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或る社会人の取るに足らない話  作者: 佐奈田
本編
37/60

並存するために・2

「カズちゃんってお坊ちゃんの割に家庭的よね。洗濯機は使えるしお料理は上手だし、ちょっと水出し過ぎだけど洗い物も出来るし」


 言いながら食器拭きを持った章弘が水切りカゴの中からプレートを出し、水滴を拭って調理台に置く。それを聞いてお坊ちゃん? と首を傾げた一尚を見上げながら、彼は「だって、石井さんちの長男なんてお坊ちゃんじゃないの」と言って次の食器を手に取った。


「ああ、いえ。石井の家は確かに会社経営してる一族ですけど……濱村さんのトコに比べたらウチなんかは普通の一般家庭と大差ない筈ですよ」

「はああっ? あの高級住宅街に豪邸構えて何が一般家庭よ、前から思ってたけど貴方、ちょっと感覚トンでるわよ」

「豪邸ってそんな、大袈裟ですよ。ただの一般家屋じゃありませんか」

「建物の規格はそうかも知れないけど、あんだけの規模のお家が一般的な訳ないでしょ! シャッター付き車庫は三台分はあるし……部屋はあれ、一体何部屋あんのよ、上と下合わせて」

「ええっと……十部屋位は……」

「ほら見なさいっ、その上二階にもトイレと洗面所付いてたでしょ! 一般家庭にしては羽振り良すぎなのよ! ……まあ確かに、会長も貴方の叔父さんも人を使わず自分が動いてたし、そういう意味ではあんまり肩肘張らない一族みたいだけど」


 今度は一尚の方が、隣に立った彼から祖父や叔父の話が出て来た事に驚く番だった。まさか彼等に面識があったとは思わず、咄嗟に「え、章弘さんあの人達に会ったんですか」と尋ねた一尚に、彼は事も無げにそうよ、と頷いて持っていた食器拭きをハンガーに戻した。


「ウチの叔父さん絶対嫌な事言ったでしょう、すみませんあの人、昔からどっかおかしいんですよ」

「フン、引っ叩いてやったから良いのよ」

「えっ? あの叔父さんを引っ叩いたんですか。章弘さん結構武闘派ですね」

「だって気持ち悪かったんだもの、正当防衛でしょ」

「はい。絶対正当防衛ですね」


 飯の後にと言った話は結局一尚が浴室から出た時から始まり、食事もそっちのけでお互いが年越しから抱いて来た事を共有し合ってようやく今に至った。こちらが吐いた言葉は涙混じりで非常にカッコ悪い物だったし、彼の吐いた言葉も思った以上に長く重く、正直に言うと受け取るのに少し苦労した。

 一尚が持っていた思いも、彼が抱えていた物も聞いて今すぐどうにかなる物ではないし、お互いに共有した所で特に何が変わる訳でもない。それでも目の前の人が吐き出した物を頷いて聞いてくれただけで、つかえていた物は少し軽くなり、悶々としていた時間は何だったのかと思う程頭の中がスッキリしていた。


 すぐにどうにもならなくても、こうやって思った事をただ話すだけで良かったのかも知れない。


 つい最近まで自身を苛んでいた記憶を脳裏に描き、その時飲み込んだ言葉の数々に思いを馳せる。あの時一言でも何か言えていたら、こんなに長い間苦しまなくて良かったのかも知れない。或いは、ああなる前に佐山の言葉をきちんと受け止めていたら、あの結末を迎えずに済んだのかも知れない。

 今となってはもう、どちらも仕方のない事だけれど。


 章弘の方はどうだろうかと気にして見た時、一尚の視線に気付いた彼は『聞いてくれてありがとう。スッとしたわ』と言って笑い、その言葉にホッとすると同時に、そんな場面でまで自分に気を使ってくれる彼に申し訳なく思った。


 思った以上に話し込んでしまい、気が付けば間もなく正午を回るという時間で、朝食にと用意されたプレートはそのまま昼食になった。


 洗い終わったプレートを拭き終えた章弘が食器棚に向かい、「コーヒー飲む?」と言って一尚に笑いかける。それに「いただきます」と答えると彼はカップ二つを棚から取り出し、コーヒーメーカーにセットして二杯分のマークが書かれたボタンを押した。


「ねえ。私今日はオーナーから書類を受け取ってお仕舞いなの。そんなに掛からないから、時間があったら家具屋に付き合ってくれない?」


 その言葉にあれ、と思ってカレンダーを見ると、確かに今日は月末に近い日付である。「あっそうか、お店での仕事今日まででしたね」と焦り出した一尚を見て、彼は「何で貴方が慌ててるのよ」と不思議そうにこちらを見た。


「退職するのに、何かお礼の品を。沢山お世話になったし……」

「あっ良いの良いの、気にしないで。生活変わったって飲みには行くつもりだし、カズちゃんとは何にも変わらないもの。そんな大袈裟なモンじゃないわよ」

「でも……」

「良いから。それより家具屋、だめ?」


 既にスマホを操作し始めていた彼が目的の店のサイトを表示させ、一尚に画面を見せてくる。買いたいのはどうもソファのようで、買って運んで来た所で、ここに置き場を作るまで苦労しそうだと思った。


「ええ、その位は勿論、良いですよ」

「やった。ご飯と足代は出すから、模様替えまで手伝ってね」

「そんな、ここに置いて貰っただけで十分です。却ってこちらが色々支払う立場なのに」

「ツケといて良いわよ。その内身体で払って貰うから」

「それがイヤだから言ってるんです」

「んもう、イケズねえ。さっきまではピーピー泣いて可愛かったのに」

「ピ、ピーピーなんて泣いて無かったでしょ」


 スマホを仕舞った章弘が口を尖らせ、少し誂うようにそんな事を言う。それにギョッとして振り返った一尚がすぐに「ほじくり返すの止めてくださいよ」と抗議したが、こちらに文句を言う元気があると判ると、彼は悪戯っぽくクスクス笑って見せた。




----------




 最後の出勤をする章弘を店の近くまで送り、戻るのを待つ間車を駐めて商店街をフラフラする。

 本当なら家に戻って家族に何か言って来なければいけないのだろうけど、今の一尚にはまだそれが難しい。

 黙って動向を見守っていてくれた父に何を話すか、家にまで連れて来てしまった忍の事をどうするか、そういう事を考えるにはもう少しだけ時間が必要だ。だけどせめてこの週末の内に覚悟だけは決めようと思い、スマホで父に『日曜に帰る。その時に話をしたい』とだけ送って賑やかな通りを歩いた。


 平日とはいえ行き交う人の多さに辟易してショッピングビルの中に逃げ込み、その中で服や小物を見て時間を潰している間に時計屋の一角が目に入った。


 そういえば、彼は時計をしていなかった。


 バーで飲み物や食品を扱う以上それもそうかと思い、時間を見る時に壁時計やスマホを探していたのを思い出す。車も持たない中でこれから会社勤めに入るのなら腕時計位は必要だろうと考え、手頃な物があれば贈ろうかとブースの中を見て歩く。ズラリと並んだ商品を眺めている内に自然と自分が使っているメーカーのモデルに引き寄せられ、スーツに合うようなモデルを探してしばし佇む事になった。

 一尚が一つのメーカーに狙いを定めたタイミングで、女性の店員が「何かお探しでしょうか?」とスマートに声を掛けてくる。それに曖昧に返事をした一尚に負けず、彼女は「こちらの商品は何と言っても頑丈ですから、長くお使いいただけますよ」と手前に並んだ最新型を手に取った。それから一尚のしている時計に目を留めた彼女は、「性能や特徴は恐らく、お客様の方がよくご存知ですね」と言ってニコリと笑って見せる。それを完璧な営業スマイルだと他人事のように感心し、他社の接客も勉強になるなとおかしな感想を抱いた。


「贈り物ですか?」

「ええ、まあ……」

「その方、お仕事は何を?」

「看護師……じゃ、なくて……、会社員です。来月から転職を」

「転職のお祝いですね。会社員という事でしたら、お客様と同じシンプルなデザインのこちらなどはいかがでしょうか。もしくは、元々看護師をされていた方なら秒針があるこちらのタイプや、ベルトがシリコン製の物なども肌馴染みが良くて、時計に慣れない方でも安心してお使いいただけるかと……」


 あ、しまった。と思った時にはもう遅かった。

 流れるように尋ねられてうっかり相手の条件を話してしまい、途端に始まった商品説明に舌を巻く。実を言うと一尚はこの手の営業から上手く逃れられた例がないのだ。相手が男であれば適当に話を切って逃げる事も吝かではないが、女性の営業はこちらの逃げ道を的確に塞いで来るきらいがあってあまり得意ではない。特に今目の前にいる彼女のような店員は客の迷いも決断のひと押しも熟知しているタイプで、相手をその気にさせるのと諦めさせるのが抜群に上手い。

 何故か白やピンクなどの可愛らしいデザインの小振りな時計を並べられながら、早く用事を済ませた章弘から迎えの要請が来ないかと願ってもみた。でもそういう時に限って連絡は来ないものだ。早々に諦めてどれかを買う事に決め、秒針があって肌に馴染みそうな物、というヒントを元に並べられた商品を眺めた。


「あー……じゃあこの、シンプルな奴をお願いします。」

「こちらは女性が着けるには少し大きくて、地味ですが……」


 ソーラー式の時計の中から極力シンプルなデザインの物を選び、げんなりとして言った一尚に、彼女が怪訝そうな目を向ける。それに「いつ相手が女性だと申し上げましたか」と尋ねると、彼女は一瞬キョトンとした顔になり、すぐに慌てて「失礼しました!」と言って在庫を取りに奥へ引っ込んで行った。


 これを渡して店員の押しに勝てなかったと行ったら、また彼に笑われるだろうか。


 そういう事を考え始めた頃にようやく章弘からの着信があり、居所を伝えて少し待っていてくれるよう伝えた。

 商品の箱に簡単にリボンだけを付けて貰い、代金を支払って早足で駐車場まで戻る。そこから章弘を降ろした場所まで戻って彼を拾い、家具屋に向かいながら袋を手渡して事情を話すと、案の定腹を抱えて大笑いされた上、その日は思い出し笑いをする彼に夜まで誂われる羽目になった。



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