急展開だよイケメン化計画『再会編』
長いようで、短い。そんな一ヶ月。
『明日から帰路につきます。早くリイナに会いたい』
そんな手紙を最後に、エド王子からのラブレターは途絶えた。さすがに机をいつまでも山にしておくわけにもいかないので、アルバムに一つ一つしまって。図鑑のような分厚い本が完成して、無駄な達成感があった。それはきちんと、机の本棚に入れてある。
結局一度も返事を返せなかった私は、せめてものお詫びにと、彼を出迎えたいとお父様に申し出た。
そしてお父様の言い回しの結果、彼の私室に通されるな否や――――
「リイナ!」
一足早く帰ってきていたエドワード王子に、開口一番抱きしめられていた。
髪の毛がくすぐったいです、エドワード様。
以前ほどじゃないけど少しだけ汗臭いです、エドワード様。
くんかくんか私の臭いを嗅がないでください、エドワード様。
どれを言おうか悩んでいる間にも、彼は「リイナ、会いたかったよ。リイナ」と何度も何度も私の名前を呼んで。
「あの……恥ずかしいです……」
私がなんとか言葉をひねり出すと、
「大丈夫。僕は全然恥ずかしくないから」
なんてことを言い返された。いや、その返答おかしくないかい? 私を案内してくれたメイドさんの方が「では、ごゆっくり」と苦笑しながら扉を締めてくれたくらいだ。ありがとう、メイドさん。お願いだからこのことはご内密にしてね。もう諦めてはいるけれど。
エドの部屋はあまり広くなく、とてもシンプルだった。元はあのデブ白豚だったのだから、部屋も散らかっているのかと思えば、ベッドと執務用であろう机と本棚と。簡単にお茶が飲めそうなテーブルと椅子くらいしかない。本や書類もきちんと整理整頓されており、調度品は一つすらなかった。もちろん最低限の家具はどれも一級品ぽい雰囲気ではあるけれど、それでも不摂生をしていた王子の部屋あるまじき簡潔さ。
そんな部屋で、エドは私を抱きしめたまま、踊るように回り出す。
「ねぇ、リイナ。もっと僕にリイナを見せて。結局一回もリイナの夢を見れなかったから、もうリイナ欠乏症で辛くて辛くて。思い出のリイナだけじゃ全然足りなくて、もう何度公務すっぽかして帰ってこようかと――――」
「こ、こんな至近距離だから、み、見れないのでは⁉」
永遠に続きそうなエドの愚痴にかろうじて割って入ると、彼が「それもそうだね」と苦笑して、ようやく私を離してくれた。
だけど、私はすぐにそれを後悔する。
ジッと上から下まで、熱い視線を向けられて。まさに穴が空くほどじっくり見られ。居ても立っても居られない。
一応……あくまで一応久々に会うからと、私の気合いを入れてきたのだ。そうと言っても、いつもメイドさん任せだった洋服を自分で選んで、ちょっとだけいつもより長くお風呂に入ってきて。いつもしてもらう化粧に、少しだけ口出ししてみて。前にエドと植えた花を髪に刺してみて。
「ど、どうですか……?」
おずおずと尋ねると、王子は「ふふふ」と笑う。
「すごく可愛い。恋い焦がれていたリイナよりもっとずっと可愛い。その花、僕と一緒に植えたやつ?」
「そうです。昨日一輪だけ取ってきたんですけど……よく気づきましたね」
「当たり前でしょ? 僕はリイナのこと何でもわかるんだよ?」
また一歩間違えたらストーカー発言を……なんて内心呆れていると、エドの笑みが深まる。
「だから隠さずに教えて欲しいんだけどさ」
私が何気なく首を傾げると、エドは言った。
「君は、あの見習いシェフのことが好きなの?」
「はい?」
聞き返しながら、気がついてしまう。いつもの優しい星のような眼差しが、ひどく冷たいことに。
「ふふ。その顔は誰のことか検討がついているみたいだね」
「えーと……ショウさんのことですよね?」
「ふーん。さん付けなんだ?」
今は同世代みたいだけど、前世では圧倒的年上みたいだからね――なんて言えるわけもなく。私が黙っていると、エドは笑みを崩さないまま話した。
「僕のいない間、内緒で君に護衛をつけてあってさ。彼からの報告によれば、頻繁に会っていたそうじゃないか。どういうことか、説明してもらえる?」
護衛といえば聞き覚えはいいが、それって監視なんじゃ……。
だけど、揚げ足取るようなことを言える雰囲気ではなく。震える拳を握りしめ、私は口を動かす。
「どういうこともなにも……普通におやつを食べながら、お喋りしていただけです」
「彼の作る料理、とても気に入っているみたいだよね。胃袋掴まれちゃった?」
「……その言い方、悪意を含んでいませんか?」
「まさか! 僕がリイナを傷付けるようなこと、今まで言ったことあった?」
大袈裟に手を広げるエドに、私は首を横に振る。いつも私を思いやるような優しい言葉しか、私はかけられたことがないから。
それでも……だからこそ、今彼が怒っていることが一目瞭然なのだ。
「エド。聞いて下さい。ショウさんとは何も――――」
だけど、彼の勘違いを言うよりも前に、私の唇は彼の人差し指で押さえられてしまう。
「今は僕が聞いているの。ねぇ、リイナ。本当のことを言ってくれていいんだよ? リイナと彼は同類なんだから、息が合うことも多いと思うんだ。同じ境遇だから苦労も分かち合えるだろうし。悩みを共有するたびに、リイナが勘違いしちゃうこともあるかもしれないけど……」
フニフニと、彼の指差しが私の唇を弄ぶ。その恥ずかしさと彼から出てきた言葉が、私の頭を混乱させた。
同類? 同じ境遇?
その単語に「まさか」と思い当たることを、私は口にすることが出来なかった。
私が霊人……異世界転生者だとバレてしまったのなら。
私が『リイナ=キャンベル』ではないとバレてしまったのなら。
彼からもう、愛情を受けることが出来なくなってしまうから。
「でもね、リイナ。忘れちゃいけないよ」
私の震える唇を、エドがそっと親指で撫でた。
「君は僕の婚約者。その髪の先から足の先まで、君の全ては僕のモノなんだ」
エドが笑みを浮かべたまま、私をトンッと軽く押す。後ろにはちょうどベッドがあって。ぽすんッと尻もちを付くと同時に、私はエドに押し倒されてしまっていた。
「それなのに、僕へ手紙一つ返さず、他の男に気安く頭とか触らせるんだもの……僕、もう我慢出来なくなっちゃった」
彼の顔がゆっくり近づく。嫌悪感なんて一つもない。私が育てた、理想を超えた王子様とのキスを、拒否る理由なんて一つもない。
「ねぇ、リイナ。『いけめん』も閨事はキスから始めればいいの?」
彼の顔がゆっくり近づく。嫌悪感なんて一つもない。私が育てた、理想を超えた王子様とのキスを、拒否る理由なんて一つもない。彼の吐息がかかり、私の目を閉じて、いよいよという時、
「やめて」
私は思わず、顔を背けていた。
なんだか怖くて。いつものエドじゃなくて。私の罪悪感がそんな彼を拒んで。
とっさに出た否定に「しまった」と気付くよりも前に、エドは離れてしまっていた。
「そっか……そうなんだね」
はははっ、と彼が乾いた笑い声を発する。
「わかった。もういいよ、リイナ」
「エド、聞いて! 私は本当にエドのことが――――」
私は立ち上がり、彼の左手を掴む。その上から彼の右手が優しく触れたと思いきや、
「ごめんね、リイナ。もう帰っていいよ」
「私が悪いの! 今はちょっとビックリしただけで、私は――――」
「王子の僕が帰れって言っているんだ。その意味、わかるよね?」
真顔で発せられた言葉と、剥がされた私の手。
――あ、ダメだ。
思い知らされる。何を言っても、私の言葉は届かない。
――あ、違う。
だけど、すぐに思い直す。始めから、私は彼に想われる資格がなかったのだ。
私は器だけ『リイナ=キャンベル』の、住む世界もまるで違う赤の他人なのだから。
こんな素敵な人に恋をして。優しくしてもらえただけ、死んだ後の素敵な夢物語だったのだ。
「わかり……ました……」
本当は「夢を見させてくれてありがとう」と感謝と述べなければならない。
本当は「今まで騙してごめんなさい」と謝罪をしなければならない。
でも私が『リイナ=キャンベル』じゃないと認めた時、本当にこの夢は終わってしまうから。まだその覚悟が全然足りていないから。
ズルい私は俯いて、彼の横を通り過ぎる。
せめてこの場で泣かないように。彼の好きな『リイナ=キャンベル』の流す涙で、彼が罪悪
感に苛まれないように。
私は歯を食いしばって、優しい大好きな彼の部屋から立ち去った。




