燻る気鬱
大学の同期の結婚式があった。適当な理由を付けて欠席の返事を出して、せめて二次会だけでも来いという連絡が入ったのがひと月程前の話。急に入ったその連絡も都合があると断ったのに、別な同期からも参加をせっつかれて結局顔を出す羽目になった。
「俺らみたいな独身組が気を引くには、お前みたいなのが必要なんだ」などと宣ったのがその同期で、婚活の為に人の事を客寄せパンダのような立ち位置に持って行きたかったらしい。式の最中から飲んで出来上がり、乾杯の挨拶もロクに聞いていなかった様子の彼等は、グラスを手にしたまま一尚に人差し指の腹を見せて言った。
「お前は結婚する気無いからこのままで良いだろうけど、俺たち必死なんだよ」
「そうだそうだ。いつになったら結婚するんだって、母親がとんでもない事故物件の見合い話持って来るんだぞ」
或いは相手にとって自分が事故物件の一つにカウントされるかも知れない……等とは、彼等は多分思わないのだろう。
「周りが子供の入学祝いなんかで悩んでるの見て、超居た堪れなくなってるんだぞ。その無駄なイケメン成分振り撒いて、俺達の為に独身女を寄せ付けるんだ」
「悪いけど、三十分だけな。今日は注射打ってきたから早めに帰って安静にしていたい」
「何だよ注射って、何か病気なのか」
「インフルエンザの予防接種だ」
「いやこのタイミングで行くとかお前マジか」
「他に予約が取れなかったからな。こっちも元々は来る予定じゃなかったし」
「お前のそゆトコ嫌いじゃないわ」
言いながらグラスを傾ける彼等に混じって、一尚も烏龍茶の入ったグラスを傾ける。そうして適当に喋っている内にチラホラと「新郎、新婦、どっちのオトモダチですか?」とやって来る女性グループが何組かいて、彼女達が来る度に適当に話を合わせて頷いていた。
「ああ、そういや山口の奴、今こっちに戻って来てるらしいよ」と、女性達を数組見送った同期が思い出したように言う。それに顔を向けた一尚に彼等が気まずそうな一瞥をくれた事から、今回のこれはその山口の事がきっかけなのかと合点が行った。断っても断っても、道理で誘いが切れない訳だ。その名を聞いてスッと引いた一尚の気配に追い縋るように、彼等はまだ気まずそうな声を出した。
「あの、確かに昔色々あったけど、元は皆友達な訳じゃん? もうそろそろ水に流しても良いんじゃないかなあって、その……」
「お前の気持ちは判らない訳じゃないけど、若気の至りみたいな、そういう事ってあるし」
「あいつ、卒業してもずっと後悔してるって言ってたんだ。一時の間違いでこんな事になって」
「結局佐山は山口とも上手く行かなかったみたいだし、縁が無かったんだよ。だからいつまでも引き摺ってないでさ、また昔みたいに皆で会って飲もうよ」
言葉を重ねれば重ねる程、軽薄さは加速して行くというのに。それに気付かず説得を続けようとする彼等を前に、やはり来なければ良かったと小さく嘆息した。
出てくる言葉が象るのはどれもこれも的外れな言い分だ。あの時の何がどう問題だったのか等、外野の彼等にはどうだって良いんだ。彼等にとって一尚は、若気の至りによる一時の間違いさえ許せないような頑固で狭量な人間。それ以上の印象を持つ事は恐らく困難なのだ。
「……酔いが回らない内に、主役の二人に挨拶して来る」
「おい、カズ」
「ほら、あっちの若い子達が見てる、行ってやれ」
「ばか、見られてんの大体お前なんだよ」
「じゃあな」
「カズ!」
持っていた皿もグラスもテーブルに置いたまま彼等の傍を離れ、人の合間を縫って新郎新婦の居場所を探す。その場にいた彼等が動く気配はなかったが、少し進んだ先で近付いてくる人影があった。
近くへ来て「石井さんも今お帰りですか」と口にしたのはゼミの後輩であり、職場で中間管理職を任せている畑中という男だ。彼も一尚同様付き合いで顔を出したようで、疲労感を滲ませた様子で移動している所を見るに、結婚式の最中からここへいたようだと判った。
「畑中、来てたのか」
「そりゃ先輩方との関係拗れると後々仕事に響きますから。石井さんこそ、まだあんな連中と付き合ってたんですか。もうとっくに切れてるモンかと思ってましたけど」
「ああ、まあ。もうそろそろお仕舞いかと思っていた所ではある」
「山口さん戻って来てるんですって? どうせその件で呼ばれたクチでしょ」
「耳が早いな」
「先輩達の中じゃどうだか知りませんが、俺達の方では山口さんは要注意人物で通ってますから」
「そうか」
「それを擁護してるあの人達もクソ野郎です。雁首揃えて待ってたって誰も寄り付きゃしませんよ、一生婚活してやがれって感じです」
いつになく険しい口調で辛辣な言葉を吐く彼を否定も肯定もせず、黙ったまま連れ立って今日の主役を探して回る。その間に何人かの同期や後輩から声を掛けられても特に実のある話はせず、早々に切り上げて歩いた。
「石井さん、やっぱりあの人達の事引き摺ってますか」と問いかけられ、その直球さに一瞬困ってしまう。辛辣な物言いやこの直球さは恐らく彼の特徴的な部分であり、長い付き合いになる一尚でも、その言葉からは軽率に逃れられないような強さを持っていた。
返答に困って黙っている一尚をよそに、チラリと周囲を見渡した彼は、少し声音を落として「まだ早い時間ですし、良かったら飲み直しませんか」と言って駅の方角を指す。暗に提示されたのは恐らく、一尚も良く知っている店だ。
「……あ、いや。今日は予防接種をしたばかりだから、また今度な」
「ザンネン。じゃあその内で良いので、偶には可愛い後輩に一杯奢って下さいよ」
「それは良いけど、お前は別に可愛くないぞ」
「またまた、そんな事言ってぇ」
本心から言ったその言葉には傷付く様子もなく、畑中はさっさと先に歩いて行ってしまう。彼の目指す先に主役の二人を見付けた一尚もそれに続き、当事者達に口にする祝いの言葉を考えた。
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佐山というのは一尚が初めて付き合った女性だ。少し薄い色素の髪と肌をした人で、控えめで穏やかな人柄をしていた。当時は同じ講義を幾つか取っていた同期の学生で、就職活動が始まる少し前に『最初に見かけた時からずっと好きだった』と告白されて付き合い出した。
初めて出来た彼女という事で、体面通り連れ立って歩いてみたり、何処かへ出掛けてみたりとそれらしい事はしたが、一尚の性質と、就職活動に本腰を入れて取り組むようになった事から、少ししたら疎遠になったような覚えがある。
それでも彼女であるからには多少気に掛けてはいて、自分にしてはマメに連絡を取って、数時間でも会う時間を設けたりもしていた。難航していても就職活動なんて永遠に続く物ではないし、ある程度落ち着いたらまた元のような付き合いをすれば十分だと、至らないなり彼女との時間を得るための手段等も考えてはいた。
でも。就職の内定を貰った後、その佐山と元のように付き合う事は無かった。
就職活動が始まって間もなく、すれ違う生活に不安を抱いた佐山に指一本触れなかった事で、一尚は意図せず彼女を傷付けてしまった。結果として泣かせる事になってしまい、傷付いた佐山に寄り添ったのがその山口だったという、よく聞くような結末に落ち着いた。
その頃はまだ一尚も自身の性質の事をはっきりと認識していなかったから、何が佐山を傷付けてしまったのか判らず、それについて前向きに考える事もしなかった。
そしてどちらかというとショックが大きかったのは、友人として親しくしていた山口の裏切りの方だった。
恋愛感情や衝動的な情欲を抱く事が無い一尚には、彼が抱いた好意や衝動という物も理解できなかった。だから安寧であった関係に、容易に亀裂を入れてしまえる物の存在がそもそも予想外であった訳で。彼女と親友を同時に失ったその一件は、その後もしばらく一尚を苦しめる事になった。
「あら、おかえり一尚。思ったより早かったのね」
「ただいま。……ああ、椿さん。いらっしゃい」
「おかえりなさい。お邪魔してます……」
帰宅してすぐリビングに顔を出すと、長弟の嫁の椿が母と並んで毛糸を弄っている所だった。長弟の芳尚に比べて大人しい彼女は、一尚が声を掛けると大抵は肩を竦めて縮こまってしまう。怖がらせても何だからと、これまではあまり長く顔を合わせないように気を遣っていたのだが。彼女としてはその気遣いに心苦しさを感じており、一尚が末弟の元気な嫁にばかり構う話を複雑な思いて聞いていると芳尚に聞いた事がある。
だったらそのビクビクした態度を先にどうにかしろと思わないでもないが。長い付き合いになる彼女をこうやっていつまでも敬遠している訳にも行かない。多少は歩み寄る事を考えなければいけないと思って、今日位は部屋に籠もらずに過ごすようにしようと考えた。
「その格好疲れたでしょう、着替えてらっしゃい」
「はい。着替えたら少し飲み直すよ」
「なら丁度いいわ、さっき椿ちゃんとおでん作ったの」
「……何でおでん?」
「……芳さんがお義母さんのおでんが好きだから、習いに来たんです……」
「なるほど、それで」
「聞いて一尚、椿ちゃんの御宅では、厚焼き玉子もおでんに入れるんですって」
「へえ」
「入れてみたらね、ジュワってお出汁が出て美味しいのよ。今温めるわね」
「ありがとう」
はしゃぐ母と照れくさそうな椿をリビングに残して自室に上がり、礼服とシャツを脱いでいつもの服に着替える。それなりの格好をするとやはり気持ちも引き締まって身体が強張るから、着慣れたラフな格好になっただけで随分気は安らいだ。
立場上舐められないようにと、スーツも礼服も、身に着ける小物類も全て、見る人が見れば身構えるような物を揃えるようになって三年程になる。最初は見た目を強そうに見せるだけで精一杯だったが、段々と中身と実績が外見に追い付いて来た所だ。しかし今度は、意識せずとも人に威圧感を与えてしまう事があるようで、椿のように控え目な性格の人と付き合いを持つには短所になり得た。
礼服をハンガーに掛け、シャツだけでは肌寒いからと着古したカーディガンを羽織る。そうしてからようやく、嫁の椿がいるのに彼女の夫である芳尚の姿が見えない事に気付いた。
洗濯する物を洗濯機に放り込み、「そういえば、芳尚と親父は?」とコンロ脇でお喋りに花が咲いている女性陣に声を掛けると、「酒屋さんに行ったわ」という母の明るい声が答えた。
「おでん作ってたら日本酒が飲みたくなっちゃって。お使いお願いしたの」
「ああ、それでいなかったのか」
「もう待ちきれなくって。椿ちゃん、一尚も帰ったし、先に始めてましょうか」
「あれ、椿さん、飲める人だっけ」
「あ、あの……日本酒、なら……」
「そうなの、私もさっき聞いてびっくりして。もっと早く知りたかったわ」
もじもじと俯いて言った彼女を前に、嬉しそうな母が軽快な動きで酒器を用意するのが見える。ここに末弟やその嫁も加わったらまた賑やかになりそうだと考えていると、母も同じ事を思ったらしく「お正月は尚徳と由貴ちゃんも呼んで皆で飲みましょうね」と楽しそうに口にした。
それにしても、椿が日本酒を嗜めるとは意外であった。酒の類は苦手なものだと記憶していた筈なのに。
そう思いながら母に言われるまま、リビングのテーブルにカセットコンロと、中身が詰まった重い土鍋を運ぶ。それらと女性陣が運んだ取皿や箸を並べているうちに、急に『ああ、違うな』と思い直した。
義妹の事など最初から知る気もなく、一尚が勝手にそうだと決め付けていたのだ。
椿は大人しく、穏やかで控え目な女性だ。時に縮こまるその背中が記憶の中の誰かを思わせて、こちらが素直に椿自身を見る事が出来ないのだ。
記憶の中のその人を、傷付けてしまった事を認識した瞬間。腹の奥底で芽生えた罪悪感は、恐らくこれから先も一尚の腹で燻り、ふとした時に再燃して無意識に同じ条件の人を遠ざけ続ける。
酒の類が苦手だと言っていたのは彼女ではない。遠い日に一尚が傷付けた佐山だ。