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第八章 薩英開戦

 横浜港を出港したイギリス艦隊が、大隅半島を回り込み、鹿児島湾へ入ったのは、文久三年六月二十七日(一八六三年八月十一日)のことである。

横浜港出港後のイギリス艦隊は、石炭の消費を節約するため、蒸気機関は使わず、帆走で鹿児島まで航海をした。そのために日数が掛かったのだ。

 鹿児島湾の海岸線には、薩摩藩が配備していた物見がいる。イギリス艦隊発見を告げる烽火が、大隅半島の南端に近い佐多で、次いで湾口の小根占で上がった。号砲も上がる。

 湾内の至る所に設置された台場から、次々と号砲が発射されて、鹿児島城まで、イギリス艦隊発見の知らせが届けられていく。湾内に設置された台場の数は、雑賀らが滞在していた半月余り前よりも、さらに増えていた。

 号砲の轟音の中を、イギリス艦隊は、旗艦ユーリアラスを先頭に、単縦陣に隊列を組んで、湾内を進んでいく。

 ユーリアラス艦長ジョスリングは、艦橋に立ち、双眼鏡で、薩摩藩の台場の様子を視認していた。

 兵が一人、ジョスリングの元へやってくる。

 兵は、ジョスリングに敬礼をすると、号砲の音が気になるのか、やや緊張した表情と口調で、ジョスリングに告げた。

「ニール代理公使がお呼びです」

 ジョスリングは、双眼鏡を目から離すと、兵の顔を見た。まだ若い。二十歳前だろう。

 兵は、直立不動の姿勢で、ジョスリングの返答を待っている。

「すぐ行く」

 ジョスリングは、あまり気乗りのしない声で、兵に応えた。

 英国代理公使ニールは、横浜の公使館で、艦隊の帰還を待つのではなく、自ら、旗艦ユーリアラスに同乗していた。

 ユーリアラスをはじめとするイギリス艦隊には、薩摩藩との交渉に備えて、多数の公使館員が乗っている。

 本来、戦場は自分の居場所ではないと考える公使館員が多数、同行している理由は、すなわち、イギリスは「薩摩藩との戦争は発生しない」と考えているために他ならない。

 ジョナサンと雑賀の警告の甲斐無く、艦隊を率いて乗り込んで恫喝をすれば、薩摩藩は、すぐさま降伏して、素直に賠償金を支払うだろうというのが、イギリスの読みだった。

 もっとも、イギリスにしてみれば、日本の代表である徳川幕府が、簡単に恫喝に屈して賠償金を支払ったのだから、幕府の一家臣にすぎない薩摩藩が、よもや殲滅戦も辞さない覚悟を抱いているとは、信じられなかったのかもしれない。

 ジョスリングは、執務机を前にして椅子に座る、ニール代理公使の前に立った。本来の公使であるオールコックは、イギリスに一時帰国中だ。

 ジョスリングは、きわめて事務的な口調で、口を開いた。

「お呼びですか?」

 ニールは、神経質そうにおどおどとした様子で、やや甲高い声を上げた。

「何だ、あの音は?」

 薩摩藩の台場から放たれる号砲の音だ。

「薩摩の号砲の音ですな。我々の来訪を、藩主に告げるためのものでしょう」

 ジョスリングは、淡々と返答した。

「この船が砲撃を受けているわけではないのだな?」

ニールは、不安そうに念を押した。

「ただの信号です。ご心配には及びません」

 ジョスリングは、胸を張って答えた。

 ジョスリングは、イギリス艦隊の旗艦であるユーリアラスの艦長だが、艦隊のナンバーワンではない。艦隊のトップは、イギリス東インド・シナ艦隊司令長官であるクーパーだった。クーパー提督もまた、ユーリアラスに同乗している。

 ジョナサン・デビッド大佐が、モビーディックの艦長ではあるが、実際は、アメリカ合衆国大統領全権大使・ホリー・クロウ・ペリー大尉の指揮下にあるのと似たような関係だ。

「ならばよい」

 ニールは、一転して尊大に頷いた。クーパーが『武』のトップであるならば、ニールは『文』のトップであった。どちらも、ジョスリングよりは、上の階級だ。

ジョスリングは、ニールを安心させるように、言葉を続けた。

「薩摩藩は、今頃、我々の来訪に慌てふためいていることでしょう。よしんば、戦端が開かれたところで、実力の差は歴然ですからな」

イギリス艦隊発見の報告は、直ちに鹿児島城にいる藩主・島津茂久、国父・島津久光の許まで届けられた。

 第一報の後、続々と、発見後のイギリス艦隊の動きを知らせる報告が城へ届けられる。

 七隻のイギリス軍艦は、鹿児島湾内の水深や地形について測量を行いながら、湾内をゆっくりと航行した。

 やがて夕闇が迫ったため、艦隊は、鹿児島の南にある七ツ島沖に、揃って投錨したという報告だ。

 翌六月二十八日。イギリス艦隊は再び、鹿児島湾の測量を続けながら、北進を開始した。

 艦隊の陣容を、岸辺で見守る多数の薩摩藩士に見せつけるように、悠然と、鹿児島城の前方の海まで艦を進める。

 ユーリアラスら七隻のイギリス軍艦は、鹿児島城と桜島の、ほぼ中間地点に停船すると、錨を降ろした。かつて、モビーディックが停船したのと、概ね同じ場所である。

 各艦とも舷側の砲塔を、鹿児島城と、城の周辺に築かれた台場に対して、油断なく向けている。

 一方の薩摩藩は、昨日のイギリス艦隊発見の号砲を合図に、各台場に、必要な兵士を配置するとともに、海岸線の要所要所にも、銃や槍で武装した兵士を展開させて、イギリス艦隊からの攻撃に備えていた。

 薩摩藩が誇る三隻の蒸気船、天祐丸、白鳳丸、青鷹丸は、薩摩藩船奉行・松木弘安の指揮の下、万一の事態に備えて、鹿児島城下の北方三里程にある、脇元浦沖に隠してあった。脇元浦は、鹿児島城前面に位置するイギリス艦隊からは、死角となり、見えない場所だ。

各台場の薩摩藩兵たちには、くれぐれも先には発砲するな、という薩摩藩主・島津茂久の厳命が伝えられていた。藩主からの厳命があるために、イギリス艦隊を前にしても、いきり立った台場の兵が、射程外から砲弾を発射するような事態にはならなかった。

 既に、モビーディックと行った模擬船と、その後の砲撃訓練において、各台場を持ち場とする薩摩藩兵たちは、誰もが砲撃に必要な距離感を身につけていた。茂久からの厳命の有無にかかわらず、イギリス艦の位置は、まだ、砲撃を行う場所ではないと、わかっている。

茂久は、イギリス艦隊旗艦ユーリアラスに対して、念のため、来訪の意図を確認するべく使者を送り込んだ。

 ユーリアラスのニール代理公使からの回答は、薩摩藩に対して、生麦事件の賠償金の支払いと、下手人の逮捕・死刑を求めるというものだ。生麦事件時の責任者である、島津久光についても、本来同様の処罰を求めるところだが、特別に見逃すという温情つきだ。

 その上に、万一、薩摩藩が要求に応じない場合には武力行使も辞さないという、恫喝が重ねられた。

 薩摩藩は、下手人については目下逃亡中のため、捕縛次第、死刑に処す旨を回答した。

 だが、賠償金については、そもそも諸大名の行列を乱すような無礼者は、国法により斬り捨てて良いとされている事実を説明し、万一、非がある者があるとすれば、薩摩藩ではなく、斬られたイギリス人らに国法の存在を知らしめていなかった幕府であるとして、賠償金は幕府から受け取るようにと、併せて回答した。

納得のいかないイギリス艦隊と、賠償金など支払うつもりの毛頭ない薩摩藩の間で、以後、数日に渡って交渉が繰り返された。

 だが、六月三十日、ついに交渉は暗礁に乗り上げ、イギリス艦隊は、戦闘の準備をするためか、碇泊場所を、より桜島に近い、桜島の横山、小池両村の沖合に移動させた。心理的に、少しでも鹿児島城を守る台場から距離をおいて、より安全な位置から砲撃をしようという動きであろう。

翌、七月一日。薩摩藩は、ユーリアラスに、薩摩藩の回答に対する、最終的なイギリスの意思を確認するための使者を送り込んだ。

 幕府から賠償金を受け取ればよい、という、薩摩藩の主張を呑んで、退くか否か?

 対するイギリスのニール代理公使は、不愉快そうに顔を歪めて、口汚く、使者である薩摩藩士を罵った。

 薩摩藩士は、もはや開戦あるのみという、意思表示だと受け取った。力ずくで、薩摩藩にイギリスの要求を認めさせようという、ニールの意志は明らかだった。

 恐らくニールは、脅かせば、薩摩藩は、すぐ屈すると思っていたのに違いない。思惑が外れて、薩摩藩が折れようとしないのが気に入らないのだと、薩摩藩士は感じ取った。

 使者からの報告を受け、藩主・島津茂久は『開戦必至』の伝令を全軍に送るよう指示を出した。併せて、命令が下るまで決して砲撃を開始するな、という厳命も、徹底させた。

 急速に天候が悪化し、雨が降り出した。

 茂久は、久光らとともに、かねてから開戦時の本営と定めていた、千眼寺に移動した。

 千眼寺裏手にある、常磐山の中腹には物見台があり、広い鹿児島湾が一望できるようになっている。

 茂久らは、雨の中、山道を登って、物見台に立つと、湾内を見渡した。

 イギリスの七隻の軍艦の布陣が見て取れる。イギリス艦からは、多数の小船が四方八方に繰り出され、開戦を控えて、湾内の水深の測量に余念がなかった。

 交渉が決裂したとはいえ、まだ、イギリス側からも、薩摩藩側からも、正式な宣戦布告はなされていない。

 双方とも、開戦の準備を進めているうちに、やがて日が暮れた。

日暮れ前、ユーリアラスに乗船している、イギリス東インド・シナ艦隊司令長官クーパーの許には、測量に出ていた小船の一艘から、薩摩船発見の報告がもたらされていた。

 薩摩藩の三隻の蒸気船、天祐丸、白鳳丸、青鷹丸が、脇元浦沖に隠されているのを発見したのだ。

 薩摩船発見の知らせは、同じユーリアラスにいる、ニール代理公使や、ジョスリング大佐にも、すぐ伝えられた。

 武装したイギリスの軍艦で乗り込めば、すぐ白旗を掲げるとばかり思っていた薩摩藩が折れない理由は、自軍の隠し球である蒸気船に、過剰な期待をしているためなのだろうと、クーパーら三人は、判断を下した。

 薩摩藩に対する三人の見解が正しいとしたら、三隻の蒸気船に期待を懸けられない状況にしてやれば、薩摩藩は折れるはずである。

 夜が完全に更けるのを待って、クーパーは、ユーリアラスとパーシアスを除いた五隻のイギリス艦に、『夜陰に乗じて三隻の薩摩船に近づき、これを拿捕しろ』という、命令を下した。

深夜、密かに抜錨して出航したアーガスら五隻のイギリス軍艦は、完全に寝静まっている三隻の薩摩船に気づかれないよう静かに近づくと、五隻のうち三隻を、それぞれ薩摩船に接舷させて、銃で武装した将兵の一団を、相手の船に乗り移らせた。

 乗り移ったイギリス軍は、熟睡している薩摩藩兵らを起こすと、銃で脅して甲板上に集合させた。

 薩摩藩兵たちの中には、今にも抜刀して、撃たれるのを覚悟でイギリス兵に斬りつけようという気概を持つ者もいた。

 だが、大多数は、突きつけられた銃による脅しにおとなしく従い、特に抵抗する素振りも見せずに、甲板へ移動した。抜刀の気概を見せる同胞に対しては、近くの者が、宥めすかして、無駄死にを防いでいる。

 状況は、三隻の薩摩船のいずれでも同様だ。

薩摩藩船奉行・松木弘安は、青鷹丸に乗船していた。

 青鷹丸には、アーガスが接舷した。

青鷹丸の艦長室で眠っていた松木は、自室の外に、足音を殺した複数の人間の気配を感じて目を覚ました。明日にも開戦という状況で、神経が鋭敏になっているらしい。

 室内に明かりは灯っていないため、真っ暗闇だ。

 松木が枕元の刀に手を伸ばそうと身を起こした時、扉が、外から内に対して蹴破られた。

 蹴り飛ばされた扉が、艦長室の床に転がった。

 靴音を立てて、灯りとともに五、六名の人影が飛び込んでくる。イギリス兵だ。

 イギリス兵は、寝台に身を起こし、刀に手を伸ばしかけた姿勢のままの松木に銃口を向けると、「フリーズ!」と、声高に、松木に静止を促した。

 松木は、ゆっくりと両手をあげて万歳の姿勢をとると、寝台に腰を下ろしたまま、イギリス兵たちに向き直った。

 松木は、自分に銃口を向けているイギリス兵たちを見つめると、静かな口調で、「何用だ?」と問いかけた。英語である。幕府の遣欧使節団の一員であった松木は、英語には精通していた。

 イギリス兵たちの顔に、一様に驚きの表情が浮かぶ。松木が、英語を解するとは、想像していなかったのに違いない。

 そのとき、扉が無くなった戸口の外から、「銃を下ろせ」と、落ち着いた声で指示が飛んだ。

 イギリス兵たちは、一斉に指示に従い、銃口の向きを松木の体から逸らして、床に向けた。

 明らかに士官と思われるイギリス人が、こつこつと軍靴の足音を響かせながら、室内に入ってきた。「銃を下ろせ」と言った、声の主である。

「イギリス東インド・シナ艦隊所属、アーガスの艦長、ムーア中佐だ」

 ムーアは、自信に満ちた態度で、松木に対して、挨拶をした。奇襲により、既に決着はついたと思っているようだ。

「薩摩藩船奉行・松木弘安でござる」

 松木は、堂々と名を名乗った。松木の声には、自分たちが負けたと思っている者が持つ卑屈さは、微塵も混ざっていなかった。

 松木は、毅然と、ムーアに問いかけた。

「宣戦布告もなく襲撃するとは、国際法に照らし合わせて著しく不法ですな。貴国の政府は、この蛮行を、はたしてご存知か?」

 ムーアは、一瞬、息を呑んだ。やや引き攣ったような固い表情で、松木を睨みつけた。どうやら、松木の発言は、図星をついていたらしい。

ムーアは、荒々しく息を吐くと平静を装い、居丈高に言葉を続けた。

「蛮行ではなく、戦争を回避する最善策だ。我が国が、貴藩に求めている賠償金の額より、この船を含めた三隻の購入額のほうが高価であろう。みすみす、虎の子の蒸気船を失うよりは、賠償金を支払うほうが、貴藩にとって安く済む。ならば、大義が立つであろう。わかったら、我々に、船の指揮を引き渡されたい」

ムーアの言葉には、一面の真実が含まれていた。

 薩摩藩が、三隻の蒸気船を購入するために支出した金額は、およそ三十万ドル。一方、イギリスが、薩摩藩に求めている賠償金の額は、およそ十万ドルだ。

 金額だけならば、素直にイギリスに賠償金を支払って戦争を回避したほうが、薩摩藩にとって、よほど得策だ。

だが、松木は、ムーアの言葉に、激高して叫びを上げた。

「魂は、金では売れぬ。薩摩の船を拿捕した時点で、貴国から宣戦を布告したものと見なして、我が藩は必ず報復するだろう」

 イギリスは、この期に及んでも、薩摩藩の強い意志を見誤っていたようだ。金の問題ではないのだった。

 ムーアは、苦々しげな顔をし、淡々と、松木に告げた。

「素直に船を引き渡さないというならば、各艦の甲板に集めた乗員を、全員、射殺する」

 銃口を床に向けていたイギリス兵たちが銃を上げ、再び、一斉に松木に狙いをつけた。

 ムーアの言葉は、脅しではなく真実であると、緊張した面持ちで銃を構える兵たちの表情が、雄弁に告げていた。

 松木にとって、戦場で自分が死ぬ覚悟なら、とうについていた。だが、三隻の薩摩船で苦楽を共にした朋輩の命を、このまま、無駄に散らせてしまうのは、耐え難かった。

 松木は、戦わずして、三隻を引き渡すことを決断した。

七月二日の夜が明けた。

 朝から暴風雨で、視界が、ひどく悪い。

 風雨に負けぬよう、眼を凝らして、海上を見つめていた薩摩藩の物見役は、脇元浦沖に待避させていたはずの三隻の薩摩藩の蒸気船が、イギリス艦と、行動を共にしているのを発見した。

 三隻は、それぞれイギリスの軍艦により係留されていた。具体的には、天祐丸をレースホースが、白鳳丸をコケットが、青鷹丸をアーガスが曳航している。夜中のうちにイギリス艦からの奇襲を受けて、薩摩船は、拿捕されてしまったのに違いない。

三組の曳航状態の船は、身軽な状態のまま随伴しているパール、ハボックと共に、旗艦ユーリアラスが待つ、桜島沖の停泊地へ向かっているようだった。

 奇襲を受けた側の薩摩藩の乗組員が、どうなったのかまでは分からない。

 実際には、船内で暴動が起こるのを恐れたイギリス側の判断により、縛られたまま小船に分乗して運ばれ、桜島で解放されていた。

 だが、物見役には知り得ぬ内容だ。

 拿捕された薩摩藩の蒸気船の姿に、物見役は暗澹たる思いを抱いて挫けそうになった。

 しかし、即座に気を取り直し、見たままの状況を、本営である千眼寺に布陣している、藩主・島津茂久の許まで報告をするべく、急ぎ、伝令を飛ばした。

「我が藩船の拿捕は、イギリスからの宣戦布告である。総員、断固、撃退せよ」

 物見役からの報告を受けた藩主・島津茂久は、重々しく、本営に居並ぶ家臣に向かって宣言した。もちろん、久光も同じ意見だ。いよいよ、来るべき時が来たのである。

 ほぼ正午。茂久からの、戦闘開始の命令を受けた各台場は、それぞれ競い合うように、大砲に砲弾を装填した。

 薩摩藩の各台場から、一番近い距離にいるイギリス艦は、ユーリアラスだ。

 各台場は、一斉にユーリアラスを目がけて、砲撃を開始した。

ユーリアラス周囲の海上に、薩摩藩の鹿児島城側の台場からの砲弾が、降りしきる雨に混じって、雨のように降り注いだ。

 衝撃で、海面から、飛沫が高く上がる。

 ユーリアラス艦長ジョスリング大佐は、直ちに艦の移動と反撃を開始するよう、艦内に指示を出した。

 ジョスリング自身は、戦闘の指揮を執るべく、艦橋に移動する。

 ジョスリングの命令を受けて、艦が動き出した。

だが、砲撃は、直ちには開始されない。

 副官であるウィルモット中佐が、慌てた様子で、ジョスリングに駆け寄った。

「どうしたっ!」

 ジョスリングは、風雨に掻き消されぬよう大声を張り上げて、ウィルモットを怒鳴りつけた。

「艦長、砲撃はできません」

 ウィルモットは、一瞬、言いにくそうな表情を浮かべたが、すぐきっぱりと口にした。

「弾薬庫の扉が開きません。賠償金の箱が、扉の前に山のように積まれています」

 ウィルモットが言うのは、生麦事件の賠償金として、徳川幕府からせしめた、四十四万ドルのことだった。賠償金が収められた多数の木箱が、狭い艦内で行き場もなく、弾薬庫の前に積み上げたままになっていた。

 薩摩藩との開戦はないと踏んでいたイギリスの、大きな油断と判断ミスである。

「馬鹿な」

 ジョスリングは、唖然として、力なく呟いた。

 だが、一転して、鋭く叫び声を上げた。

「すぐに、どかせっ!」

 イギリス東インド・シナ艦隊司令長官・クーパーは、この期に及んで、薩摩藩に対する自分の認識は致命的に誤っていたのだと、ようやく気がついた。

 所詮、徳川幕府の一家臣に過ぎない薩摩藩には、単独でイギリスと戦争をする気骨などあるものか、と見くびっていたのだ。

 イギリスが薩摩藩に対して支払いを求めている賠償金よりも価値がある、三隻の薩摩船を拿捕して降伏を迫れば、すぐ話に乗ってくるものだとばかり思っていた。

 万が一、実際に戦端が開かれたとしても、力でねじ伏せれば用が足るものと確信していた。

 そのために、具体的な戦闘体勢の確保が抜け落ちていた。

クーパーは、ユーリアラスの艦内で、兵たちが、慌ただしく賠償金の箱を並べ替え、弾薬の運搬路を確保している様子に目をやった。

 まだ、しばらく、砲撃の開始までは時間が掛かりそうだ。既に薩摩藩との戦端が開かれた今、自艦の大砲が頼りにならない以上は、残る六隻のイギリス艦を、早々に戦闘に参加させる必要がある。

 クーパーは、薩摩船を拿捕して戻ってくる途中の五隻のイギリス艦隊に向けて、合図を出すべく、ユーリアラスの艦橋に、信号旗を掲げさせた。信号の内容は、次のとおりだ。

「拿捕した薩摩船を焼却し、直ちに反撃を開始せよ」

 薩摩藩からの砲撃が開始された今、各艦の艦長は、ユーリアラスの動向を双眼鏡で注視しているはずだ。ユーリアラスが、反撃を開始しないでいる様を見て、各艦が『反撃禁止』の実行だと受け取ってしまう恐れがあった。

そうではない。できないのだ。

『ねじ伏せろっ!』

 クーパーは、麾下の奮迅を期待した。

       10

ユーリアラスと共に、薩摩船の拿捕には向かわず、停泊地に残ったままだったパーシウスは、鹿児島城から見ると、ユーリアラスの背後にあった。

 鹿児島城前面に設置されている各台場からは、遙かに射程距離の外である。

 だが、反対に桜島の横山村に設置されている台場からは直下であった。狙い頃だ。

 藩主・島津茂久からの戦闘開始命令は、海を挟んだ桜島の各台場までは届いていない。

 とはいえ、薩摩藩とイギリスの間で戦闘が開始されたのは、明らかだった。他の台場に遅れをとるわけにはいかない。

 横山台場では、各大砲に砲弾を装填し、狙いをパーシウスにつけた。

「撃て!」

 指揮官が声を張り上げ、大砲が一斉に火を吹いた。

       11

 パーシウス艦長キングストン中佐は、艦橋で、鹿児島城下からの砲撃を受けている、ユーリアラスの様子を視認していた。

『反撃開始』の信号旗が、ユーリアラスの艦橋で、風に踊っている。さあ、出番だ。

「錨を上げろ」

 意気揚々と、キングストンは、艦内に指示を出した。

 そのとき、ひゅるひゅると風を切り裂く音が近づき、突然、甲板に砲弾が着弾した。

 着弾地付近で悲鳴が上がる。誰かが傷を負ったようだ。

 前方の鹿児島城下からの砲撃ではあり得なかった。ここまでは届くわけがない。

「まさかっ!」

 キングストンは、背後の桜島を振り返った。

 暴風雨の悪い視界の中、背後の高台の上方で、パッ、パッと、瞬間的に火花が瞬くのが見えた。砲撃の火花だ。

 続いて着弾。

 再び、艦内に悲鳴が響き渡った。即死者もいるようだ。

 悠長に錨の鎖を巻き上げている暇はない。

「鎖を切り捨てろっ! 全速前進!」

 キングストンは、続けざまに、絶叫した。

「背後に敵砲台! 撃て! 撃て! 撃て!」

       12

 薩摩藩船奉行・松木弘安は、薩摩船の乗組員が桜島で釈放されても、自身は降りずに、敵艦であるアーガスに乗り移っていた。船奉行添役の五代才助も同行している。

 戦わずして三隻の薩摩船を失った責任者である二人にとって、桜島で降りたところで、もはや薩摩藩には居場所がなかった。

 おそらくは不始末の責任をとらされて斬首、もし、切腹をさせてもらえるのであれば、御の字だろう。悪くすれば、同胞に闇討ちにされる恐れもあった。いずれにしても、この先、生きてはいられまい。

 だが、無駄死には二人にとって、本意ではなかった。

 松木も五代も、海外への渡航経験を持っている。

 日本には、失敗時、死ぬことを誉れとする文化があったが、海外では、失敗は人間を成長させるための糧だという考え方が普通だった。

 おまけに、堀居九郎という、海外で生きてきた日本人の姿も、松木は見ていた。

 安易な切腹をして、無駄に果てるよりは、生きて自分をさらに高めたい。そのほうが、薩摩藩にとっても、後で役に立つはずだ。そう考えて、二人は、アーガスへの移乗を希望したのだ。

 アーガスで、二人にあてがわれたのは、船倉であった。もちろん、武器の類は取り上げられて、扉には、外から施錠されている。

 縛られたりはしていなかったが、松木と五代には、特に何もすることはなく、船倉の地べたに座っていた。

 船に火を点ける心配があるからということなのだろう、灯りもなく、船倉は、真っ暗な闇であった。

 もともと捕虜をとるつもりはなかったイギリスにとって、二人は、厄介な荷物以外の何物でもないだろう。戦時中のため、殺されて海に捨てられても文句は言えなかったが、薩摩藩には残れないという、敵の人間の我が儘を聞き入れて、生かして同乗させてもらえているだけでもありがたかった。

暴風雨が、激しく、アーガスの甲板を叩く音が、頭上で聞こえている。

 それとは別に、どこかで砲撃が行われている音も聞こえていた。薩摩藩とイギリスの間で、ついに戦闘が開始されたのだ。

がちゃがちゃという金属同士がぶつかる音が、扉の向こう側から聞こえ、船倉の扉が大きく開かれた。

 灯りを持った兵に続いて、船倉内に、アーガスの艦長ムーアが入ってきた。

松木と五代は、突然の灯りの眩しさに驚いて眼を眇めた。

 ムーアは、松木に声を掛けた。

「貴公の言うとおりだったな。我らの行いは、薩摩藩からは、宣戦布告と受け取られたようだ」

「だから、そう申したであろう」

 松木は、眼を眇めたまま、落ち着いた口調で、ムーアを批判した。

「拿捕した船を焼き払えとの命令が下った。従いてきたまえ。君たちも自分の船の最後を見たいだろう」

 ムーアに従って、松木と五代は、甲板に出た。

 甲板には、多数のイギリス兵たちが溢れていた。

 イギリス兵たちは、皆、手に手に抱えきれない程の荷物を持っている。

 拿捕された青鷹丸は、アーガスの舷側に繋がれて曳航されていた。

 焼却前に戦利品を掠奪するべく、イギリス兵たちは青鷹丸に乗り移って、各々持てる限りの荷物を、持ち帰ってきたところだったのだ。

 松木と五代は、何も言わずに、青鷹丸から掠奪してきた戦利品を抱えるイギリス兵たちの様子を見守った。

 やがて、青鷹丸の内部に火が点けられると、二隻の船を繋ぐため、アーガスの舷側に結わえ付けられていた縄がほどかれた。

 瞬く間に、青鷹丸は、炎に包まれた。

 近くの海上では、白鳳丸と天祐丸も、青鷹丸同様に、炎を上げていた。

 ムーアが、松木に声を掛けた。

 平静を装っているようだが、松木には、ムーアの声音が緊張しているように感じられた。イギリスの圧倒的優勢を信じていても、やはり戦は緊張するのだろう。

「では、船倉に戻りたまえ。本艦は、これより、薩摩藩との戦闘に参加する」

       13

弾薬庫の前に積み上げられている、賠償金が入った木箱を全てどかし終え、ユーリアラスが、薩摩藩の台場へ向けた砲撃を開始できるようになるまでには、半刻もの時間が必要だった。

 その間、クーパーは、ユーリアラスの移動を命じ、薩摩船を焼却しているイギリス東インド・シナ艦隊の僚艦の近くへ、艦を寄せていた。

 ユーリアラスの背後には、パーシウスが続いている。

 パーシウスは、突然の砲撃で自身を脅かした、桜島の横山台場に向けて連続した砲撃を行い、最終的には横山台場を沈黙させていた。

 クーパーは、燃えさかる薩摩船の周囲で、艦隊の隊列を組み直した。

 炎上する薩摩船の見張りを、七隻のイギリス艦の内で最も小さくて備砲も少ない、ハボックに命じると、自身が乗るユーリアラスを先頭として、残る五隻に、単縦陣で後に続かせたのだ。

 暴風雨は、戦闘が開始された頃よりも、さらにひどくなっている。

 六隻のイギリス艦は、まず北進し、鹿児島城側に設置された、薩摩藩の台場を全てやり過ごした。

 やがて、ぐるりと反時計回りに弧を描くように回頭して、針路を正反対の向きに変える。来た道を戻る形である。

 六隻の軍艦による集中砲火で、薩摩藩の各台場を、端から一つずつ血祭りに上げていこうというのが、クーパーの立てた作戦だった。

 一番端に設置されているのは、祇園州台場だ。

 艦隊は、祇園州台場へ向けて、南進を開始した。

 クーパーは、ジョスリング、ウィルモットと共に、ユーリアラスの艦橋に立ち、戦闘の指揮を執っている。

 祇園州台場が迫る。

 クーパーは、降りしきる雨に顔面を打たれながらも、一片も自軍の勝利を疑ってはいない堂々とした態度と声で、艦内に命令した。

「撃てぃっ!」

 ユーリアラスから放たれた砲弾が、次々と祇園州台場に降り注ぐ。

 後に続く、パール以下、五隻の軍艦も砲撃を開始した。

 祇園州台場は、瞬く間に、壊滅した。

14

 薩摩藩滞在中に、堀居九郎こと雑賀聖人が、各台場に指導した砲撃の内容は、単純だった。

「敵艦が、狙っても確実には当たらぬ場所にいる間は、堪え忍べ。だが、ひとたび、油断して近づいてきたならば、決して逃がすな」

 というものである。

「だからといって、撃たれても全く反撃をしなくては、警戒される。そこで、砲撃の稚拙さを装って、相手の手前に着弾するよう、適当に反撃して油断を誘え」と続く。

 祇園州台場の薩摩藩兵たちは、雑賀の指導を忠実に守った。

 降り注ぐイギリス艦隊の砲弾の雨の中、敵艦に向かって、届きもしない砲撃を繰り返したのだ。

イギリス側には、砲弾が故意に届いていないとも見抜けず、薩摩藩が冷静さを失って、遮二無二、砲撃を行っているように見えただろう。

 その実、祇園州台場では、最低限の砲撃要員のみを台場に残すと、速やかに兵を退いて、敵の着弾目標の外である台場の背後に、兵隊を温存させていたのだった。適度な反撃の後には、砲撃要員も退却させている。

 むしろ、戦闘の高揚感で冷静さを失っていたのは、イギリス側である。

 祇園州台場からの反撃がなくなり、祇園州台場を完全に壊滅せしめたものと信じたクーパーは、ユーリアラスを次の新波戸台場へ向かわせた。

 ユーリアラスの行動に合わせて、パール以下、五隻の軍艦が、後に続くはずである。

 だが、暴風雨による高波は、イギリス艦隊に、整然とした隊列行動を許さなかった。

 パールは、直ちにはユーリアラスの後に続けず、そのためにユーリアラスは、一隻のみ突出していた。

 クーパーは、後続を待たなかった。

 祇園州台場から、有効な反撃がなかった事実が、クーパーの気を大きくしていた。

 ユーリアラスは、単艦で新波戸台場に向かった。

ユーリアラスの右舷側の備砲が、新波戸台場に向けて、火を噴いた。

 砲弾は、新波戸台場に降り注いだ。

 ユーリアラスは、直ちに左に回頭して、今度は、左舷側で、砲撃を行った。

 砲弾は、再び、新波戸台場に降り注いだ。

 ユーリアラスは、再度、左に大きく旋回した。次の右舷側の砲撃を行うための回頭行動だ。

 だが、高波は、クーパーが思っていた以上に、ユーリアラスを、鹿児島城側の台場前の岸辺に接近させていた。

 ユーリアラスの現在位置は、台場前、六百から七百メートル程の距離である。

 薩摩藩の各台場の兵たちにとっては、練習として散々撃ってきた手頃な距離だ。

荒れる海の上にいるイギリス艦隊からの砲撃より、地面に据えられた薩摩藩の台場からの砲撃のほうが、狙いは確実だ。

 大砲そのものの性能は、イギリス側のほうが遙かに良かったが、地の利の面では、この瞬間、薩摩藩に軍配が上がっていた。

けれども、艦橋に立ち、興奮状態で戦闘の指揮をしているクーパーには、全く気づけていない。

 クーパーの目の前の甲板には、ジョスリングとウィルモットが立ち、クーパーの命令を確実に艦内に伝える役目を担っていた。

 そのとき、ついに、堪え忍んできた新波戸台場の生き残りの大砲と、続く弁天波戸台場の大砲が、ユーリアラスに向かって、一斉に砲撃を行った。

砲弾の一発が、艦橋近くの甲板上に着弾し、炸裂した。榴弾である。

 爆風を受けた、ジョスリングとウィルモットの首が千切れて、どこかに吹き飛んだ。

 クーパーは間近で、即死する二名の様子を目撃した。

「ひっ!」

 と、クーパーの口から、悲鳴が漏れた。着弾が少しずれれば、千切れて飛んでいたのはクーパーの首だった。

「回避ぃぃぃっ!」

 クーパーは、艦内に向けて絶叫した。

 だが、艦が回避行動をとる間もなく、次の砲弾が、ユーリアラスの第三番砲の傍らに着弾し、炸裂した。

 七名の兵が即死し、六人が重軽傷を負った。

 さらに、次の砲弾が、艦の左舷に着弾した。

 今度は、球型の実体弾だった。

 実体弾は、金属の甲高い音を立てて、端艇架を吹き飛ばした。

 着弾の音は、岸にある、薩摩藩の台場まで響き渡った。

15

 一方、ユーリアラスに後続する航行ができなかったイギリス艦隊のうち、最も大きく風により煽られたのは、レースホースであった。

 祇園州台場への砲撃の最中に風に煽られ、岸辺に吹き寄せられたレースホースは、祇園州台場前の浅瀬に座礁した。

 レースホースは、船体を大きく左に傾がせて砂にめり込むと、動けなくなった。もちろん、祇園州台場の有効射程距離の内側である。

 レースホースにとって、幸いであったのは、祇園州台場の大砲のうち大半は、イギリス艦隊からの当初の砲撃によって破壊されていた事実である。

 そのため、生き残っている大砲のうちで、砲身が直ちにレースホースを狙える向きにあるものは、皆無であった。

 そのうえ、祇園州台場の薩摩藩兵たちは、台場の後方の安全地帯に逃れていたため、即座に生き残っている大砲の向きを変えてレースホースへ砲撃を行うこともできなかった。

イギリス艦隊の単縦陣は、ユーリアラス、パール、コケット、アーガス、パーシウスの順であり、レースホースは最後尾だ。

 祇園州台場への砲撃後、遅ればせながらも、パールは、単独で先行したユーリアラスの後を追った。

 だが、パールに続くための旋回の途中で、コケットとアーガスは、レースホースの座礁に気がついた。

 コケットとアーガスは、さらに旋回を進めて、艦を百八十度、回頭させると、パールの後続はパーシウスに任せて、直ちにレースホースの救出に向かった。

 祇園州台場は既に沈黙し、反撃の砲撃は途絶えている。

 だが、コケットとアーガスは、レースホースを助けに向かいながらも、援護のために、執拗に祇園州台場への砲撃を行った。

祇園州台場の後方に待避していた薩摩藩兵たちにも、レースホースの座礁は確認されていた。だが、コケットとアーガスによる援護射撃が続いていたために、生き残っているわずかな大砲に取りついて向きを変え、レースホースへ砲撃を行う作業はできなかった。

 祇園州台場に向いている側の舷側の大砲を撃ち尽くしたコケットとアーガスは、レースホースの近くに辿り着いた。

 僚艦を曳航して座礁から救うべく、二隻は、それぞれ小船を下ろすと、曳索をレースホースに取り付ける作業のため、乗員をレースホースに向かわせた。

        16

 レースホース艦長のボクサー中佐は、敵の台場前の座礁で、一時は撃沈を覚悟した。だが、コケット、アーガスが、直ちに救出に戻ってくれたため、ひとまず安心した。

 二隻の僚艦から曳索を受け取り、自艦に結ぶため、レースホースからも小船を下ろして、対応に当たるよう指示を出す。

 岸に近い海上のために波が高く、小船には、転覆の危険がつきまとっていた。転覆をしないよう、高波と戦いながらの慎重な作業は、遅々としか進まない。

ボクサーは、双眼鏡で、祇園州台場の様子を確認した。

 台場からの砲撃は既になかったが、いくつか人影が動いているのが見てとれた。

 ボクサーは、人影の動きに、慄然とした。

大砲の一つに人数が群がり、力づくで、大砲の向きを変えようとしているようだった。

 祇園州台場の大砲は、全て破壊されたわけではなかった。まだ生きている大砲はあるものの、砲身の向きが、ただ単にレースホースに向いていないだけのようだった。

 舷側からの砲撃で、祇園州台場にとどめを刺したがったが、あいにく、座礁したレースホースの舷側砲は、祇園州台場には向いていなかった。

 コケットとアーガスの舷側砲も、祇園州台場には向いていない。曳航のための作業の途中なので、二隻は、今この状況下で、向きを変えるわけにはいかなかった。

 曳索の接続作業は、苛々とするほど、ゆっくりとしか進んでいかない。作業が終わる前に、薩摩藩兵が大砲の向きを変えたら、万事休すだ。

 身動きの叶わぬレースホースはもちろん、碇泊して救出作業をしているコケットやアーガスまで、良い標的となりえるだろう。

 だからといって、舷側からライフルで射撃をしたところで、祇園州台場の薩摩藩兵に対して、届きはしても、作業の邪魔をする有効な牽制はできなかった。

 かくなる上は、接近して射撃する他はない。場合によっては、直接、敵の台場に上陸して、戦闘をする覚悟が必要だった。

幸い、聞くところに拠ると、薩摩藩兵が手にしている銃は、ひどく旧式の火縄銃であり、雨天時の射撃は不可能なようだ。

 上陸戦となれば、刀槍により斬りかかってくると予想された。それでも、近づかれる前に、小船で海上から狙い撃ちをして、蹴散らせばいい。牽制して、時間を稼ぐだけでも、窮地は切り抜けられる。

 ボクサーは、三隻の別の小船を海に下ろさせた。

 それぞれに、ライフル銃を持った兵の一団を乗せて、祇園州台場へ向かうように指示を出した。

17

 祇園州台場の指揮をしていた島津権五郎は、台場の前方で座礁した軍艦を救いに戻ってきた、二隻のイギリス艦からの砲撃が止むや、後方に待避させていた薩摩藩兵たちを、直ちに台場へと駆け戻らせた。

 まだ、生きている大砲を見つけて、敵艦を撃つためだ。

 台場の地面は、敵艦からの砲撃により、至る所で抉られたり陥没したりしていて、ひどい有り様だ。

 大砲も大半が破壊されて、転がっていた。

 奇跡的に生き残っていた大砲があったが、砲撃で地面が抉られたために大きく傾き、更には傾いた砲台の上に、さらに土砂が覆い被さっていたため、とても旋回はできない状態だ。

 もちろん、砲身は、敵艦に対して、明後日の方角を向いていた。

 土砂を取り除き、地面を均して、砲台を動かせるようにする作業が必要だ。

 島津権五郎が、指示を出すまでもなく、状況を見て、一目で自分のするべき作業を悟った薩摩藩兵たちは、直ちに土との格闘を開始した。

 敵艦が逃げるのが早いか、味方が撃つのが早いか、時間との競争だ。

「急げ!」

 と、島津権五郎は、兵たちに、言わずもがなの大声を掛けつつも、海上の敵の様子に視線を向けた。

 驚いたことに、高波の中、振り落とされるまいと、必死に舷側にしがみつく兵たちを乗せた三艘の小船が、祇園州台場に向かって近づいてくるところだった。

無謀なのか、勇敢なのか、小船に乗るイギリス兵の一人が、ライフル銃を発砲した。

 高波の揺れのため、弾丸は、全く島津権五郎らとは離れた場所に飛んでいき、地を穿った。

 当たるか当たらぬかはともかく、少なくとも、弾丸が届くことは明らかだ。

 島津権五郎は、撃ち返したがった。だが、レースホースのボクサーの読みどおり、祇園州台場の守備兵が持っている銃は、旧式の火縄銃であり、役には立たなかった。

 上陸を待ち、斬り合いに持ち込む他はない。

 だが、いくら高波で揺れているとはいっても、小船がより岸に近づけば、敵の狙いも良くなるに違いない。大砲の再据え付けに邪魔が入る。

 何もできぬ悔しさに、ぎりぎりと、島津権五郎は、歯噛みをした。

 そのとき、わらわらと島津権五郎の背後にあたる物陰から、十騎の騎馬に乗った同胞の一団が現れ、馬の背後に大砲を庇うような位置取りで停止し、馬を降りた。

 同胞らは、手に手に外国製の最新鋭のライフル銃を持っている。

 雑賀が島津久光に貸し出した五十丁のライフル銃を、久光は、五隊の城下守衛隊に分けて持たせ、各台場の後方に展開させていた。

 レースホースから、上陸のための小船が下ろされたという物見役の報告を受け、応戦のために、急遽、駆けつけさせたのだ。今こそが、堀居九郎が言う、「ここぞ」という時だった。

 十騎の薩摩藩兵たちは、一斉に、三隻の小船を目がけて発砲を開始した。

        18

 祇園州台場の手前の海上に到達したイギリス兵たちは、突然、現れた敵の騎馬の一団からの射撃を受けて、慌てふためいた。

 幸い、誰にも弾は当たらなかったが、いつまでも当たらないとは限らない。

 揺れる小船の上からの射撃と、陸上からの射撃では、どちらが有利かは明らかだ。地の利は、薩摩藩側にある。海上に踏み留まって応戦をするような、愚を犯す訳にはいかなかった。

 ボクサーからの命令は果たせなかったが、やむを得ない。

「撤退だ!」

 三艘は、レースホースへと引き返した。

        19

 コケットとアーガスは、機関の総力を挙げてレースホースを牽引しようとした。ところが、レースホースは、びくりとも動かなかった。

 台場の薩摩藩兵を牽制するために、レースホースから陸地へ向かった小船が応戦に会い、逃げて戻った事実は承知している。

 アーガスの艦長ムーアは、よもや薩摩藩が、これほどの戦いをするとは思ってもいなかった。

 捕虜にした松木弘安の言葉を、もう少し重く受け止めておくべきだったのかもしれない。

 ムーアは、祇園州台場へ目をやった。

 瞬間、火花が瞬くのが見えて、砲声がした。

 台場の大砲の一基が、ついに生き返って、火を吹いたのだ。

 砲弾は、レースホースの手前の海に着弾した。

 もはや、これまでだ。

 座礁して、動かない僚艦につき合い、敵の標的になるわけにはいかなかった。

 ムーアは、レースホースと自艦を繋いでいる曳索を切るよう、艦内に命令を発しようとした。

 コケットでも、艦長が、恐らく同じ判断を下そうとしているのに違いない。

 曳索を一度は切り、自由になった艦で、再度、祇園州台場への砲撃を行って、台場を完全に無力化させてから、また、レースホースの救出に戻る。

 ムーアの頭の中の最善の選択は、そのような行動だ。

 ムーアは、祈るような気持ちで、視線を、動かないレースホースに転じた。

 そのとき、ムーアの祈りが天に通じたのか、レースホースが、ぐらりと傾いだ。満ちてきた潮が、レースホースを浮かせつつあるのだ。

 おおよそ正午から始まったイギリスと薩摩藩の戦闘は、すでに五時間余りも続いていた。潮も満ちるはずだ。

 まだ、祇園州台場から、二発目の砲撃は飛んでこない。レースホースを逃がすなら、今である。

「全速前進! これで最後だ。レースホースを引きずり出せ!」

 ムーアは、曳索を切る命令の代わりに、大声で艦内に、救出命令を発した。

 コケットとアーガスの機関が、唸りを上げる。

 二艦は、全力でレースホースを引っ張った。

 レースホースは、座礁から脱出した。

        20

 ユーリアラスもレースホースも、残りのイギリスの軍艦も、もはや陸地に近づきすぎるような愚は犯さなかった。

 イギリス艦隊は、各艦それぞれ薩摩藩の台場からの砲弾が届かぬ位置に留まり、執拗に台場への砲撃を繰り返した。

 焼き討ちにした、三隻の薩摩船を見張っていたハボックも、戦闘に参加していた。

 午後六時過ぎ。イギリス艦隊は、桜島の小池沖に集結して、投錨した。薩摩船を焼却した場所の近くである。

薩摩藩の台場は、大半が壊滅状態であり、砲撃は、もはや行われてはいなかった。

 投錨後、やがて、パーシウスとハボックのみ、再び、移動を開始した。

 二艦は、薩摩藩とイギリスが戦争になった際に備えて、祇園州台場より北の磯天神社沖に避難していた琉球船三隻と和船二隻を発見、掠奪の上、腹いせとばかりに、焼き払った。五隻とも、薩摩藩とは無関係の船である。

 さらに、パーシウスとハボックは、鹿児島城の城下町に対してロケット弾を放つと、やはり戦闘とは直接関係のない城下の民家を、焼き討ちにした。

 強い暴風に煽られて、炎は瞬く間に拡大した。城下の約一割に相当する、五百戸余りの民家や士族の屋敷が焼失した。

この戦果に満足したのか、パーシウスとハボックは、ようやく小池沖の艦隊の許へ戻ると、改めて錨を降ろした。

 こうして、七月二日の戦闘が終了した。

        21

 七月三日の夜が明けた。

 波こそ、まだ荒れていたが、暴風雨は去り、青空が広がっていた。

 誰しもに、今日は暑い一日になるだろうと、予感させるのに十分な空模様だ。

 クーパーは、昨日の戦闘で死者を出した各艦に対して、戦死者の水葬を命じた。遺体を帆布に包み込んで、弔銃の発射音を合図に、艦から、海中に滑り落とすのである。

 艦内に、長期間に亘って遺体を保存できるような場所は存在しない。暑さにより、遺体の腐敗の進行と悪臭の発生が懸念された。衛生面の悪化から、下手をすれば、疫病の発生にも繋がりかねない。

 最も被害が大きかったのは、クーパーが乗っている旗艦ユーリアラスで、艦長ジョスリング、副長ウィルモットの他に七名の水兵が戦死していた。艦隊全体では、死者十三名、負傷者五十名という被害状況だ。

 薩摩藩には与り知れない事実だが、クーパーには、薩摩藩が戦端を開いたという他にも、実は誤算があった。

 パールとハボックを除く、五隻のイギリス艦に装備されている最新鋭の大砲、アームストロング砲の欠陥である。

 イギリス海軍が、一八六一年に制式採用して以来、配備を進めてきたアームストロング砲は、まだ実戦で使用された実績がない、本当の最新式だ。今回の戦争が、アームストロング砲にとって、初めての実戦経験である。

 通常の大砲が、砲の前部から砲弾を込めるのに対して、アームストロング砲は、砲の後部を開閉式にして、素早く弾が込められるようにと、開発された大砲だ。

 前評判も高く、クーパーも大いに期待していた。

 だが、実際に戦闘で使用したところ、砲尾の閉鎖装置の故障により、爆風による高圧ガスが、大砲の背後に噴出する事故が多発した。砲を操作する水兵が負傷したり、架台が破損してしまった。これまで実戦で使われていない新型砲のため、不良箇所が見過ごされていたのである。

イギリス側の負傷者の内訳として、薩摩藩の砲撃による負傷者より、アームストロング砲の事故による負傷者のほうが、多い有り様だ。

 イギリス艦隊の備砲は、七隻合計で八十九門。そのうち、二十一門がアームストロング砲であったから、安心して撃てる大砲は、六十八門だ。

 一方、薩摩藩の各台場の大砲の合計は、すべて旧式の前装滑腔砲ではあったが、八十二門。個々の大砲の性能は、イギリス艦に搭載されている大砲のほうが良かったものの、数では、薩摩藩に負けていた。

 イギリス兵にとっては、単なる示威行動のつもりの出航が、戦闘に発展したばかりか、火力で圧倒しようとしたところ、期待の新型砲が、欠陥品だったわけである。

 そのうえ、旗艦の艦長と副長が、開戦早々に戦死するという、悪戦況だ。

 当然、イギリス兵の士気は、著しく落ちた。

クーパーがいくら鼓舞したところで、落ちた兵の士気は、簡単には戻らない。

 そもそも、目の前でジョスリングとウィルモットの死を見届ける羽目になったクーパー自身が、最も戦意を失っていた。

 ユーリアラスでの水葬を終えたクーパーは、艦隊の各艦に、より安全な場所への移動と、艦の破損箇所の修理を命じた。

イギリス艦隊は、ユーリアラスを先頭にした単縦陣の隊列で、鹿児島湾を南下した。

 南下の途中も、薩摩藩に自身の弱気を悟られぬよう、遠距離から薩摩藩の各台場に対して、適当に砲撃を繰り返す。

 やがて、イギリス艦隊は、薩摩藩への往路にも碇泊した、鹿児島湾口の七ツ島付近に到達した。

 クーパーは、再び、同じ場所で艦隊を停船させた。

 横浜までの航海に耐えられるよう、各艦に、修理を急げと、命令を出す。

 イギリス艦隊は、徹夜で修理を実施した。

 翌七月四日。クーパーは、艦隊を、横浜港へ向けて出航させた。

        22

物見役から、イギリス艦隊退去の報告が、本営の藩主・島津茂久の許まで届けられた。

 鹿児島城下は、イギリス艦隊からの砲撃により、一部が焦土と化していた。だが、戦闘に備えて迅速に避難指示が行われたため、一般人の人的被害は、ほとんどなかった。

実際に戦闘に参加した薩摩藩兵の被害を纏めたところ、戦死者六名、重傷者七名、軽傷者十名という数字が判明した。

 薩摩藩全土が焦土と化すかもと、悲痛な覚悟でイギリス艦隊の来襲に備えた状況を考えれば、ないも同然の被害である。ひとまず、今回は、薩摩藩を守り抜いたと言っても良いだろう。

 茂久は、座っていた床几から腰を上げると、千眼寺境内に居並ぶ家臣一同に向かって立ち、厳かに戦闘の終結を宣言した。

 家臣らは、一斉に、「おおぉっ」という、どよめきの声を上げた。

 続いて、勝鬨の声が上がる。

歓喜のあまり、噎び泣いてしまう者もいた。

 茂久は、吉報を藩内に広く伝えるため、直ちに、伝令を各所へ向けて出立させた。

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