ラプラスの魔物 千年怪奇譚 59 霧中の無我
○○○の中に大河があったり時の神様が本気を出したりイブキも応戦したり緑珠の頭がよく回ったりとなんやかんやある話!
それは、大河だった。タイガの中に大河があるのだ。……駄洒落では無い。
「こ、これは……。」
緑珠は言葉に詰まる。イブキが全神経を耳に集中させる。
「……回り道をするのは止めた方が良いかと。クロノスの攻撃の音が近いです。」
「真理が『境界結界』を貼っても戦闘になるわよね……。」
「まぁ、そうなるね。」
緑珠は目の前の大河と、三人を包み込むタイガを見比べる。
「……元の世界に戻るという選択肢は無いわ。兎に角、隠れられる場所を探しましょうか。イブキ、音が聞こえるのはどの方向?」
「西の方角です。」
「なら東に向かいましょう。あの時の神から逃げなくちゃ。」
緑珠は東の方へと足を進める。無言になった空間で、彼女は口を開いた。
「……時の神様の、あの武器。怖かったけれど、随分と綺麗だったわね。」
「ありゃ神器だからねぇ。伊吹君の『神鳳冷艶鋸』も中々のものだけど、緑珠の精霊収集機『月の錠前』と匹敵するくらい凄いものかな。」
てくてく、と歩きながら、真理は淡々と説明を続ける。
「神器はどれも唯一無二のモノだ。優劣なんて無いんだけど、クロノスの神器『ウロ・ティモス=リング』はちょっと別かも。時間に関するあらゆる事象を操れるからね。」
「そんな遊戯の狡みたいな武器があるんですね……。」
「神器なんてそんなモンだよ。」
単調な会話を済ませると、また辺りは沈黙に襲われる。緑珠は思考に耽りながら、一言。
「……ねぇ、二人とも。私、聞きたいことがあるのだけれど。」
「どうしたの?」
ゆるりと霧に紛れながら、緑珠は振り返る。疑心暗鬼の訝しげな顔を浮かべて。
「もしこのクロノスの世界で、時が進み始めたら……とんでもない事になるわねって話よ。」
さくん、さくん、と落ち葉と硬い木の根を交互に踏む。
「だって時は進むけれど、あのよく分からない『軍』とやり合わなくちゃ、」
と緑珠が言葉を続けようとした瞬間だった。目の前の樹林が消える。
「っ!引き返して!」
緑珠は思わず足を止めると、傍に居た二人に指示をかける。
言うよりも早く、結晶が樹林を消し去った。木があるのは三人が居る場所だけだ。
「さて、どう甚振ってやろうか?其処の殺処分対象は一瞬で消し去るとして……。」
ヒタヒタと笑う声が頭上から聞こえる。真理が杖を具現化させ、小さく呟いた。
「……僕が、やるよ。」
「真理!駄目よ。考え直して頂戴。」
緑珠が一生懸命、真理の服の裾を掴んだ。それに対して彼は笑う。
「違うよ。君達は止めてくれたでしょ?……そんな事はしない。しないけど、これは僕が望んだ結果じゃないなぁ。」
呑気にそんな事を言いながら、黙り込んでしまった緑珠の頭を撫でる。
「大丈夫。『もう一人の僕』のこと、宜しく頼んだよ。本当に大丈夫だから。僕が呪文を唱えるまで、結界を貼ってくれないかな?」
「……っ、ねぇ、私、真理の事が良く分からないわ……。」
ぽろりと涙を流した緑珠に、真理は慈愛に満ちた笑顔を見せた。
「当たり前じゃないか。僕は神様だもの。理解出来たらそれこそ怖いってもんだよ。僕が暫く結界を貼るから。」
そうでは無いのだ。まだ掴めない、朝靄の中に居るような人だから。
緑珠はそれ以上追求する事を止め、涙を拭いてイブキに振り返った。
「イブキ、力を貸して頂戴。おっと、私の『言ったことが本当になる力』は使わないのかって?当たり前じゃない。あれは行き過ぎた力よ。」
イブキが言いかけた言葉を緑珠は全て言い切ると、軽く告げる。
「命令よ、イブキ。血を寄越しなさい。」
「……は?」
呆気に取られているイブキに、苛立ちながらも単純に説明する。
「貴方は魔法や霊術が全く使えないけど、閻魔大王の血を引いているのなら血自体が魔力の塊の可能性が高いわ。仮にも皇子と呼ばれているのなら、血が濃いはず。という訳で!寄越しなさい!」
「……美味しくないですよ?」
イブキは白鞘の短刀を抜いてニヤリと笑いながら、一切の戸惑いも無く己の前腕に短刀を差し込んだ。
「そんなもの承知の上よ。」
緑珠はその傷口に噛み付くと、じゅるる、と音を立てて血を全て飲み込んだ。
「っ!?」
イブキが慌てて腕を引っ込める。剣を抜いた緑珠に、イブキは苦言を呈した。
「何故傷口を抉り出すように舐めたんですか……流石に痛いです……。」
「美味しいかな、と思ってね。」
「不味いというのを承知の上でお飲みになったのに……。」
「いけそうかい?」
イブキが腕を抑えているのを他所に、緑珠は真理へと言った。
「えぇ。出来たわ。」
緑珠は剣を正眼に構えると、何時も通りの呪文を唱える。
「我が剣は、戦刀に有らず。飾り刀にあり。故に、血に穢すもの無し。故に、剣は我が叡智にあり。統べるもの、永遠の知恵よ。固有霊魔法、『万物ノ霊長ハ人間ニ非ズ』!」
その言葉を唱えた瞬間、三人の周りには強度の高い結界が貼られる。そして、真理も杖を突き出した。
「我は万軍の主、栄冠を抱く者。世の玉座に座る者。名は無く、しかれど、その名を知らぬ者は居らず。我が名は無名、世の大君にあり!」
すると、真理に変化が起こった。
目を引く紫髪は銀髪に変わり、優しい色合いの肌は白く掴めない透けそうな肌に変わる。服装も変わる。何時ものローブは薄絹に変わった。
「これは……。」
「……何で私が呼ばれてるの。」
クロノスの驚きに満ちた声。何時もの楽観的な真理の声とは裏腹に、若干の恨みと静けさが混じった声が響く。
「ちゃん、り……?」
「誰だキミは。というかキミ達は。」
緑珠の戸惑いに溢れた声に、振り向いた彼は訝しげに言った。ぽかん、と口を開けて緑珠は突っ立っている。
「……まぁ、良い。……クロノス。煩いよ。下がれ。」
「お、仰せのままに!」
クロノスは慌てふためきその場を当然の様に去った。ゆるりと彼は振り返る。
「さて、聞かせてもらおうか。キミ達は誰か?そして、私は今、『誰』なのか。」
振り返った彼の瞳は、鈍い青が据わっていた。
「ふぅん。じゃあ今の私は『朧月夜 真理』という人間で、キミ達と共に旅をしている、と。」
「そうよ。」
三人は座り込んでいる。緑珠は神妙な面持ちで彼へと言った。それを信じるかを反芻するように、彼は頷いた。
「へぇ。で、キミ達の名前は?済まない。何分人間の私との記憶共有が二百年前だからね。良く分からないんだよ。」
ゆるりと緩めた口角を浮かべた表情は、真理のものとそっくりだ。だが、何処となく恩讐と哀しみが付き纏う。
「ええっと……私の名前は蓬莱 緑珠。此方が光遷院 伊吹よ。」
緑珠は軽く自己紹介を済ませると、緑珠の顔を彼はじっ、と見つめる。
「……そうか、キミが……久し振りに、キミと会った……。」
彼の一言に、イブキはぽん、と手を叩いた。
「……あぁ。そうですね。緑珠様は神様のオーダーメイドですから。」
「そう言えばそうだったわね。すっかり忘れていたわ。」
「忘れてたんですか……。」
「嫌なものは忘れるに限るわよ。で、貴方は……何と呼べば良いのかしら。」
緑珠は彼に問うと、彼は少し考えた後に、たどだどしく言った。
「そう、だな……。……天上の世界では『ラプラスの魔物』と呼ばれていたよ。まぁ長いし、何とでも。」
「『ラプラスの魔物』?」
きょとんとした緑珠の声に、彼は説明をし忘れたと言ったふうに慌てて説明を追加する。
「あぁ、『ラプラスの魔物』って言うのはね、違う世界で神の存在をそう言った人が居たんだよ。私の敵は『マクスウェルの悪魔』と置き換えられていたから、ミルゼンクリアもそのまま引き継いたんだけどね。」
今度はその言葉を受けて考え込んだ緑珠がたどたどしく言葉を紡ぐ番だ。
「そう、ね。……それじゃあ貴方の事は、ラプラスって呼ぶ事にする。ラプラスはきっと、別の人の名前だと思うけど……流石に『神様』って呼ぶのは冷たい気がするわ。」
「……名前、か。」
ラプラスはしみじみと呟くと、今度は無邪気に微笑んだ。
「名前で呼ばれるなんて、初めてだよ。ずっとずっと、いろんな世界の人から『神様』って呼ばれてるから。……さて、話は戻るが。」
頬杖を濡れた草の上でつきながら、ラプラスはつっけんどんに言った。
「結論から言おう。私はキミ達に協力する気は更々無い。ぶっちゃけどうでも良いんだよ。」
「え、いや。あの。そういうの普通に困るんで。協力して下さい。」
まるでクラスに絶対一人居る冗談が通じない系の言葉を発すイブキ。緑珠はその言葉に頭を抱えた。
「……え、そんなグイグイ来る感じなの?私、神様なんだけど。」
ラプラスは呆れ果ててモノも言えない。言える訳が無い。
「グイグイとかそんなんじゃなくて。普通に協力して下さい。真理はその為に犠牲になったんですから。」
「死んでないからねイブキ。其処は留意してね?」
緑珠が立ち上がったイブキの着物の裾を掴んだ。
「……チッ。……無に帰せば良かったのに。」
「止めて。真理は大切な仲間だし、『緑珠の貞操守り隊』の一員なの。」
ラプラスとイブキが緑珠の方向に目を向ける。
「……何なの、その、えっと……。」
「言ったじゃない。『緑珠の貞操守り隊』よ。主にその人から。」
ラプラスの一言に、緑珠はじとーっとイブキを見つめる。その視線に耐えかねて彼女の腹心は言った。
「どうして僕を入れてくれないんですか。」
「入れるわけないでしょうが。主に私の貞操狙ってる人を。貴方アニメだったら途中で入って来て敬語キャラだから裏切るなとか掲示板で言われてるタイプよ。」
「タイプが長いです。」
「キミ達は何の話をしてるのかな?あれ、私 捨て置かれてない?」
ラプラスの独り言など上の空だ。暫くの間の間の後、イブキは言った。
「……寝てる間に貞操奪ってた、って言ったらどう思います?」
「全く、冗談も程々になさい。妬いてるんで」
呆れ果て何時も通りだと軽くあしらった緑珠だったが、次の言葉でそれは吹っ飛ぶ。
「背中に黒子が三つありますよね。」
「……あら?」
違和感を感じるが、肝心の腹心は此方を見ない。
「確か鋏で最近怪我をしたので、右の人差し指にもかすり傷がありますよね。あの鋏は鋭利なんですよ。使う時があるなら言って下さい。」
「……え……。」
あれを使った時は誰も居なかったはずなのに。
「あとダニが居るのだったら言ってください。太もも噛まれてたじゃないですか。あんまり掻き毟ると駄目ですよ。跡になりますから。」
「……ねぇ、」
緑珠の言葉など放っておいて、腹心は続ける。
「そう言えば背中も噛まれてましたよね。引っかき傷が右の肩甲骨にありました。」
「あの、」
引っかき傷があったこと自体初耳なのだが。それにお風呂は誰も入れていないはず。
「二の腕の裏も噛まれてましたよ。ダニは直ぐに気づきませんものね。」
「……い、いぶき?」
それも初耳だ。というか何故其処まで知っているんだ?
「……ねぇ?本当だったらどうします?」
イブキは薄笑いを浮かべながら、やっと緑珠に顔を見せた。
「冗談なのよね?冗談で、言ってるのよね?」
かたかた、と歯を震わせながら問う緑珠。此処まで来ると、貞操がどうのこうのとか言ってる暇ではない。
「さて、どうでしょうかねぇ。」
「いや、本当だったら、たち、悪くて、だから、じょうだ、ん……うぅ、ひっ、」
緑珠はあまりの恐怖、歯を鳴らす以上にぽろぽろと涙を零した。
「……済みません。貴女を虐めるのが楽しくて……泣かないで下さい。」
緑珠を宥める様に慌ててイブキはしゃがみ込んだ。だが、多分言いたいことはそれじゃない。
「……いやさ、私はね?何でそんな事まで知ってるって事を言いたいんだけどなぁ。」
放ったらかしにされていたラプラスが、やっと思いで言葉を紡いだ。
「……ひっ、」
そっ、と伸ばされたイブキの手に緑珠はびくりと肩を震わす。だが、伸ばした本人は全く気にしていない。
「もう。余計な事言わないでくださいよ。……ね、緑珠様。信じて貰えました?僕は緑珠様の事なら何でも知ってるんですよ。」
「心臓に、悪いわ……。」
「悪ふざけが過ぎました。許して下さい。」
緑珠はさっと立ち上がると座っているラプラスの背後に隠れる。
「ねっ!これが『緑珠の貞操守り隊』の発足のきっかけなの!分かる?ラプラス!」
「いきなり話題振って来たな……しかも其処の腹心君の言っていることは間違ってないし……。私もその貞操守り隊に入るよ。」
煩わしそうに、しかし笑みを浮かべながらラプラスは言った。
「やったぁ!新しい隊員が増えた!」
「くそっ……殺らねばならない奴が増えた……。」
イブキは独りごちると、緑珠は満面の笑みでラプラスへと問う。
「で、協力してくれる?」
『協力してくれる?』という疑問形では無く、『協力しろ』という二人の行動。何故なら緑珠は刀を抜いてラプラスの首元に突きつけ、イブキは白鞘の短刀を抜いていた。そして、ラプラスは呆れるように呟く。
「……背後から刃物突きつけられて、前からも刃物ちらつかせて。……拒否したら死ぬし、折角入った貞操守り隊から速攻外されるのはちょっと……。」
静かな空間で、緑珠とイブキがハイタッチした音が響いた。
次回予告!
緑珠が命令したり閃いたりイブキが踏んだり踏まなかったり神様が手助けしたりしなかったり相変わらずの読む手が止められない面白過ぎる怪奇譚!




