ラプラスの魔物 千年怪奇譚 51 彼女の懺悔
人の気持ちと宰相の気持ちに気付いた緑珠。そして緑珠の気持ちを汲み取る真理。そしてまたもやイブキが監禁を繰り広げる!(更新が遅れて申し訳ありません!活動報告を読んで頂けると幸いです……!)
「無事、モアと真理も逃げ出した様ね。」
「そうですね。」
緑珠とイブキは警察車両が溢れる夜の小劇場前を、我が物顔で歩いていた。すると、向こうに宰相が居る。
「御挨拶していきましょう。」
「誠に遺憾ですが、仕方ありません。」
彼は若干肩を竦めると、すたすたと歩いていく緑珠の傍に控える。宰相様、と声をかけようとした瞬間だった。
「お前か!お前がコレをやったのか!この売女!」
「皆困っているんだぞ!」
緑珠はその声に目を見開いた。何人も、何十人も、何百人も。粗末な身なりの人々が、緑珠へと抗議の声を上げている。
「な、何故……。」
何故、そんな事を言うの。と緑珠は言葉を出そうとした瞬間だった。
分かってしまったのだ。全て。
高い給金を貰うためには、教育が必要だ。教養も絶対に要る物だ。
例外として、そんな物が必要ではない職業もある。が、この国ではそんな職業は総じて自慢げに声に出せる職業では無い。
緑珠達に抗議を起こしている前の暴徒は払いが良かったのだろう。だから、文字が書けなくても、読めなくても。こんな払い良い職場は無い。
「……そう、なのね。……何て報われないのかしら。」
全てを察した緑珠は、真黒の艶やかな睫毛に涙を濡らす。分かっていたのだ。今まで、自分が報われ過ぎていたと。
「緑珠様、僕は、」
「良いわ、伊吹。有難う。」
緑珠は何か言いたげなイブキを制すると、変わりに別の命令を下した。
「ねぇイブキ。髪留めを外してくれるかしら。ドレスのジッパーも要らないわ、こんなモノ。」
言われるがままに、イブキは緑珠の髪飾り、ドレスのジッパーを下ろす。
肌着になった緑珠に、イブキは何時もの濃紺のベスト、旅装束を着せた。そして、緑珠はイブキに薄笑いを一つ。
「……民衆は水の様な物。一滴だけじゃあ動けない、そうよね?」
イブキは緑珠のしようとしている事を何となく察すると、胸に手を当てて返す。
「ええ。相違ありません。」
緑珠は髪飾りとドレスを掴んで、投げた。金色の髪飾りが宵闇と黎明と一緒に踊る。
「あはは!もし相手の事を大切に思っているのなら、これを売って皆でお金を分けなさいよ!『皆困ってる』んでしょー?」
結託していると思われた暴徒は直ぐにちりじりになって、人々を足蹴にしながらその場を去っていく。
「あれは『水』じゃなかった。言うなれば、板に落ちた雨の『水滴』の様。結託している様で、上手く乾かせれば蒸発するのよ。」
さて、と緑珠は宰相をきっ、と見据えた。
「この度の件、どう責任をお取りになる御積もりですか。これは調印なんかじゃない。そんなのは理由にもならない。だけど、貴方がした事は蛮行に等しい。」
緑珠の耳の痛い言葉に、宰相は真摯に向き合って答える。
「……辞任すると言えば、貴女は満足か?」
「それは私が満足に成らぬ問いかけですわ、宰相様。」
緑珠はどんどん己の考えを述べていく。
「昨今、未来に対する不安の本が多いですわね。私、あれは嫌いですの。未来なんて分からないのに、どうして今から心配するのですか?今すべき事をする事です。そうすれば、未来はより良い物となるでしょう。」
緑珠は淡々と述べたあと、薄く挑発的に笑った。
「……それとも、意見を持った女性はお嫌いですか?宰相様?……行くわよ、伊吹。」
また颯爽と歩いていく緑珠に、イブキはついて行く。無言の帰り道のなか、イブキは緑珠へと問うた。
「……貴女は何に、謝っているのですか。」
驚いた表情を見せて、射干玉の髪を散らして緑珠は振り向いた。
「僕は……これは、僕の取り越し苦労であって欲しいんです。貴女は何時も何かに謝っている様な声色だ。最近は少なくなりましたが、美しい月夜の夜に泣いている、なんて事も少なくありません。『ごめんなさい』、と添えて。」
緑珠の翠玉色の瞳からは、ぽろぽろと小さな水晶が零れゆく。
「……わ、わかんない、わよ……そ、んなの、知らないの……何にあやまっ、ているのかも、わ、たしには……わかんないのよ……。」
ぽろぽろと涙を零す緑珠を見ながら、イブキは苦々しく言った。だが、それは遮られる。
「なら、謝らなくても」
「謝らなくちゃいけないのっ!それは何でか分からないけど!うぐっ……どうしても、謝らなくちゃ……っ……。」
ごしごし、と彼女の目は擦られて赤くなっている。イブキがその手を取ると、優しく笑った。彼女の口の中には、塩水がいっぱいだ。
「じゃあ、謝るのは止めましょう?僕は貴女の笑顔が見たい。『ごめんなさい』、じゃなくて、ね?『有難う』と言いましょう。ねぇ?」
緑珠は瞳を散瞳させて、イブキを見た。薄ボラけの硝子の向こう、彼の蜂蜜色の目から涙が零れている。
「な、で……貴方が、泣いてるの……。」
緑珠が恐る恐る口を開くとそのままイブキは はにかんだ。
「分りません。僕は、貴女の、事となる、と弱くなって、しまいます。」
「どうして、ねぇ?貴方は私にそんなに優しくしてくれるの。」
緑珠はイブキの手からするすると己の手を離すと、気恥ずかしそうに、後ろで手を組んで、言った。
「『有難う』。」
だから、きっと。緑珠はイブキに謝らなくてはならない。あの『 (気持ち)』を抱いてしまった事は、彼に対する冒涜だ。
嗚呼、だから、ごめんなさい……。
月明かりはもう何処かに行ってしまって、夜明けが見える時間。
「今晩は、真理。」
緑珠は夜、タオルケットを持って縁側に座っている真理の側へと座り込んだ。
「うん。今晩は、緑珠。」
「……そこ、座っても良い?」
「どうぞ。」
真理の傍に緑珠は座ると、真理はお菓子を差し出した。和菓子だ。
「お菓子食べなよ。伊吹君にはナイショだよ?」
「うん。怒られちゃうものね。」
緑珠はくすくす、こそばゆい様に笑いながら真理へと言った。
「……人の気持ちって、理解するのは難しいわね。」
緑珠は真理へともたれ掛かると、呟くように言った。
「大変だったそうじゃないか。……人の感情を目の当たりにしたのかい?」
こくん、と半分眠りながら頷いて緑珠は続ける。
「嫉妬とか、恨みとか……そう言うのは、慣れてたの。王宮とかじゃザラだったし。……こう言っちゃあなんだけど、私は嫉妬される側だったから……。」
緑珠の伏せた瞳の裏には、あの暴徒一人一人の顔が過ぎる。
「……まさかあんな風に言われるなんて思わなかったの。寧ろ感謝されると思ってた。……違うのね、真理。」
真理は暁を見ながら、渋くなったぬるい茶を飲む。
「昔、旅先でね。奴隷解放を望んでいた人が居た。見事解放は成功した、が。奴隷は望んでいた人を殺してしまった。何故だか分かるかい?」
緑珠は縁側で足をばたつかせながら真理に返した。
「何かしら……お給金が良かった、とか?私はそう思ったわ。」
「……奴隷にお給金は出ないよ?」
真理は不思議そうに緑珠の顔を覗き込むと、彼女の表情には驚きが揺蕩っている。
「そうなの?……働いてるのに?」
「うん。それが奴隷ってものだからねぇ。」
真理は苦く、そして優しく囁くように言うと、緑珠は眉間にシワを寄せた。
「……じゃあ、私には分からないわ。自由になりたくないの?って思っちゃう。」
何も知らない世間知らずのお姫様の回答だ。別にそれは悪くないし、片時でも考えたことは優秀である。真理はそんな事を思うと、解答を示した。
「それじゃあ答えだね?……奴隷は楽だったんだよ。衣食住、まともに働いていたら支給される。保険なんて面倒臭い制度は無い。奴隷は『人権が無い』から出来ない事も多い。だけど。だけどだよ?上手く使えれば楽に生活出来る……。」
緑珠はその気持ちに共感出来ない。だって自由の方が良い。束縛は駄目。そういう風に教えられて来たからだ。
「……ふうん。人の気持ちって、難しいのね……。」
真理は緑珠の頭をよしよしと撫でる。まるで自身の子供にする様に。
「人の気持ちは難しいさ。色々経験しなくちゃ分からないことも多い。だけどね、緑珠。上に立つ者は人の気持ちを推し量る力だけでなく、決断し、判断する力も必要だ。でないと国という物は機能しなくなる。」
だからね、と真理は彼女に謝るように言った。
「あの宰相殿を、あんまり苛めないであげて欲しいな。勿論、緑珠が怒る気持ちは分かるよ。僕だって君の立場だったら怒る。」
「じゃあ!」
声を上げた緑珠に、微笑みながら真理は指に手を当ててあやす。
「しぃー……静かにね?緑珠。僕は君が賢いと思っている。だけど、もっと色々な世界を見なくちゃ。沢山の事を知ると、一概に『善は良いモノ』で『悪は悪いモノ』なんて言えないよ。両方を見て、決断を下す。それが英断となるか、蛮行と化すか。それは君の力量次第だ。」
緑珠は持たれていた真理の肩から首を動かすと、苦い表情を作った。
「……私に出来るかしら。毎日頑張って勉強している積もりだわ。伊吹や貴方や、他の人にも様々な事を教えて貰っている。けれど……。」
自信なさげな緑珠の言葉に、真理はよしよしと頭を撫でた。
「君なら出来るさ。だって僕のお気に入りの人間なんだぜ?出来ない訳が無い。」
「……そっか。……なら良かった。」
緑珠は不安げな表情をしまい込んで立ち上がると、真理へと手を差し伸べた。
「さ、寝ましょう?ごめんね。私のお話に付き合わせちゃって。」
「気にしてないよ。」
真理は緑珠の手に引かれて、寝室へと向かう。ああ、この手は。寂しかった『私』に、手を伸ばしてくれた。笑顔を見せて、名を聞いて。
「……緑珠、『私』に名など無いんだよ……。」
その声は緑珠に聞こえていなかったらしい。もう眠りの時間だ。緑珠は優しく、手を解いた。
「……お休みなさい、真理。」
真理はにっこりと笑って、答えた。
「うん。お休みなさい、緑珠。」
翌日。
「まさか家に帰っても監禁されるとは……。」
緑珠はがんがん、と鉄格子を揺さぶる。視線は彼女の従者へと向かった。日が当たっていて、地下、と言われても嘘の様だ。
「貴女を守る為です。」
当の本人はまるで興味がないように、紙と筆を持って何かを書き写している。
「事実、外では真理と帝国軍VS昨日の暴徒が交戦中ですから。」
どごん、どごん、と上から鈍い音が響いている。緑珠は不思議そうに問うた。
「上の戦場に行かなくて良いの?」
「……億が一にも有り得ませんが、もし上が突破された場合、僕が最後の切り札です。」
普通に市街地で軽く戦争だ。爆弾も使っているらしく、またまだ鈍い音が響く。
「監禁、ねぇ。最初はイブキの趣味かと思ったわ。」
「趣味は趣味ですが、するなら無理矢理と決めていますから。そっちの方が唆る。」
「とんでもないことを聞いちゃったわよ。……何してるの?」
イブキの突拍子も無い一言に、緑珠は軽く呆れている。先程からしている行動に疑問を持った。
「この魔方陣をメモってるんです。魔力が無くてもモノが隠せる良いものだそうですよ。」
「……それ、悪用したりしない?」
緑珠の恐る恐る問うた一言に、イブキは一瞬だけ顔を上げて、笑った。
「さァ?」
その返答を胡散臭いわね、と思って聞いた緑珠が、書き留めるのに必死なイブキへと言った。
「でも、独占欲が強いって良いじゃない。」
「は?」
ふいを突かれて顔を上げるイブキ。慌てて筆を落としそうになる。
「だって、その人だけの事が好きなんでしょう?行き過ぎた行動はダメだけど、愛されてるわよね!」
緑珠はにこっ、と微笑むと、イブキは肩を竦めながら元の作業に戻った。
「はぁ……。貴女の旦那さん、絶対特殊性癖持ってるでしょうね。」
「ま、従者がそうだからね。」
「煩いです。……これで、良いのか……?あ、消えた。」
むう、と膨れながらイブキはさらさらと魔法陣を書くと、子供のような声を出す。
「えっ!?本当?見せて見せっ、痛い……。」
緑珠が喜び勇んで檻から手を伸ばそうとすると、勢い良く頭を打つ。ごんっ!と痛そうな音が響く。
「んん……痛い……あ、そうだ!」
ぽん、と緑珠は手を叩くと、先程から緑珠の表情がころころ変わるのを楽しそうにイブキが見ている。
「ねぇ。お手手を繋いで寝ましょう?疲れてるでしょう、イブキ。」
「お手手って……頭でも打ったんですか。いや、打ったか……それに、まだ僕は、」
さらっと失礼な事を言ったイブキの言葉をまるで聞かなかった様にして、緑珠はそろそろと手を伸ばす。
「ストレスとか疲れって、知らないうちに貯まるの。少しだけでも寝ましょうよ。」
それに、と緑珠は無機的な檻を触った。
「これがあると貴方が私に手を出す心配も無いじゃない?」
「……貴女は、本当に……。」
イブキの心配事を 見事 緑珠は見抜くと、そのまま続ける。
「ふふふ。私は貴方の事を何にも分かってないわ。知ってるのは、貴方達のほんの一部。氷山の一角よ。何を考えているかまでは分からないわ。」
だからね、と緑珠は無機質な檻からまたまた手を伸ばした。
「私の気持ちが分からないって、貴方が悩む必要は無いのよ。分かるなんて覚りくらいなんだから、ね?私達は人の気持ちを推し量ることぐらいしか出来ないのだから。」
イブキの中の一つの痼が、何処かで溶けたように感じた。緑珠の白い手を、イブキは掴んで──
真理が かつん、こつん、と足を進めながら地下室に入って来た。
「二人ともー、宰相様から連絡が取れたよー……全く皆しぶとくってねぇ……って、おやおや。これは起こすのが忍びないね。」
真理は腰に手を当てて、目の前の二人を眺めていた。
緑珠とイブキは手を繋いで、檻を間にして眠っている。ただその寝顔は安らかだった。檻を境にしているとはとうてい思えない。その寝顔は、本当に、幸せを具現化したものだった。
次回予告!
次回予告をする前に!活動報告を読んで下さいね!それでは次回予告!
宰相の秘めたる思いと、それを嘲笑う者が一人。緑珠達の暖かい生活を前に、新たなる刺客が現れる!




