ラプラスの魔物 千年怪奇譚 35 もう一人の彼女
緑珠の暴走は続く、が。それを止めるのが彼の役目。緑珠の真実を聞いた彼の気持ちとは?そして、彼が出来ることとは。もう一人の緑珠が顔を出す、そんなどきどきの千年怪奇譚!
瘴気が森を腐らせて、目の前には血で紅く濡れた獅子が横たわっている。ミルゼンクリアもイブキも、呆気に取られてその行動を見ていた。
【あたしを悲しめる物は、みんな居なくなっちゃえば良いの。そうだ、じゃあ次は……。】
『やめなさい!貴女は世界を壊そうと』
ミルゼンクリアの言葉が途中で紡がれるのを遮ると、鏡にヒビが入ったように、世界が壊れる。緑珠とイブキの足元だけが、まだ紅葉の枯葉がある。
【じゃあ、貴方が最後ね?】
イブキは緑珠をいたたまれない瞳で見つめると、何も言えない。消えるのを覚悟した。が。
【……あ、れ、?何で?力が、使えない。】
「……緑珠様。」
【何で?何でなのっ!言うことを聞きなさいよ!貴方も消されたいの!?】
自分の能力に悪態をついている緑珠を見ながら、イブキは、近付きながら、
「ねぇ緑珠様。」
【あたしは緑珠なんて名前じゃない!煩いのよ、その言葉!あたしを元に戻そうとする!煩いの!煩い!煩い!】
少し怪訝そうに笑いながら、イブキは問うた。
「貴女は何時もそう言いますねぇ。……では、何とお呼びすれば?」
緑珠?は少し考えながら俯いて、
【名前なんて無い。あたしは、呼ばれた事が無いから。ずっと誰からも見向きされなかったの。寂しいの。苦しいの。寒いのは嫌。『黒い』のは、嫌なの。】
イブキも少し考えると、ゆっくりと甘美に笑った。
「……そうですか。それでは貴女の事は、××様、とお呼びすれば良いのですね。」
【……!な、何でその名前を……。】
「……あぁ、やっぱり名前が無い相手は名前で縛る事が出来ない。仮の名前ですが、相手を縛るには充分ですね。」
【あ、あぁ……。】
緑珠は愕然としながら、目の前の『鬼』を見つめる。
「こんな空間は有り得ない。なら俺も有り得なくなっていい筈だ。以前閻魔大王に教えて貰ったんです。……霊力も魔力も能力もない癖に、人の名前を縛ることは上手なんです、僕。」
ゆっくりと口が弧を描く。
「……これでやっと、僕は貴女の内側を縛ることが出来る。」
そっ、と緑珠?に触れようとしたイブキの手は、またもや小さな黒い刃に貫かれる。小さく、呟く。
「痛いですよ。」
【こ、来ないで!貴方、『あたし』を無くそうとしているんでしょ!】
「よくお分かりで。なら話は早い。緑珠様の為にも、『××様』には消えてもらいましょう。」
イブキの身体は、斬れて、斬れて、斬れて。今や血が滴らない場所は無いほどだ。
緑珠?は後に下がるが、ぽろ、と何かが崩れる。あった地面はもう無い。崖っぷちだ。イブキは先程の雰囲気とは打って変わって、緑珠?へと言い放つ。
「……××様、貴女が今行っていることは、ただの『逃げ』ではありませんか?」
【に、逃げたっていいじゃない!】
「別に構いません。逃げることは何も悪い事ではない。動物の自然的な行動。即ち本能です。……人間は、それに感情などがあるからややこしくなるんですけど。」
イブキは緑珠?へと指を指した。
「貴女は逃げている。それは何も悪い事では無い。ただ、貴女は周りの物達を巻き込んでいる。それは、沢山の物に囲まれて安心しているだけだ。『自分は大丈夫』だと、安心しているだけです。そして、それは安心なんかじゃない。ただの卑怯者のする事です。」
僕は、とイブキは動けない緑珠?へと続ける。
「貴女を連れて帰る義務がある。権利がある。世の中の拘束を、全て集めたって足りやしない『義務』がある。でなければ、僕は貴女の守り人を名乗る権利は無い。死体でも、腕一本でも。僕は貴女が居た証を、持って帰らなくちゃならない。貴女が居たことを、幻想にしちゃならない。人の死は儚い。『死』自体が儚い。だからこそ。」
緑珠?の傍へとしゃがんで、血で濡れた手で緑珠?の頬をゆっくりと撫でた。
「別に世界を壊したって良い。僕を殺したって良い。でも、その先にあるものは何ですか?きっと貴女は、壊したことを後悔する。……それに。」
イブキは緑珠?をぎゅっ、と抱きしめた。
「僕はっ……僕は、貴女が居たことを、泡沫の夢なんかにしたくない!僕が好きな人をただの夢幻にしたくない!貴女が居たことを、疑うなんてことをしたくないんだ!」
緑珠?は目を見開くと、柔らかく、さやさやとイブキの背中に触れる。
「……あたしは……私は、どうすれば良い……?」
にこっ、とイブキは微笑んだ。
「貴女がしたい事を、すれば良いんですよ。」
そう。と掠れた声を出して、緑珠の周りのひび割れた硝子の破片達はゆっくりと元の形へと戻って行く。世界が再構築されていく。その中で、神獣が写った破片があった。
「……これはもう、要りませんね。」
イブキはそれに触れると、ぱきんと折る。全てが戻った世界で神獣が居た場所だけが黒く開くと、それは虚無に飲み込まれて消え失せた。
全てが元に戻った世界で、ミルゼンクリアの声が響く。
『今回は、引きます。ですがまた。この世界を脅かすその命は抹殺しに参ります。』
「ええ。何時でもどうぞ。ですが、この人の命は『俺のモノ』です。何時でも受けて立ちますよ。」
『……それでは。』
ミルゼンクリアの声が消えると、辺りには静けさが戻る。イブキはすやすやと眠る緑珠の頭を撫でた。
「よしよし。良く頑張りました。」
ふら、とイブキの視界が眩む。
「あ、れ……僕も少し頑張り過ぎた……のでしょうか……。」
イブキは近くの木の幹に座ると、緑珠の髪を弄りながら呟いた。
「……生きることは、戦うことだ。それ故に身を裂ける思いをする事もある。そしてその戦いに勝利することなど有り得ない。かと言って、寿命があるのに死ぬというのは、余りにも哀れなもの。愚かで、悲しくて……その命を代わりに生きたい者だって居たのだから。その命、全うして下さい。……閻魔大王(僕)に会うのは、その後で良い……。」
ふう、と息をつき、薄れゆく意識の中で、彼は、
「でも、僕は……貴女が帰って来てくれて、本当に、良かっ、た……。」
完全に気を失った。
「っ!ミルゼンクリアの気配が消えた!」
真理は森の中で一人声を上げて、目を瞑る。緑珠とイブキの場所を確認する為だ。
「緑珠と……その傍に伊吹君も居るのか……だけど、あの子が消えたことによって時空の歪みがどえらいことになって千里眼が使えない……あーもう、どうして万能の力を天に置いて来ちゃったんだろう!『人間として生きるから要らなーい』って思った僕の莫迦!」
さく、さく、と紅葉の木の葉は楽しそうに声を上げる。真理が一歩を踏み出すと、木の葉に一つの染みができる。
「ぐすっ……嬉しかったな、二人の言葉……じゃなくて!嬉しかったなら探さないと!……こっちか……?」
真理が容赦なく茂みを抜けて行くと、緑珠とイブキが折り重なって倒れている。
「見つけたって……言ったってさ……。」
倒れ伏した緑珠に、真理が手を伸ばそうとした、刹那だった。
「そ の 方 に 、 触 れ る な 。」
バチバチと周りが燃え盛るような殺気を出しながら、イブキは真理の首へと神器を構える。
「あぁ、ごめんね。僕だよ僕。」
「……ぅ……。」
瀕死状態のイブキへ、真理は手を翳すと目に見えて分かる血は全て無かったように消えた。
「ほんと、失血死しちゃう所だったよ。」
「……りょ……く……しゅ、……さま……は…ご……ぶじ……で……すか……?」
それでもまだ意識は朦朧とするらしく、イブキは途切れ途切れに息を荒くして緑珠を眺める。
「うん。魔力不足なだけ。寝れば治るけど……少し心配だし、僕の魔力を分けとくね。」
真理は緑珠の額へ触れると、魔力を供給させる。すると、苦しそうだった寝顔が心做しか柔らかい表情に変わる。
「さぁ、皆の所に帰ろうか。」
「は……い……。」
イブキはずるずると背中の木を支えにして立ち上がろうとするも、血が濡れて滑る。
「時空が乱れてるから、あんまり転移魔法を使いたくないんだよね。別の変な所に飛んじゃうかもだから。」
滑ってそのまま意識を失った守り人と、優しい寝顔になった皇女を見つめて真理は笑った。
「でも、そんな御託言ってらんないよ。辛い事を乗り越えたのだから、せめて僕からのプレゼントとして……。」
何時もの杖を取り出して、真理は幾ばくか念じると、転移魔法を完了させた。
緑珠は、夢を見ていた。
それは、誰かの幻想だった。
『嗚呼、恨めしいな。恨めしいな。
『私』は何時も此処に独り。
様々な世界から必要とされている。
それは『必要とされている』訳では無い
ただの、都合の良い存在だ。
他者に愛されるのはどんな気持ちだろう?
それだけ。『私』が望むのはそれだけ。
ずっとずっと、必要とされたかった。』
緑珠はそっと、手を伸ばした。その存在が霧のような存在だとしても。
「……貴方、名前は何て言うの?」
相手は酷く驚いて、わたわたしている。その慌てっぷりが、まるで小さな子供の様だ。どうしたって微笑ましく感じてしまう。
「うふふ、そんなに驚かなくたって良いじゃない?ねぇ名前。名前を教えて?」
相手は少し躊躇っているらしい。緑珠は伸ばした手を、差し伸べる手に替えた。
「なら、名前は良いわ。ねぇ、この手を──」
緑珠が、誰かの寂しい幻想を見ていた丁度その頃。イブキはぱっちりと目を覚ました。端的に、寒い。
空いた馬車の扉からは霧が見える。横には緑珠が寝ている。無事そうで何よりだ。自身の口元が緩むのが分かる。それで、目の前にも緑珠が居る。……?『目の前にも、緑珠が居る』?
【おっはよーう!イブキ!】
目の前の緑珠?を見て、イブキは目を擦った。
「僕……疲れているんでしょうか……緑珠様が、二人居るように見えるんですが……幻視ですかね……。」
【疲れていることは疲れて居ると思うけど、幻視では無いわね。】
「……あ。」
【お、分かってくれた?】
イブキは緑珠?の言葉を拾うと、首輪を顕現させて緑珠?の首に巻き付ける。
「何で貴女がこんな所に居るんですか!名を縛ったから、僕の許可無しで出てくることは不可能なんじゃ……。」
【うん無理。でも上手く掻い潜って、術者の近くなら顕現出来るようにしました!えへへ、凄いでしょ?】
「いやまぁ、凄いと言いますか……。」
イブキが茫然自失している所に、真理が入ってくる。
「伊吹君、体調はど……。……僕が疲れてるのかな。緑珠が二人居るし、何か……首輪に繋がれてるし……。」
【やっほー!真理ちゃん!】
「……え、あ、こんにちは……。」
狼狽えまくっている真理を見て、可哀想に思ったのかイブキが緑珠?へと言った。
「もう辞めて上げて下さい。真理が哀れなくらい狼狽えてるじゃありませんか。」
【ごめんなさいね。びっくりしてる?】
「……あ、はい。」
「敬語になってるじゃないですか……ほら、目を見せて上げたら分かるんじゃないですか?」
【ナイスアイデア!】
緑珠?は前髪を上げると、翠玉の瞳では無い、真黒の瞳を見せる。その中には、闇という闇が融けて、渦巻く。
【これで分かってくれた?】
「……き、君は……!何故、今更……!」
【イブキは全く分からないみたいだけど、貴方は分かるものね。】
「……分かる?それ、どういうことですか……。」
前髪を上げた手を下ろして、緑珠?はイブキへと振り返った。
【……ふふふ。あたしはね、それを説明する為に態々出て来たの。……話してあげる。これからのこと。あたしのこと。】
緑珠?は手元にあったドライフルーツをむしゃむしゃ食べながら話し始める。
【まずは、もぐ。あたしの、もぐ。】
「……食べてからで良いですよ。」
【ありがと。んぐ……という訳で、あたしの事ね?】
ドライフルーツを飲み込むと、薄笑いを浮かべて、
【あたしは緑珠。緑珠はあたし。二人で一人でもあるし、一人で二人でもある。とてつもなく不確かな存在。……と言うか。】
緑珠?は真理へと指を指した。
【大体が貴方のせいなのよ?緑珠は納得してるみたいだけど、あたしはしてないからね。貴方が無理矢理運命を押し付けたことによって、あたし達は次元的に不安定な存在になった。……うん、緑珠は安定してるけど、あたしは不安定ね。】
「でも、貴女は緑珠様の闇の部分なんですよね?なら消えても」
【はいその質問飽きましたー!と言うか∞%言うと思ってましたー!】
「む、むげんぱーせんと……。」
イブキの質問を容赦なくぶち壊すと、足を組んで話を続ける。
【あたし達は二人で一人。一人で二人。まぁ確かにあたしは闇の部分よ?俗に言うと闇堕ちよ?八年越しの恨みが、このあたしを顕現させるに至った。……でも、緑珠はちょっと間違っていたと言うか、ヘマをしたのよ。あたしは緑珠の魂が顕現化したものでもある。まぁ要するに、】
イチゴのドライフルーツをぽん、と口に投げ入れると、
【あたしは緑珠の魂なの。あたしが消えれば緑珠は死ぬし、緑珠が死ねばあたしも死ぬ。無理矢理引き剥がそうとするもんなら……緑珠の身体から離れても少しは生きれるけど、あんまり離れると死ぬわね。んーっ!美味しい!】
「……。」
真理は先程からずっと黙りだ。緑珠?はそれを見ながら、ニヤニヤと話し始める。
【そんなに気になるの?あの『約束』を。……緑珠は忘れてるわよ。けど、その種明かしをされても緑珠は笑顔で貴方を許すのでしょうね。あたしは許さないけど。】
緑珠?は先程から様々なお菓子を頬張りながら、真理へと続ける。
【吃驚したんでしょう。そりゃ楽しかったでしょうね?……まぁ、イブキもいる事だし全部が全部は言わないけどね。】
その時、彼女は言葉を紡ぐ。約束の言葉を。
次回予告!
もう一人の緑珠が語った秘密と、ノルテ帝国に乗り込む一行。伊吹がまたまた激昂したり、真理の歪さが分かったりのこれからも絶対に目が離せない千年怪奇譚!




