教えてもらったことだ。『時雨これを覚えておきなさい。怒り、嫉妬、絶望などの負の感情にのまれた人は鬼になる』と。私はその時、鬼になった人は戻れるの? と祖父に聞いた。 『悲しいかな。鬼となったものは、もう二度と戻れない』「何で…戻れたんですか」鬼から戻ったという蒼大の言葉を、完全に信じたわけではないが少し興味があった。「さあな。今度、理由いうから待っててくれ」(…今度っていつだ。)そう思うくらい、蒼大は先ほどの会話を覚えているのか不安になる。「猫まんま作ってくれ」と頼む、と言うか命令のように瀬に言う。「何でだ⁉ いくら料理が下手でも猫まんま位は、作れるだろう」命令されて不機嫌そうに白米を搔きこんだ瀬に向かって「ねえ、それ喧嘩売ってる⁉」「あっ、風琴さん。猫まんまも作れませんでしたっけ?」「もが余計! 馬鹿にしてるよね。完全にしてるよね!」「僕は、馬鹿にしようとして言ったんじゃないですが」「拍さんって本当に——」続けようとした裕の言葉が途切れる。代わりに「裕さん、人は誰でも過去があります。性格はほとんど、子供の時や過去が関係しているそうです。何も知らないあなたに性格のことなどを言われたくはありません」と、拍がすっと笑顔を消し、背筋が冷たくなるような冷たい声で言った。遠くにいるはずの使用人の声が聞こえてくるくらい、静かになった部屋の暗い雰囲気を変えたのは風琴と蒼大だった。「喧嘩をやるならお庭でやって…」お茶を飲もうとして一回火傷したのか、凄い冷ましながら言う風琴にいや…もう十分冷めただろ、蒼大が声をかける。その会話に張り詰めていた空気が少し緩んだ。(気がした。)良かった、とホッとしていると瀬が唐突に「やるか」と言ったが意味が分からずに聞き返す。「何をですか」「稽古をだ」「瀬さん、変な時に言葉たりませんよね」「兄さん、ちゃんと喋ってください。さっきは意味が一つも分かりませんでした」蒼が言い終わる前に、瀬が渋々作った猫まんまをものすごい勢いで、搔きこんでいた蒼大が「よふ! 準備しろ!」「蒼大さんちゃんと飲み込んでから話してください……」この人、食べながら話すのが癖なのか。先ほど風琴に声をかけた時も、何か食べながらだった気がする。喉に詰まりますよ、と付け加えると何故かそっちのほうが効果があった。
それは困る、と今度は何も食べずにはっきりと言った蒼大を無視して木刀ある⁉
と聞いた風琴にうるさい! と怒鳴る瀬の声を聞きながら食べ終わった皿を台所に待っていくために私は、席を立ったのだった。
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「紅月さん、稽古の様子を見てみたらどうですか」動きを見ることも大切なことです、という裕の言葉で稽古の様子を見学させてもらって30分ほど経っただろうか。玄関の方から、何かを落とす音がした。何かあったのかと様子を見に行くと、裕が箒を取り落として呆然としているのが見えた。先に行っていた拍はどうしたんですか? と聞いて裕の横に行く。「何をしてるんですか⁉ 早く入ってください」「大丈夫だ。これくらいは怪我とは言わない」ぎょっとしている拍の言葉を聞かず、固まっている裕の横を通り過ぎた棟煉が私を見て、複雑そうな顔をした。——理解するのに数秒を要した。左眼は止血の為に、布を巻いているがもう布は血でぬれており効果があまりなさそうだ。「拍、どうした。——おい! まさか、それを軽傷というんじゃないだろうな」血相を変えた蒼大をたいして気にせず「……軽傷だが」というが表情と言葉が合っていない。「死ぬなよ」「…目的も果たしてないのに…死ねるか」「兄上。とっ、取り敢えず部屋に入ってください」嗚呼、と気怠そうに返事をして屋敷に入っていった棟煉を慌てて拍がその後を追ったのと入れ違いで、風琴達が出てきた。「先ほどのことも聞きたいですが、その前にこの人をどうするか決めなければですね」すれ違っただけで、状況を察した蒼が朝と全く変わらない表情で言ったが、逆にそれが恐ろしい。それを隣りにいる瀬も思ったらしく、顔が強張っていた。蒼が怖い気がする、と小声で言った風琴に瀬が頷く。蒼が言うまで気が付かなかったが裕の前に、へたり込んでいる少年がいた。王族の命令で、棟煉を刺したと自首したその子は泣きながら謝ってきた。が、「今更、謝ってきてなんだっていうんだ。それが謝罪のつもりか⁉ あいつがどう思ったか、お前にっ…分からないだろうけどよ。薄っぺらい謝罪何ぞいらん!」尚も、捲し立てようとする蒼大を瀬が止める。「蒼大……相手も反省しているから、一旦やめたほうがいい。処罰は、棟煉様に聞く」表情は、いつも通りだが、怒鳴りたいのを我慢しているのが眼で分かった。それに気付いたらしい蒼大は自分に向けてか、少年に向けてかは分からないが舌打ちをして了解、と瀬に言った。