ラプラスの魔物 3 後編
手紙を折りたたんで緑珠はイブキに静かに渡した。衣装箪笥をゆっくりと開けると、其処には豪華絢爛な衣装がかけてあった。それを見て緑珠は物憂げに言う。
「要らないよ…衣装なんて要らない…だから、お父様とお母様に会いたいのよ…。」
美しい衣装を大きな桐箱の中に仕舞うと、緑珠は体を重くして立ち上がり言う。
「…さぁ、探しに行きましょう。イブキの家族をね。名前は何と言うの?」
少し俯きながら微笑んでイブキは言った。
「兄が琉煌、姉が夕羅、妹の華幻です。」
少し間を置いて、イブキは言った。
「…家族は、生きているでしょうか。」
その呟きに緑珠が返す。
「勿論生きてるに決まってるでしょ?」
真理が笑顔で言った。
「そうだよ。絶対に大丈夫だから。緊急時に逃げる場所とか決まってるかい?」
イブキが少し考える。
「…恐らく、裏庭の地下室かと。食料貯蔵庫なんですが、かなりの深さですから、もしも戦争が起こった時も防空壕としては使えると言う話をしていました。」
適当な大きな穴から、王宮を抜け出して緑珠は言う。
「確か……光遷院の家って、王宮の直ぐねきよね?」
夜風が染み入る年季の入った、王都と王宮を繋ぐ橋を渡りながら、緑珠は言う。
「そうですね。殆ど隣接する形になっていますから。」
真理が不思議そうに尋ねる。
「王宮に隣接って…またかなりの貴族じゃないか。御役職は何に就かれていたんだい?」
イブキが少し訂正する様に言った。
「あ、僕はそんな大層な役職には就いてませんでした。代々男が王宮の神祇官の神祇伯に就いているんです。祭祀職、って言ったら分かりやすいかな?僕は修行で身分を隠しつつ城兵をしてたんですよ。」
緑珠はのんびりと言った。
「とんだ城兵が居たものね。」
イブキが笑う。
「あはは、全くそうですよね。…あ、着きました。」
王宮にほぼ隣接する形で、光遷院の屋敷はあった。真理が呟く。
「こんなの…まるで王宮じゃないか…。」
その呟きにイブキが言った。
「こんなの王宮に較べたらまだまだですよ。」
緑珠が肩をすくめる。
「較べる物が間違っていてよ?さぁ、探しましょう。華幻ちゃんでも良いから、誰でも良いから救いたいわ。」
緑珠は屋敷に入る。イブキが言った。
「この先の廊下を突き当たりまで歩くと縁側があります。其処から行きましょう。」
真理が控えめにイブキに問う。
「…何か…淡白だよね、君。」
緑珠が声を上げた。
「それ、私も思ったわ。凄く淡白よね。」
彼女がそのまま続ける。
「久々に家に帰って来て、その上破壊もされて、家族も安否不明。ほぼ私と同じ状態で、全く動じないのね。」
不思議そうにイブキは言う。
「そう…ですかね?別に普通だと思いますけど…。」
真理が額に手を当てて言った。
「…いや、普通って言うのは、緑珠みたいな反応をする事なんだよ?泣いたり、情緒不安定になったり。」
唸りながらイブキは言った。
「ううん…そんなもんですかね…?…あ、着きましたよ。縁側の扉、今開けますね。ちょっと離れてて下さい。」
緑珠と真理を後ろに下げると、イブキは思いっきり足で扉をぶち壊す。緑珠が少しため息をついて言った。真理もそれに返す。
「何か…開けると言うよりかは壊しているわよね。」
「…それ思った。」
3人は庭に躍り出ると、庭のど真ん中にある鉄製の扉を開けた。手際良くイブキは火をつける。
「先に入りますね…階段の段差が激しいので、気を付けて下さい。」
かつん、こつん、と足音が響く。イブキは下までつくと、一気にその場所に駆け寄った。緑珠が地下の電気を付けた。
「…華幻!?しっかりしろ!華幻!」
イブキの腕の中には、綺麗な金髪で2つ括りをし、赤いつまみ細工のついたカチューシャと、中華風ボレロに薄紅の中華ドレスを着た少女が横たわっていた。
齢は16程だ。苦しそうに顔を歪めながら、口を開いた。
「おにい、ちゃん…?」
イブキの顔が明るくなる。
「華幻!良かったぁ…本当に、お前だけでも無事で…。」
華幻は起き上がりつつ、小鳥の声で言った。
「あのね、お兄ちゃん。本当に怖かったの。内戦が二か月前に起こって、数ヶ月分の食料を蓄えたここで、ずっとじっとしてたんだけどね、召使が様子を見てくると言ってずっと帰ってこなかったり…本当に怖かったの…。」
緑珠が眉を潜めて華幻に問う。
「…二か月前ですって?それ、本当なの?」
緑珠が誰なのか分かったのか、華幻はこくりと頷いて言った。
「はい。二か月前です。確かに二か月前でした。リョクシリア様。」
緑珠が微笑む。
「ごめんなさい。もう私はその名前では無いわ。蓬莱 緑珠と言うのよ。」
華幻がにっこりと微笑んだ。
「そうなんですか、緑珠様。これからはじゃあ、その名前でお呼びさせて貰いますね。」
イブキが華幻に言う。
「そんな直ぐに起きたら、体に悪いよ。もう少し寝るか食べるか何かしなくちゃ…。」
そんな兄の案を、華幻は制した。
「大丈夫なの。それよりも、見て欲しいものがあるんだよ。お兄ちゃんには、かなり辛いかも知れないけど…。」
食料貯蔵庫の奥をずんずんと進み、俯きながら華幻は電気を付けた。3人は驚愕に包まれる。
「こ、これって……棺、かい?」
真理が声を上げる。緑珠が顔を顰めて言った。
「虐殺されたのかしら…?」
奥の薄暗がりの部屋には、棺が大量にあった。恐らく召使の分もあるのだろう。イブキが華幻の肩を掴んで唖然として言った。
「冗談なんだよね…?嘘でしょ…じゃ、母上も父上も兄上も姉上も…?」
華幻が黙る様に俯いて涙声で言う。
「…最初に運ばれて来たのは、琉煌お兄ちゃんだった。病死って言われたけど、何処か不思議な感じがして…あの時言っておけば良かったんだよね…でも、でもね、次に殺されたのはお父さんだった。それで、お母さん、お姉ちゃん…どんどん、どんどん、死んで逝って……私だけ、取り残されたの。」
涙を拭いながら華幻は続ける。
「その後直ぐに内戦が起こったんだよ……新しい政権を立てる派の人々に、家族を殺された事を知ったのは、もう地下室に籠りっぱなしの時だった…毎日棺が運ばれてきて…お兄ちゃん…怖かったんだよ…。」
イブキは華幻を抱きしめて言った。
「…ごめんね。置いて行っちゃって。家族も助けられなかった…ごめんね…。」
華幻は涙を残しながら笑顔で言った。
「ううん。お兄ちゃんなら絶対来るって思ってた。だから、大丈夫だよ。」
緑珠が少し俯いて言う。
「……一応、任務完了かしら?」
イブキは返す。
「そうですね。帰りましょうか。」
真理が優しく言う。
「それでは、帰路に着くよ。」
「其処、隣いいかい?」
「…お好きにどうぞ。」
「連れないねぇ。」
「生憎と神様に関わる趣味はこれっぽっちも無いんですよね。」
「そんなに呑んだり吸うと体に悪いよ?」
「偶にはそんな日もあっても良いじゃないですか。」
四人が帰った時は、もう1日が過ぎていた。世が寝静まった夜で、イブキは縁側で足を組みながら、煙管で煙草と酒を嗜んでいた。真理が口を開いた。
「……イブキ、君はとんだ策士家だねぇ。奸智に富むと言うか、狡智に富むと言うか。」
イブキは鼻で笑った。
「…そんなに僕を悪者にしたいんですか?」
「君、緑珠を使っただろう?」
イブキは嗤いながら煙管を置いた。
「何時からお気付きで?もしかして最初から?」
そんな様子を見て真理はのんびりと言った。
「皮肉が凄いねぇ…いや、途中からだよ。まぁ最初から少し怪しいと思ってはいたがね。」
イブキはそのまま話を聞く。
「君は緑珠の能力と性格を利用した。と言うか、君は月の都が内乱で破壊されてるなんて、疾っくの昔から知ってたし、この先にどうなるかなんて余裕で分かってる。全く怖い伏兵だ。」
真理は反論が無いのを見て続けた。
「最初の怪しさポイントは、緑珠に『家族が生きているかどうか』の質問だ。そしてあの時感情が昂っていた緑珠には、『言ったことが本当になる能力』が発動する可能性はほぼ100%に近かった。それを君は利用した。最初は別に不思議とは思わなかったけど、だんだん不思議に思えてきてねぇ。妹しか助からなかったけれど、君はそれで良かったんだろう?」
そして、と真理は言う。
「君の最大の怪しさポイントは、やたらめったら手際が良いのと、まるで死んでいる事が分かりきっている様な態度だ。普通、家族の安否不明な場合は慌てふためくのが上々だ。なのに君と来たら淡白でしようがない。これで決まったね。」
くすくすと真理は目を見開いて嗤う。
「それにあの演技と来たら!華幻ちゃんに対して完璧だったね!『助けに来られなくてごめんね』だって!君は元々役者なのかと思ったよ。」
イブキは微笑む。
「まさかバレるなんて、思ってもいませんでした。」
真理がイブキに問うた。
「そりゃあ少し考えりゃ分かる話だ。じゃ、少し質問するね。家族のうち妹だけ生き残した理由を教えてくれないかな。それと、何故早く迎えに行かなかったのか。」
イブキが酒をすすりながら言った。
「…家族が面倒だからですよ。こんな性格、バレてしまったら仕様がない。別に死んでも良かった妹を連れてきたのは、もし僕が死んだ時にでも家の血筋を繋げてくれたらと思って。一応妹としては可愛く思っていますよ。運ぶ手間も何とかなる。」
真理が顔を顰める。
「そんな淡々と…人を道具みたいに見るんだねぇ。」
イブキの目は真っ黒だ。
「…そうですね。人は使いようによると最強で最恐で最凶になる、最高の駒だ。ただまぁ、緑珠様は別ですよ。何となく、僕の中では人間として見られる人間です。」
真理が肘を付きながら言った。
「それを君は恋心と勘違いしてるのかい?」
肩を竦めてイブキは言う。
「…そうかもしれませんね。」
真理がぼんやりと続ける。
「君、結婚なんて出来るのかい。」
煙草を吸ってイブキは言う。
「……はぁ…どうですかね。また人間として見られたりでもする人が居るようならば、大切に大切に閉じ込めて、僕の事しか考えられない様にして、ちゃんと可愛がっておきましょうか。」
真理は片眉上げて言った。
「…君、本当に独占欲強いよね。」
イブキはどろどろの瞳で笑った。
「大切な『モノ』は、きちんと閉まっておかなくちゃあ、駄目ですよ。だって、大切なんですからね。」
真理がやれやれと言った口調で言う。
「それ以外の愛し方は無理そうだね。」
イブキが即答する。
「そうですね。」
欠伸をして目を擦りながら緑珠がイブキに言う。
「いぶき…?はやく寝なさいよ、あしたもねむいわよ…?」
先程の奸物の雰囲気は何処へやら、イブキは緑珠を促す。
「分かってますよ。ちゃあんと寝ます。だから、緑珠様も早く寝なくちゃ駄目ですよ。」
緑珠が言った。
「はぁい…寝るわね…ふたりもはやくねなさいね…。」
姿が見えなくなった後、またもや元の雰囲気にイブキは戻る。真理が仕方なさげに笑う。
「前言撤回。君は結婚できるね。ありゃあ愛された人は可哀想だね。」
イブキは喉を鳴らして嗤った。
「はは、そうですね。可愛くて、可哀いでしょうね。」
二つの影を月夜は照らす。紫煙が宇宙高くまで、立ち上っていた。