とっとこイケメン化計画『ドレス編③』
「今日もエドワード王子には帰ってもらったけど……本当に良かったのかい?」
ノック音のあと、扉の向こうからお父様の声が聞こえる。窓の方に目をやれば、今日も私を迎えに来てくれたエドワード王子が、肩を落とした様子で馬車に乗る光景が見えた。
その罪悪感を振り払うように、私は声を張ってしまう。
「いいのっ!」
思いの外大きかった自分の声にあわてて口を塞ぐも、後の祭り。
一応これでも『リイナ=キャンベル』に相応しいように、言葉遣いなど注意はしていたのだ。そんな今までの努力が水の泡になってしまうのではないかと、恐る恐る扉の方を向いても――――お父様の声は、変わらず優しいものだった。
「王子と喧嘩でもしてしまったのかい? 気まずいなら、父が取りなしてあげようか?」
「……特に揉め事などありません」
そう――――私がエドを避けているのは、ただ怖いだけ。
知らない醜い感情に呑まれてしまうんじゃないか。
そんな自分が怖いだけ。
だけどそんなこと、どうしてお父様に言えようか。
「そうなのかい? それなら、父はリイナが王子に会いたくないというのに無理強いしたくないな」
こんなにも娘の『リイナ』を案じる人に、どうして打ち明けられようか。
それでも、お父様にも立場はあるから、
「でも、明日のダンスパーティーには出席してもらえるかい? ほんの少し、顔を出してくれるだけでいいんだ。一応、国としての建前があるからね。もう病気は完治したと話が広まっている以上、将来の王妃であり宰相の娘である君が――――」
「わかってます」
大丈夫。馬鹿な私でも、そのくらいのことはわかってる。逃げられない。王子から『リイナ=キャンベル』が逃げることができないことくらい、わかっているから。
ベッドのそばの窓には、今日も小鳥が止まっていた。私が指を伸ばすと、嬉しそうにくちばしでツンツンとじゃれてくる。名前のわからない青い鳥だが、決して幸運を運んできてくれるわけではないのだろう。なんとなく、そんな気がした。私は決して、おとぎ話の住人ではない。
「お父様」
だから、私はベッドから立ち上がり、扉を開ける。
「以前お願いした家庭教師の件、どうなりましたか?」
「教師の候補もだいぶ絞れたからね。これから予定や任期の調整をするところだけど……本当に大丈夫なのかい? 勉強も大事だけど、無理してまた身体を壊したら……」
「でも、学校に通うより負担は少ないだろうと、以前相談したと思うのですが」
「それはそうだけど……ここ最近も、ずっと部屋で勉強しているみたいじゃないか。一人でダンスの練習もしているんだろう? 無理しすぎてまた体調を崩さないかと父は心配で心配で……」
それでも煮え切らないお父様に、私は思わず苦笑した。
「過保護すぎませんか?」
「……リイナが可愛いのがいけない」
「もう、お父様ったら」
そんな軽口を笑い飛ばして、お父様の顔を見上げる。優しい顔。私を心配する顔。元の作りや色が全然違うにも関わらず、それは『私』の本当の両親とそっくりだ。
そんな人に、私は聞いてしまう。
「もしも、私があなたの娘でなかったら……どうしますか?」
「うん? 熱でもあるのかい?」
お父様はあっさりと聞き流し、私の額に手を当てる。
「熱はないみたいだけど……今日は体調も悪いみたいだし、明日に備えてゆっくり休んだほうが良さそうだね」
「お父様……」
「……あまり親を試すようなこと、言ったらいけないよ。悲しくなってしまうからね」
困った顔で笑うお父様は、私の頭を優しく撫でた。すると、ふっと肩の力が抜けるような気がして。その温かさに涙ぐみそうになると、お父様は「あっ」と両手を打った。
「肝心な用件を忘れていたよ。エドワード様からリイナにドレスが届いていたよ。あとで持って来させるから、自分でも見てごらん」
「わかりました」
私が返事をすると、お父様は踵を返す。そして、
「どんなことがあろうとも、リイナは私の可愛い娘だよ」
そう告げる父の背中は、とても大きく見えた。
そして、私は運ばれた大きな箱を開ける。
中には星空のような立派なドレスが入っていた。アクセントに付けられた金色のリボンが、まるで流れ星のようで一際目を引く。そしてそれがドレスを大人っぽすぎず、適度な可愛らしさを残していた。
まさに十五歳の『リイナ=キャンベル』が、少し背伸びするに相応しいドレス。
そして、王子が私を射抜いた瞳を思い出させる贈り物だ。
当日。準備といってもさすがは令嬢。到着までのスケジュールが全て用意されており、ベルトコンベアーに乗せられた商品のごとく、気がつけば全身ラッピングされていた。
ただ少しだけ呼吸が苦しくて。きっとそれは、いつもより締められたコルセットのせい。
「緊張しているのかい?」
城へ向かう馬車の中で、ビシッと正装を決めたお父様に問われる。
「……少しだけ」
「大丈夫だよ。今日のリイナは、いつも以上に綺麗だ。王子が許してくれるなら、私がダンスに誘いたいくらいだよ」
「娘を口説かないでください」
軽口を返しながら改めて見ると、ナイスミドル。いつもより大人の色気を漂わせている父に、私は気晴らしの世間話を振り返す。
「お父様は、新しい妻を娶らないのですか?」
「なっ、何をいきなり⁉」
あ、顔が真っ赤になった。あからさまに狼狽える様子がおかしくて、私の口角がニヤリと上がる。
「だってお父様カッコいいですし。お誘いの声がかかったりしないのですか?」
「あのねぇ……いくら父でも、娘にそういうことを話したくはないのだけど」
「あら、リイナ寂しいですわ」
わざとらしくしょげて見せると、お父様も笑い皺を深くした。
「でも君が本当にそれを望むなら、一考してもいいかもしれないね」
「……私は、お父様が幸せになってくれるのが一番ですよ?」
それは、本心だ。
亡き妻の忘れ形見を一人で守ってきた男。その忘れ形見が今や『ニセモノ』なんだから。
――少しでも、報われますように。
ニセモノの娘として、そう願うことがせめてもの恩義だ。
そして、それはきっと『リイナ=キャンベル』も望んでいることだと思うから。
私が前世の両親に幸せでいてほしいと、願うように。
ガタガタとした揺れが止まり、「旦那様、お嬢様」と扉が開かれる。先に降りたお父様が、私に向かって手を差し出した。
「それでは、少しばかりエスコートさせてもらっても構わないかな。私のお姫様」
同じ言葉でも、それは私の心にじんわりと広がって。
「喜んで」
手袋越しに重ねた手は、とても大きくて温かい。




