追撃イケメン化計画『食事療法編②』
とても懐かしい匂いだった。少し香ばしくて、でも優しくて。私は日本人なんだなぁとしみじみしてしまう香りに釣れられて覗くと、そこにはやっぱり地味な茶色の液体。具はシンプルに煮崩れたお芋だけ。それでも、だからこそ久々の和の心が騒ぎ出す。
「こ、これ……飲んでいいの?」
「どうぞ」
震える手を必死に抑えて、私はお味噌汁を一口。味の深みはない。質素な味。それでも、涙が出そうになるのはどうしてだろう。
「美味しい……」
「そりゃあ良かった。今度ちゃんと焼きおにぎりも食わせてやろうな」
「ありがとう」
あぁ、なんかこのまま死んだら――困るけど、それでもそう言いたくなるほどの幸福感に一口、また一口とズズズと啜って。ぷふぁ~と一息ついてから、私は我に返る。
「でも、なんでお味噌が?」
「俺が作ったから」
その簡潔な返答に、私の目はまばたきを増やす。
「婆ちゃんがそういうの好きでさ。俺も前世で専業主夫してたし、娘と遊びながら色んなもの作ってたんだよ」
「この世界でも簡単に作れるものなの?」
「まぁ、味噌も醤油も大豆を発酵させたものだからなぁ。俺、特殊能力として菌を増殖させられる力持っているし。数日で作れるんだよ」
「特殊能力⁉」
あっさり気軽に話してくれるものの――まるでついていけない。
前世? 専業主夫? 子持ち? そして特殊能力って、ラノベ主人公のチート能力的なあれですか⁉
色々出てきた単語を一つずつ噛み砕いて、お味噌汁の器を返しながら推察するに、
「あなたも……転生者?」
「そうそう。やっぱりきみも、か」
その容器をまた籠の底に隠しながら「カマをかけて良かった」と笑うショウに、私は「はぁ⁉」と呆れるしかない。
「なにそれ……それ、私が違ったらどうするつもりだったの?」
「別に、元盗賊が変なこと言ってるなーで終わるだけだろう? 誤魔化しようなんていくらでもあるさ」
あっけらかんと言っては、
「でも勝算はあったんだよ。『日本人』の感覚がなきゃ、今もこんな薄い味噌汁を美味そうに飲んでくれないだろう?」
なんて付け加えつつ、彼は再び芋を剥き出した。
え? 何こいつ。
一瞬仲間を見つけたとぬか喜びをしたけれど、この人性格悪い?
でも盗賊に捕まった時も優しくしてくれたような気がするし。焼きおにぎりだし。お味噌汁だし。
私が頭を抱えていると、ショウは何がそんなに楽しいのか。大笑いした後、彼は目に浮かんだ涙を拭っていた。
「はは、ごめんごめん。お詫びに何でもするからさ。多分、きみよりもずっと早く前世の記憶戻っているし、色々役に立てることもあると思うんだ」
ものすごーく信用したくない流れの申し出だけど。
それでも、どうして私がこの場にいるのか。その本題にはものすごく有り難い申し出には変わりなくて。
「……エドワード王子の食生活について、知っていること教えてほしいんだけど」
恐る恐る尋ねると、シュウは目を丸くした。
「ん? そんなことでいいのか?」
「そんなことって……」
「あー……まぁそうだよな。貴族の家に転生したなら、何一つ不自由ないもんな」
芋を剥く手を止め、一人で「そうかそうか」という何かに納得している。その態度にイラつく胸の内を吐き出す前に、彼は再び口を開いた。
「あの王子、そんな過食ってわけでもないと思うぞ。皿洗いは俺の担当なんだけど、特別多いわけでも、油で汚れているわけでもない。特別にメニューをあつらえているって話も聞かないしな」
そう言った彼は「だから体質なんじゃない?」とあっさりと結論づけてしまう。
うわ……彼の言うことが真実なら、厄介なことこの上ないじゃないか。
「それは困ったなぁ」
私が思わず吐露すると、ショウは「ん?」と首を傾げてから、また一人で解決したようだ。
「あーそうか。王子のダイエットを手伝っているんだっけ?」
「なんであなたが知っているの?」
「なんでって、有名な話だぞ? 毎朝王子と婚約者が仲睦まじく散歩しているって。話の流れ的に、ダイエット目的なんだろう?」
「まぁ、そうだけど……」
仲睦まじく……まぁ、婚約者同士なんだし、そう見られたところで問題はないんだけど……そうか。あの白豚と仲良く見えるのか……。
何とも言い難いモヤモヤに胸を押さえていると、ショウはまた手を動かしだす。
「噂では、病み上がりの婚約者様の健康のためってなっているけどね。王子様の体面も保つ良妻ぷりは『記憶がなくなってもさすが聖女様』だと、きみの評判もうなぎのぼりさ」
「あまり嬉しくない……」
率直に感想を述べようとしたところで、ハタと止まった。
「聖女様? 誰が? 私が?」
「そうそう――正確にいえば、きみの依代の『リイナ=キャンベル』がね。でも特殊な力があるとかじゃなくて、単純に聖女みたいに素晴らしい女性っていう敬称でしかないみたいだから」
そして「だから安心しなよ」と言われるものの、何に安心したらいいのかわからない。
リイナ=キャンベルが聖女様。
聖女って言われるということは、清廉潔白の思慮深い女性ということのだろう。だけどこの『リイナ』はまだ十代だぞ? そんな若くして大層な呼ばれ方するなんて、どれだけ崇高な女の子だったんだろう?
「今まで私、そんな大それた言動してきてないんだけど?」
というか、しろと言われても全く出来る気がしない。
そんな私を、ショウはまた楽しそうに笑い飛ばした。
「まぁ、だからこその記憶喪失扱いなんだろうから……無理はしなくていいんじゃない? 下手に無理してあとが辛くなったら大変だし」
「そう……だよね……」
ふむ。性格悪いかと思えば、なかなか建設的なアドバイスをもらえた気がする。
無理なく、そして出来るだけ清く正しく美しく……?
うーん、だけど聖女以前に令嬢としてもまともに振る舞えていない気がするんだけど、本当にこの先やっていけるのかな?
こめかみに指を当てて考えていると、ショウがクスクスと話を戻してくる。
「痩せやすい食生活なら、低GIとかどうだ?」
そして提案してきたことに、私は再び目を丸くした。すると私が何か聞くよりも早く、ショウが説明してくれる。
「聞いたことくらいはあるだろ。血糖値が上がりにくい食材を選んで摂取するダイエットのことだな。米よりそばやパスタ。パンでもあまり精製されてない麦パンにするとか。
うん。それなら雑誌でも見たことがあるぞ。『白いものより黒いものを食べろ!』て書いてあったあれだ。確か『集中力も増してお仕事の能率もアップ! これで気になる彼にも見直されちゃおう♡』とかとも書いてあった気がする。
「まぁ、あとは高タンパクなものを摂るとかかなぁ。卵白のオムレツとか、サラダに鳥のササミもトッピングするとか。出来れば運動後にプロテイン飲むのが手っ取り早いんだけど、この世界じゃそういうわけにもいかないしな」
「なるほど。詳しいね」
「昼過ぎの情報番組で、そういうの見てね。あと嫁さん医者だったから、健康情報は欠かさなかったよ」
料理上手の主夫。子持ち。奥さんは女医。
本当ならなかなか出会えない、出会ったところで何を話したらいいかわからない相手から、これ以外にも様々なダイエット食について教えてもらった。世の中、異世界転生だけでもビックリなのに、本当何があるのかわからないね!
「ありがとう! すごく助かりました!」
「いえいえ、どういたしまして」
有り難い情報提供に、ひとまず感謝を述べる。
うん。この人とは転生者同士、これからも程よく仲良くするとして。
とりあえず目先の問題としては、
「でも、それをどうやって王子にやってもらったらいいのかなぁ」
「そんなの簡単じゃないか」
そして耳打ちされたことに私が「マジで?」と聞き返すと、
「男なんて、そんなもんだ」
と、ショウはケラケラと笑っていた。
そして翌朝、私は早速実践する。
「あ、あの……エドワード様?」
「グフフ? なんだい、リイナ?」
「麦の多いパンって、美味しいですよね⁉」
一緒に植えたまだ芽の出ない花壇を見ながら、無理やり話題を切り出すと、エドワード様は首を傾げた。
「そ、そう? 白いパンの方がふわふわで、リイナは好きそうだと思っていたけど?」
「あとパスタも美味しいです! それに真っ白いオムレツは食べたことありますか? 卵白で作ったものらしいんですけど、白いんです。卵黄使ってないから。あとサラダには蒸し鶏をトッピングしてあるといいですね。そしてドレッシングは御自身でサーブして、あ、でも良質なオイル少しと塩だけで食べるのもなかなかオツなものですよ」
人差し指を立てながら、必死に笑顔を作ってアレコレ話すと――王子は一通り聞いてから、短く尋ねてきた。
「それ、リイナが食べたいの?」
「え、あ……はい」
「わかった。じゃあ作らせるから、一緒に食べようか」
ショウが言ったのはこうだ。
『好きな子が食べたそうにしていれば、一緒に食べようと誘ってくるのが惚れてる男ってもんだ』
まぁ、この手段の難点として、私も付き合わなきゃいけないことなんだけど。
だけど案の定この日から、散歩の後の朝食も一緒に摂り、
「明日は何が食べたい?」
「おやつはどうしようか?」
「たまにはテラスで食べるというのも」
などなど、白豚王子が嬉しそうに食事に誘ってくる機会が増えたことは、言うまでもない。