ラプラスの魔物 千年怪奇譚 30 信頼
ずっと隠されていた、❛鬼門の多聞天❜の秘密。それに対して緑珠はイブキに激昂する!そして、緑珠とイブキが交わした約束とは……!?次回、『伊吹死す!』え!?ネタバレ!?ごめんなさい聞こえないです!
緑珠が高熱を出して、それから数日。
朝霧が溢れかえる早朝。緑珠はイブキに起こされる一時間前に目を覚ました。誰にもバレない様に障子に手をかけて冷たい縁側へと出る。
イブキが鍛錬しているのを横目で見ながら、声が聞こえない場所まで水鏡を持って移動する。とある相手と話す為、ずっと前から約束していたのだ。小声で呪文を唱える。
「水鏡、水鏡。全てをありのままに写す水鏡よ。願いを通して。」
相手が映る。まだ相手側の国も寒そうだ。緑珠の姿が見えると優しく笑った。
『おお、緑珠。真理から奪還作戦成功の話を聞いた時はとても嬉しかったぞ。無事で何よりじゃ。』
相手は──褐色の肌が美しい赤髪の赤い瞳の、曼珠沙華の様な色合いをした少女で九尾の狐、赤い毛並みでふさふさとした尻尾とピンとたった耳がある、ザフラ国の少女王、ナスリーンであった。
「こんな早朝から申し訳ありません、陛下。ご迷惑と承知の上です。」
『迷惑などでは無い。後の大国を作る器じゃ、仲良くしておかねばな。』
くすくすと少女の様に笑うが、考え方はもう王だ。緑珠は苦く笑いながらナスリーンへと言った。
「た、大国だなんて烏滸がましい……それに、私は……。」
緑珠は意を決して顔を上げると、ナスリーンへと問う。
「私の出生が……亡国、『日栄帝国』第一王妃 南桃が母では無かったのです。」
『何だと!?……それはまた、それはまた……。』
ナスリーンは一瞬声を上げると、持ち前の落ち着きを取り戻す。緑珠はぴたりと止まったナスリーンへと問う。
「……ご存知、ありませんか。私に関わる些細な噂話でも構わないのです。何か、何かご存知ありませんか。」
『……すまぬ。……力にはなれぬ。妾は、何も知らんのじゃ。』
緑珠が酷く落胆したのを見ていたたまれなくなったのか、ナスリーンは一つ提案を出す。
「そう、ですか……。」
『……じゃが、そういう昔の話は年長者に聞くのが一番良い。』
「年長者……?」
きっと、とナスリーンは目を伏せて答えた。
『御稜威の神巫女女皇陛下を訪ねてみると良いかもしれん。あの巫女陛下なら、この事も見通しておいでじゃろう。』
「おっはよーう!イブキ!」
「ええ、お早う御座います。お元気になられて何よりです。ご支度もご自分でなされて」
「うふふ、凄いでしょ!❛鬼門の多聞天❜さん!」
笑っているが目の奥が死んでいる緑珠はイブキの話を遮って、突かれたくない核心を突く。
「……ずっと前からお聞きしたかったのですが……何故『その名前』を?貴女がご存知なのですか?」
楽しく笑いながら緑珠は目を細めたイブキへと近寄る。
「簡単よ。冷泉帝に泳がされたのよ。何方にせよ、私は貴方の真実が知りたい。……要するに、」
緑珠は先程のほんわかした雰囲気を消し去って問うた。其処には、冷たい冷気が漂う。
「さっさと教えろって言ってんの。その口を早く開きなさい。嫌でもこじ開けて話させるわよ。」
緑珠の殺気にも感じられるその言葉に、イブキは一切動じずに答える。
「ふふふ……一体何のことだか……。」
「戯けんじゃ無いわよ。……そうね、言い方が悪かったわね。……『さっさと教えろこの愚図が』って事よ。」
イブキは軽く頭を抑えて眉を顰める。よろよろと、足元が揺れる。
「……るさい……煩い!貴女だけには知られたくなかった!僕がやっていた事を、貴女だけには知られたくなくて、今まで隠してきたのに!なのに、なのに!」
緑珠は黙ってイブキの頬を叩く。沈黙の屋敷に良い音が響いた。
「っ……。」
緑珠は黙って刀を抜くと、イブキの首根っこを引っ掴んで首筋に刀を当てる。
「お前、私を舐めてるの?」
「な、何を言い出すんですか……?」
「お前は、お前は……。」
緑珠がギリギリと歯を軋ませる音を響き渡らせながら、己の心中をさらけ出す。
「私がお前に抱いているこの信頼を、お前は嘘だと言うの!?糞莫迦なこと言ってんじゃないわよ!こちとら元皇女なのよ!お前如きの心配で、私が揺れると思うなよ!?私はお前より偉かったと、聡明だったと、それはお前が一番よく知っている事実だろう!じゃないとお前を連れて来ない!」
一つ置いて、
「これ以上私の価値観を崩すというのなら、お前自身が私を壊すというのなら、私とて容赦はしない。
此処で、 潔 く、 死ね。
それがお前に出来る、最後の選択だ。」
そうやって刀を振り下ろした直後だった。
「はいはい其処まで其処まで。緑珠、いい子にして。」
真理が身動き出来ないように緑珠の手を掴む。
「離せ……!離しなさいよっ!」
「緑珠。いい加減にしなさい。自分の不甲斐なさを八つ当たりしちゃあ駄目だよ。」
真理が叱責する様な声で緑珠を咎めると、彼女は気付いた様に刀をゆるゆると下ろした。
「……はい。」
ため息を付いて真理は緑珠を拘束しながらイブキへと尋ねる。
「……教えてくれるよね?君が隠していることを。……まぁ、じゃないと……。」
ふーっ、ふーっ、と獣の様に息を荒らげている、目が紅い緑珠を見る。
「緑珠が怒るから、ねぇ。」
「……。」
睨み、そして激昂し、我を忘れかかっている緑珠をイブキは見ながら、観念した様に呟いた。
「……教えます。ですから、機嫌を直してくれませんか?」
「……。」
緑珠の瞳は元の翠色に戻り、身体中の強ばっていた筋肉もゆるゆると緩まる。
「……そう。なら、話してくれるわね?……ちょっと待ってて。貴方の事に関する資料を取ってくるから。何とか持って帰ってきたの。」
緑珠は真理の腕からするすると抜けると軽い足取りで自分の部屋へと戻る。緑珠の姿が見えなくなった瞬間、イブキの手と足が震え出す。
「ははは……悲しいですね。鬼と恐れられた人間が、怒鳴られた如きでこんなに震えるなんて……。」
「多分、君は自分のことを思ってくれる叱責を受けたから、余計に震えるんだと思うよ。」
真理の流し目をイブキは受けながら、緑珠の怒号を思い出しながら、震える手を見つめる。
「……ははは。」
結局、乾いた声しか出なかったが。
「さてイブキ。話を始めましょう。」
「ええ。何でもどうぞ。」
何でも話すと言った手前、イブキの心の中には不安しか無い。何とか怒りを沈めた主を、ただひたすらの思いで見つめる。
「資料によると……貴方は北狄の相手をする、北の城塞に入っていたのよね?」
「そうです。相違ありません。」
「それでは次。『北狄の捕獲、処刑は順調。今年度は前年度に比べて捕獲数が激増。』『北狄の尋問に、❛鬼門の羅刹❜と言う供述が相次ぐ。だが、尋問すると少し羅刹と言うのは違うらしい。恐怖のあまりその後の供述は掴めず。❛鬼門の多聞天❜とも呼ばれている。以後はこの名で呼ぶ事に決定。正体の究明に尽力する。』……これは、貴方ね?」
「……。」
イブキがただ笑っているのを、緑珠は容赦なく追い詰める。一言一言、噛み締めるように。
「……もう一度聞くわよ。
こ れ は 、貴 方 ね ?」
「…………そうです。貴女の仰せの通りに、僕が❛鬼門の多聞天❜です。」
そして、悲しそうに、然れど楽しそうに胸に手を当ててイブキは言った。
「……僕の名前は光遷院 伊吹。北の砦で、そして北狄が呼んだ❛鬼門の多聞天❜は、僕です。」
緑珠はその問いに更に問いを重ねる。
「『❛鬼門の多聞天❜の周りで不審死が相次ぐ。』。これは、貴方が殺した訳じゃないのよね?」
「ええ。但し、『僕自身』は人を殺したことが無い、だけですがね。」
「『僕自身』って、君ねぇ。それじゃあ……まるで……。」
真理は言葉を続けようとしたが、イブキが平然とその言葉を作る。
「……本当に、僕は殺してないんです。『僕』が勝手に言った言葉で、勝手に殺した。……それで良いじゃありませんか。」
「ねぇ、貴方は殺してないのよね?『貴方の言葉』で、勝手に死んだだけなのよね?」
緑珠は堪えきれなくなったらしく、イブキの言葉へ被せ気味に問う。
「確かに、そうですけ、」
「う、うぁぁぁぁん……!」
泣きながら緑珠はイブキへと抱きつく。もう状況がめちゃくちゃだ。
「うっ、ひっ、く、うぅっ……。」
「りょ、緑珠様?どうなされたのですか?」
「う、あ、のね。」
緑珠は滂沱しながら、涙をごしごしと拭いながらイブキへと話を続ける。
「私ね、こ、んな大、切なことに、気付、けなかったのっ……ひぐっ、だから、貴方が、貴、方が人を殺、してい、ない、という、そ、の返、答が、聞け、て、」
「嬉しいんだね?緑珠。」
緑珠は真理の言葉にこくこくと頷く。呆然としながらイブキは抱き着いてきた緑珠を見ている。涙を拭いて離れると、しっかりとした声で緑珠は宣言した。
「我が蓬泉院の名において、貴方の幸せを保証するわ。この不祥事、気付けなかった我が家に責任があります。」
「緑珠様、さっきから何を……!?」
綺麗に立ち上がって九十度に身体を折ると、緑珠はイブキへと謝る。
「申し訳無かったわ。貴方の貴重な時間をこんな無駄な事に使ってしまった。この生涯を使って、貴方に国を造るという夢を見せてあげる。えっと、だから……一緒に、着いてきてくれる……?」
緑珠はそんな自問自答っぽい言葉を旋回させながら、小指を突き立てる。
「指切りげんまんしましょ。真理もするのよ。」
「可愛い提案だね。良いよ、乗った。」
楽しそうに緑珠は指切りげんまんを始める。が、声のトーンは下がり出す。
「指切りげんまん、嘘付いたら 針 千 本 如 き で 済 む と 思 う な よ ? 」
(何か今怖いこと聞いた気が)
「針千本飲ますのは閻魔大王(僕)ですけどねぇ。」
(こっちはまた随分と呑気だな……。)
あと、それと、と緑珠は悲しそうに付け加えた。
「イブキの事も聞いたんだし、私も言わなくちゃね。……私、人の顔が見えないの。」
「人の顔が見えない……?」
緑珠はへなへなとその場に座り込む。
「大丈夫よ。イブキと真理の顔はちゃんと分かるの。けど……肖像画とか、そうね……わかり易く言うと……『生きている肉の上に乗っていない表情』は分からない。即ち絵画や壁のシミとか。あるじゃない?幽霊が描いたーだとか、顔の様に見えるシミとか。」
「えっ、じゃあ緑珠様ってホラー特番の『怪奇!人の顔に見えるシミ!』とか全然楽しめないじゃないですか!」
「君は本当に呑気だな!」
イブキの変な所のツッコミに、真理はノリに乗ってツッコミにツッコミする。
「まぁそうね。」
「緑珠は言い返しても良いんだよ!?」
「まぁ、イブキの言う通り……テレビでホラー特番やってようが私には白い壁を指さして怯えている人間しか見えないわ。」
「それかなりシュールな絵面ですね。」
「とんでもなく虚しくなるわ。こう、怯えられないって言うか……じゃなくて!」
緑珠はくすくす笑っているイブキの流れに、何とか逆らって話を再開する。
「そう、だから私は顔が見えないの。そうだ、これだけは言っておかなくちゃ。」
俯き、少し涙声で緑珠は続けた。
「……私、今さっき言ったでしょ?『生きている肉の上に乗っていない表情』は分からない、って。」
イブキと真理は勘が良い。もう、緑珠の言葉を聞かなくても次に出る言葉は分かる。分かりたくもない、その言葉が。
「私ね、死んだ人間の顔が分からないのだわ。『生きている肉の上に乗っていない表情』、だもの。だからね、だからね、二人にお願いがあるの。どうしても、叶えてほしいお願いが。」
「緑珠様の願いとあらば、叶えなければなりませんね。」
「僕は君の願いに弱いって言うのに。君は沢山願ってくれるね。」
もう、相手の二人は答えが分かっているのだ。それでも重ねて願う。それが彼女の、どんな物よりも重く、たった一つの願い。
「あのね、私より先に死なないで。……いや、死ぬな。『死なないで』なんて生易しい言葉じゃ怖いの。『死ぬな』。お願い、私から二人へのお願いなの。」
イブキは心の底優しく、温情を口に出す。
「ええ、勿論。全ては緑珠様の仰せのままに。」
真理はわしゃわしゃと緑珠の頭を撫でた。
「僕を何だと思ってるの?世界を創った創造神だよ。叶えられない願いは無い。」
緑珠は安堵の笑みを浮かべる。
「そう、良かった……有難う、二人共。」
そんな安堵の笑みを浮かべながら、緑珠は言った。
「もう遅くなってしまったけど、御稜威帝国に行かなければならないの。二人とも、今から行けそう?」
「勿論!じゃあ僕は先に行ってるね!」
真理が捕まえきれない様な速さで走り去る。緑珠はそれを見届けると、くすり、と笑ってイブキへと言った。
「伊吹。貴方に折り入って頼みがあるの。」
「何でも叶えさせて頂きますよ。それで……その頼み、とは?」
「私の最期を、貰ってほしいの。」
余りの言葉に絶句している伊吹を見ながら、緑珠はそのまま続ける。
「吃驚したわよね?そりゃそうよね。……きっと私は貴方達より先に死ぬ。いや、そうでなければならない。私は寂しがり屋なのだし。……貴方達の臨終なんて、見たくもないわ。きっと生きていけないわ。だから、ねぇ、お願いよ?」
緑珠の懇願に、伊吹はやっと表情筋を動かした。
「……貴女、相当狂ってますね。」
「ふふふ、今に始まった事じゃないわ。……私を殺すまでに、その刃が血で濡れる事を、切に願うのみ。私に出来るのは、それだけよ。」
伊吹は刃の真意を読まれ、益々絶句する。緑珠はそれを見て余計に笑った。
「あはは、そんなに吃驚しなくても良いじゃない。貴方の事だもの、きっとそんな『理由』だと思ったわ。さて……。」
緑珠は立ち上がって、柔和にイブキの手を引っ張る。
「さぁ、行きましょう。早くしないと本当に遅くなってしまうわ。」
イブキはその手を取ると、緑珠に引っ張られるがまま、果てなき旅路へと進んだ。
緑珠は自身の出生の秘密を探るため、御稜威帝国へと足を進める。そして、そこで明かされる真実とは?イブキが緑珠を監禁したりする、そんな話!




