ラプラスの魔物 千年怪奇譚 44 溢れる白い山
イブキがめちゃくちゃモアをこき下ろしたり明細書を印刷させたり緑珠が何時も通りに皆に甘えたりと楽しい楽しい怪奇譚!
モアのあまりの一言に、緑珠は重ねて質問をした。
「消されるって……それって、秘密警察みたいなのが存在するってこと……なの……。」
段々とか細くなっている緑珠に、モアは言い放った。
「そういう事だ。元々この国は外国の者を異端視する風潮があるんだ。内側から国を乱されちゃあ堪らないからな。」
「だから秘密警察があるのね。元々戦争で作られた国だから、仕方ないのかも……。」
取り敢えず、と緑珠は全てを話を聞いて立ち上がった。
「この事件、請け負うわ。異議は?」
イブキは少しだけ微笑みながら肩を竦めると、
「貴女の言うことに異論は挟みませんよ。全ては貴女の御心のままに。」
緑珠もそれに微笑むと、真理へと向き直った。
「真理、貴方は?どうかしら?」
「そりゃ勿論、心配だけど……。」
一瞬だけ真理は俯いたが、直ぐに顔を上げた。
「面白そうだし、何せ国を騒がす出来事だし……ふふふ、何だか楽しそう。異論はないよ。」
「お前達今からすっこと分かってんのか……。」
モアは半ば呆れている、が、三人は何時も通りだ。
「そうね。危ないわ。とっても。でも……。」
ちらりとイブキを見て、緑珠はくすくすと笑った。
「会ったら毒を入れ合う仲の人が居るし、」
それに便乗してイブキも書類を握りながら、
「それを見てストレスでお腹を壊す人も居ましたし、」
真理にいたってはごろ寝している。
「それでも皆、普通にここまで成長出来た人達だし……。」
緑珠は自慢げに腕を組む。
「ここで逃げちゃあ蓬泉院の名が廃るわ。それに……私は、夢を叶える。」
彼女の力強い、鋭敏な一言にモアは折れた。
「……そうか。お前には夢があるもんな。そうだよな。強い、芯の通った夢が。……分かった。私も協力する。何かいるものはあるか?何でも手」
「それは良かった。」
伊吹がモアの言葉を斬り捨てて、氷の剣を差し出すかのように、被害者名簿を置いた。
「丁度頼みたかったんですよ。一つ、お願いしても?」
「え、……え、ああ。何でも構わないぞ。」
薄く目を開け、妖しく口角を上げながら、伊吹は一言。
「去年の一年分の明細全てと、今年の今日までの明細を全て印刷して来て下さい。」
恐ろしく突拍子も無い一言と余りの膨大な仕事量に、モアは、
「まじで……。」
顔面蒼白、プラス語彙力を失っていた。
りーんりーん、と虫達が鈴の音を上げて、夕食を終えた頃。そしてイブキが縁側に座って、白い大量の明細書に囲まれていた頃。
「イブキ、大丈夫?」
緑珠はばさばさと白いタオルで射干玉の髪を拭きながら、イブキの隣に座る。
「大丈夫です。ひー、ふー、みー、よー……。」
「大丈夫?お酒飲む?」
全く大丈夫では無い物言いに、緑珠は訝しげにイブキの顔を覗き込む。
「明日に支障が出そうなので辞めておきます。」
緑珠はぶんぶんと足を振りながら冷たい土の冷気を受ける。
「北の城塞でもこんな感じだったの?」
「ええ。」
「大変だった?」
「昔は大変でしたが、緑珠様の隣ならとっても楽しいです。」
不意打ちの告白に、緑珠は顔を覆った。そんな事言われたら誰だって照れるものだ。
「はぁ……そういう事を言う感じなのね……貴方……。」
緑珠の半ば呆れた一言に、イブキは不思議そうに顔を上げた、が。時既に遅しである。
「へ?僕、何か変な事、いっ、……て……う、あぁぁ……忘れて下さい。今のは忘れて下さい。忘れて、わすれて……。」
イブキも耳まで真っ赤にしながら、明細書で顔を覆った。顔の赤さが白い明細書に映りそうだ。
「集中してるとボロが出やすいんですよ……話しかけないで下さい……。」
緑珠はそれを聞いて、まるで悪巧みを思いついたように言った。
「へぇ……それは良い事を聞いたわ。」
「まーた変な質問したりするんでしょう?」
イブキが苦笑しながら、傍にあった冷め切ったお茶を飲む。
「そそそそそそ、そんな訳無いじゃない?」
「疑わしいですね。」
二人の他愛無い会話。また資料を見始めたイブキに、一瞬だけ目を細めた緑珠は、イブキの背中にもたれた。
「……貴方の背中、大っきいわねぇ……。」
その言葉にイブキは何も返答を返さない、それも彼らしいと言えば彼らしいな、と緑珠は思うと、体勢を変えてイブキに抱きつく。
「ふふふ、いーぶーきー。」
「どうしたんですか。今日は随分と甘えたさんですねぇ。」
「髪の毛、いーにおいするー!」
「貴女の方が良い匂いがしますよ。」
振り向かないイブキに何か言うべきことがあったはず、だけどもう、何かぽかぽかするから……。
「ふふふふ。しあわせー!」
「はいはい皆、寝ようねー。」
真理の棒読みなリア充破壊を目論む声が、緑珠へとかかった。
「あ!真理!そうだ!私、イブキに甘えに来たんじゃ無いんだ!忘れてた!」
ぽんっ、と手を叩くと、イブキは少しだけ後ろを振り向いた。
「忘れてたら駄目じゃないですか……。」
ぐび、と冷え切ったお茶を飲み干す。口の中に溢れる茶葉の苦味が濃い。
「変ね。貴方の側に行くと甘えたくなるわ。人を駄目にする人間ね、貴方。よしよしされたくなっちゃうわ。」
緑珠がイブキの背中をつんつんつん、と指で押し当てる。楽しいらしい。
「……まぁそれは良いとして。」
「ほらほら、伊吹君に言うことあるでしょ?」
複雑な心境のイブキを放って置いて、じゃれている緑珠に真理は声をかけた。
「そうだ!夜のお誘いに来たの!」
「緑珠!違うそれ違うから!」
「へ?」
爆弾を投下したことを、緑珠自身は気づいていない。イブキは愉しそうにニヤリと笑った。
「ふうん……随分と甘えたさんだと思ったら、そんな事を……。」
「ほら緑珠!言った通りにするの!このままじゃ性的な意味で食べられるぞ!」
焦った真理は叫ぶと、緑珠は不思議そうに首を傾げる。
「え!?う、うーん、あれじゃダメだったのね……じゃあ、ね、イブキ。もう寝ましょう?今日も一日、お疲れ様です。」
にこっ、と差し出された緑珠の手を、イブキは優しく掴んだ。
「そうだろうと思いました。……ふふふ、寝ましょうか。」
「皆で添い寝ねー!」
緑珠の提案に、イブキは焦った。何で添い寝?この人は僕の理性を壊すつもりか、と。
「え……いや、それは……。」
結局、吃った声しか出なかったが。
布団の上でどったんばったんしているモアと緑珠を眺める二人。そして、真理がくすくすとイブキを嘲笑った。
「ふふふ、まだまだ青いのうガキンチョよー!」
「……何も言い返せない…腹が立ちますね……。というか、真理は何も思わないんですか?」
絶賛、心頭滅却中のイブキは顔を抑えていた手の間から真理を睨む。
「まぁ、確かに二人は女の子だけど、僕からしてみれば君もあの二人も皆……。」
少しだけ考えると、真理はにっこりと笑う。
「子供って感じだけどね!むっちゃ可愛いよ!」
(親バカでしたか……あ、なら、)
イブキは内心納得して、そして内心ほくそ笑む。
「真理のことをお義父さん、って言えばいいんですよね。」
余りにも清々しい茶番に、真理も勢い良くノリに乗る。
「可愛いうちの娘は何処の馬の骨とも知れぬ奴にはやりません!」
「お義父さん!」
「お義父さんって呼ぶな!呼ぶなら李烏山のほうでしょ!」
「あの人に『緑珠李雅様を貰っても良いですか、ふふふ、冗談ですよ〜!』なんて言ったら『……大丈夫か。』って言われたんですよ!もう絶対言わない!」
若干金切り声が混じったイブキは、また正面きって真理に叫んだ。
「というわけで、お義父さん!」
「だからお義父さんって呼ぶな!」
神様の断末魔が、夜の清廉なる空気に響いた。
「それでは姫様。絵を描きましょうか。」
教育係の老婆の突然の提案に、緑珠は首を傾げた。
「絵……?それはまた、どうして……。」
齢、十六程の少女が、半色の衣を身に纏いながら、光が燦々と降り注ぐ窓辺から視線を移した。
「最近、描いていなかったでしょう。長い間描かなければ、また描けなくなります。」
緑珠……まだこの頃は緑珠李雅、と呼ばれていた少女の頭では、まだ疑問が拭い切れない。が。昔からこの教育係は、何時も突拍子もないことを言う。
「分かり……ました。描きます。」
「服を汚してはなりませんから、着替えて下さいね。」
緑珠李雅は不思議そうな顔をしながらも、着ていた服を脱ぎ捨てると、何時も絵を描く時の服に着替える。
お姫様だ。着替えるなんてこと自体難しい。半色の服をそのまま放っておいて、何とか慣れない手つきで釦を止める。お姫様だ。服を畳むという発想も無い。
「姫様。着替えられましたか?」
キャンパスと色とりどりの絵の具が周りに置いてある木製の椅子に座る。
「それでは、私は外で待っていますからね。」
教育係は去ろうとする。ここまでくると、不自然の極みだ。
「あの!」
緑珠李雅は思わず立ち上がって声を上げると、もう一度質問をする。
「何で、絵を描く練習だなんて……。」
目の前の題材の林檎と、教育係の顔を交互に見詰めながら、緑珠李雅は眉を潜めた。だが、教育係は何時も通りだ。
「何故って……それは勿論、練習の為ですよ。」
余り答えになっていない返答を押し付けられ、緑珠李雅はへなへなと椅子に座った。彼女は元来、絵の好きな質ではない。
描けるは描けるのだが、退屈だからだ。剣術の練習の方が断然好きなのである。
傍にあった鉛筆で、林檎をそっくりそのまま下書きする。時刻は三時。これを頑張れば、おやつの時間だ。
「下書きは……こんなものかな……。」
林檎の少し歪な形と、真っ直ぐな小枝。さらさらと鳴らしていた鉛筆をかたん、と置いて、緑珠李雅は筆を執った。
林檎の下はまだ黄色く、これから熟れそうだ。そして、殆どを占めている、赤色。
「あか……いろ……。」
一瞬だけ目の前に影が過ぎったが、そんなのは気のせいだ。大国の皇女が赤色に気を囚われるなんて笑わせる、とぶんぶんと彼女は頭を振った。
チューブを押し出して、赤の絵の具を出す。筆を水で濡らして、絵の具を溶かさなくちゃ。
「溶かす、とかす……。」
赤色は何の色?
「とかすの。他に気を取られちゃ駄目よ。大丈夫、私なら、」
赤色は、血の色。
「私なら……。」
赤色は、血の色。皆が狂ったという、血の色。あれから誰も、
「できる、大丈夫よ。」
信じられなくなって。笑顔で近付いて来ても目の奥はまっくろ。
「だ、だいじょうぶ……。」
がくがくと手が震えて、目の前の下書きを眺める。震える手で描いたからか、血が散乱している様に見える。
「わい……こ、わい……。」
次は誰が死ぬ?この前は鬼食いが死んだ。之で一体何人目?きっともう、十人は死んでいるだろう。次は誰?お付のあの子?婆や?それともお父様?お母様?私?
「この間は、」
櫛に毒が塗ってあった。それに触れた仲の良い、髪を整えてくれていた子が死んだ。怖い、怖い、自分が死ぬよりも、ずっと怖いこと。こわい、こと。
「誰が死んだっけ……この間は、きっとあの子。あの、優しい男の小姓。その前が、私の話し相手になっていたあの子。」
あの子、あの子。名前が薄らぐ。声が、顔が、私に向けてくれていた笑顔が、消える。
「嫌だ。忘れたくないの。お願い。」
死ぬ度に、死んだその子のことを書き記す。大切な思い出と髪を添えて。お葬式は何回目?明日はきっと何回目?巡らした思考の先には、林檎と形容できるものは無い。
「……ふふふ、あはは……こんなの死体じゃない……。」
よく分からない、人間が崩れた絵。こんなの林檎とは似ても似つかない。誰でも良いから助けて。偽善でも良いから、私に笑顔を傾けて。
誰でも良いから、誰でも良いから。
紅い制服が頭を過ぎる。偽善でも良いから、手を差し伸べて。私を好きだと言って。その笑顔を私に頂戴。
紫髪を靡かせて、私を賢いと言って。私を娘の様に扱って。こんな無力な皇女様を、好きだと言って、賢いと言って。だから、
たすけ
「んん……。」
思いが溢れきらないうちに、緑珠は生暖かい布団の上で目を覚ました。冷たい風、真夜中だ。薄く目を開けると、太い腕が見える。
(そーいえば添い寝するとか言ったわね、私……。)
どうやらイブキの腕にホールドされているらしく、身動き一つ取れない。身体が痛い。寝返りでもするとしよう。
「よいしょっ……と?」
緑珠が寝返りする度に、イブキの拘束が強くなる。緑珠の肩に、彼は無意識的に自身の顎を乗せた。
(あららららら?これって、『私』という認識ではなく、抱き枕とでも思ってるんじゃあ……。)
すう、すう、と立てる寝息と、つんつんとした髪の毛がこそばゆい。
(何故離れないの。あれだけ理性とか何とか言ってた癖に……身体が重いわよ……。)
絶対抱き枕と思っている。これは絶対にそうだ。もう身体を退かすのも面倒臭い。なら、もう。
(もういいや……寝ましょう……。)
最後に、緑珠は心の中で彼に詫びた。
(……貴女の思いを、偽善だと……そうおもって、ごめんなさいね……。)
翌朝。
「何だか大きなマシュマロを食べている夢を見ました。」
イブキは頭を描きながら、傍に居た緑珠へと言った。
「そのマシュマロ、多分私よ?」
イブキが照れたのは言うまでもない。
次回予告!
緑珠が心情を吐露したりなんやかんや楽しく調査を開始したりクイズ大会を始めたりモアの疑問に答えたりと変わることのない千年怪奇譚!




