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或る社会人の取るに足らない話  作者: 佐奈田
本編
7/60

にじり寄るもの

 自身が人に恋愛的な好意を抱かない体質であるのを自覚したのは社会人になってからだ。元々目で追っていたのはどちらかと言うと男性だったので、それまではただ単に女性が恋愛対象では無いのだと思っていた。


『後藤くん、彼女とかは?』

『あー……何か、女に興味なくて』

『やっぱり? 最初見た時からこっちの人っぽいと思ったんだよね~』


 仕事に追われる日々の中で親しくなった人がいて、その人に口説かれるまま付き合いを持った。最初は心地よかった関係でも、身体を許して以降行動を制限される生活が始まると、すぐにそれが窮屈だと思うようになった。


『本当に好きな人からだったら、束縛されるのも嬉しいけど』


 そう友人に言われたから、じゃあもうその人が好きではなくなったのだと思ってお別れをして、少し経ってから別な人と親しくなった。

 ところが出会う人出会う人、皆がそれぞれに違った価値観で行動を制限して来て、どいつもこいつも鬱陶しい事この上ないのだ。鬱陶しいと思う度にお別れしていたら、ある時ふと『周りではなく自分に、最初から相手を思う気持ちがなかったのではないか』と気が付いた。

 そこで友人に恋愛的な好意とは何かを尋ねて周り、どうやら自分はそういう感情を抱いた事が無いらしいという結論に至って少なからず衝撃を受けた。


 では、誰を恋しいとも思わない自分は血も涙もない欠陥品なのだろうか。

 そうは言っても家族とか友人に対しての好意は抱いた事があり、何かを大切に思うような感情も持っている。でもそれだと周囲の言う性的な欲求や衝動には結び付かず、そこに直結する感情について考え出してしばらく途方に暮れた覚えがある。しかし、考えたところでどうにもならなかったから、感じない物は仕方がない物だと途中で疲れて考えるのを止めた。


 恋愛感情を挟むと面倒な事になると体感してしまってからは、それを避けて性欲だけを満たす事を考え、同じような目的の人が集まる場所に出向いて情欲を発散する日々を送るようになる。

 仕事が常に忙しくて毎日ストレスを溜め込んでいたのもあって、そういう場で色んな物を解放する事はとても気持ちがいい事だったし、その場を離れれば終わってしまう後腐れのない関係は心底居心地が良く、しばらくは不特定の相手とのやり取りに没頭していた。

 無論そういう場所に来る人間が良い人ばかりという訳が無く。陰茎のサイズと性癖以外よく知りもしない相手に知り合いを紹介されて、疑いもなく出向いたパーティで一晩中輪姦されるなんて事もゼロではなかった。

 最初の頃は相手の素性や素振りに警戒していたとしても、場の使い方や雰囲気に慣れて来ると油断は生じるものだ。

 その内合法とはいえクスリを仕込まれるようになり、快楽で頭をおかしくされている間に身分証明書を抜かれ、仕事先までバレて脅されるような事態になった訳だ。


『男に突っ込まれてヨガるような趣味だと、職場にバラされたくなかったら言う事を聞け』


 そういう趣旨で動画や画像を握られた事があった。でも相手にとって不幸だったのは、章弘が仕事を裏切る事が出来ない人間であった事だろうか。自分のせいで職場に迷惑を掛ける事があってはならないと考えに考えた末、上司に洗い浚い告白した上で退職し、こうして夜の住人になった。


 それなりに順調だった仕事を捨てて地元に帰って来たというだけでも話題に上るのに、その上急に夜の仕事を始めた物だから、周囲からは尽く『堕ちた』という評価を貰う事になる。親や親族とはその頃に不仲になったきり。クスリを使われた一件以来人とは常に距離を置いて付き合っているし、誰と会うにも警戒して身分が判る物を持ち歩かないようにしていた。


 どんな仕事をしていてもストレスはあるが、あの頃に感じていた程ではない。爆発しそうな程あった快楽への欲求も今は鳴りを潜めている。要するに自分は抱えきれないストレスを発散する為に、代償行動としてセックスを選んでいただけに過ぎないのだとその内に思い至った。


 馬鹿な事をしたという自覚はある。ストレスに負けそうだったとはいえ、真っ当な生活を放り投げて一時の快楽に溺れていたのは確かだから。

 でもこれまでの生き方を後悔しているかと言われるとそうでも無く、今ある自分は大切な局面で自分なりにきちんと藻掻いた結果であると、そう思える程度に自尊心も回復した。

 足りないものを数えればキリがないが、今の生活は嫌いじゃない。自分には勿体ない位良い人達に囲まれ、支えられ、守られていると感じられる。


 あの頃は馬鹿だったけれど、それで今に繋がるなら悪くはなかったのだ。




----------




「最近、石井さん来ませんねえ」

「そうねぇ。まあ年末だし、流石に忙しいんじゃないの」

「ボトル入れてもらったばっかなのにぃ」

「持って帰ったら? ヒロちゃんが持ってくなら石井さんも怒らないでしょ」


 その日はやけに寒い夜で、ボーナスが出た時期だというのに店には閑古鳥が鳴いていた。

 客足も無いし寒いし平日だし、早々に帰ろうかと従業員同士示し合わせて居た時、店のドアが開いてドアベルが鳴った。それを聞いて「ザンネン」と口にした章弘にオーナーの鋭い視線が突き刺さり、一目散にその場を離れて客を出迎えた。


「いらっしゃい……あら、お兄さんこの間の」

「こ、こんばんは」

「カウンターへどうぞ、何になさいます?」

「あ、あ、すみません。今日は、ちょ、ちょっと人を、探してまして。い、い、居ないようですから、帰ります。しし失礼しました」

「あらぁザンネン。帰っちゃうの」


 現れたのは以前一尚達と何かやり取りをしていた冴えない男だった。つれない様子でも一応客なので引き止める素振りをしたが、先日の彼と異なる様子に目を奪われる。この寒いのに、額から、こめかみから、顎から。ダラダラと滴る雫に強烈な違和感を覚えた。来るなりそわそわと落ち着かない様子で周囲を見た彼は、すぐにドアの方へ向かって踵を返す。


 ……やばいクスリやってる人かしら。


 そんな風に思いながら彼を見ていると、出て行こうとした彼が急に振り返って章弘を見、「あ、あの」と、どもりながらカウンターへ戻って来る。近寄って来た彼の目は瞳孔が少し開いており、深淵のように真っ暗な目を間近で見た途端、薄ら寒い感覚が背筋を走って行ったのを感じた。


「……何でしょう」

「こ、こ、この間の、俺と同じ年頃の男の人、あの、せ、背の高い方……。よ、よく来るんですか……」

「ああ、彼ですか。思い出した頃に来る程度で、そんなにしょっちゅうじゃありません」

「そ、そうですか……。じゃあれ、連絡先なんて……」

「すみません、存じませんわ。ただのお客様ですから」

「あ、そ、そうですよね……。すみません……」

「で。飲んで行かれませんか。どうせ他にお客様もいませんし、サービスしますよ」

「い、いえ、お邪魔しました……」


 そう言ってふらふらと出て行った彼に何も言えず、オーナーと目配せをして静かに店のドアを開けて外を見る。去って行く背中を見送って表の看板をサッと裏返して閉店の構えを取り、早々に店内に戻って鍵を掛けた。

 カウンターを挟んで調理担当とオーナーに向き合った章弘は、「ちょっとアレ、ヤバくない?」と外気で冷えた両腕を擦りながら言った。


「あの人、クスリか何かやってると思うわ……。引き止めたかったけど、この場合仕方ないかしら?」

「いい、いい」

「背の高い方って、石井さんの事だよな?」

「前の話振りからして知り合いだったみたいだしな……。でもあの人、どう見たって普通じゃないし、鉢合わせしないように、しばらく来ないで貰った方が良いんじゃない」

「だなあ。県警には俺から連絡しとくから、石井さんにも伝えて置いた方が良い。やっぱ今日はもう解散、掃除も明日で良いから。皆まっすぐ帰れよ」

「はい」


 真剣な表情で腕を組んだオーナーに全員で頷いて返し、片付けもそこそこに帰り支度をしてそれぞれ帰路に着いた。


 普通に生活している多くの人にとって、クスリなんか異世界の話かも知れないが。一部の人間なら、生きている間に多少なりとも触れる話だ。このバーで働くようになってからはそこまででもないけれど、前の店にいた頃は怪しい付き合いを持っている同僚も一定数いて、そういう事の勧誘もしょっちゅうだった。


 でも。

 一尚という人間はそういう世界とは無縁の人である。

 あれは人目を惹き付ける造形のまま年を取り、明るい綺麗な社会でまっすぐ生きて、真っ当に年を取って行く筈の男だ。そういう彼にこんな底知れない話なんか似合わないし、敢えてそこに触れて欲しいとも思わない。

 自分はもう夜の闇に半分捕まって生きているようなものだから、真っ当な道を歩む彼には、そのままずっと昼の世界で生き続けて欲しいと、つい思ってしまう。

 ただ。

 昼の世界にだってそこら中に罠がある事を、章弘はよく知っている。章弘の場合は自らその罠に飛び込んでいってしまったけれど、気付かない内に絡め取られてしまう事も無い訳ではない。


 ゾワリと総毛立ったのは何も寒さのせいだけではない。

 あんな普通の人間の傍に転がっている罠の、狡猾で卑しい事。日常に潜むそれはさっきの男の目のように暗く、底知れない恐ろしさに満ちている。一度引き込まれたら最後、蟻地獄のように足を取られて動けなくなってしまう。

 そんなものに捉われる謂れなんか、何処を探したってある筈がない人なのに。彼はこんな半端者にも付かず離れず傍に居てくれる、柔軟で希少な存在だ。一見すると堅苦しい取っつきにくい印象だけれど、彼なりにきちんと相手の話を聞いて付き合おうとしてくれる。今時珍しく義理堅い律儀な人だ。


 そういう彼に訪れる可能性がある”もしも”を考えただけで、章弘は言い様のない恐ろしさに駆られる。


 面倒だと感じるとすぐ関係を切ってしまう章弘にしては、一尚との付き合いは長く続いた方だ。彼も最初からあっさりとした関係を望んでおり、過剰に感情の共有を求める事をしない人だから、お互いにお互いを『そういう物だ』と認識して過ごして来た。

 この三年の間に家を行き来したし、休日に会って話をしたし、互いの服や外見の好みについて忌憚なく意見を言い合って過ごしたし、弱った時に唯一頼ってしまう相手でもある。

 普通ならそういう相手を『好き』な人だと思うのだろうけど、やはり章弘に、周りの言うような感情が芽生える事はない。それでも彼が家族や友人と同じ『大切』のカテゴリに入る人ではあるのは確かだから、そういう相手には深刻な事態に遭って欲しくないと思う。


 ……こういう話は電話がいいのかしら。


 そう思って一応は着信を入れてはみたが、当然応答はない。休みの日なら兎も角、師走の平日、こんな時間だ。いくら親しいとはいっても、元々すぐに電話の折返しをくれるような相手ではない。その距離感が良くて付き合いを続けてきたのだが、こういう時、その距離感はどうしようもなくもどかしいと思える。


 帰り際に結局持たされた一尚のボトルを提げ、白い息を吐いて寒空の下をのらりくらり歩いて帰る。いつもより早い時間に通る道は、来たるべきイベントの日に向けてイルミネーションで綺麗に彩られてキラキラと輝いている。

 章弘はその鮮やかな光より、それによって強調される暗い影の方に目が行って仕方がなかった。


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