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【完結】ラプラスの魔物 千年怪奇譚   作者: お花
第六章 溟海大龍帝国 インテリオール
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ラプラスの魔物 千年怪奇譚 外伝 酒と堕神と髑髏 中編

前回のあらすじ!


北の城塞で城兵をしているイブキは、四大貴族の一人、光遷院伊吹こうせんいん いぶき。休暇を取れた彼は、家に帰るが、其処で待ち受けていた、彼の過去と対面する事になる……!

イブキはずるずると身体を持ち上げて、背後の鍵を閉めた。涙が彼の頬を濡らしていく。


「お前は、お前はッ……ずっと、知って……居たんですか……僕の、僕が、僕で……知ってて、ずっとずっと黙っていたんですか……そうなんですよね。そうですよね……。」


がたがたと揺れる扉が煩い。身体がどんどん落ちていく、堕ちていく。


『……そりゃあネ。』


「じゃあ何でッ!どうして何も言ってくれなかったんですか!」


顔を醜く歪めて、イブキは一生懸命叫ぶ。朱雀はただ、そんなイブキを憐れむように言った。


『イブキチャンはさ。破壊衝動に塗れなくても、きっとそうなってたよ。』


「は……?」


世界中の全ての音が、止まった。背後の扉の音も消えた。死刑宣告を繰り出す様に、涙が止まったイブキへと言う。


『きっと、何時か大好きな人を、イブキチャンは壊すよ。自分だけしか見えない様にするよ。その時に破壊衝動が収まっていたとしても。長い間禁じられていた『欲望』が『独占欲』に変わって、きっと、きっと。』


「……嘘……だ……。」


ぽかんと悲しく口を開けたイブキは、朱雀にそれだけしか言えなかった。


『まともには、生きられないよ。イブキチャンもリョクシリアちゃんもはなのみやちゃんも冷泉帝くんも。……何時かその破壊衝動が独占欲になる。それがキミの幸せだから。』


「……そんな、そんな、そんな……そんな、あんまりな事が……。」


床に膝をつけてただただ毛氈を眺める。ぽた、ぽた、と涙が滲む。


『……イブキチャンはさ、元々何か欲しかったのにあんまり買って貰えなかったジャン?お勉強とかでさ。それで、どんどん欲が深くなっちゃったんだよ。……『自分だけの物が欲しい』って。』


「……いやだ、いやです、いやだ……。」


スペアキーによって開けられた扉から何人かが飛び出て来る。


朱雀など放って置いて、イブキの肩を掴んだ。「大丈夫ですか!?」や「しっかりなさって下さい!」と聞こえる声は、何処か朧気で遠く。



心の奥底にあるのは、

たった一つの『破壊衝動』だけだった。










「あー……。」


重く泣き腫らした目をイブキは持ちながら、自身の大きな寝台の上で横になっている。


「実家帰って来て迷惑しかかけなかった……。」


『そりゃあれだけ喚き散らせばネ……。』


「るっさい……。」


鼻をすすりながら、イブキはぐったりとしていた。食事もした。風呂も入った。


「……寝ようかな。」


『まだ七時だよ。』


「るっさい……。」


同じ問答を繰り返しながら、イブキはもう一度問うた。


「……朱雀。一つだけ質問があります。」


『どうぞ?』


「……やっぱりなんでもありません。」


問うた。と言うよりもこの空間が嫌だった。自身がそんな獣であったのだと、知らしめられた空間が。


「電気消して下さい。」


『ホントに寝るの?』


「……気が向いたら。」


寝台の傍にある詩集に、イブキは布団からそっと手を伸ばした。


『薄暗くしようか?』


「……お願いします。」


薄暗くなった紺色の空間。自分はこれが昔から大嫌いだった。疲れた目で闇を覗けば、何か居るような気がした。


幽霊だとかそんな類のものでは無い。己の心の内が透けて見えるのが、どうにも嫌いだった。


「諸説ありますが、車持くらもちの皇子は闇、即ち闇を『くら』と呼ぶので、闇の皇子と言ったりするらしいですね。」


『詩集と全く関係ないじゃん。』


「ちょっとくらい構ってくれても良いでしょう?」


朱雀は深くため息をつく。


『確かに言われてたりするね。でもイブキチャンは逃がさないでしょ?イブキチャンのかぐや姫を。』


「……否定はしませんが。」


薄暗くなった部屋に身を浮かべ窓を覗くと、夜が美しい。


「ぼく……は……。」


『無理に話さなくて良いよ。』


「……ぼ……く……は……。」


気怠い身体を少しだけ折り曲げて、イブキはか細く呟いた。


「……どー……すれば、良いんでしょうねぇ……。」


一応は気づかせるためとは言え、此処まで傷つかせたのは自身の過失でもある。朱雀は少し気の毒に思い、そっとイブキの頬に触れた、のだが。


『……あ。』


「ふふふ、朱雀も心配するんですねぇ。」


ニヤっ、と笑った彼の笑みが全ての証拠。この笑みが昔から大嫌いで、大好きだった。


『アタシもう心配しないからね!』


「あははは、酷いなぁ、朱雀は。」


こうやって夜通し話したのも彼女の思い出。何時までも、これが続くのなら──


『おやすみなさい、イブキチャン。』


「……その呼び方を止めて下されば寝るのも吝かでは無いですよ。」


少しだけ不満げな子供っぽい目が、布団と布団の隙間から見える。朱雀はため息をつきながら完全に光を消した。


『……おやすみ、伊吹。』


「えぇ、おやすみなさい。朱雀。」









「……あさ、か。」


イブキは早朝に目を覚ました。朝の純粋な空気は好きだ。自分の穢れた内側も流してくれそうな気がするから。


枕の傍に置いておいた詩集を元の寝台の傍に片付ける。一日しか着なかった寝間着を布団に置いて、屋敷を動き回る様の服に着替えた。


「朱雀?」


どうやら彼女は眠っているらしい。何時も声をかけたらちょっかいをかけ出す彼女の性分が出てこないからだ。


「……何時もこれっくらい静かだったら良いんですけどね。」


『おはよう!』


「今の話聞いててやってますよね?」


『ヤッテナイヤッテナイ。』


朱雀の片言の言葉が聞こえる。イブキは『神鳳冷艶鋸』を引っ張って中庭へと足を進める。


まだイマイチ回らない頭を何とか回しながら、若干壁にぶつかりつつも中庭に着いた。


「……おや、あれは……。」


「ふう……。」


中華式東屋の小さい椅子に座っている先客が居る。可愛らしい欠伸あくびも聞こえる。


「おはよう、華幻。」


「ぁ……おはよ、お兄ちゃん……。」


うつらうつらしている華幻の頭を、イブキはよしよしと撫でた。


「どうしてこんなに早くに?まだ眠れるよ?」


「たまたま目が覚めちゃって。……というのは建前で。」


華幻は琉煌が稽古をしているのを見ながらえへへ、と笑った。


「琉煌お兄ちゃんが準備してるの、見ちゃってね。それでついてきたの。」


「……それでも眠そうだぞ?」


「うっ……。そ、それはそうなんだけど……。」


引っ張り出して来た神器に、華幻は目を遣った。


「伊吹お兄ちゃんも稽古?」


「そうだ。……兄上はもうしていらっしゃるのか。」


「うん。『この帝国で一番の騎士になる!そして姫様にお仕えする!』って言って、毎日頑張ってるの。」


剣を振り下ろす琉煌を見ると、華幻は直ぐにイブキへと視線を戻した。


「丁度、伊吹お兄ちゃんが北の城塞に行ったあたりから熱心に始めてね。」


華幻の言葉にイブキは何かを察した。どうやら自分の妹は無意識的に真相を突く癖があるらしい。


「お!伊吹じゃないか!」


「お早う御座います。兄上。」


「昨日は大丈夫だったのか?」


ぴく、とイブキは悟られないように一瞬だけ動きを止めた。そして笑顔で返す。


「えぇ。ご心配下さり有難う御座います。」


さてと、とイブキは自分の神器を持つ手の力を強めた。稽古を始めよう。


「なぁ伊吹。俺と一勝負してくれよ。」


「……僕、稽古をしたいんですが。」


「んなもん毎日してるから良いだろー!」


「えぇー……。」


あまりに理不尽な言葉に、イブキはただ駄々を捏ねる様に呟いた。


「なぁーなぁー!しよーぜ!手合わせ!」


「分かりましたよ煩いな。」


己の腕にしがみつく琉煌に、イブキは吐き捨てるように言い放った。


「お、おい華幻聞いたか!今こいつお兄ちゃんの事を煩いなとか言ったぞ!」


「煩いもんを煩いと言って何が悪いんですか。」


「そういうコマしゃくれたところほんと直せよ!モテないぞ!」


腕にしがみついて離れない琉煌に、嗤うイブキ。


「僕、一日に一通は恋文が来るタイプです。」


「まじ腹立つなお前!俺だってモテたい!」


「女の子は寡黙な男が好きなんですよ。」


「俺が煩いと言わんばかりの言葉っ!」


ニィっ、とイブキは、実の兄を見下す。


「……よく分かってるじゃないですか。」


琉煌はイブキから離れて、わなわなとしている。苗刀をイブキが引っ張り出している間に、琉煌が華幻に愚痴る声が聞こえた。


「まじで腹立つ!何でアイツはあんなにコマしゃくれてんの……!?お兄ちゃんみたいに素直になろう?」


「まぁまぁ、琉煌お兄ちゃん落ち着いて……。」


華幻は苦笑いしながら琉煌を宥めている。そんな苦笑を浮かべている妹に、琉煌は堂々と宣言した。


「俺、絶対に伊吹に勝つから!見てろよ、華幻!」


「琉煌お兄ちゃんそう言って一回も勝ったことな」


勝ったことがない、という言葉は遮られ、


「そんな事ないぞ!……そんな事あるけど。」


イブキは適当に真剣の苗刀を引っ張り出し、鞘を白露の芝生に散らした。ぶっちゃけ言うと矛以外使えないのだ。……でもまぁ、人間相手なら……。


「お、矛にしないのか?」


「……兄上が剣なので、僕は苗刀にしようかと。」


「矛でも良いんだぞ!」


ニタニタと楽しそうに笑う琉煌。余程勝負が楽しみらしい。


「いえ……偶には良いかなと思いまして。それ以上もそれ以下もありません。」


朝の清い空気に身を任せ、イブキは柄と身体の重心を一致させた。脳内は一点の曇なく、晴天の空の如く。ぐっ、と踏み込んで白刃が芝生に濡れる。


「ぐっ……中々やるようになったじゃねぇか!」


「これでも僕、前から苗刀の練習してませんけど、ねっ!」


振り下ろした白刃を、琉煌が切り返す。朝露がイブキの頬を濡らす。


「ほんっと、いけすかねぇ奴だな。」


「褒め言葉です。」


琉煌の洋剣が振り下ろされる。イブキはそのまま刃を滑らそうとするが、それに気付かない琉煌では無い。


「見え見えだってのっ!」


「……っ……。」


明らかにイブキの首元を狙って来ている。完全に殺すつもりだ。しかし首元に降りた洋剣を、イブキは渾身の力で振り返す。


「はぁっ!」


きん、と刃が唸る音。琉煌の片足がずれる。しかし、仮にも彼は騎士だ。気を緩めるはずが、無い。


「ぐっ……。」


「……あぁ。」


冷めた。恐ろしく冷めた。自分は兄に幻想を見ていたのだ。イブキは冷めた瞳で兄を臨んだ。兄の瞳の奥には嫉妬が渦巻いている。


「っ……もう終わりか?」


イブキは一度下がって相手を見据える。考えてみれば簡単なことだった。


自身が継ぐものと考え、教育を受け。しかし神器は持てず、年端もいかない自身の弟にその地位を奪われる。……苦労したならば、その妬み嫉みは恐ろしいものだろう。


「伊吹?どうした?」


兄の声が脳裏に谺響する。彼は自分と地位を交換すれば満足なのだろうか。


……いいや、彼はきっと見えないものに押し潰されるだろう。自身が耐えきれていると言い切るのも変なものだが。


終わらせてあげよう。それがイブキが琉煌に出来る、最大の愛だ。







……というのは建前で。



こんな嫉妬で頭がおかしくなって重心がぶっれぶっれなうえ軸も歪みきり剣を持つ手が緩んでいる全く勝負にならないゴミみたいなゴミにさっさと格の違いというものを見せたくなったのである。


「いいえ。さぁ、続けましょう。」


「……くそっ……終わらせてやるよ!」


あぁほら、剣がズレた。心に歪みが見えた。亀裂が入った。硝子みたいに割れた。歪んで歪んで、ぐにゃぐにゃだ。


再度振り下ろされた洋剣に、イブキは冷めた表情と鋭利な刀を以って返した。


「……兄上は僕に── 」


「るっせぇ!」


「りゅ、りゅうきおにいちゃん……?」


イブキは刀を下ろす。琉煌は洋剣を投げ出した。華幻は棒立ちになっている。


「何でお前は何でも持ってるんだよ!何でお前はそんなに出来るんだよ!何でお前はそんなに必要とされるんだよ!何でお前は、何でお前は……。」


縋り付いてきた己の兄を、イブキは淡々と眺めていた。そして、琉煌は叫ぶ。


「何でお前が、神器に選ばれたんだ!」


皺になった服と縋っている兄に、イブキは冷淡に告げた。


「……そんなの知りませんよ。」


「じゃあ、何で……。」


「兄上には人を『壊す』覚悟がおありで?」


「……は?」


琉煌は恐る恐る見上げると、彼自身が持つ仄暗さに恐れをなす。


「兄上には人を『物』と扱う覚悟がおありで?『心』を壊すことが好きになれますか?『者』を『物』として……。」


つぅ、とイブキの頬に一滴の雫が落ちた。


「……『人』を『人』として扱えない、こんな僕の気持ちがおわかりで……?」


震える、微笑みを浮かべた唇。しかしそんな言葉は琉煌には届かない。


「意味わかんねぇよっ!何でだ!」


琉煌の手にあった洋剣が、イブキの肩に突き刺さる。お前も真剣だったのか、とイブキは痛みの中で考えた。


「……ぁ、あぁ、い、いや、そ、そんなつもりじゃ……。」


仕出かしたことを大きさに気付いたのか、琉煌は離れて震えている。別にこんなもの痛くは無い。もっともっと、他に痛いものはある。


「御兄様ッ!伊吹ッ!何をしているのですか!」


華幻が呼んだのだろう。早朝で眠いのにも関わらず、ネグリジェ姿で夕羅が琉煌と伊吹の傍に立っている。


「……姉上。」


ずっ、ずっ、と真剣を真顔で抜くと、ゆっくりとイブキは顔を上げた。


「伊吹、まぁ酷い傷。直ぐに手当してあげましょう。琉煌 御兄様もお話を聞かせて下さい。」


「いえ、姉上。僕は自分で手当出来ますから。お気になさらず。」


差し出された手を受け取らずに、イブキがそのまま場を離れようとする。


「駄目ですよ伊吹。そんなに血が出ているのですから。幾ら貴方が鬼の血筋を強く引いていても傷は出来ているんです。手当しましょう、ね?」


「本当に大丈夫ですから、姉上。」


意地を張るイブキに、夕羅は差し出した手を引っ込めて慈愛の笑みを浮かべた。


「それでは伊吹。傷が出来ているというのは関係なく、私が傷の手当をしたいのです。……姉の我儘に、付き合って頂けませんか?」


姉はこういう言葉の転換が上手い。して欲しい事は変えずに、それを自身の発端と変えうる。言われたら拒否出来ないように。


「……分かりました。」


イブキが仕方なく呟くと、夕羅は嬉しそうに笑った。








『いやァ!最大にやらかしたネ!』


「煩い、です。」


傷はもう痛まない。血も止まって一安心だ。だがそんな思考の転換も、また皮肉に聞こえる。


「……兄妹きょうだいには謝りました。問題ないでしょう。」


『ま、それは当たり前だよネ!』


緩みかけた包帯を夕方の部屋できつく縛り直すと、イブキは荷を作る。


「夜の電車まではあと一時間ですか。明日は非番でまた仕事っと……。」


『良く働いて偉いと思うヨ?』


態とらしくイブキの肩を叩く朱雀に、荷物を作りながら彼は答えた。


「偉いと思うのなら少しくらいは手伝って欲しいものです。」


『まー?アタシは?働くべきモノでは無いし?』


じろり、と一瞬だけイブキは朱雀を睨むと、扉が叩かれる。


「はい、どうぞ。」


「ごめんなさいね、伊吹。御兄様が謝らないと仰って……。」


そろりと入って来た夕羅に、イブキは微笑みながら返した。


「いえいえ、お気になさらずに。僕も挑発した部分もありますので。」


「……もうすぐ、帰ってしまうのよね。」


「そうですね。」


末恐ろしく悲しい顔をした姉に、イブキは優しく微笑み返した。


「もう一年、修行をしたらまた皆で暮らせるのよね。また、皆で……朝起きたら皆居るのよね。」


「……そうですねぇ。」


そんな事を言われてしまっては名残惜しくなってしまう。兄妹共々貴族なんてしがらみを消して、幸せに生きたいと思ってしまう、のだが。世はそれ程甘くは無く。


「大丈夫ですよ。姉上。必ずまた会えるでしょう?そんな寂しそうな御顔をされては、行くに行けなくなってしまいます。」


肩を竦めたイブキの一言に、姉は妖艶に、そして楽しそうに微笑んだ。


「それで止めていると言ったら?」


「……姉上は性格がお悪う御座いますね。」


ふふふ、と夕羅は微笑んだ。そして手を広げて、優しく優しく、慈しみを込めて笑う。


「ぎゅっ、てさせて欲しいの。華幻にも琉煌御兄様にもしているのよ。」


「……は、恥ずかしいです……。」


戸惑っている彼に、夕羅は飛びついた。そしてよしよしと、背中を、頭を、そして心を撫でる。


「よしよし。良い子良い子。私の可愛い弟。可愛い、可愛い、自慢の弟。何時の間にこんなに大きくなったのやら……。」


イブキは恐る恐る、姉の背中に手を回す。ちらつく何かを押しやって、本当に恐る恐る。


「大丈夫よ。貴方には家族が居る。そして仕えるべき主が居る。何かあったら言うのよ。私の可愛い弟……。」


「……はい、姉上。」


やっぱり気恥ずかしくなって、イブキは押しやるように姉から離れた。そして話題を変える。


「僕の仕えるべき主の、緑珠李雅リョクシリア姫は……一体どんな御方なのでしょうか。色々調べては居るのですが、よく分からなくて……。」


夕羅は考える仕草をすると、疑心に満ちた口振りで答える。


「お美しい方なのだそうよ。貴方の同い年で、黒髪に翠玉の瞳。あまり大衆の前にはいらっしゃらないから……私も良く存じ上げないのだけれど……華幻は一度会ったことがあると言っていたわね。謁見で。」


イブキが荷物を持って玄関へと歩く足取りに合わせて、夕羅も部屋を出る。


「確かにお美しい方だったそうだけど……何処か……。」


「何処か?」


問い直しに夕羅は答えない。というか答えられない。華幻が抱き着いてきたからだ。……大方、冷たいなんていう印象を抱いたのだろう。


「おにいちゃーん!」


「華幻。見送りに来てくれたのか?」


花が咲いた様な笑顔だったのが、直ぐに曇天色めく顔になってしまう。


「……ごめんね、琉煌お兄ちゃんは来ないから……。」


「気にしないで。華幻と姉上が来てくれたのが嬉しいからさ。そんな悲しそうな顔をしないでよ。ね?」


その言葉を聞いて、華幻は俯くのを止めて顔を上げた。


「……うん。そうだよね!お見送りする時は笑顔で言わなくちゃね。」


「伊吹。」


父親の声が聞こえる。その傍に寄り添って母親も居た。


「体調には気を付けて。また元気な顔を見せてね。」


「はい、母上。それでは……また……。」


イブキは開かれた玄関を前に、少し悲しそうに微笑みながら言った。


「行って参ります。」









その影は、セピア色だった。ペン筆記本ノートに落ちる影は、彼女の心の内を示すかの如く。


「緑珠李雅様。沐浴もくよくのお時間に御座います。」


「……もう少し、後で。」


「……緑珠李雅様。我儘は、」


「先生。」


月の姫は手を伸ばした。それは沈みゆく夕陽の国か、はたまた救われない自身の心か。


「……伊吹という人、花ノ宮という人、天ノ宮という人、冷泉帝という人は……それぞれ、どんな方なのですか。」


筆記本には絵が描かれている。ただ、描かれているのは『人の形をした何か』だ。


「それはまだ姫が知らなくても良いことです。何時か知り得るのですから。」


「でも、周りは知っているのに私だけ知らないのなんて……狡い。」


先生、と呼ばれた老婆は部屋の中に入り、ちらりと筆記本の落書きを見た。何か分からない落書きに、『わたしはしあわせ』と書かれている。


「……抗鬱剤は飲みましたか?」


「美味しかったです。」


月の姫はそれだけ答えた。何の感情も込めず。


「それでは待っていますね。」


老婆が部屋を出て行くと、姫は透き通る窓に身体を預けた。


「……誰か、あいして……私を愛して……溺れるような、そんな気持ちで愛してよ。」


誰か、と月の姫は……緑珠李雅は、頭を空にして呟いた。


「誰か、空っぽの私を愛して……。」









『間も無く、北離宮方面の電車が参ります。白線の内側で──』


イブキは旅行鞄トランクケースを掴んで駅の構内で立っていた。


「明日は非番、ですか。」


『まァた明後日から働き詰めだねぇ。』


「そうですね。あと……。」


辺りを見回してイブキは朱雀へと言った。


「もうちょっと静かにしていて下さい。」


『別に良くない?だって使い魔とか大勢居るよ?』


確かにイブキの周りには魔法使いが多く立っている。それは生命体か?という使い魔を所持している者もいる。


「居ますけど、貴女の声は高くて響くんですよ。」


『この可憐な声が響くのはとても良いことだと思わなイ?』


「思いません。……あ、電車が来ました。」


一つ、電車の吐息が聞こえると、開いた扉にイブキは入った。


指定席を頼んだので指定された席まで歩く。毎度の如く扉を開けると適当な景色を眺める。そして、分厚い茶封筒を引っ張った。


『ま、イブキチャンが欲しかった情報はリョクシリアちゃんの外見的要素じゃなぃもんネ。』


それは、数多の写真、半導体記録装置(USBメモリ)、容量装置(SDカード)、だった。


『一体何処から仕入れて来るのか……。』


呆れ果てた朱雀の声など無視して、イブキはただそれ等を眺めていた。


『イブキチャン、それ眺めてる時が一番幸せそうだもんネ。』


「……そうですかねぇ?」


酷く上擦った声をイブキは上げると、まるで愛玩する様にそれ等を撫でた。


「幾ら姿を知っていても、口調を知っていても、話している声を知っていても、何月何日何時何分に何をしているか知っていても。それでも、それでもですねぇ?」


ごくん、と唾と累々の狂ったおぞましい言葉を飲み干すと、


「……足りないんですよねぇ。まだまだ。嗚呼、此方このかたを殺せば僕は満たされるのかな……。」


『死の後には無が残るだけだヨ。』


朱雀はどうでも良さげに外の風景を眺めている。


「……無、か。無ですか。無があれば、もう僕も悩むことが無くなりますね。」


ちらりとイブキの顔を朱雀は見ると、瞳の奥にあった炎が消えているのを見つける。


『かも、しれないネ。』


「えぇー!何ですか朱雀、その言い方はぁ……!」


『彪川と遊んでるような人に何も言うことないヨ!』


朱雀はペちペちとイブキの頬を叩く。


「痛くないですぅー。うーけーるー!」


イブキは朱雀とじゃれている間に、もう北の城塞が見えてくる。イブキは朱雀に頬を抓られているのを他所に言った。


「明日は非番ですからね。一日博打をして過ごそうかな。煙草を吸うのも良いですね。あとお酒も飲みたい……。」


『そのダメ人間フルコースみたいなのを計画してるのがダメだと思うネ。』


「でしょ?……あぁほら、朱雀も戻って。もう着きますから。」


『はいヨ。』


その言葉とほぼ同時に電車は駅へ止まると、イブキは荷物を引っ張って無人の駅に降りる。


「人、誰も居ませんね……。」


切符を見せてホームを出ると、世紀末かと言うほどの砂漠が広がる。寂れた駅を出て建物伝いに歩いていくと、直ぐに城塞が見えた。


「もう家に帰りたい……。」


帰ったそばからそんな事を言いつつも、イブキは自分の宿舎に足を進めた。そして、扉を閉める。


「……紅茶を飲みましょう……。」


と。部屋の扉の横に荷物を置いて、茶袋ティーバックに手を伸ばした直後だった。コンコン、とノックが響く。


「帰ってるんでしょォ?開けてェ?」


イブキは扉に鍵をかけた。あと荷物も置いた。後は、後は、


「開かないわねェ。」


「開きませんねぇ。」


「開けて欲しいわねェ。」


「開きませんねぇ。」


「開けるわねェ?」


「開けられるわけな、あぁ……さよなら、僕の非番……。」


イブキは攻防を続けていたが、看守長の境界を破る力によって扉はいとも容易く破壊された。蝶番の部分にぽっかりと穴が空いている。


「開いたわねェ?」


「……開きましたねぇ……。」


尻餅をついたイブキに、看守長は馬乗りになって薔薇鞭を突き出した。


「おやおや、優秀な僕にこんな事しても良いんですか?仕事しなくなるかもしれませんよ?」


「そうなったらイブキチャンを愛玩するまでねェ。」


「……クソサドが。」


「何か言ったァ?」


「いいえ。今日もお美しいなと。」


突き出された薔薇鞭を見ながら、よっぽど看守長は機嫌が良いと感じるイブキ。


「お世辞は嫌いじゃないわァ。」


「あはは、バレちゃいましたかね。さて、と。」


薔薇鞭を持っているその手を翻すと、今度はイブキが看守長に馬乗りになる。


「僕の非番が無くなったこの落とし前、どうつけてくれるんでしょうか。」


「……北狄の悲鳴とかじゃ、ダメェ?」


「ダメですね。」


馬乗りにされているまま、看守長は態とらしく困った表情を作った。


「休暇をあげましょうか。その休暇に合わせて、上等なお酒を一本ずつ。どうかしらん。」


その言葉に、イブキは若干看守長を拘束する足を緩めた。


「……良いでしょう。では、その休暇は?何日下さるのですか?」


「三日とかどぉーお?」


拘束していた足がまたきつくなる。


「それは甘いですねぇ。」


「でもそれ以上はあげれれないわァ。お、し、ご、と、ある訳だしねェ。」


イブキは思いついたように言った。


「……では、貴女の望むだけ捕虜を用意しましょうか。人数に合わせて、休暇が欲しいです。」


「…………それならァ、良いかもねェ。」


それよりも、と看守長は身体を上げてイブキへと問うた。


「イブキチャン。何で貴方、私が言ってないのに北狄が攻めて来たことが分かったのォ?」


嫌な予感はしていたが、真逆そこまでとは。イブキはため息をついて看守長へと言った。


「どうせそんな理由だと思ったんです。まぁ兎にも角にも……着替えて来ますね。」


「あ、そうだァ。北鉄はなるべく殺さないでねェ。」


軍服に着替える前のイブキに、看守長は呑気に声をかけた。


「……理由を聞いておきましょうか。」


まぁ、だってェ、と何時もの口調は消えて看守長は言い放った。


「いたぶりがいが無くなるじゃない。」


イブキが見ているのを良いことに、看守長は話を続ける。


「私が好きなのわねェ、イブキチャン。こうやって自分が優位に立てたものだと思って私を手玉に取る奴よォ。いたぶりがいがあるからァ。」


「それでは僕はダメですね。貴女を手玉に取りたいとも思わない。」


あらそれは残念、と全く残念にも思って居ない声が響く。


「部屋から出て行ってくれませんか。」


「嫌よォ。」


一刻も早くに出て行って欲しい。兎にも角にも着替えよう。捨て台詞みたいな言葉を吐く。


「……夜道には気を付けることですね。」


「まァ!イブキチャンのお仲間にはそんな手合いが居るのォ?」


ぱん、と手を叩いて嬉しそうな顔を浮かべる看守長。


「さァ……どうでしょう?」


「イブキチャンが言うと信憑性が増すわねェ。」


「さいですか。」


適当に看守長をあしらうと、部屋から出た途端に疎ましい声が耳に残る。


「まァ精々頑張りなさいな。『駄犬』?」


「そうさせて貰いますよ、『クソサド』?」


苛々とした看守長の雰囲気をイブキはくすりと微笑むと、行くべき場所へと向かう。それは勿論、出撃場所だ。


「……楓さん。アリアさん。こんな形になって本当にあれなのですが……。」


「お!お帰り、イブキ!」


「非番とはさよならだな!」


「何でちょっと嬉しそうなんですかッ……!」


いやだって、と楓は大切な自身の旋条銃ライフルを触りながら言った。


「だって?お前が休んでる時に?相変わらず出勤してたワケだし?え?」


「ぬう……。反撃が、出来ない……。」


しかし、彼は自分に流れ込んで来た負の連鎖を断ち切ろうとする。


「でも先輩方に続けば良いんじゃな」


「何言ってるんだイブキ。お前聞いてなかったのか?」


「……は?」


きょとん、と首を傾げたイブキに、アリアは冷酷に告げた。


「この城塞、今は十人しか居ないんだぞ。」


アリアの言葉を反芻すると、イブキは苦々しく答える。







次回予告!

城塞に十人しかいない、と告げられたイブキ。その裏を探ると、それは不倶戴天の敵の件の貴族だった……!光遷院 伊吹を主人公とした、全ての者に至る外伝。遂に完結。……そして、物語は始まっていく!

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