4 甘美にして空虚
「兄貴はさ、彼女とかいるの」
オレがその日、従兄の泰斗に尋ねたのは、浅野や伊藤とのそんな会話が何となく引っ掛かっていたからだった。
期末試験の勉強を見てもらう、という口実で、週末を過ごすためオレの家に程近い実家に帰ってきていた泰斗の部屋を訪ねていたときのことである。
ここから自動車で一時間ほどかかる土地の医大に進学した泰斗は、下宿することになって実家を出たけれど、学業の合間を縫ってちょくちょく帰省するので、オレは泰斗が実家暮らしだった頃とあまり変わらない頻度でこの部屋を訪ねていた。
「いたけど、先月別れたなあ。何で?」
「……いや、ちょっと気になっただけ」
女の子の直感と言うのは、案外バカにできない。
オレが女の子が苦手と言うより、もう一歩踏み込んで、好きじゃない、というのを、浅野は的確に言い当てていた。
世の中にはいろんな人がいて、同性に恋心を抱いたりする人もけして珍しくはない、ということだけれど、オレの場合はそういうわけでもなかった。大多数の同年代の男とそんなに変わらず、漠然と異性に興味がある、といってもいい状態ではあった。
けれど、具体的に目の前に現れる女子と、恋愛がしたい、と思うことはなかった。むしろ、そういう関係に巻き込まれることを恐れていた、と言ってもいい。
女子は何を考えているのかわからない。友達としてなら、例えば、浅野も伊藤も普通に気持ち良く話せる相手だけれど。それが恋愛関係ということになると、とたんにオレにとっては話が分からなくなるのだ。
そんな関係性に巻き込まれて、女の子のご機嫌をとったり、気に入ることをしてやったりすることに喜びを見いだす自分が想像できない。
いた、ということは、兄貴も、女の子をちやほやしてやったりとか、いい気分になるようにしてやったりとか、したんだろうか。
「何だよ。好きな子でもいるわけ」
泰斗はにやにやして、オレの顔を覗き込んだ。
「違うよ。そうじゃなくて、付き合うとか、時間もエネルギーもすごい必要で、気を遣いそうじゃん。そういうめんどくさいこと、したいと思うようになるのかなって」
「そりゃあ、リターンがほしければ、投資は必要だよなあ」
泰斗はまだにやにやしている。
「親には言わないでほしいんだけど」
ぼそっと言ったオレに、四つ上の従兄は居ずまいを正した。
「何かあったのか」
「最近じゃない。もう、二年近く前。中三の秋。何かさ、全然、話もしたことがなかった隣のクラスの女子に、急に告られたんだよ。でも、もう、すぐに受験じゃん。知らない子だったし、全然そんな気になれなくて、正直にそう言って断ったんだよね。傷つけるつもりはなかったから、オレなりに丁寧に対応したつもりではあったんだけど。でもそうしたら、次の週から、その子、不登校になっちゃってさ」
「……うん」
「不登校の理由は、その子は、親にも先生にも言わなかったらしい。でも、友達の女子は知ってるよな。それで、その子じゃなくて、仲の良かった女子集団に呼び出されて、すごい詰め寄られて、責められてさ。他に好きな子がいるわけでもないのに一方的に振るなんて信じられない、とか、勉強の方が優先なんて冷たすぎる、とか」
「お前はそれを誰にも言わなかったってことか?」
「うん。だって、ダサいじゃん。女子に吊し上げられたくらいでチクるのとか。学校休むのとかもあり得なかったし。特進の推薦があったから、ちょっとでも内申に傷をつけたくなかったし」
「それで、どうなった?」
「どうもこうも」
オレは肩をすくめた。
「オレは、女子の間では、自分の受験にしか興味がなくて、勇気を出して告白した女の子を傷つけた極悪冷血野郎ってことになった。それでそれ以降、女子からは完全に無視されるようになったから、残りの半年はある意味平穏で、進学したら人間関係はリセットだから」
正確に言えば、同じ中学から普通科に進学した女子は当然何人もいるので、完全にリセットではない。ただ、そうでなくても校内で、学年一クラスのみの特進はちょっと別格扱いをされ、何なら一線を引いて対応されるのが当たり前ではあったので、普通科の女子に何を思われていようと、問題にならなかった、というのが正しいかもしれない。幸い、特進科の女子はそういう噂話で嫌な思いをしたことがある手合いが大半なので、噂話にたいして冷淡で、普通に友人として接してくれている。
「そういうのって、半分、武勇伝みたいに思うやつもいるじゃん。告られたけど普通に断ったら、すげー吊し上げられた変人のオレ、みたいなさ。特進の奴らって、自分がいかに変人かで競うところ、ちょっとあるだろ。あ、ちなみに大学でもそういう変人マウントみたいなのはあるんだけど」
泰斗は、苦笑して言った。泰斗自身、特進のOBでもあるのだ。
「あーそれはあるかも。今までそう思ったことないけど。誰かに話したこともないし」
「うん。一はそうだよな。そうやって自慢しちゃうとやっぱり違うだろって俺も思うんだよね。だから俺は、一がそれを武勇伝だとは思わない感性をちゃんと持ち続けていてくれて、安心したけどな」
「いや、っていうか、普通にカッコ悪いだろ、この話」
「カッコ悪くはないだろう。一が、相手の女の子を責めなかったところも、自分の進学を棒に振らないで黙ってちゃんと努力したところも、俺は偉いと思うぞ」
「それは、大人にばれて、どっかで親父まで話がいくととんでもなく面倒だからだよ。うちの息子の内申に傷が付くだろうとか見当外れなことで騒いで、余計事を大きくしたり、相手の子に恥ずかしい思いをさせたりするくらい、あいつは平気でやるからな。そんなくそダサいことになってたまるか」
「叔父さんはなあ。まあそうかもしれんな。……一、ホントに頑張ったじゃん」
目の奥がつんとしたけれど、ここで泣いたら完全にダサいので、思いっきりまばたきしてごまかした。
「で、二年も経ってから、何でその話をしようと思ったんだ?」
「いや、何となく」
泰斗にはそう答えたけれど、オレには自分でおぼろげに答えが分かっていた。
オレは自分のしていることを、どこか整理して自分自身で分かろうとしていたのだろう。
オレが諸富にちょっかいをだしたり、からかったりして楽しんでいられるのは、諸富がオレのことなんか、というか、そこらにいる普通の男なんか、絶対に好きになったりしないという確信があるからだ。変に好きだの嫌いだの、振ったの振られたの、という俗っぽい話題にならない、超然としたところが諸富にはある。
好きな人いるの、なんて聞いたら、大方、真っ赤になりながら、どこかの小説の主人公の名前とか、絵画に描かれた人物を挙げたりするんだろう。
それはどこか甘美で空虚な空想だった。
公式兄妹か。女の子に向かい合うのが嫌な自分には、ちょうどいいポジションなのかも知れなかった。でも、その事を何となく浅野と伊藤に見抜かれているようで、オレの口の中には、どこかざらざらして嫌な味が残っていた。















