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或る社会人の取るに足らない話  作者: 佐奈田
本編
43/60

少しずつ前へ・1

 日中帯の高速道路は想定以上に空いており、本社に早く到着してしまった事で二時間程暇を持て余す事になった。父に言われた通り祖父のカードと名前を使って適当に泊まる場所を確保してどうにか時間を潰し、残り三十分になった段階で章弘がいる会社へと車を走らせた。

 目的の場所が近付くまでの間、完全に引いているであろう章弘にどうやって接触するかを考え、特に策も思い付かないまま道路を走り切ってしまう。流石にこの車のまま彼のいる会社近辺を彷徨いていたら完全に不審者なので、そう思われないよう近くの駐車場へ乗り入れて待ち合わせに使えそうな場所が無いかどうか探してみる。

 会社の近くはどうやらオフィスビルや食事処ばかりのようで、外を歩く人を見渡せるような喫茶店やコンビニなどは皆無である。ここから少し離れた場所で待っている事も出来たかも知れないが、それだと章弘に避けられてしまう可能性がゼロではない。

 ここは素直に会社のロビーに入って行き、堂々と待たせてもらうのが良いだろうと思い直した。


「こんにちは。失礼ですが、ご用件をお伺い出来ますでしょうか」


 会社のロビーに入ってすぐ、受付の方にいる女性社員ではなく、出入り口付近にいた警備員がにこやかに笑ってそう声を掛けてきた。この格好で終業間際に会社に来る輩なんて大体決まっているだろうし、妥当な対応だと考える。

 体格の良い警備員には可能な限り柔和に「紛らわしくてすみません、営業ではありません」と返して笑い、「約束があるにはあるのですが、仕事ではなくコレの件で」と言いながら口元でグラスを傾ける動作をする。一尚のその動作で「ああ!」と営業スマイルから一気に顔を綻ばせた警備員は、「週末ですもんね」と言ってウンウンと頷いて見せた。


「近くで待ち合わせだったのですが、思ったより早く着いてしまったみたいなので……申し訳ありませんがこちらで待たせていただいても……?」

「どうぞどうぞ、構いません。あちらでゆっくりお待ち下さい」

「ありがとうございます」


 こっちの本社には殆ど初めて訪れたような男で、名乗りもしない相手なのに、それでも全く警戒されていない様子に苦笑交じりでその場を離れる。警備員に会釈して示された方へ向かい、規則的に置かれたロビースツールの上に腰を降ろしてポケットの中にあったスマホを眺める。相変わらず返事も着信も来てはいないが、送ったメッセージにはやっと既読が付いたようで、取り敢えずホッとして自嘲気味に息を吐いた。


 これじゃストーカーだな。


 ここ数日の自分の行動を振り返り、他人事のようにそんな事を思う。尋常じゃない回数の電話をしたり、こんなトコまで押し掛けたり、待ち伏せをしたり。自分は痴情のもつれなんかとは縁が無いし、こんな事は絶対にしない人間だと思っていた筈なのに、つくづく判らない物である。

 せめて着いたというメッセージ位は入れようかと思い、それを送ったらいい加減クドいだろうなとも思えてどうするべきかを考える。考えたって何も思い付く物は無かったけれど、兎に角会って話せば何かしらの取っ掛かりは見られるだろうと、アプリを閉じてスマホをポケットに戻した。



 時計が終業時間を回ると、奥のオフィスや階段から少しずつ人が外へ出て行く。週末の帰り足で嬉しそうな彼等を見送りながら、一尚は騒がしくなったロビーで目的の人物が出て来るのをただ待った。


 いた。


 数分程で階段の上に現れた人影を見て、遠目からでもすぐにそうだと確信して立ち上がった。

 章弘本人は自覚していないが、長い手足としっかりした骨格の彼は人混みの中でも結構目立つ容姿をしているのだ。骨張ったスラリとした体躯は男性らしくて実に見応えがあり、スッと通った鼻筋と彫り深な目元は日本人離れしていて野性的な印象を与える。更に以前はマメに整えられていた髪がこの所の忙しさで伸びたままになっており、長くなった前髪がルーズに横に流してセットされている事で、野性的な見た目に柔らかな隙も出来ている。そんな様子でスーツなどを身に着けて歩いている物だから、彼の周りの社員がチラチラと視線を送っているのも致し方ないといえる。

 完全に余所行きモードの彼は疲労感が滲んでいる分アンニュイな表情で歩いており、それがそこはかとない色気まで感じさせて人の目を惹き付けて止まないのだ。


 別な人みたいだ。


 いつもとはまるで違う雰囲気を全身から溢れさせている章弘を前に、一尚は一瞬何と声を発したら良いか判らなくなった。


「あ……」

「……お疲れさまです。お久し振りで」

「お疲れ、様……」


 目の前に立った一尚に気付き、章弘がその場で足を止める。突然立ち止まった彼の後ろで、早く帰りたいらしい社員が迷惑そうな顔をしてこちらを避けて通って行ったのが見えた。

 驚きというか困惑というか……そんな感情を含んだ表情の彼が何を言うか心配して見ていると、すぐにふっと口元を綻ばせた彼はさっさと階段を下りて来て「会社にまで来るなんてよっぽどじゃない」と苦笑して見せた。いつもの表情にホッとした一尚とは別に、周囲で二人を見ていた社員が声を上げて何かを言い合っているのが聞こえる。薄っすら聞こえる言葉は章弘の容姿に関わる物であったようだが、特に興味も無いので構わず並んで歩いた。


「出待ちする程私に会いたかった?」

「ええ、待ち切れませんでした。会えない上に全然電話に出てくれないですし」

「それはゴメンだけど、貴方も結構しつこいトコあったのね。ちょっと引いちゃった」

「自分でもびっくりしてます。それより章弘さん、カッチリした格好が似合わないなんて言ってましたけど、スーツよく似合ってるじゃありませんか」

「ああ、これえ? 探すの大変だったのよ、私骨太だから何合わせても窮屈に見えて」

「章弘さん眼力強いから、そういう格好すると渋くてカッコ良いです」

「渋いなんてイヤよ、ジジくさいじゃない」

「でも喋るとちょっと残念ですね。さっきみたいに黙って歩いてたら凄く画になりました」

「ちょっと、本人前にしてそういう事言う? 相変わらず意地悪ね」


 案の定、さっきまで頭を占めていた心配事や不安は一掃され、口からは流れるように言葉が溢れて来る。それは恐らく章弘も同じと見えて、いつも通りに振る舞いながらどこかホッとした様子の彼の身体からは、余計な力が抜けてリラックスしている様が伝わってくるようだった。

 見慣れない出で立ちとさっきまでの表情で別人のような雰囲気を醸し出していたのだけれど、それはどうやら新しい場所に臨んだ彼が着けた仮面のような物だったらしい。そしてそればかりを目の当たりにしていた周囲には、一尚と会った時の彼が余程新鮮に映ったに違いない。

 いつもの口調と表情でのびのびと好きな事を言い放つ彼に、周りからは様々な視線が注がれている。勿論中にはあからさまに嫌悪を表す視線もあったかも知れないけれど、誰だって万人と仲良くなんて出来る訳がないから、彼のように特徴的な一面を目の当たりにしてしまえば、それはそれである程度は仕方がない事だと考える。


「で。ただ立ち話しに来た訳じゃないでしょ。デートにでも連れて行ってくれるの、王子様」

「誰が王子様ですか。すき焼き食べに行きましょう、すき焼き。こっちは和牛が美味しくて良い店があるって聞いて来たんです」

「えええ、イタリアンのディナーじゃないのお? ムード無いわね」

「お互いそんな面倒な所行くガラじゃないでしょ、ここから少し歩きますからね」


 そんなやり取りをしながらロビーから出る時、さっきの警備員がにこやかに会釈をしているのが見えて同じく会釈を返した。




「申し訳ありませんお客様、今お席がいっぱいで……」


 目的の店に入店してすぐ、向かってきた作務衣姿の店員がそう言って頭を下げた。出入り口付近には同じ様に言われたのであろう客が何組もベンチに腰を落ち着けて思い思いに時間を潰している姿があり、それなりの人気店で週末、それに料理の都合も考えるだけで、まだまだ時間が掛かりそうだと判断できた。

「どうする?」と一尚を振り返った章弘が腕時計を確認したのを見て、「急ぎはしないんですが、それなりに腹は減ってます」と返してこの後の予定を考える。


「長距離運転したもんねえ」

「ええ、まあ。別の所にします?」

「ああ、待って待って。ちなみにここで使ってるお肉って、下のお肉屋さんでも買えるんですか?」

「勿論です。よろしければ割引券をお渡ししますよ」

「じゃ、お肉買って帰って作りましょう。お店の味はまた今度の楽しみって事で」

「申し訳ありません、次のご来店をお待ちしております」

「ええ、今度は是非堪能させていただきますね」


 心から申し訳無さそうな店員ににこやかに笑って返し、章弘が差し出された割引券を受け取って店の外へ出る。そうして上ってきたばかりの階段を下って下の階の肉屋に入って行った彼は、「料理出来る道具が無いから、後でホームセンターにでも寄ってくれる?」と言って肉屋の店主に割引券を渡して喋り始めた。


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