ラプラスの魔物 千年怪奇譚 外伝 酒と堕神と髑髏 後編 ※
城塞に十人しかいない、と告げられたイブキ。その裏を探ると、それは不倶戴天の敵の件の貴族だった……!光遷院 伊吹を主人公とした、全ての者に至る外伝。遂に完結。……そして、物語は始まっていく!
「……いやいやいや、アリアさん、質の悪い冗談は止めた方が、ね?」
「冗談では無い。事実だ。」
イブキは帽子を深く被った。何はともあれ、事実だろうが無かろうが城塞が十人体制というのは褒められた事ではない。
「ま、良いじゃねぇか。❛鬼門の多聞天❜様の腕の見せどころって感じだな!」
イブキは眉間に皺を寄せた。恐る恐る、二人へと問う。
「……一つ、お尋ねしても構わないでしょうか。」
「あ?いきなりどうしたんだよ。」
イブキは眉間に皺を寄せたまま、俯かせていた顔を上げる。
「城塞が十人というのは、休暇でそうなっているのでしょうか。」
難しい顔をしているイブキに、アリアが淡々と答えた。
「そうだぞ。突然政府の命令だか看守長が突然休暇を言い出してな。びっくりしたぞ。同期は前線から戻って来ないし……。」
「……クソッ……!」
イブキは小声で毒つくと、その場を歩き始める。恐らくこれはグルだ。そして試されているのだ。
光遷院家の次期当主としての『光遷院 伊吹』を取るのか。
それとも。
北狄に恐れられている❛鬼門の多聞天❜の『光遷院 伊吹』を取るのか。
大体こんな質の悪い頭の回転が早い糞野郎と言えば、看守長が言った政府とやらは倶利伽羅家と来仙家だろう。
特に倶利伽羅家の冷泉帝だ。
もしどちらか片方を取れば、その片方は失う。しかし失うこの片方が、何方も重い事はこの上ない。
しくじった、と地団駄を踏む。結局この十人の指揮を執るのは自分だ。
そして一騎当千となるのも自分だ。それをどう切り抜けられるか、なのだろう。
「……くくく……ふふ、面白いことを考える……大方蓬泉院家に実情を伝える為でしょうから、それは避けたい……。」
ゆっくり、ゆぅっくりと自分の口元が歪むのが分かる。ならば良いだろう。
『両方』取ってやる。
『全部』取ってやる。
『欲しい物』を手に入れることが出来なかった僕だから、最後まで貪欲に足掻け。
『世』を喰え。
『喉元』を掴んでやれ。
それが『狂気』と謳われた四大貴族の使命だろう?
「ふふ……あははははは!面白い!」
後ろでイブキの様変わりを見ていた二人に、彼は振り返る。
「僕が指揮を執ります。先に行ってて下さい。僕は少し、忘れ物をしました。」
アリアと楓の返答を聞く前に、イブキは走り出していた。さて、全ては終わったあと片がつく。
自身を侮った者に鉄槌を。
救えない者に救済という名の断罪を。
倶利伽羅家と来仙家は今回限り許してやろう。問題は言いなりになった看守長だ。どうやって甚振ってやろうか。
そうやって自室の部屋を開ける。
「朱雀。出番です。」
『了解。』
イブキは神器『神鳳冷艶鋸』を引っ張り出す。あぁ、こうやってバレるのか。
日栄帝立学院に居た頃は何故バレたんだっけ。そうだ。そうそう、偽名で通っていたのに偶々本名が書かれた紙を見られたのだっけ。
卒業前だったから良かったけど、友達が居なくなるのは辛かった。
でもまぁ、慣れている。四大貴族と言えば『狂気』だ。近寄りたくないのは誰でもそうだろう。
冷泉帝も同じ学院に居たけれど、アイツも確か友達が居なかったっけ。
……何人か、アイツの周りで女性が居なくなったらしいけど。
まぁそれは僕も同じだ。僕の周りでも、男女問わず何人か居なくなっていた。
……そんな昔の事は、あんまり覚えていない。
恐らく光遷院家が誰かを回したのだろう。壊した記憶が無いし。
いずれ仕えるべき主以外は、壊す趣味がない。……あぁ、まぁ小動物は別だが。
「お待たせしました。」
「おう!いぶ……き、おまえ、それは……。」
楓が詰まる声が聞こえる。アリアはどうかと言うと、硬直してしまっている。
「自己紹介は後にしましょうか。今は敵勢力を。僕に詳しく教えて下さい。」
楓とアリアの視線は、イブキの神器を見詰めたままだ。
「……えっと。もしかして、先に自己紹介をした方が良いでしょうか……?」
「……いや。敵勢力から話を始めよう。おい楓、しっかりしろ。」
「お、おう……。」
こういう時はアリアの方が動きが早い。まだぼんやりとしている楓を放っておいて、アリアは話し始めた。
「今回は南の集落から攻め込んで来ているらしい。まだ人数が少ないのが不幸中の幸いだな。」
「そうですねぇ。」
廊下を抜けると砦に出る。砂に紛れた夜風が疎ましい。
「敵勢力は五十人。南の集落の四分の一を引きずり出すとは、えらく舐められたものだな。何時もは賢い北の集落と楽しく遊んでいると言うのに……。」
「さぁ?本当に南の集落だけで集められたか分かりませんよ?」
「にしても、南の集落の周辺に集落は無い。集めるにしても不利だ。遠いからな。」
何はともあれ、とイブキは砦から地平線を眺める。
「此処で迎え撃って貰いましょう。七人に。」
「……七人?」
その人数に、楓は首を傾げた。しゃがみ込んで弾を装填していた楓に、イブキの視線が向かう。
「貴方達だって暴れたいでしょう?相手は野蛮人だ。蹂躙のしがいがある。」
ひょい、と砦からイブキは身を乗り出す。
「爆弾を貼り付けましょう。まだありましたよね?小型の高性能爆弾。」
「あれはまだ国から配布されたてのやつで……不発も何個かあったと思うんだが……。」
楓の一言に、イブキは彼が持っているそれを指さした。
「中身は火薬です。火をつけりゃあ燃える。」
「お前時たま脳筋だよな。」
アリアはずばっ、とそんな事を言うと、イブキの視線は集まって来た先輩に移る。
「お前が指揮を執るのか?」
「えぇ、そうです。」
どうせ文句が来るのがセオリーだ。と、思っていたのだが。
「そうか。なら指示を出せ。お前なら大丈夫だ。実力があるからな。」
「えっ……。」
「……出さないのか?」
あっけらかんとした言葉に、イブキは詰まってしまう。が、直ぐに何時ものペースを取り戻した。
「……ええっと。城塞で手薄なのはこの場所です。何回も此処から北狄が侵入して来ました。……ので。」
両端がぎりぎり見えそうな砲台をイブキは指さした。
「彼処から攻撃をお願いします。真正面だと的になってしまう。それと。僕等が行った後に、国から支給された高性能小型爆弾の配置をお願いします。入り口に重点的に。」
「了解した。」
その声が響いたあと、イブキは身を翻して一階へと向かう。
「アリアさん、番犬の調子は。」
「好調だ。十頭は此処に置いていく。」
厩舎に三人は足を進めた。そして適当な馬を選んで、イブキは言った。
「楓さん。銃の様子は。」
「好調だぜ。早く行くぞ。」
「分かってますよ。」
ひんひん、と低く唸る番犬の声が響く。がちゃん、と錠が下ろされて、爪の音を立てながら走り去って行く。
どうやらもう血の臭いが分かったらしい、嬉嬉として喉を鳴らしていた。
「それでは行きますよ。」
イブキは馬に乗ると、手綱を握って走り始める。
「南の集落は未発達なので木造建築が多いと聞きます!燃やしますよ!」
「こんな危なっかしい火遊びなんて聞いた事ないぞ!」
「良いじゃないか楓!偶には花火も良いだろう!?」
「厳しいだろその言い草は!」
砂の砂漠に大岩が見える。
「此処を迂回します!五十人対三人は厳しい!」
岩の間から、夜風と小さな軍が見える。三人は速度を更に増して、小高い丘へと着いた。
「南の集落は一番発達が遅れている……とは聞いていましたが、こんなの原始人とそれ程変わらないじゃないですか。」
木の櫓を立て、木の家の前で焚き火をしている。どうやら女や子供しか居ないらしい。
「……北狄には、奇妙な話があってな。」
ぽつり、楓が語り出す。
「何歳かになったら試験をするんだと。それで、ある一定の点数に達しない者が南の集落に送られてくるんだとさ。」
「……へぇ。何だか奇妙ですね。……そう思ったりもしないんですか、北狄の皆さん!」
イブキの声に、一番近くで焚き火をしていた女が、何か叫びながら逃げ出す。
「うぇぇ……おもんないですね……こう、脳筋だったら向かって来たりもするのに。」
馬から降りて、黙りこくっている集落に足を踏み入れる。無音だ。砂が摺れる音がする。
「……変だな。大体ザワつくもんだと思うんだが。」
アリアが集落を歩きながら、そんな事を呟く。煮立ったスープもあれば、ほかほかのご飯もある。先程まで人が居た形跡がある。
「もーちゃっちゃと帰っ」
「楓さん。ちょっと待って下さい。」
イブキは近くにあった食器を何個か物色して、ぽいと目の前に投げた。がこん、という音がする。
「わーお、殺る気マンマンですねぇ。」
音がした先には落とし穴があった。落とし穴のその先に、針山が笑顔で待っている。
ふと頭上を見上げると、何人もの兵士が居る。周りにも何人も。楽しく、三人を殺そうとしている。
「和気藹々(わきあいあい)な戦場ですね。」
「こんなほっこりした戦場は久々だな。」
「殺そうとする気概が伝わってくんなー!良いと思うぞ!俺は!」
おっと。どうやら屈強な男共も居たらしい。危ない危ない、仲間外れにしてしまう所だった。愉しそうに嗤って、伊吹は言った。
「蹂躙せよ。灰と化せ。その姿を我に見せつけよ。我は❛鬼門の多聞天❜なるぞ!」
その声で、アリアはワイヤーで高く上がり、楓は近くの階段を駆け上がる。
「朱雀、参ります。」
『りょーかい!』
朱雀の力によって神器は熱い炎を纏う。右足を差し出して、左足で円を描く様に。そして、神器を引き摺る様に!
『おおっ!綺麗に抉れたネ!』
火焔を纏った神器が、辺り一帯の建物に火をつける。
「こっちの方が早いですよ。普通に蹂躙するよりも。」
伊吹は振り返らずに後ろから無謀にも向かって来た男の首に矛の柄を突き出す。
「さてさて。僕等が来ることが分かってこんなにもてなして下さったのだから、きっと『主催者』が居ると思うんですが……。」
まだ無謀にも向かって来た男の方が良かったのかもしれない。他の北狄達は恐れて近寄らないのだ。
「……何か、来ませんねぇ。」
『タブン、国家都市の北の集落を一人で蹂躙したって聞いたら、アタシでもイブキチャンの神器、辞めるかな……。しかも無残過ぎる死体にして……。』
「それでもまだ疎ましく居るじゃありませんか。」
むすっ、とした声が燃え盛る炎の音に紛れて聞こえる。
『あの後、結構真剣に考えたんだけど……やっぱり、使われないよりはマシかなって……。』
「なるほど。ほらほら、楽しいお相手ですよ。」
「……あ、アンタが❛鬼門の多聞天❜ね……!?」
女の周りには、数十人の男が居る。伊吹はそれを見て恭しくお辞儀をした。見惚れてしまう程の、美しい所作だ。
「お初にお目にかかります。僕の名前は❛鬼門の多聞天❜。貴方々(あなたがた)を蹂躙しに参った次第です。」
「挨拶は良いよ。知らない奴なんて居ないからね。」
「そうですか。そんなに有名なのは嬉しいです。」
満更でも無いような笑みを彼は浮かべる。相手方が言っているのは恐らくそういうことでは無い。
女は怒りを必死に抑えながら、声を震わせて伊吹に言った。
「あ、あたしの弟を……見なかったかい……。」
「知らないですよ。名前も控えて無いですし。北の城塞の者に捕まった北狄は、一昔前は殺していたそうですが、今は看守長の玩具ですからねぇ。……聞いてきましょうか?」
莫迦にされているのがひしひしと伝わって来る。女は男を抑えながら言った。
「亜麻色の、髪の……女を、嫁を探しに……行った、弟を……。」
「あぁ!なるほどなるほど!あの人ですか!典型的な脳筋でしたね!知ってます僕!その人はァ……。」
ニタァ、と口を歪めて。
「お嫁さんと一緒に狂人になってまァす!」
「貴様ァ!」
もう女も止めなかった。脇に居た男共の大きな斧が振り下ろされる。が、伊吹は手を上げなかった。
ぶしゃっ、と首筋から鮮血が飛ぶ。
「お疲れ様です。アリアさん。」
「や、夜叉……。」
アリアを夜叉と呼んだ女は、呆然と立ち尽くしている。
「楓さん……もとい羅刹は、何処に居ます?」
「あぁ……櫓で撃ってるとの事だ。」
なら、と伊吹は敵を目の前にして言った。
「撤退する前に何人か連れて帰るので、麻酔弾の準備を宜しくお願いします。」
「了解した。」
びゅん、とアリアは消え去る。あと何人だ?あと十人は居るか?
「おい、お前は先に逃げておけ。」
男は女を奥の納屋へと押しやる。
「さて。僕の御相手は貴方々ですね。」
「そうだ。」
それだけ言うと男達は伊吹に集る。神器を放り投げると、一つの火焔になった。
「はんっ……タイマンで勝負か!?舐められたもんだな!」
両腕を交差させて匕首を引き抜くと、振り下ろされた腕に登って首筋に差し込む。
「ぐっ……!」
まずは一人。宇宙へ跳躍して、ぼんやりしている的に三つ。揺らめく彼の蜂蜜色の瞳に、冥さが一つ。四人目。
一本を口に加えて三本を手に持つ。おや、次は歴戦の猛者らしい。ちゃんと動きを読んで向かって来た。適当に相手に匕首を差し込んで、空いた口で。
「朱雀!」
火焔が神器に戻ると、落ちて来た大剣を矛で防ぐ。
『イブキチャン!無理が過ぎるヨ!』
「そんな大口叩けるなら大丈夫ですね!」
あぁ、これでは根負けしてしまうなと。そう思った伊吹は叫ぶ。
「朱雀!溶かせ!」
『りょうかい!』
大剣と矛が触れている場所から、どろどろと大剣が溶けていく。
一瞬の隙を突いて薙いで、差し込んだ匕首を引き抜き首に差し込む。
『ナイスだヨ!イブキチャン!』
刹那、高く神器を投げて、須臾の間に匕首を引き抜いて、右足を突きだし六人目の首へ。落ちて来た神器を上手く掴み取る。
『凄い!上手く掴めるなんて!』
「僕も結構ギリギリでした……。」
後は四人だ。
「……ふぅ。えーっと、次はどの方……。あれ?」
どたどたと男達は奥へと走り去ってしまう。伊吹はそれを良しとして、抜き取った匕首を死んだ者の服で血を拭き取った。ただ、一本だけがそのままだ。
『あれ。イブキチャン、それはどうするの?』
「これだけ頑張ったんです。僕に御褒美があっても良いでしょう?」
『……ゴホウビ?まだ終わってないのに?』
「……其処を突かれてしまうと困るんですよね……。」
女が逃げた納屋へと、伊吹は足を進める。
「ぅ、ぅぁぁぁぁぁぁ!」
叫び声を上げて、伊吹の白い手袋に赤の鮮血が走る。あぁ、刺されたのか。一瞬で痛みが分からなかった。
「良い事を教えてあげましょうか。」
「ひっ、ひぃぃ……。」
ずっ、と包丁を抜く。腰を抜かした女の隣に、伊吹は微笑みながら包丁を置いた。
「痛みという物は、一瞬だと痛くありません。そう、こうやっ、て……!」
「いっ……いだいいだいだいいだいだい!!!」
落ちていた女の手に、彼は包丁を差し込む。そして、傷口をぐちぐちと大きくしていく。あぁほら、もう大穴が空いた。
「ひだっ、ひだい、ひだいひだいぃぁぁぁぁぁぁ!」
「発狂しないで下さいよ。まだ生爪剥いで無いんですから。また❛多聞天❜に縋るのは早い早い……。」
笑みを零しながら包丁から手を離した。血塗れた匕首をぐるぐる回しながら、ただ女を見下している。
「つーぎーはー……そうだ!足にしましょうか!」
楽しそうに鼻歌を歌いながら、女の足元にしゃがみこむ。どうしようか。生爪を剥ぐのは手が汚れるし、足の爪だし汚いし。
「んー……足の……指切るのもなー……ワンパターンですし……。何が良いと思います?朱雀?」
『……あ、ごめん。耳塞いでて聞いてなかったワ。 』
「え。使えないですね。どうしよっかなー……。」
「ひっー、ひっー、いたっい、いたい、いたっ、いたい……。」
時間が無い。どうせ次の拷問が最後だろう。有意義にしたい。
「お、お前なんか……地獄に堕ちろ、堕ちてしまえ、この人殺し……っ!」
まだギリギリ持っていた女が、キッ、と伊吹を睨みつける。
「……あぁ、まぁ僕は地獄に堕ちますよ。ただ、王になるだけで。それに、」
ニィィ、と挑発する様に嗤って、伊吹は一言。
「人を殺してるんですから、今更誰かを拷問したとしても……ねぇ?毒を食らわば皿までって言うでしょう?」
さて、煩いこの人間をそろそろ黙らそう。決めた、次の拷問は……。
「よし。それじゃあ、指を一瞬で斬り落としますね。歯を食いしばって下さいね。舌噛んじゃいますから!」
落ちていた包丁を二本持つと、一気に指を削ぎ落とす。
「ひっ……ぃぁぁぁぁぁぁぁ!」
まだまだ。両側まで伸ばした包丁を元に戻して、足の甲に突き刺す。そして脛まで引き上げた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
そうそう。その悲鳴。堪らない。
「えへっ、駄目です、駄目だ、これ、こ、興奮して……!」
紅潮した頬と、濡れた口元の二本の犬歯。
「出ちゃいそうです♡」
女はその言葉に意識を手放そうとする。が、この鬼畜の権化がそんな事を許す訳が無い。伊吹の軍靴が、女の首にまで伸びる。
「ほら。助けて欲しく無いんですか?痛くて痛くて、堪らないでしょう?」
もう女の視界は、痛みと多量出血で朦朧としている。
「こ、ころして……ひっ……いた、い……。」
そうですか、と伊吹は短く言った。軍靴の先が刺さるくらい、女の首にまた伸びる。
「であれば。懇願なさい。地に頭を擦り付けて、僕にお願いをするんです。『助けて下さい。❛鬼門の多聞天❜様』って。出来るでしょう?」
軍靴を外すと、女は身体を折る。そして、か細い声で言った。
「たすけて……くださ……い、❛鬼門の多聞天❜、さま……お、ね、がいします……。」
敵に頭を下げるという屈辱は一体どれ程のものだろう。
想像するだけで、それを今自分がさせているという事実が、何よりも興奮する。
「上出来です。それじゃあ……助けてあげますね。」
部屋の隅から火の手が上がる。それを見て、女は震えた。
「な、なんで殺して……。」
「確かに殺してあげるとは言いましたが、どんな殺し方とは一言も言ってませんよ。」
こんなのは極刑よりも酷い。自分が一体何をしたのか。❛鬼門の多聞天❜が過ぎ去っていく。
閉められた扉の中で、女は揺らめく煙の中に、己の罰を見出した。
❛鬼門の多聞天❜に刃向かった事こそが、『罰』なのだと。
それに気付いてしまったら、もう狂うしか無いと。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
閉じた扉の向う側で、伊吹はくすくすと笑っている。
嗚呼、面白い。楽しい。堪らない。
だってこれ程しても、自分がしたのは拷問だけなのだ。『殺して』いないのである。
火の手が『偶々』上がっただけ。
上から順に火が付いている建物に入ってくれて、本当に感謝しかない。
あの倒れた男達だって、きっと今も虫の息だろう。
首すれすれに刺しただけで、トドメをさすのはアリアと楓だ。
一切戦績が残らないのに、昇進ばかりする。嗚呼、堪らない堪らない。
「んふふふ……。」
あぁ、やっと悲鳴が聞こえてきた。聖女も燃え盛る炎の中で死んだのだ。別段変わらないだろう。
全ては計算し尽くされた『偶然』。だって、人は殺していないのだ。
建物が崩れるな、と悟ったイブキはその場所を離れる。
「イブキ!」
「お疲れ様です、楓さん。」
滑り込むようにして、楓はイブキの元まで駆け寄った。
「お前もうちょっとちゃんとトドメさせよな!」
「二人の為に置いてるんですよ。」
「あー?舐められたもんだぜ。」
上から劈く声が響く。
「イブキ!」
「お疲れ様です、アリアさん。」
「敵将は?」
アリアに促されたイブキは、推測を立てた集落の奥の方を指さす。
「あの奥に入っていきましたから、あの奥なんじゃないですかね。」
「そうか。……イブキ、楓。私の手を掴め。」
言われるがままに、手を掴むと、次に見たのは、
「っ!?いや、とんでっ、え!?」
「ちょちょちょアリアそんなの聞いてないぞ俺!」
空中だった。アリアのワイヤーで二人を釣って飛んでいるのだ。
「黙って捕まってろ!……ほら、行け!」
半ば投げ出される様にイブキは飛ぶと、敵将までぶっ飛ぶ。
楓も飛び出す。イブキのほんの少しの間を通して、発射された銃弾は近くに居た男へと命中する。即死だ。
「危ないじゃないですか楓さん!」
「るっせぇー!お前避けれるだろ!」
「確かにまぁそれはそうですが!」
矛の柄で薙ぐ。だが、やはり敵将の大男、並の反射神経では無い。
「お前が、❛鬼門の多聞天❜か……。」
また恭しくお辞儀をして、一言。
「はい。お初にお目にかかります。僕が❛鬼門の多聞天❜です。」
あまり面倒なのを増やしたくない。と思った傍から、周りの男共が楓の銃で撃たれていく。
発砲音は小さいが、部下とも言える男が倒れている事に気付いているのに助けない上司というのは、余り褒めるべき存在ではない。
「一つ聞こう、❛多聞天❜よ。」
「えぇ。何でもお答えしますとも。」
イブキは何の含みも持たせず、男へと言った。
「お前は何故、我等が同胞に拷問をする?」
あぁ、何だ。面白い質問かと思ったのに。至極当然すぎる質問だったなんて。
少しがっかりだな。ふふ、と口元を歪めて、イブキは一言。
「『趣味』だからです。……酷い言い方をすれば、『性癖』?ですかね?」
敵将は呆然としている。何も言えない。言えるわけないだろう。
「僕達北の城砦の者は、『人を殺す事』が許されています。それ故に、ですよ。……うーん、何て言ったら良いですかねー……。」
「……いや、もういい。お前を此処で殺せば、決着が着く。」
その瞬間、イブキの耳元に朱雀の声が響く。
『イブキチャン、聞いてくれる?答えなくて良いかラ。』
相手の大男は死神が持つ様な鎌を構えた。
『あの武器ね。神器もどきみたいな、異端なモノなノ。あんまり長い間戦ってると、イブキチャンが死んじゃう。だからアタシがあの武器を燃やス。それまで時間稼ぎをして欲しいノ。』
了解です、と言わんばかりにイブキは矛を構えた。相手の鎌が落ちてくる。それを避ける。
足を前に突き出して、イブキは首を目がけて矛を回した。
「ふん。❛鬼門の多聞天❜って奴もそんな凄い奴じゃないんだな。」
「あはは、どうでしょう?」
見事それを避けられる。イブキは跳躍して背後に下がった、が。
「おっせぇんだよぉ!」
バゴンッ!と音がするくらいイブキは吹き飛ばされる。
「ハハッ!❛鬼門の多聞天❜も大したことねぇな!あー?てめぇ後でリンチしてやるよ!」
「おい。脳筋北狄。あんまりソイツを煽らない方が良いぞ。」
アリアは頭上から櫓から身を乗り出して戦闘ショーを観劇している。
「あ?じゃあてめぇが相手になれよ。ホントに此奴が❛鬼門の多聞天❜なのか?」
「そうだぞー。」
くすくす、と楓は銃の整備を死体の山の中でしながら言った。
「ソイツはさ、貸された名前に対する矜恃がえげつないし、元々莫迦にされるの嫌いだからな。あんまり莫迦にすると……うわぁお……。」
楓は瓦礫に埋もれた中から、ぬっ、と手が伸びる。赤い、赤い腕だ。
「……。」
「あーあ、もうあれガチギレしてるぞ。」
アリアが半ば呆れたように、しかし何処か愉しそうに声を上げる。その視線の先には。
「……誰だ。俺を、侮辱したのは。」
赤い軍帽から、銀髪と紅い紅い瞳が見える。むっくりと身体を起こすと、もう、その周りには。
「……あ……。」
「……お前、ですね。俺に歯向かおうとしたのは。屑虫の分際で、烏滸がましいと思わなかったんですか?」
怒りを超えた『殺気』だ。それだけで武器になり得る、凶悪な殺気。
「『罰』とは何か。『罪』とは何か。この俺が、直々に教えてあげましょう。」
伊吹はその場から跳躍すると、神器を投げて首の後ろから匕首を引き摺り出す。
「っ!」
鼻を削ぎ落とさんとする匕首に、男は一瞬たじろぐ。が、そんなもの意味は無い。
「ははははははは!遅い遅い遅い遅い!」
鼻が駄目なら次は目にしようか。そうだ、鎌が振り下ろされる前に!
「ぎっ……ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
胸に差し込んだ匕首を支えにして、伊吹は男の目を潰した。
「いっ、痛いぃぃぃ……。」
「知りません。」
さて。男と言えば。男と、言えば。急所的な場所が一つある。
「……ぶっちゃけ、此処を潰すのは看守長の趣味なんですけど、今日は俺がやっても良いですよね。」
足に全ての力を込めて、のたうち回っている男の股間に、伊吹は会心の一撃を加えた。
「あっ……。」
「うわぁ、超絶痛そう……。」
顔を抑えながら、楓は呟く。
「あれ痛いのか、楓。」
「痛いに決まってるだろ……背筋が冷えたぞ……。」
だが、覆われていた楓の手が離される。
「い、いぶき……危ない!後ろ!」
『ま、予想以上に早かったけど、いっか。』
楓の声と朱雀の声が重なる。その声で全てを察したイブキは、振り返ったついでに匕首を唯一生きていた男の部下に差し込む。
「制圧完了、ですね。」
男の持っていた鎌が燃え始める。さて、そろそろ移動しよう。
「楓さん、アリアさん、撤退します!」
「了解した!」
「アリア、ちょ、お前短剣忘れてるぞ!」
「ああ、済まない……。」
そんな言葉の交わし合いの中に、朱雀の声がか細く聞こえる。
『消えるネ。霊力全部使い果たしちゃっタ。もう、話せないヤ。』
「それでも貴女はこの神器の中に居るのでしょう?」
『それは、そうだけどサ……。』
イブキは足速に南の集落から去る。完全に火の手が回っている。何処が崩れてもおかしくない。
「とにかく集落の外まで出ましょうか。」
砂漠の砂を踏みしめて、イブキは自身の馬が置いてある場所まで駆けた。まだアリアと楓は来なさそうだ。
朱雀は薄くなりながら、燃える集落の前でしゃがんだイブキへと、呟くようにして言った。宇宙が白んで来ている。
『ねぇ伊吹。アタシ、貴方のこと嫌いだったよ。』
「知ってましたよ。」
『やっぱ嘘。好きだったよ。』
「知ってました。」
『やっぱり嘘。大嫌い。』
「随分と前から知ってました。」
『アタシが消えるの、寂しい?』
「いいえ。」
『そう言うと思ってた。』
「理解されて嬉しいです。」
『ねぇ伊吹。光遷院 伊吹。』
「何でしょう?」
完全に、イブキの手から消えかける朱雀は、全ての最期に別れを告げて。
『……貴方の未来が、素晴らしいものでありますように。……アタシ、伊吹の事、大好きだったよ。』
タッセルが燃え落ちて、炭へと代わる。イブキがそれを触って、軽く神器に口付けて、笑った。
「……僕も、貴女のことが大好きでしたよ。」
焔が濃紺の夜空へと吸い込まれていく。火花が、炎が、全てが。
『……答えられないのに言うなんて、随分と意地悪だわ。』
朱雀の声が、聞こえた気がした。全てが吸い込まれた夜空を眺める。
その顔には微笑みがあった。……が、その瞳には、少しの涙と、大きな悲哀が漂っていた。
「あー疲れましたねぇー……。」
「相変わらずお前は絶好調だったじゃないか。」
「それなー。」
無事に守られた北の城砦に、三人は厩舎に馬を繋げる。そうだ、とイブキはすっかり忘れていた事を思い出す。
「えーっと。改めて自己紹介した方が……。」
「あー?そんなもん要らねぇよ。」
楓はあっさり言い放つ。そして、肩を竦めて言った。
「だってお前が四大貴族の光遷院家の伊吹だったとしても、お前はお前だろ?今更どーたら言うの怠くねぇ?」
「楓。そういう言い方は良くないぞ。」
きっと、この言葉は。聞きようによっては傷付くものなんだろう。でも。
狂気だから避けられて。友人は他所他所しくなって。そんな自分にしては、とても嬉しくて。
「……有難う、御座います。」
すかさず楓はイブキに言った。
「あ。お前貴族なんだろ。どうせ謝礼貰えるだろうし焼肉食いに行こうぜ。溢れた分はお前が払え。」
「えー?何で僕なんですか。」
でも、そんな事もしてみたい。友達と外食だなんて、何時ぶりだろう?
「……じゃあ、僕は見回りして来ますね。」
「そうか。お疲れ様、イブキ。」
「はい。お疲れ様です、アリアさん。」
厩舎を出て、すっかり白んだ世界を眺める。火薬の臭いは無事に爆破した証拠だな。後で報告書に書いておかなければ。
「残党は……。」
居なさそうだ。さて、引き返そう。
とにかく眠い。お風呂入りたい。お腹いっぱいご飯を食べたい。あと余裕があれば緑珠李雅様の盗聴音声も聞きたい。あ、一緒に写真も見たい。あ、でもあと使ったタオルとか触りたい。新しく手に入れたやつがあったっけ。
したい事がいっぱいあるなー、有休最高だー、とのほほんとした顔でどえげつない事を考えながら、イブキは引き返そうとする。
「……や、やめて……ひ、酷い事しないでよ……。」
「ほら、来いよ。」
「やだ、やだやだやめて……。」
女性の声が聞こえる。
「おやまぁ、まだ入り込んで居たんですか。」
まさか厩舎の手前の扉がぶっ壊れて、北狄に潜入されているとは夢にも思わなかった。
人間らしくするのも飽きた事だし、なぁ、とイブキは男二人の首根っこを掴んで、遠く投げる。
首から投げたから、多分死んでいるだろう。頭に岩が当たってるし。さてと。この目の前の御方は……。
「さて。お嬢さん。こんな朝方から何用でしょう。此処は貴女が来るような場所ではありませんよ。」
「あ、あなた、ここの、ひとなの……?」
「そうですが。それで何用ですか?知り合いでも?」
慌ててぶんぶんと首が振られるのが分かる。帽子を深く被っているから、顔がよく分からないし眠くて声も分からない。
「た、た、探検で、来て……ごめんなさい、怒らないで、ただ気になって来ただけなの……。」
何をそんなに怯えているのだろう、とイブキは顔を上げた。
「お嬢、さ……ん……?」
言いかけた言葉をぐっと飲み込んで、イブキは相手を眺めた。見まごうことは無い。相手は、その相手は──
「……ふふふ、お嬢さんなんて呼ばれたのは初めてだわ。」
相手はこの国のお姫様、蓬泉院 緑珠李雅。
非礼とか無礼とか怪我をしたかとかでは無く、ただただ、そんなものでは無かった。
何か、胸を貫いた音をした。身体中が針山に堕ちた様な、そんな痛み。
これが恋だと。これが恋愛だと。ずっと前から慕っていた相手が、目の前に居るのだ。
「あ、あ……ぶ、無礼をお詫び申し上げます、皇女殿下!」
まさか声を聞き紛うとは。興奮で頭がおかしくなってしまったのだろうか。いや、頭がおかしいのは元々だ。慌てて膝をつく。
「気にしないで。怖かったけれど久々に楽しかったわ。」
イブキが言っていることはそういう事では無いのだが。
夜の砂漠を通る風みたいな透き通る声。楽しそうにくすくす笑う声が聞こえる。
帽子の隙間から相手の顔を覗くと……
「……。」
その口角の引き攣っていること、だった。本当に笑っていない。目が、死んでいる。
「お名前を教えて頂けるかしら。」
この騒ぎで自分の素性は恐らくバレているだろう。ならば本当の名を言うのは趣が無いというもの。
「……ツバキ。椿、と申します。」
「その真っ赤な制服に似合った、良い名前ね。首からは落ちないようにするのよ。」
そんな言葉を口にして、緑珠はその場を去ろうとしたのだが、どうにもこうにも道が分からない。
「……御案内致しましょう。両陛下に見つかっては拙いのでは?」
イブキが案内を名乗り出ると、慌てながら緑珠李雅は答えた。
「まぁそうね。案内して貰おうかしら。」
皇女が此処に居ると分かれば一大事だ。裏口を使って城砦内を歩くと、ほら、直ぐに帝都の行きの電車が見える。
「……これは貴方と私だけの秘密よ?言ったら怒るわ。」
「ええ、御意のままに。」
「……えっと。これに乗れば良いのよね?」
「そうですよ。」
どうやら少し抜けている所があるらしい。そんな所も可愛らしい。ぱたぱたと電車にかけながら、緑珠李雅はイブキに手を振って、言った。
「案内有難う!」
「……いいえ。……いや、褒められてしまった……!」
嬉しいのは山々なのだが、看守長の元へと行かねばなるまい。
まずは部屋に神器を置こう。階段を登って、自室に戻る。扉を開けて、神器を置いた。
「……お疲れ様です、朱雀。」
もう何も言わない神器を置いて、写真を一枚封筒に入れ、イブキは部屋を出た。
目指すは看守長が居る執務室だ。近くに居た門兵に向かって、
「看守長はいらっしゃいますか?」
「えぇ。居らっしゃいますよ。」
「そうですか。有難う御座います。」
イブキは微笑んで返すと、扉を蹴破った。周りの門兵の顔が面白い。
「さて看守長。頭を垂れろ。許しを乞え。今なら見逃してあげます。」
書斎のご自慢の机に軍靴の北狄の血がべったりと着く。要するにイブキが靴を机に乗せたのだ。
「あらやだァ、何の話ィ?」
「また博打で全財産捲り上げられたいんですか?もしかしてそういうご趣味が?看守長でマゾだっ」
イブキの言葉に何一つブレずに、何時もの調子で看守長は返した。
「……それは困るわねェ。分かったわァ。どうせお休みのことでしョ?」
「そうです。想定外です。こんな事は。」
「…………受理しましょう。あと私は、」
一拍置いて、ドスの効いた声で一言。
「マゾじゃないからァ。無に帰すぞ糞ガキ。」
「勝手に喚いておくといい。僕が気付いて居ないと思っているんですか?」
持って来た封筒を、イブキは看守長に投げつけた。
「これを貴女の言う政府に送ると良いと思いますよ。その中にはとある貴族の趣味が明るみになっていますから。」
短くイブキはそう言うと、机を蹴って、看守長の部屋を後にした。
それから暫く夜が過ぎて、あの夜。
牢屋の看守を命じられたイブキは、神器と共に歌を口ずさむ。
「拷問屋さん、おはようさん、道具が十個落ちました、拾ってあげましょ?」
「随分と御機嫌ですね。落ちたのは一個ですけどね。しかも夜ですけど。伊吹様?」
自分の名前に『様』が付けられたその事実に、イブキはくすくすと微笑む。
「……これはこれは。貴方も光遷院の回し者でしたか。」
「それは勿論。ダンナに逐一報告させて頂きました。今回の戦いの部分は省略しましたが。記録に残ると面倒なんでね。」
「……。」
であれば。あの拷問も知っているのか。その視線に、拷問屋は言葉で返す。
「いやはや、面白かったですよ。貴方が獣欲を隠して、『人間』として生きていく様は。」
手元の何かの本を見ながら、拷問屋は続けていく。
「きっと、御友人も知らないでしょうね。貴方がどれだけ狂気に苛まれているか、そしてそれに耽溺しているかを。……ま、オヒメサマとはまた違う狂気だな。」
「……兎にも角にも今日もお仕事、頑張って下さい。」
ニシシッ、と拷問屋は微笑んだ。
「分かってますよ。確か綺麗な女の人でしたっけ?」
「連れて帰って来ちゃったみたいで。また面倒臭いのが動く前に、ちゃっちゃとしちゃって下さい。」
牢屋に併設されている部屋で、彼は紅茶を淹れた。そしてそれを持って牢屋の前に座った。
「……嗚呼、良い悲鳴だ。」
イブキは紅茶を飲みながら呟いた。そう。あの悲鳴が良いのだ。
逃げる可能性を未だ持っている悲鳴はまだ面白くない。声を上げないからだ。
「酷い表情してますよ。」
「……おや、そうですかぁ?」
「分かっててそんな甘ったるい声を出してるんですよね分かります。」
こくん、と飲んだ紅茶の雫の、甘い風味が口の中に広がる。嗚呼、甘美だ。
あの、最早助からないと悟り始めた悲鳴が好きなのだ。
それに少し手を差し伸べて、助かったと思ったあの顔を、完全に屈させるのが好きなのだ。
「我ながら悪趣味ですねぇ。」
「随分と今更なお話ですが。」
「あはは、あんまり意地悪言わないで下さい。」
全く悪びれもなく、紅茶を飲む。お菓子も一緒だ。
「そう言えば、知ってます?」
「何をでしょう。」
もう一杯飲もうかな、と思った瞬間に、拷問屋の口からとんでもない言葉が聞こえる。
「王妃様が姫様を逃がそうとしているらしいですよ。今日の夜にでも。今はお食事中だそうで……。王様がお決めになったらしいです。」
「……おやおや、それはそれは……。」
その食事は宮廷でする最後の食事となるのか。のんびりと悲鳴を聞いていると、兵が駆け込んでくる。
「宮廷で爆破が……起こって……!」
「爆破ですか?何処で?」
イブキの言葉の間にも、悲鳴が劈く。
「りょ、緑珠李雅姫の能力で……。」
「……何ですって?」
拷問屋が声を上げた。イブキは紅茶を飲み干すと、どうせもう戻らない牢屋から立った。
「伊吹様。何処へ行かれるつもりで?」
「逃げます。」
それだけ短く言うと、神器を引っ張って湖へと足を進める。
「おいイブキ、お前何処行くんだ?」
あぁ、友を置いて行くのは、少し忍びないが……イブキは楓に、こう言った。
「……行かなくては。」
「えっ……ちょ、お前!」
静止を飛び越えて、イブキは星湖を目指して走り続ける。
やっと手に入れられる。お傍に居れる事が出来る。どれだけ望み続けた事か!
あぁでも、あんまり悦んではいけない。顔に出てしまうから。走り続けたその先に、伊吹は仕えるべき主を見て、この言葉を発した。
「リョクシリア様!?何故こんな所に……?……分かりました。逃亡、なされるのですね。」
そっ、と手を伸ばして。己の欲を隠して、さぁ、さぁ。
『好青年』の、出来上がりだ。
74話の次回予告!
落ち着いた本邸に、もう一人の彼女が現れたりイブキが面倒臭そうにしたり緑珠が復活したりと、落ち着いたお話!




