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或る社会人の取るに足らない話  作者: 佐奈田
SS集
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誕生日プレゼントの話

 誕生日を月末頃に控えたある日、向かいでコーヒーを飲んでいた章弘がふと思い出したように顔を上げて「そう言えばカズちゃん、今月誕生日でしょ」と口にしてカップから口を離した。


「……俺、誕生日なんて言いましたっけ」

「聞いてないけど、SNSで毎年『今日はお友達の誕生日ですぅ~お祝い送りませんか~』みたいなの来るから、前から知ってはいた訳よ」

「そうでしたか」

「去年まではボトルサービスしてたけど、今年はそうも行かないじゃない。何か欲しい物あったら買って来るけど、コートとか小物みたいなのとか、欲しいのある?」

「そうですねえ……」


 確かに彼の言う通り、秋頃にボトルが切れそうになると何故か無料で結構良いボトルを入れてくれていたような覚えがあるが、あのボトルサービスってそういう意味だったのか……と今更その理由を知った事は彼には黙ったまま、一尚は今欲しい物について思考を巡らせる。

 コートは昨年買った物がまだまだ着られるし、手袋やマフラーなんかの小物も特に傷んでいる様子もないから買い替えの必要性を感じない。ネクタイは毎年親族から送られて来るのがあるからしばらくは困らないし、時計なんかは現役で、財布もこの間買って貰ったばかりである。

 というか、章弘の趣味で季節の変わり目に毎回ショップ巡りに付き合わされている関係上、一尚のワードローブは過不足無く安定して稼動している現状がある。章弘のように流行を取り入れるなんて事も無い一尚にとって、無難に使える以上の物は必要性を感じられず、数だけ増えても完全にタンスの肥やしになる未来が見えている。

 だったら今年も無難に酒や食い物をリクエストしてお茶を濁して置いても良いのでは無いかと考えながら章弘が再びコーヒーを飲む様子を見ていて、ふと思った事があった。


「……ちなみに章弘さん。欲しい物って何でも良いんですか」

「え? うん、まあ……、私に揃えられる物ならね。家とか車とか言われても無理だし」

「勿論。そういうのは自分でどうにかするので、良いです」

「じゃあ、何が欲しいか言うだけ言ってみてくれる」


 そう言ってカップをテーブルに置いた章弘がこちらを見て来るのに合わせ、一尚も読んでいた本を閉じて彼に向き直る。そうして何も考えずに一言「章弘さん」と口にすると、恐らく名を呼ばれたと思った彼が「ん?」と不思議そうに首を傾げ、一尚が発する次の言葉に耳を傾けた。


「今は俺、章弘さんが欲しいです」

「…………ん?」


 返答を聞いた彼は考え事をする時の目をしてしばしの間固まり、言われた事の意味を反芻するように目を瞬かせている。そして、まずは一番に思い付いたであろう「それってエッチな意味?」という言葉を何とか捻り出したものの、すぐに一尚から「まあ、それもあるんですけれど」と言われて更に考え込むように腕を組み、「んん?」と唸って眉根を寄せて見せた。


「……ゴメン、私が欲しいっていう意味が曖昧でよく判らないんだけど……、付き合いたてのカップルの言う『プレゼントはア・タ・シ』みたいなエッチな話とは違うの?」

「いえ、結果的にはそれも含むので違いはしないんですけれど……。俺が欲しいのは全部です、章弘さん」

「全、部……」

「章弘さんの全部が欲しい」

「全部、って……具体的にどの辺まで?」

「そうですね……」


 こういう事を言う時は普通、もっと気取った言葉で、しかもある程度そういう雰囲気を作ってから言うのが一般的なのだろうけれど。ロマンチックな雰囲気の何処かの店へ出掛けて行って甘い言葉で誰かを口説き落とす……なんて真似、まともな恋愛経験が殆ど無いに等しい一尚には困難である。

 それに。

 自分と同じように偏屈な所がある章弘が、正攻法で体当たりされて落ちるとはとても思えない。仮に彼にロマンチックなムードなんか味わわせてみろ。恐らく甘い雰囲気と言葉だけに反応した彼とは『プレイ』としてその場の関係を楽しむ事になり、翌日からはまたいつも通りの関係に落ち着くという、そういう未来が透けて見えるようではないか。

 一尚が欲しいのはそういう一過性のモノではなく、ずっと続いて行く確かな関係だ。長い間恋人という物から飄々として逃げて来た章弘を相手に何をどう言えばこの思いが伝わるのだろうかと考えながらも、口にした言葉は思ったままストレートな物だった。


「月並みな表現をすると、俺は章弘さんの事が恋愛的な意味で『好き』っていう事で。俺もこんな風に思った事自体が初めてなので、どう言ったら良いか判らない所はありますけれど。章弘さんを『好き』だから章弘さんが『欲しい』っていう、そういう話です」

「……、そう……」


 とりあえず相槌を打った彼の目が隠せない程泳いでいるのを見て、やはりこの話題は彼にとって好ましくはなかったのだと再確認する。章弘はそういう関係をずっと避けて通って来た人だから、急にこんな事を言い出した一尚を前に相当困惑しているようだ。

 例えばここで『冗談だ』と言って空気を変える事が出来たとして。それで今まで通りに彼と距離を保っていられる自信は無いし、どうしたって惹かれて行く物をこのまま抑え込んでいられる訳が無い。この場を収めた所でいずれは似たような話をする機会は訪れるであろう事を考えると、酒も入らず疲労感も無いような、互いに心身共にフラットな状態でいる今は話をするのに絶好のチャンスであると言えるかも知れない。


 まあそれにしたって、軽はずみに口に出すような事じゃ無かった。


 少なくとも、彼を前にしてこの話題を上げるにはもう少し準備というか、考えや言葉をまとめてからにした方が良かったようだ。だからと言って今更口から出してしまった言葉を全て無かった事にする訳にも行かず、その言葉を発してしまった事への後悔と、それに彼が困惑した反応を返した事への軽いショックが爪先からじわじわと体を這い上がるのを感じ取る。それらを受けて、真っ直ぐに章弘の姿を見ていた筈の目線は少しずつ下へ向かい、最終的にはテーブルの上で組まれた彼の手に落ち着いた。


「……すみません、おかしな事を言って」

「ううん、それは大丈夫。全然おかしな事なんかじゃないから。ただ……」

「ただ?」

「……ただ、ごめんなさい。どう言えば良いか判らなくて。私いつもそういう関係から逃げて来たから、言葉の持ち合わせが無いっていうか。少し考えるから、時間を貰えると嬉しいんだけど……」

「……はい、それは勿論」

「ありがとう……」


 互いの目線はあちこち泳いで落ち着かなかったが、チラチラと見た章弘の目もやや下を向いていて、声はすっかり消沈してしまっている。彼の反応は一尚にとって多少ショックではあったが、撥ね付けるような拒絶の意思を感じない事にまずは安堵する。それに一尚が発した言葉もまた彼にとってそれなりに衝撃的な言葉であったようで、ほんの少しの言葉で曇ってしまった彼の表情を見ているのは却って気の毒であった。

 このまま一旦帰ってお互いに時間を置くという選択肢も一瞬頭に浮かんだのだが、この状態の章弘を放置して帰ったらそれはそれで可哀想な事になり兼ねない。言い逃げのようになってしまうのも何だと思い、いつもの時間になるまでこのまま彼と同じ空間で過ごす事にした。


 さっきまでとは違う沈黙が満ちた室内で、お互いに黙ったまま冷めたコーヒーを味わう。そうして何度かコーヒーカップを口に運ぶ動作をした後、まだ晴れない表情のままで嘆息した章弘が言った。


「……私、前に恋愛的な意味で誰かを『好き』になった事が無いって話をしたじゃない」

「はい」

「そういう状態で誰かの『好き』に付き合うと、ただ私の行動だけが制限されて色んな事がままならなくなるから……、それが窮屈で避けて来た部分が多少あるのね」

「はい」


 話しながら、テーブルの上でカップを持った彼の手がそわそわと陶器の表面を撫でるように動いているのが見えた。


「それに何て言うか……、変に付き合うとか誰かのモノっていう枠組みに収まると、そうなった相手に何かしなくちゃいけないんじゃないかって、そういう気負いみたいな物が出来て自分が苦しくなるっていうか……」

「……うん」

「あの、カズちゃんが言ってくれてる事は凄く有り難いし、こんな私を好きって言ってくれるのも素直に嬉しいんだけど……、どうしても私の全部が欲しい? 私は他にカズちゃんみたいな関係の人はいないし、今後も積極的にこういう関係の人を作る気は無いんだけど……。今のままちょっとした時に連絡を取り合って、時間が合えば会って……っていう、このままの状態でいるっていうのはダメ、なの?」

「うーん……、ダメって事は無いですけれど、そうですね……」


 不安そうな表情で必死に言葉を選ぶ章弘の様子を見ていて、この話が彼にとって本当に辛い物である事が窺える。これまで通りの関係でいる事は一尚の望みの一つではある為、ここですぐに頷けば彼の抱いている不安を取り除く事は出来るだろう。だけど『これまで通りの関係』という名の間柄じゃ、一尚自身が納得出来ない所に来ているのも紛れもない事実である。


 互いの感覚のギャップを埋められないなら、この関係は遅かれ早かれ崩れて行く事になる。今答えを求められた章弘が苦しいように、この回答を先延ばしにする事で名もない宙ぶらりんな関係に苦しむ事になるのは恐らく、そう遠くない未来の一尚自身である。そうなった時に冷静な話し合いが出来るとも思えないし、溜め込んだ感情が爆発した状態でそれまで通りの関係を続けるのが不可能な事など火を見るよりも明らかだ。

 大切な筈の物をそうして自分達の手で壊して行く事になる未来が、一尚には何より恐ろしい。


「多分俺は、いずれその枠が欲しくて仕方なくなると思う。章弘さんと会ってからずっと、時間が経てば経つ程章弘さんに対する俺の気持ちはずっと深くなって来てるし、これからも先ももっとそうなって行くと思うから。そうなった時に宙ぶらりんな関係のままじゃ、俺の方が我慢出来なくなる。そんな気がする」

「うん……」

「だからごめんなさい、章弘さんには窮屈かも知れないけど、俺の為にも今後の為にも章弘さんには俺が指定する枠に収まっていて欲しいです」

「……、あれ、ちょっと待って」

「はい?」

「カズちゃん、私が収まる枠を指定してくれるの?」

「……え?」


 はた。と章弘の顔から憂いの表情が消え、下を向いていた目が大きく開いて一尚の方へ戻って来る。急に目の前に返ってきた彼の意識に驚いたのは一尚の方で、彼はそんな一尚の心境には一切触れる事なく、「そうよ、どうして今まで気付かなかったのかしら!」と大きな声を発して向かい合った一尚の両手に自身の両手を重ねてギュッと握り締めて来た。


「私が苦しかったのは付き合うって事が不安だったからで、不安だったのは付き合った相手に対して何をするのが適切で何をするのがダメか判らなかったからで、要するに私、惚れた腫れたがそもそも判らないから、付き合った相手に何をどうしたら良いのかがてんで判らなかったのよ!」

「そ、そうでしたか」

「そうなのよ! 判らないなら判らないなりに自分が何をすれば良いか聞けば良かったの、前の私はそれさえ判らなかったからダメだったのよ、そういう事よね!」

「は、はい」

「だから教えてカズちゃん! 私何をしたら良い? どうしたら私、カズちゃんに私の全部をあげられるの?」

「えええっ? それを俺に聞くんですか」

「だってホンットに判らないのよ、お願い! 私カズちゃんの為に出来る事があったら何でもしちゃう! ……あ、でも出来るだけ痛い事は止めて欲しいかしら、アソコにピアス空けるみたいな?」

「そんな事お願いしませんよっ」


 さっきまでの心許ない様子は何処へやら。パッと晴れた表情の章弘にランランと輝く瞳で見つめられ、弾んだ声でそんな事を言われると逆にこちらが照れて言葉に詰まってしまう。ギュッと握られていた手はすぐ指を絡めて恋人繋ぎにされ、しっかりとホールドされて抜け出す隙間さえ無い。


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