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或る社会人の取るに足らない話  作者: 佐奈田
本編
6/60

予定外の再会

「ヒロちゃあん、今日こそ俺の気持ちに答えてくれるよね。もう一年半も通ったんだ、アフター良いだろ?」

「んーそうねぇ、ボトルもう一本入れてくれたら考えようかしら」

「ああ、いつもいつもそうやってはぐらかして……。考える考えるって、食事だって行った事ないじゃないかぁ」

「考えた結果行かない事にしてるんじゃない。ここはそういう店じゃないって最初から言ってるでしょ。それにアタシ、追われるより追う方が性に合ってるの。貴方はタイプじゃなぁいの」

「ああぁん、ヒロちゃんの意地悪ぅ~」


 店に入るなりそんなやり取りが聞こえて来て、やはり今日は真っ直ぐ帰れば良かったと思った。しかし先に立った畑中はさっさとカウンターまで歩いて行き、「ヒロちゃーん、石井さんのボトルお願いね~」と言って迷いなく奥のトイレに入って行く。ドアベルとその声に振り返った章弘は「あらいらっしゃい」と愛想よく言って、酔っ払った客に握られていた手を勢い良く離し、さっさと一尚の目の前に来ておしぼりを準備した。

 ヒロちゃんというのはバーカウンターにいる時の章弘の愛称だ。


 会社で年内の成果報告会を行い、まずまずの結果を皆で共有し合った帰り。先日の結婚式の時の約束を果たすべく、一尚は畑中を連れて章弘の店を訪れた。

 まさか平日の夜に先程のような濃厚なやり取りを目にするとは思わず、早々にドン引きした一尚を相手に、章弘はいつもの調子で「今日も良い男じゃない、眼福だわ」と言って下手くそなウィンクをした。


「カズちゃんお疲れ様。ハイ、おしぼり」

「……どうも」


 普段は手渡しされるだけのおしぼりを、どういう訳か今日は満面の笑みで広げて手渡される。その動作を見た奥の客が「グギギ!」と変な声を出したのだが、店にいる誰にも相手にされずにスルーされていた。

「で? 今日は飲み方どうする?」と一尚のボトルに手を伸ばした彼に、一尚は「寒いし、お湯割りで」と返して熱いおしぼりで手を拭いた。その間に章弘が最初の一杯を作ってくれるつもりでいたようで、お湯割り用のグラスに熱い湯を注ぎ込んでいるのが見えた。


「あ、あと、俺は畑中を送っていくからノンアルコールビール……」

「はぁ? やだカズちゃん、アタシの店に来て酒も飲まずに帰るつもり?」


 バッと顔を上げた章弘がそう言うと、奥の恰幅のいいバーテンダーが「いや、お前の店じゃねえから」と声を上げる。それに「エヘッ」と茶目っ気たっぷりに答えた章弘を特に可愛いとも思わない一尚は、手にしていたおしぼりを畳んでカウンターテーブルの上に置いた。


「運転者に酒飲まそうとするのはもうNGの筈ですね」

「やぁよぉ、あんな可愛げのない奴誰も襲わないんだから、一人で帰せばいいじゃない」

「そういう問題じゃなくて」

「じゃあどういう問題なのっ? アタシの作った酒が飲めない理由でもある訳ぇ?」


 カウンターを飛び越えるような勢いでずいっと近寄ってきた彼を避け、カウンターに置かれたグラスを隣に追いやる。それとほぼ同時に畑中がトイレから戻って来て、一尚が隣に追いやったグラスを当然のように手に取った。

「石井さん、ほんとに飲まないの」と行った彼が座るより先にグラスの中身を煽ったのを見て、カウンターの中から「コラ」と鋭い声が掛かる。それに驚いたのは奥で章弘を口説いていた客だけで、彼は章弘が腰に手を当てて「ケイ、お行儀悪いわよ」と畑中を叱るその姿を見て、そそくさと荷物を纏めて奥のバーテンダーに紙幣を出していた。


「ふふん、久し振りにヒロちゃんに怒られた」

「カッカさせないで頂戴。アタシだっていい年なんだから」

「……で。石井さん飲み方は?」

「お酒飲みたくないみたいよ。代わりにケイ、アンタ何か頼みなさい」


 少し不機嫌そうな素振りでそう行った章弘は、畑中にスッとメニュー表を差し出す。それを受け取って一応は「一杯だけって話で来てるんだけどなぁ」と言った畑中に、章弘は腕組みをして呆れたように言い放った。


「良いのよぉ、貢ぐオンナもいないし趣味も特に無いし、どうせ貯め込んでんだから」

「おい」

「じゃあ遠慮なく。ボトル半分切ってるし、別なの入れて良いよねぇ」

「じゃあじゃない、お前も遠慮しろ」

「ケイ、プレミアム焼酎とかおすすめよぉ。メニュー表には載せてないけど、芋の良いのが入ってるの。ね、良いでしょオーナー、カズちゃん常連だし」

「んーまあ、石井さんなら……」

「やっば、プレミアム焼酎とか高そう」

「いつものボトルの倍するわよぉ」

「いや、どうせ酔ったら何でも同じなんだからそんなの……」

「石井さん、ごちでぇす」

「ひゅうーカズちゃん、太っ腹~」


 殆ど同時に放たれた言葉は綺麗に連携が取れている。それもその筈、何を隠そう彼等は親族、叔父と甥の間柄である。阿吽の呼吸とはまさにこの事を言うのだと思わず苦笑した。そうだと気付いたのは今日のようにこの店に畑中を飲みに連れて来た時で、言われてみれば確かに口調や仕草はよく似ていると思った。


『あら、ケイじゃない』

『ヒロちゃん。あ、勤めてるって言ってたお店ここだったの』

『? 畑中、知り合いか?』

『母方の叔父です』

『ケイちゃんはアタシの甥っ子よ。この、目の所アタシに似て可愛いでしょ~』


 存外、世間というのは狭い物なのだ。



 それから適当に腹が膨れるまで飲み食いして、いい時間になった頃。賑やかな一団が店に入って来てテーブル席に向かったのもあり、そろそろ帰ろうかと畑中と話している所に、その一団の一人から「もしかして、石井?」と声を掛けられた。

 見ると、覚えのない顔ぶればかりのグループである。訝しむ一尚にその中の男性が再び「やっぱり、石井だろ!」と言ったのを聞いて、隣にいた畑中が小さく「ゲッ」と口にしたのが聞こえた。


「俺、山口だよ。懐かしいなぁ!」


 山口を名乗った男が立ち上がり、テーブル席からカウンター席に出て来てグッと一尚の手を取る。無遠慮なその感触がただ不快で、握られた手を咄嗟に振り払ってしまった。

「山口?」と、記憶の中にあるその男の顔を思い出しながら眉根を寄せた一尚に、向き合った彼は少し驚いたような顔をしていた。

 一尚の記憶にある山口という男は、ごく平均的な身長と体格をしていた。溌剌とした性格をしていていつも皆の調整役をしているような男で、男女問わず友人も多かったように思う。

 ただ。今目の前にいるのは、人より少し痩せて目が窪んだ、草臥れたような風体の男だ。声もやや枯れてしまっており、あまりに変わってしまった姿に言葉も出ない。若かりし頃の彼と今の彼を繋げて考えることは一尚には困難だった。


「なんだよ……覚えてないのか……」

「…………」

「石井さん、確かに山口さんですよ。ちょっと憔悴して髪の生え際が上がってますけど、間違いないです」

「そうか?」

「……その言い方はお前、畑中だろ。お前は口を開くとすぐ判るぞ」


 一尚と同じく眉根を寄せた畑中が隠す事無く辛辣な事を言い、苦虫を噛み潰したような顔で山口がそんな言葉を返す。言われた言葉に興味を持っていない畑中と、山口が連れていた女性陣は、目の前のやり取りになど全く興味を持っていない風で「山口さん、そちらお知り合いで?」というような意図の言葉を吐いた。


「あ……ああ、こいつは石井、大学の同期で。こっちの減らず口はゼミの後輩の畑中。あの、石井に畑中、こっちはウチの同僚で」

「石井さんに畑中さんですね……やだ……カッコいい……!」

「先輩と同期って事は、三十五歳……」

「とても同じ歳とは思えない……」

「おい君達まで。やめろやめろ、立ち直れなくなるから」


 年齢相応と言うべきか、歳の割にはと言うべきか。そういう外見の山口に向けられる言葉もそれなりに辛辣であり、彼が同僚達からそういう言葉を言われやすい立場である事が覗える。それを怒りもせず、苦笑いしながらの親しみに溢れた返答は容易に彼女達を笑顔にし、周囲の雰囲気をパッと華やかにした。

 ……慕われているという事だ。容赦の無い指摘を恐れて誰も近寄って来ない一尚とは真逆の存在である。そう思い至ってそわりと背筋を撫でた不快感については、今は何も考えない事にした。


「さっきまで歓迎会をしてもらってて、これから二次会なんだ。良かったら二人も一緒にどうだ」

「そうですよ、ぜひぜひ!」

「良かったら連絡先とか、教えていただきたいですぅ」


 山口の提案に喜色を溢れさせた女性陣がそう言い、身体をくねらせて甘い声を出す。それを冷ややかな心持ちで眺めていた一尚は「いや」と言ってグラスの中身を飲み干し、隣で苦笑いをしている畑中と目配せをしてポケットから出した財布を手に取った。


「悪いけど、ちょうど帰る所だ。また縁があったら」

「そ、そうなのか……」

「ええ~、帰っちゃうの~」

「じゃー皆さんもごゆっくりぃ」


 さっさと立ち上がった一尚に向けて、それまで黙っていた章弘が値段を読み上げる。畑中が平らげた料理と、ボトルキープの分も合わせた額が諭吉一人分を優に超えていた事で、山口と一緒に来ていた彼女達がヒッと息を呑んだのが判った。

 初見さんにぼったくりバーだと誤解されて店の評判が落ちやしないかと心配になった一尚を余所に、その様子を見たオーナーが「じゃ、ボトルも新しくなったし、また飲みに来てね」と言って営業スマイルを振り撒いた事で一気に雰囲気が戻った。

 カラカラと鳴るドアベルの音を背に受け、暖かかった店を後にする。一気に身体を包んだ冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、車を駐めてある駐車場へ歩いた。


「石井さん、実は」と、隣を歩きながら畑中が口にした。彼が言葉を吐くと同時に白い息が周囲に広がり、思った以上に気温が低いことを物語っている。


「山口さんですけど、よくよく聞いたら離婚して戻ったらしいんです」

「……そうなのか」

「結婚した相手はあの……、佐山さんじゃなかったみたいなんですけど……。なんだか知らないけど、先月突然奥さんや子供と別れて、仕事も辞めて実家帰ってきたみたいで。向こうで仕事してる同期に聞いたら、『急に辞めたから引き継ぎが無くて大変だ』って言ってました」

「……ふむ」


 低くそう言った畑中がコートの前をキツく合わせ、「さみ~」と言って肩を持ち上げる。その様を横目に見ながら歩き、目的の場所で先に車のドアを開けてエンジンを掛けてやった。畑中が助手席に乗り込んだのを見て、エアコンを全開にしてからコインパーキングの機械を弄りに行き、ボタンを押して小銭を入れる。それで駐車スペースの機械が連動して動いたのを確認し、運転席に乗り込んでシートベルトを締めた。


「まあ、ただ働き過ぎて限界だっただけかも知れませんけど、いきなり離婚だの退職だの、何か訳ありかも知れません。年の瀬はあんまり良くない事件とかも多いから、身辺には十分注意してくださいね」

「判ってる」


 畑中の忠告にはそれだけ返しながら、一尚は暖機運転もそこそこに車を動かした。忠告をされるまでもなく、一尚は山口に関わるつもりなど毛程もないのだ。しかし彼はこちらにコンタクトを取りたがっている様子だったし、章弘の所で会ってしまったからには、一尚に接触しようと今後通ってくる可能性も少なくはない。

 今日のボトルは章弘の宅飲み用に持ち帰ってもらって、しばらくは自宅で大人しくしていようか、と。黙ったままそんな事を考えている間、窓の外には雪がチラついていた。


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