負けるなイケメン化計画『入浴編②』
なぁ、王子よ。寂しくて死ぬ動物としてウサギが有名だが、実際にウサギだってそんなことはないらしい。昔のドラマの台詞と突然死しやすい性質があいまって、そんなデマが広まったのだとか。
まぁ、そんなウンチクはどうでもいいんだ。
そんなことより問題なのは、
「だからと言って、なんで私がお喋り相手に付き合わないといけないんです?」
当然、大きなついたて越しで会話しているものの。
やっぱり気配はするし、王子が動くたびにバチャバチャお湯の動く音がするし。王子が浴槽に向かう時にチラッと、裸の肉感のありすぎる背中が見えちゃったし。
私が気まずさと気恥ずかしさに悶々としているにも関わらず、王子はいつも通りオドオドしていた。ていうか、こいつ緊張してようがしてまいが吃っているって、一周回って何かずるいな。
「だだ、だって……リイナは僕に『いけめん』になって欲しいんでしょう?」
「そうですけど……」
「僕、頑張るから……リイナのためなら、何だってしてみせるから……だから、頑張るための勇気をちょうだい?」
……うん。なんか殊勝なことを言っているとは思うんだけど、何だろう。だったらお風呂くらい一人で入ってくださいよ。
一応二人きりというわけでなく、介助のメイドさんや護衛兵がいる以上、下手に罵倒するわけにもいかず。私はため息ついて(これくらいは許してくれるよね?)、話題を変えることにした。
「そういえばエドワード様。無臭の天然油に心当たりはありませんか?」
「油……? リリリ、リイナが料理作ってくれるの⁉」
なんかすごく喜んでいるような声音が返ってくるものの、残念ながら、病院ぐらしの長かった私に料理経験はない。
「そうではなくて」
「そうじゃないんだ……」
あからさまにションボリした王子はさておき、私は前々から悩んでいたのだ。
「清潔にした後に、保湿をしてほしいんですよ」
「保湿?」
あくまで雑誌情報だが――『お風呂上がりのひと手間が明日の美肌を作る☆』という記事を見たことがある。どうやら、一分足らずで肌の水分が蒸発してしまうというのだ。なので、『すぐに化粧水などで保湿するべし!』ということで、今季おすすめの化粧水が載っていたのだけど。
そう、この中世ヨーロッパ的なファンタジーの世界で、今まで化粧水というものを見たことがない。一応おしろいや口紅らしきものはあるみたいだが、シャンプーすら見たことがなく、泡立ちの悪い石鹸が辛うじて貴族に広まっている程度のお風呂事情なのだ。
石鹸があるだけマシなのかもしれない。よくある現代知識でチートする悪役令嬢物語だと、自分で石鹸やシャンプー等々作っていたりする。
でも、ちょっとそこで自分の立場に置き換えてほしい。
普通、石鹸とかシャンプーの作り方って知らなくない? 転生する人たちみんな博識すぎるでしょう⁉ なんていつもツッコんでいただけで、その技法なんて「チート知識オツ」と読み飛ばしていたあの時の自分を、今は恨みたい。
「はい……失礼ですが、エドワート様の肌は最悪すぎです。そんなギトギトボコボコの肌を、いつも見せられる方の身にもなって下さい」
「……うううう、うん。リイナの毒舌にも、なな、慣れてきたからね。大丈夫だよ。むしろ悪い所を指摘してくれてありがとう」
「礼には及びません」
気にしない。私は気丈な御令嬢なんだ。プスッと小さく返ってきた嫌味なんて気にしないぞ~!
「じゃあ、キスしてくれる?」
「ふぇ?」
反射的に情けない声が出てしまった気がするが、我に返ると自分のいる場所に影が出来ていた。いつの間にか、ついたての向こうに人がいたらしく、その人がついたてに手を置く。
「最近入れた見習いコックも、同じように色んな油がほしいと言っていてね。その中で良さげなのを見繕ってくるよ。どんなのがいいのかな? 果物系とか?」
シルエットの王子は、やはり全体的に丸くて、歪んでて。それでもいつになく饒舌で、どこか囁くように言われると、浴室特有の響きゆえか、ちょっとゾクゾクくるものがあって。
「えーっと……温かい地方のナッツ系とか?」
この世界にココナッツがあるか確かめていないものの、ナッツなら王子にもらったお菓子に入っていたし、言語も共通と確認済み。
このまま話が逸れてくれることを願いつつ、とっさに私がそう応えると、ついたての向こうからは
「グフグフ」とした笑い声が聞こえた。
「わかった。じゃあ、早めに用意するね。リ、リイナとキキ、キッス出来る日が待ち遠しいなぁ」
あーあ。これが「クスクス」とした笑い声なら、少しはドキドキできるのになぁ。
――なんて油断していた私が悪かった。
「ねぇ、リイナ。早くして? ゆゆ、湯冷めしちゃうよう」
「ででで、でしたら、御自身で塗ればいいのでは?」
腰にはタオルが巻いてある。それでも、半裸の目を閉じた男の顔を真ん前にして、平常心でいられるほど私の前世に経験はない。
あれから三日。私の手には、本当にすぐにエドワード様が用意してくれたココの実から出来たオイルの小瓶があった。その名の通り、匂いは南国の似合うココナッツ。「では、これを顔に塗ってください」と言ったら、この白豚王子はこんな暴挙に出たのだ。
「ででで、でも……どこにどうやって塗ればいいのか……僕わからないよ」
「で、でしたら介助の方に頼めばいいのでは⁉」
「彼女たちも塗ったことないって」
「そんなぁ……」
周りのメイドさんたちに助けの視線を送っても、シレッと逸らされる。おかしいなぁ。そんな嫌われているというより、歓迎されている感じだったんだけどなぁ。
「ね、リイナ。リイナが僕を『いけめん』に育ててくれるんだよね?」
そして「僕、頑張るからさ」なんて珍しく吃らず言われてしまえば、私も女だ。観念してオイルをすくった手を伸ばし、王子の柔らかい頬に触れる。
すると、王子はグフフと嬉しそうに笑って、
「いつかこの手にお礼させてね」
手を重ねられると、私は叫び出したいのを堪えるだけで、手が震えてしまった。