ラプラスの魔物 千年怪奇譚 73 御見舞
落ち着いた本邸に、もう一人の彼女が現れたりイブキが面倒臭そうにしたり緑珠が復活したりとほんわかしたお話!
「緑珠。寝て……。」
【良い煙管を持っているのね、あの子。】
緑珠の部屋の障子を開くと、青いベスト姿のもう一人の彼女が居る。彼女はイブキの煙管を持って、眺めていた。
「……こっちにおいで。彼女は今寝てるし。」
言われるがままに廊下に出る、もう一人の緑珠。縁側で座りながら足をぶんぶんと振り回していた。その動作も、全て彼女の物と同じだ。
【吸口が無いのが勿体ないくらいね。】
「噛み砕いた、って言ってたよ。」
【やっぱり鬼の子閻魔の子。それくらいの事は仕出かすのね。面白いわ。】
「後で返しておきなよ。」
【えぇ、今すぐにでも。】
緑珠?は空間にすぅっ、と指先を這わせると、空いた隙間に煙管を押し込んだ。
「……どうして、今出て来たの?僕しか居ないよ。」
【それで良いの。偶には緑珠にも魂の休息という物が入用だからね。】
もう春も近い。萌葱色の匂いが肌を掠めていく。
「君は誰なんだい?呼び方に困るよ。あと扱いにも。」
くすっ、と苦笑いした真理に、もう一人の彼女は表情を変えることなく答えた。
【だから私は緑珠の魂……って、もうそんなのは違うっていうのは貴方には分かるのよね?】
「そうだねぇ。近しい物とは感じるけど、魂が持つ特有の物は感じられないからね。」
【……ふふっ、近しいもの、ね。そうね。そうかもしれないわね。】
じゃあ、と緑珠?は茶化す様に緑に濡れた庭で続けた。
【ヒントを上げるわ。お兄様、火傷、刀。……これで分かれば上々だわ。褒めて上げましょう。】
「その高飛車な態度、お姫様の類かい?」
真理が緑珠?の顔を覗き込むと、緑珠?はニンマリと微笑んだ。
【かもね。】
「……煩いですよ。緑珠様が寝ていらっしゃるのに。」
「その中に若干『僕が寝ているのに煩いぞ』も入ってるでしょ?」
何時も着ている若草の衣を肩にかけて、襦袢姿のイブキは大きな欠伸を一つした。
「ふわ……そんなわけないじゃないですか。」
「ほんとかなぁ?」
そして、イブキは縁側に座るもう一人の彼女に眼球だけ動かして言った。
「あぁ……貴女、居たんですね。」
【何よぉ、見目形も緑珠にそっくりなのに……冷たすぎない?】
「僕がお仕えするべき主は緑珠様だけですから。どれだけ似通っても見抜けます。」
ぶう、と頬を膨らました彼女は真理に向き直って言った。
【……まぁ、もう良いわ。そろそろ帰る。真理、貴方と話せて良かったわ。】
「それはどうも、もう一人の月の姫君。」
じゃあね〜、と言わんばかりに緑珠?は手を振ると砂の様に消え失せる。イブキは彼女が居た場所に座ると、煙管を取り出した。
「なぁんか、嫌な感じなんですよねぇ……もう一人のあの御方は……。」
「嫌な感じ?」
ごろごろと畳に寝そべる真理に、イブキは買い直した煙管の吸口を付けながら続ける。
「僕の嫌いな臭いがします。あれは何処で嗅いだ臭いだったんだろう……。」
あぁ、とイブキは煙管に煙草を詰めて言った。
「煙草吸って酒飲んで博打がしたい……。」
「もうそれ末期の大人の思想だよ。」
ふう、と紫煙を吐き出す。矢張り気分が乗らない時はこれに限るのだ。
「あぁ、良い気分だ……。」
「それ本当に煙草?ヤバい薬とかじゃない?」
「僕はヤバい薬を飲んでいる輩よりもヤバい自信があります。」
「良く言った。偉いぞ。」
適当に真理は褒めると、イブキはまた深く煙草を吸う。
「ふぅ……良い匂いだ……甘くて……。……あれ、甘い?」
適当にイブキは煙管を処理をすると、甘い匂いがする方向へと足を進める。廊下をする様に進んだ。
「ちゅう?ちゅうちゅうちゅうー!ちゅうちゅう!」
ちうちう、と障子の向こうから動物の声と人間の声が聞こえる。イブキはスパン、と障子を開いた。
「ちゅう?」
「ちゅう、じゃないです緑珠様。」
「ちゅうちゅうー。」
「ちゃんと言葉で話して下さい。」
ちゅうちゅう、と楽しそうに手のひらに乗る鼠達と会話している緑珠。屋根裏に居たからか埃だらけである。
「屋根裏に居たでしょう?鼠ちゃんが着いてきたのよ。ちゅうー。」
「……何処ぞの国では鼠を缶詰にして食べる所があるそうですよ。」
「やだ!食べないでよ!ねぇ?」
ちゅうちゅう、と可愛く鳴いている鼠を緑珠は指の腹でよしよしと撫でる。
「子供も居るのよ。可愛いでしょう?」
ちー!と鳴いた数匹の子鼠が緑珠の指先に群がる。
「野鼠ですね。病気を持っているかも知れませんから、鼠は飼えませんよ。外に逃がしに行きましょう?」
「……うん。元よりそのつもりだったし。でも可愛いわよね。動物とか飼ってみたいわ。」
緑珠は手に鼠を乗せた。すると、
「あら、あらら?」
するすると緑珠の身体を這って頭の上に乗る鼠達。それを引き連れながら、緑珠は居間へと戻る。
「真理。色々あったけど大丈夫?」
「うん。大丈夫だったけど……その頭の上に乗っている鼠は?」
「ちうー!ちうちう!」
鳴いた鼠に緑珠は答えるようにして返した。
「ねずちゃんズよ。可愛いでしょう。ついでに逃がしてあげるの。華幻ちゃんの御見舞の前に。」
「緑珠様、それは……!」
ふふふ、とイブキの言葉を遮って緑珠は微笑む。
「貴方だけで行かせるっていうのもアレだしね。私も心配だから行きたいわ。でも、その前に、ねぇ。」
真理と緑珠は顔を見合わせると、耐え切れなくなったように真理が言った。
「その前に、煙草の匂いが染み付いた服を着替えておいでよ。」
緑珠と真理の言葉にイブキは苛立ちやら喜びやらなんやらを感じながら、やっぱり優しい顔して、
「……はい。」
と言った。
「華幻ちゃん、大丈夫かしら。」
「話を聞いた時は大丈夫だって聞いたけどなー……。」
イブキがかちん、と本邸の扉を閉めると、緑珠は頭に乗せている鼠達を逃がした。
「じゃあね。ちゅうー。」
緑珠がちゅうちゅう言いながら鼠を離すと、とてとてと走り去る鼠に手を振る。
「それじゃあ行きましょうか。目が覚めてると良いのだけれどね。」
何時もと変わらない、普通の日常。ふわふわと揺れる黒髪が、夕日と宵闇に蕩け合う。
「御見舞が終わったら夕飯にしましょう。イブキ、今日は外の物が食べたいわ。」
「仰せのままに。何が良いでしょう。」
「揚鶏が良いわね。」
「偶には脂っぽいものも良いね!」
「でしょう?」
足並み軽やかに、行く先は重く。帰り道を遡って、緑珠は診療所の扉の取っ手を引いた。
「先生。華幻ちゃんの御見舞に来たのだけれど……居らっしゃいます?」
ひょこっ、と華佗が現れると、首からかけている小さな白板に言葉を記す。
『イブンはお疲れだから寝てる。御見舞なら奥だお\(^ω^ \Ξ/ ^ω^)/』
「華佗先生って、絵文字を描くのがお上手なんですね。」
『(*´▽`人)アリガトウ♡』
きゅっきゅっ、という音の後に絵文字が広がる。イブキがぽそりと呟いた。
「絵文字で感情って示せますからね。」
『便利やろ』
「何でそんなに語調が一貫しないのか……。」
真理の一言に、華佗は一瞬固まった。ゆるゆると白板を消してさらりと綴る。
『勿体なくない?これだと結構色々話せるし。というか、』
満杯になった白板を消すと、
『御見舞は奥やで(∩´。•ω•)⊃ドゾー』
「あぁ、そうだ。行かなくちゃね。有難う御座います、華佗先生。」
緑珠の言葉を華佗は聞くと、ひらひらと手を振るとその場を離れた。奥へ奥へと進むと、突き当たりに扉がある。
「さぁイブキ。お行きなさい。私達は此処で待ってるから。」
「あ、じゃあ僕はおつまみ買ってくるね〜!十分くらいしたら帰ってくるから!」
行ってらっしゃい〜!と緑珠は手を振ると、イブキは恐る恐る取っ手に手をかけた。かちゃ、という冷たい冷たい音の後に、扉の隙間から風が抜ける。
「……かげん。」
ベッドに横たわる痛々しい、そして細い身体。自分は、これを、この大切な宝物を。
「……かげん、ごめんね。ごめんなぁ。ごめん、ごめんなさい。お兄ちゃんは駄目なお兄ちゃんだよ。お兄ちゃんは、かげんが描いてるお兄ちゃんは、兄じゃないよ……。」
するする、と横たわる華幻の頬へと手を伸ばす。視界が曇っていることは気付かない。もう、それさえも辛い。何の謝罪にもならない、無意味な涙。
少し暗い病室の中、華幻は虚ろな目を開かせ、傍に居る兄の顔を覗き込んだ。
「おに……ちゃん……だよね?」
「……華幻。」
目を覚ました華幻を、イブキは心底安心した瞳で見つめる。
「ごめんね、何か、よく分からない物に襲われて……私、生きてるんだよね。」
「うん。生きてる。」
ゆっくりと起き上がった華幻は、微笑んで言った。イブキは華幻の手をぎゅっ、と握った。
「お兄ちゃん、有難う。此処まで運んでくれたんだよね?」
「……え……。」
自分がしたことと言えば、ただ狂気に苛まれて緑珠と真理を傷つけたことくらいだ。運ぶなんてとんでもない、のに。疑う視線は全くない。信じているのだ。そうだと。
「嬉しかったよ。有難うね、お兄ちゃん。」
モノを傷つけた記憶がどんどん遠ざかってく。目の前に、何もちらつかない。ならば、する事は一つ。自身の家族に対して、ずっとずっとしたかった事。
「華幻。ごめんね。」
起き上がった華幻をイブキはきつく抱き締める。吃驚した華幻が、くすくすと笑う声が耳元で聞こえる。
「どうしたの、お兄ちゃん。日栄(向こう)にいた時もこんな事しなかったのに。」
「華幻、ごめん。ごめんね。ごめんなさい。こんな兄で、本当にごめんなさい……!」
華幻は笑いながら兄の背中をさすると、優しく、優しく、あやすように行った。
「どんなお兄ちゃんでも、伊吹お兄ちゃんは、私の自慢のお兄ちゃんだよ。」
「……ありがと、かげん。ねぇ、かげん。」
抱き締めたまま、顔を上げない兄に華幻は不思議そうに言った。
「どうしたの?伊吹お兄ちゃん。」
「……もし、僕が。僕が、ね。何かお前に許されない事をしたとして、お前は許してくれる?」
顔を見られまいとして断固として顔を上げない兄の、背中をさすった。
「許すよ。大好きなお兄ちゃんだもの。なんでも許す!」
「そっかぁ……そっか、そうですよね……。」
顔をゆっくりあげると、華幻の目の前には泣き腫らした目で痛く微笑んでいる兄の顔があった。
「お兄ちゃん泣いてるの?めずらしー!」
「良いじゃないですか、偶にっ、あう?」
びょーん、と華幻はイブキの頬を抓る。
「ひゃんで緑珠ひゃまもひゃへんも僕のひょおをつねりゅんへふか。」
上手く言葉を発音できないイブキを見ながら、華幻はクスクスと笑った。
「んー?お兄ちゃんは頬を抓りやすそーな顔してるから!」
「はー?……となるとですよ。華幻の頬も抓りやすいのでは?」
離された頬をイブキは擦りながら、華幻の頬を抓ってみる。
「あっ、止めて!止めてよお兄ちゃん!」
「……うん。元気そうで、本当に良かった。」
よしよし、とイブキは華幻の頭を撫でると、少し擽ったいのか少女は目を細める。
「ん。元気だよ。」
「もうちょっと寝ていた方が良い。また迎えに来るから。夜でも行くよ。」
有難う、と答えるが如く、華幻は嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃあね。僕は戻るから。何かあったら何時でも言って。」
「お兄ちゃんは過保護だなぁ。」
立ち上がったイブキは、もう押しやる必要の無い澄み渡った思考で、一言。
「お前のせいだぞ。」
最後にイブキは手を振ると、華幻の病室を後にした。締め切った扉の隣で、緑珠は嬉しそうに笑みを浮かべている。
「終わった?」
「はい。それじゃあ、行きましょうか。」
「えぇ。」
まるで失神したように眠っている華佗の隣をゆっくりと歩いて行く。緑珠が診療所から出た時に、扉の鈴が鳴った。
次回予告!
三人の悲しみが去った世界で、緑珠は己の刀に思いを馳せていた。彼女が抱く思いとは。そして、彼女の刀の話が語られる──!




