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或る社会人の取るに足らない話  作者: 佐奈田
SS集
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贈り物の心

 休日。久し振りに外食をしようと訪れた蕎麦屋で、向かいに座った一尚から「そう言えば章弘さん、今週誕生日でしたよね」と言われるまで、章弘は自分がまた一つ年を取った事実に気付かなかった。


「……やだホント。貴方人の誕生日なんてよく覚えてたわね」

「六月に入ったらこの日は誕生日だからボトル入れろって毎年騒いでたじゃないですか」

「そうだったかしら。この頃昨日食べたモノも忘れそうなのよ、一年以上も前の事は覚えてないわ」

「そうですか、便利ですね」


 しれっと言った章弘が蕎麦を啜ると、大して気にせずにいつも通りの口調でそう言った彼が同じく蕎麦を口に入れる。休日だというのに人も疎らな店内でそんな会話をしながら、章弘は『だから急に外に行こうなんて言い出したのか』と起き出して来た時の一尚の様子を思い浮かべながら納得した。


『たまには外に食いに行きませんか。もう普通に外食も出来るみたいですし』

『別に良いけど……食べたい物でもあるの?』

『あー、まあ……』


 彼が何かを言い淀むのも視線が泳ぐのも、別段珍しい事では無いにしろ。休みの日にわざわざ外へ行こうなどと言うからには何かあると、そう思っていたらこういう事だった訳だ。

 それから何を食べに行くか、何処に行くかを決めるまでに時間を要し、こうして蕎麦屋に落ち着いた。そして運ばれてきた蕎麦を堪能する間にそんな話が出て、この後の予定が自然と決まって行った。


「章弘さん何か欲しい物無いんですか」

「ん~…………これと言って無いわぁ。ああ、何だったらここの支払いで良いわよ」

「や、あの、消え物じゃなくて何か残る物を贈りたいんですけど」

「そうは言ってもねえ……、名刺入れとかペンケースみたいな目ぼしい小物類はもう買っちゃったし、チャラチャラ着飾るようなのはガラじゃないし……ねえ?」

「ま……そう言うだろうとは思ってました」


 章弘の回答がパッとしないのは一尚も予測済みだったようで、聞いた後も特に表情を変える事はない。彼の性格ならまずサプライズで何か用意しようと考えそうな物だが、恐らく考えても章弘が何を欲しがるかが思い付かなくて直接聞く事にして今に至っているのだろう。

 そもそも性欲は兎も角物欲が人に比べて乏しい章弘には日用品や書籍代位しか金の使い道が無く、オカマバー時代に支出の過半数を占めていた化粧品や服飾品の予算がグンと減ってからは、預金の一部を投資に回して溜まって行く資産にニヤニヤ出来たらそれで満足という生活なのだ。

 そういう相手にサプライズのプレゼントを考えるとなると、彼でなくても難航しそうなものである。


「あ、後で何か買ってくれるつもりならここの払いは私で良いわよね」

「え、いえ良いですよ。元々ご馳走するつもりでしたし」

「その気持ちだけで充分よ。すみませーん、お勘定お願いします~」


 食事を終えてひと息ついた所で伝票を持ち、店員に声を掛けてレジへ向かう。そうしながらポケットから財布を出して支払いを済ませている間、一尚は何か思い立ったような表情で章弘の手元を見ていた。

「ご馳走様~」と店内に声を掛けながら外へ出て、レシートを仕舞った財布をポケットの中へ戻す。一連の動作をジッと見ていた一尚は駐車場へ向かいながら、「財布はどうでしょう」と言って車のロックを解除した。


「財布ぅ?」

「財布です。章弘さんの財布、結構年季入ってますし」

「ああ、そうね。確かに長い付き合いだったわ」


 助手席に乗り込みながら言われてみればと仕舞ったばかりの財布を取り出し、長い事使っていたそれを改めて眺めてみる。茶色いレザー製の二つ折り財布はもうずっと前に懇意にしてくれていたお客さんから貰った物で、角の所が擦れて曲がっていたり、中に入っていた物に合わせて形が変わっていたりと所々に使用による傷みが見られる。それこそまだオカマバーで働いていた頃から使用していた物で、章弘にとっては財布といえば一尚に出会う以前からこれだった。

「じゃ、財布で決まりですね」と言った一尚はもうシートベルトを締め終えており、エンジンを掛け始めた彼に合わせて自分の方もシートベルトを締めて財布を仕舞い込む。ゆっくりと大通りに出て行く車はどうも駅前のデパートの方を目指しているようだった。




 ……にしても、腕時計に続いて今度は財布、ねえ。


 目の前で陳列されている商品に触れて見ている一尚の背を、章弘は少し苦笑気味に眺めた。

 いくら親しくしていたとしても、友人同士であればあまり贈る事のない品々をこの短期間でポンポン贈られるというのも中々な話で。そのどちらの品を贈る事にも実は意味があるなんて、彼は知っててやっているんだろうか。


「章弘さん、こっちとこっち、どっちが好みですか」

「ん、どれどれ」


 章弘が向けていた生暖かい目には気付かない風で、振り返った一尚がそう言って二つの商品を章弘に示す。掌にすっぽりと収まりそうな大きさのそれらは店の照明に照らされても落ち着いた色合いでそこに佇んでおり、使い込む毎に表情の変化を楽しめそうな印象だった。

 普段から荷物が多くなりがちな章弘は専らコンパクトな財布を選ぶ。レシートも入れるからお札入れの所は二重になっていると嬉しいし、小銭入れの部分も大きく開くか仕切りが入っていると最高、という。そういう財布へのこだわりの話はまだバーに勤めていた頃に一尚に話した覚えがあり、彼はその記憶を頼りにそれに該当しそうな商品を黙々と探していたようだ。


 この子一体どんだけ私の事が好きなのよ。


 そう考えてしまってもきっと思い上がりではない。つい噴き出してしまう章弘に怪訝そうな顔で「何ですか」と言った彼に何でもないと答え、今使っている物よりも若干濃いめの色をした商品を指して「こっちが良いわ」と返した。

 章弘が指定した商品を一尚が購入している間、売り場の商品を眺めながらその姿を遠巻きに見ていて『あら』と思う。彼が薄手の上着から出したシンプルな長財布も章弘と出会って以降変わった事がなく、以前彼が親戚の誰かからの贈り物の財布をそのまま使っているのだと言っていたのを思い出した。

 視認性や収納面を重視する一尚は章弘とは違って長財布派である。それでも元々の持ち物はそこまで多くないから、ラウンドファスナーが付いていないタイプのパタンとした薄い財布が好みのようだ。上着のポケットからそれをスッと出す姿は実にスマートで、目の保養になるから出来ればその動作はずっと続けて欲しいと思う。

 そうだ、と思い立ってさっき一尚に見せて貰った商品の近くへ行くと、同じメーカーで同じカラーの長財布が並んでいるのが見える。上品な佇まいのそれを『コレだ』と思って手に取った所へお誂え向きに店員が声を掛けて来たので、「これ、下さいな」と伝えてレジに向かった。


「あれ。章弘さんも何か買うんですか」

「ふふ、内緒」


 レジ近くでラッピングを待っている様子の一尚に声を掛けられ、章弘は笑ってそんな風に返す。彼が意味が判らない……と言いたそうな顔をしたのはその時だけで、自宅へ戻ってからその時買った物を手渡した際は真っ赤になってしばらく固まっていた。




----------




そんな事があって数日後の事。

「うわっ」と、章弘が財布を出した途端に啓介が比較的大きい声を上げて足を止めた。その声音に驚いたのは章弘だけではなく、レジで現金を出すのを待っている店員も章弘と似たような顔をしている。啓介の方を見て「びっくりした、急に大きい声出さないでくれる?」と返した章弘に対し、啓介は信じられない物を見たとでも言いたそうな顔をして「え、待って引くんだけど」と呟くのみに留まった。


「石井さんが財布替えた矢先に、叔父さんの財布も似たようなのに変わってて普通に引いた」


 とは、買い物を終えた道すがら聞いた話だ。ああ、そういう事かと納得して「長財布と二つ折りでちょっと違うけど、メーカーと色はお揃いにしたのよ、女子高生みたいでしょ」と言うと、彼は苦虫を噛み潰したような表情を作って「指輪とかじゃない分余計にたちが悪いと思った」と答えた。


「お揃いだなんて発想石井さんには無いだろうし、そういうネチッこい事するの叔父さんでしょ。パートナーなんか要らないってあれだけ言ってた癖に急にこんな……」

「うーんまあ……あれよ。カズちゃんがあんまり一途で可愛いから独り占めしたくなったのよ」

「……ええ……」

「ちょっとガチで引くの止めてくれる、割と傷付くんだけど」

「いやだって……、二人共全くそういう人種じゃないと思ってたから、急にバカップル全開になって頭が追い付かなくて」

「何処がバカップルよ。ちゃんとオトナの恋愛してるじゃないの」

「オトナの恋愛って意味判って言ってるの、全然感情抑え切れてないよ。二人してどんだけ独占欲全開にすりゃ気が済むのさ……」

「あれだけ求められたら応えない訳に行かないじゃない、だってオトナだもの」

「うわ、うっざ……」

「ま、カズちゃん本人にはそんなつもり全く無いんだろうけど」

「ああ、何か判る……、そういうトコたち悪いよねえあの人」

「ねえ」


 話しながら帰路を歩き、薄暗い空を見て雨が降らない事を祈る。そうして歩いている所に偶然通り掛かった一尚の車が路肩に停まったのを見て、隣で啓介が小さく「ゲッ」と言ったのが聞こえて思わず噴き出してしまった。


 腕時計も財布も、どちらも実用的であると同時に、基本的にいつも身に着けて使う物である。一体いつ、誰が言い出したのかは不明だが、そういう物を贈るという事には意味があるらしい。


 通常、時計を贈る事は勤勉であれという激励のメッセージが込められると聞くけれど、親しい間柄の人間がそれをすると『同じ時を刻みたい』などという酔狂な意味に変わるらしい。

 財布の方はもっとあからさまで、日常生活で欠かせないそれは常に持ち歩く事から『いつでも一緒にいたい』という思いの現れであると聞く。

 最も、どちらもジンクスやこじつけのような物と言ってしまえばそれまでで、そういう物に疎い一尚がただの思い付きでこれらを贈ったというのも偶然といえば偶然なのかも知れない。


 しかしあの時一尚は確かにこう言った。『消え物じゃなくて何か残る物を』と。つまり無意識にしろ意識しているにしろ、彼が章弘の身近に自分が贈った物を置いて欲しいと思っているのは本心で、その事実は今日も心地よく章弘自身を縛り付けるのだ。


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